六章 瞬きもせず

第109話 試行錯誤

 優也はキャッチボール程度の運動は行っている。

 下半身を重点的に鍛えてはいるが、それでも肩の動きが制限されていれば、パワーをボールに伝えることは出来ない。

 だが逆境においては何が出来るかが、エースの条件なのかもしれない。


 セットポジションから、テーピングで動く範囲で肩を動かす。

 大切なのは肘から先のしなりと、指先でのリリース。

 力を入れるのではなく、力を逃がさないという意識。

 球速は120km/h程度であるが、球質自体はいい。

 そして最後に指でボールを弾く、その感覚。

 場合によってはそのボールは、ゆらゆらと揺れながら潮のミットに入る。


 ナックルボール。

 現実的に運用するのは無理と、日本では言われている変化球だ。

 理由としてはその変化が、投げるピッチャーにさえ制御できない。

 またこれは日本人の指の長さなどが関係するのか、それとも使っているボールの差であるのか。

(本当の本当にどうにもならなくなったら、これを投げるしかないのか)

 潮はキャッチボールの相手をしながらも、優也の無茶に呆れる想いである。


 サイドスローやアンダースローでもなく、とにかくタイミングなどによって、強力な打線をそれなりに抑える軟投派のピッチャーがいる。

 優也がこれまで必要としなかった技術は、既に存在はしていたのだ。

 日本シリーズにおいても、手投げで相手を翻弄し、勝利したエースがいないではない。




 潮は正捕手として、優也が抜けた穴を埋めるため、他のピッチャーを優先しなければいけない。

 だが壁を相手にこんな手投げになっていても、優也はやはりキャッチャーがほしい。

 しかし投げられないピッチャーが正捕手や二番手捕手を独占するわけにもいかず、優也はネットを使って、投げ込みとも言えない投球練習を行っていた。

「あたしが受けよっか?」

「……ん~~~~~~~~頼む」

 マネージャーの繁原麻衣の言葉に、長く悩みながらも頼みこんだ優也である。


 人的資源の浪費こそ、世界で最も罪深いものである。

 選手の練習とトレーニングの時間は、限られた中で行わないといけない。

 選手のキャッチボールの相手などをしていて、麻衣が充分にキャッチングが出来るのは分かっていた。

 それでもフルパワーの150km/hなどは無理であろうが、今の優也は120km/h程度しか出ない。

「優也先輩の真似!」

 などと言って女の子投げをする麻衣にはイラっとするが、プロテクターをつけてしっかりとキャッチしてくれるので、ありがたいことはありがたい。


 このナックルの練習に関しては、国立も呆れたように見ていた。

 だが実は北村は、白富東の選手時代に、先輩で真剣にナックルの研究をしていたピッチャーがいたりするのを知っている。

 ただ結論としては、統計的に戦うプロ野球のシーズンならともかく、一発勝負のトーナメント戦では、とても使えないというものであったが。

(まあ、実戦で使えるかどうかはともかく、気分を切らさないことは重要だよな)

 通常のミットを使って捕球が出来ている時点で、その有効性には疑問符がつく。

 せいぜいがジャストミートを防ぐという程度であろう。

 だが優也が自分で工夫している、その姿勢が好ましいのだ。


 その程度であっても、今の優也にとっては、すがりつきたいものであるのだ。

「優也先輩さあ、スローボールの練習してみたら?」

 麻衣の言葉に、なんじゃそりゃという顔をする優也である。

「だってさ、肩が治ったらその時は、150km/hまた投げられるようになるでしょ? その時に球速差60km/hのスローボールとか投げられたら、けっこう面白くない?」

「……お前、ドカベン読んだことあるのか?」

「お兄ちゃんが持ってたから」

「兄貴も野球やってたのか」

「あたしの方が上手かったけどね」

 確かに麻衣は、女子の中では別格レベルに上手いだろう。




 ここでピンク色の空間などが発生することもなく、優也はひたすら、パワーではなく技術の方を磨いていた。

 そしてバッティングピッチャーとして軽く投げてみることもある。

 故障をしているなら、その程度のことも出来ないであろう。

 そう思わせるための作戦であったが、意外なことに気づいていく。

 130km/hに届かない程度の、変化球でもないストレートでも、それなりに通用することは通用するのだ。

「プロ野球でも、MAX130km/hで通用した星野信之とか、あとMLBの上原も晩年は、球速は落ちてたもんなあ」

 北村はそう言って感心するのだが、国立としてはどうしても自分の発想の限界を感じる。


 単純な技術であれば、自分の方が北村よりも上である。

 だが北村は思考が柔軟で、純粋に実力を上積みするのではなく、奇才をそのまま活用するようなところがある。

 国立であれば正統派の形に、矯正してしまいそうなことをだ。

 下手に一流ばかりが集まる、六大学リーグで学んだこと。

 国立はそれをそのまま垂れ流しているが、北村は選手の個性を最優先するのだ。

 高校時代、わずかではあるが効率性と合理性の塊のような練習に触れたこと。

 それは北村の野球人生に、大きな影響を与えた。


 早稲谷の監督が何をやっても、確実に勝つ方法などはなかった。

 だが直史は自分の投げた試合では、確実に勝っていた。

 選手に技術があるなら、特にそれがピッチャーであるなら、監督がどうであろうと勝てる。

 北村はそれを、実体験として知ってしまっていた。




 県大会の組み合わせが発表された。

 シードを取っている白富東は、当然ながら一回戦は免除。

 そして二回戦以降もベスト16までは、それほどの相手と当たることはない。

「決勝は勇名館かトーチバか、か」

 トーナメント票をコルクボードに貼り付けて、国立は呟く。


 冷静に計算してみても、現在の戦力だけでも、甲子園に行ける可能性は少なくない。

 渡辺に山口、そして中臣あたりまでが主力のピッチャーとなり、正志や川岸にも、ある程度は投げてもらう。

 失われた戦力は途方もないものだが、それでもまだ白富東は戦える。

 7月の10日に、マリスタに全168チームが集まって開会式。

 そして11日からが試合の始まりである。


 白富東の初戦は、13日である。

 相手は一回戦があるので、どちらが上がってくるかは分からない。

 だがどちらにしても、さすがに苦戦するような相手ではない。

 それこそフラグだと思われるかもしれないが、情報収集をせずになお、勝てるだけの力がなくてはいけない。

 そうでなければ、どのみちベスト4以降には進めないだろう。


 三年生にとっては最後の夏。

 ここまでくれば国立は、怪我だけは恐れながらも、最後に向けて調整をしていく。

 暑さに負けないよう、徐々に練習の負荷を減らし、ベストのコンディションを迎える。

 ただそのピークは一回戦ではなく、決勝に合わせなければいけない。

 傲慢と思う者もいるかもしれないが、大切なのは決勝で勝って、甲子園に行くこと。

 そこでどれだけ勝てるかは、もはやトーナメントのクジ運次第であろう。




 優也はそんな開会式の前日にも、SBCにおいて検査を行っていた。

 治癒がどこまで進んでいるか、それを確認するためである。

「順調に治ってるよ。年内には投げられるようになるだろうね」

 それでは遅い。

 せめて甲子園までには、治らないのか。

 それでも無理と言うなら、せめて秋の大会には。


 しかし肩の治癒によって、テーピングによる固定は、少しゆるいものになった。

 もちろん全力投球などは出来ないが、それでも肩はかなり動く。

 麻衣の構えたミットに投げ込めば、単純なスピードならばともかく、その伸びが増しているのが分かる。


 その投球練習を、スピードガンで計測した国立は、これはありだな、と思った。

 球速はまだ130km/h程度であるが、球質が劇的に改善している。

 それに人間の投げる130km/hというのは、マシンの130km/hとは、全く違うのだ。

 何より改善したのは、そのコントロールである。

 下手にパワーを伝えない代わりに、これまでよりもずっとコントロールはよくなっている。

 ノーコンと言う訳ではないが、それなりに甘く入ることも多かった優也が、精密なコントロールを身に付けている。

 これは来年の夏には、かなりの成長した姿が見られるのではないか。


 国立は北村とも話し合い、初戦の先発を決定した。

 背番号1の優也を、二回戦で投げさせる。

 球速は130km/hが出ているならば、それで充分だと考えたのであった。

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