四章 春の甲子園
第76話 肌寒い甲子園
「甲子園のくせに寒い!」
優也が叫んでいるが、当たり前のことである。
三月の甲子園はそれなりに寒い日も多いので、アンダーシャツもしっかりと持って来いと言われていた。
だが甲子園というとどうしても夏のイメージが強く、実際に味わった夏も強烈な暑さであった。
春のセンバツはピッチャー有利と言われるのは、単純に試合数が少なくなる可能性が高いと共に、スタミナ切れが起こりにくいからだろう。
水分やミネラルの適切な摂取で、それは予防することが出来る。
ただ他にも体内のエネルギーをどんどん使ってしまうのは確かだ。
山口、渡辺、優也の三人で、国立はこの大会を回すつもりである。
だが、一回戦から相手が問題であった。
センバツは基本的に、21世紀枠以外には弱いチームなどない。
だがよりにもよって、ここのところずっと出場しているこのチームか。
「明倫館か……」
去年の夏も大阪光陰に負けた、三回戦まで勝ち残ったチームである。
白富東もかなり急激に強くなったチームであるが、明倫館もそれに劣るものではない。
初めての甲子園出場は春のセンバツで、いきなりそこで決勝まで勝ち上がった。
そして白富東に負けた。SS世代最後の年であったので、相手が悪かったと言えよう。
その後もベスト8ぐらいまでは毎年のように進出してきて、春夏合わせて優勝が一回、準優勝が二回。
完全に全国レベルの強豪私立となっている。
各雑誌によると、その評価はおおよそ白富東と同じぐらいで、総合評価はA-。
ただ白富東は守備がB評価で、明倫館は打撃がB評価となっている。他はAだ。
つまり投手力は互角。
「そんなわけないけどなあ」
国立が評価するなら、明倫館は守備がSで打撃がAで投手がBとなる。
スカウトを主に県内に絞っているので、そうそう目玉投手を取って来れないのだ。
ただし監督の大庭が、打撃力に関してはどんどんと上げていく。
その打撃を封じるためのノックで、守備も上がっていくという感じだ。
トーナメントが確定すると、強豪校の監督は、どう選手を起用していくかを考える。
一回戦が明倫館。秋の試合の映像は簡単に手に入る。
強そうなチームは一通り見ていた国立であるが、当たる可能性の多いチームは、もう一度念入りに見直し始めるのだ。
これにはキャッチャーと、ある程度はピッチャーも同席させる。
しかし目の前の試合を考える以外に、トーナメントがどうなるかも考えてしまう。
二回戦の相手は、大阪の理聖舎と、愛媛の斉城との勝者。
準々決勝で当たりそうなのは、青森の青森明星か、東京の早大付属といったところか。
準決勝まで進めば、名徳、東名大相模原、仙台育成といった、去年の春の覇者、夏の覇者、神宮の覇者のどれかと当たる可能性が高いだろう。
俗に宿命の対決と言われる大阪光陰とは、どちらもが決勝まで勝ちあがらないと当たらない。
そしてあちらは、神宮で死闘を繰り広げた、刷新学園と準決勝で当たる。
センバツは本当に、弱いチームがほとんどないのだ。
それでも明倫館が一回戦というのは、かなり厳しいものがある。
悟たちが優勝した夏は、明倫館と春に当たって負けている。
それだけ厄介なチームなのだ。明倫館は。
また試合が、初日の第二試合というのも微妙なところだ。
第一試合に理聖舎が出場し、これまた応援の熱い愛媛の斉城と対戦する。
春の寒さの中、その熱気をどこまで味方にすることが出来るか。
本当に、実力以外の部分が勝敗に影響しそうで、国立としても頭が痛い。
打力のあるチームだけに、優也の登板は不可避であろう。
一回戦であるから、中四日で投げることが出来る。ただ全てを任せるべきであろうか。
最高の戦力を当てる、全身全霊での勝負などというのは、指揮官にとっては単なる思考放棄である。
打力が自慢のチームに、渡辺と山口の、どちらを当てるべきか。
さすがに川岸では、勝負にならないだろう。
明倫館の試合を見るに、強打のチームにありがちな、ぶんぶん振り回すスイングはしていない。
かといって単打狙いのスモールベースボールとも違う。
(選手の素質に合わせて、ちゃんとバッティング指導をしてるわけか)
さすが、大介の父と言うべきか。
プロの飯を食ってきた人間は、やはり油断出来ないのだろうか。
「はいはい、ごめんよごめんよ」
貸し出しをされたグラウンドにおいて、練習をしている白富東。
それを見るマスコミの間から、出てきた人物はこの場にふさわしいものだ。
「やあ、白石君」
「調子はどうですか」
「悪くはないけどね」
この二年、白富東はセンバツに出場できていなかった。
大介はオープン戦の最中であるが、大会のために甲子園で練習することが出来ない。
今年から寮を出た大介であるが、甲子園はチャリで通える距離である。
なので今日も、チャリで見物に来たのだが。
「親父のチームとの対戦なんですよね」
「大庭監督、いい監督だからね」
「息子的には、そんなに教えるの上手かったかな? っていう感想なんですけど」
大介はそれでも一応、キャッチボールとスイングの基本は教わっている。
つまりこの稀代の大打者は、肉体と技術の両方を、大庭からもらっているわけだ。
明倫館の特色は、ない。
特色がないことこそ、明倫館の特色と言えようか。
最初に甲子園に出場した時には、ホームランを打つバッターが一人もいなかった。
基本的にスモールベースボールで戦うのかと思ったら、バッティングに優れた選手も出てくる。
そしてピッチャーも、エースを作らず継投したり、ぎゃくにエースを作っても役割分担をしたりと、柔軟なのだ。
選手を集めてくるのではなく、集まった選手でどうやるか、それを明倫館は考える。
そして今年の明倫館は、少なくとも秋の試合までを見ると、バッティング重視なのである。
だが高校生の成長速度を思うと、秋のデータを信じ込むわけにもいかない。
「なんならちょっと見てきましょうか」
「それはありがたいけど、いいのかい?」
「まあ、こっちは秋のまま、レベル上げだけしたって感じですし」
その地味なレベル上げが、冬場には重要なのだが。
大介は請け負って、ママチャリをキコキコと漕いでグラウンドを去っていく。
八億円プレイヤーがママチャリを漕いで行くのは、ずいぶんとシュールな光景に思えた。
一度はシニアの監督に移りながらも、また明倫館の采配を握るようになった大庭である。
中国四国地方は、合わせて五校の選出がされる地区だ。
そこからほぼ毎年のように出場をしているのだから、明倫館の安定度はすごい。
もちろん関東は関東で、魔境神奈川や、魔境になりつつある埼玉などもあるのだ。
秋の大会で中国大会を制した明倫館は、はっきり言って未完成のチームであった。
それでも優勝できたのは、基礎的な打撃力と、あとは運によるところが大きい。
ピッチャーを育てるのは、正直に言って難しかった。
だから長所である打力を、さらに伸ばしていった。
あとはガンガンと、秋の終わりに練習試合を組めたのも大きい。
練習試合禁止期間が明けてからも、ガンガンと組んで実戦の勘を取り戻させた。
ただ冬の間にかえって調子を落とした者もいるので、純粋にレベルアップ出来たのかというと微妙なところだ。
もちろん全体的には、一回り強くなっているだろうが。
そんな明倫館の練習を、息子が見にやってきていたりする。
「今日はオフか」
「そそ。まあいつもは自手練とかしてたりするんだけど、今日は見物に」
「そうか……。今のプロの世界では、オフにしっかり休むことをどう考えてる? うちの高校の場合、週に一日は完全休日を作ってるんだけど」
「プロの場合は移動日があるからなあ。でもホームでやる時か……。どうだろ? 白富東は週に一日は完全休日だったけど」
それは公立校なので、教員が休むためにも、絶対に必要だったのだ。
現在においては土日のどちらかを、完全に休ませるのが月に二日はある。
「高校生の場合、やればやるほど技術は伸びるけど、休ませないと体がそれ以上に消耗するような気がするんだよなあ」
「へえ。なんか真面目に監督やってるじゃん」
「当たり前だろうが」
「プロは……プロはもう、オフでも練習するフィジカル前提って考えかな。MLBはまた違うかもしれないけど、あっちは移動がめちゃくちゃしんどいらしいし」
「そうだよな。社会人野球の方が参考になるのかな」
「俺は故障知らずだったけど、やっぱ人間によって限界はあると思うぞ。セイバーさんが監督の頃は、かなり厳密にトレーニング量は管理してたし」
それを無視して投げ込んで、結果を残したのが直史であったりするのだが。
親子の会話だろうか。
野球を通じて、かなり親子らしい会話になっているのではないだろうか。
「あ、それと俺、このシーズン終わったら結婚するんで。事情があって式はしないけど」
「お前それ、ついでみたいに言うことじゃないぞ!」
親子の語らいは続き、それでも大介はしっかりと、明倫館の練習を偵察していたのであった。
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