第74話 最強への道険し

「勝った……」

「勝ったな……」

 バスの中で座り、そう呟いているのは潮と正志であった。

 通路を挟んで反対側では、優也が疲れからか既に眠っている。

 無理もない。途中からの登板とは言え、延長12回まで160球を投げたのだから。


 秋季関東大会準決勝、白富東対花咲徳政の試合は、まず花咲徳政の先制から始まった。

 先発の山口は三回までに毎回一点ずつを失ったが、そこから優也がリリーフ登板。

 白富東も徐々に点を返したものの、優也もまた一点を失い4-3で九回の裏。

 本当にツーアウトからぎりぎりで同点に追いつき、そこから延長に突入。

 12回の表には花咲徳政が勝ち越し点を挙げたものの、白富東も裏には逆転サヨナラの大チャンス。

 逆転打を放ったのは潮であり、サヨナラのベースにタッチしたのは、既に足元のおぼつかない優也であった。

 最終的に6-5のスコアで、白富東は決勝に進めたのであった。


 満身創痍とでも呼ぶべき優也のズタボロ具合であったが、勝ちは勝ち。

 既にセンバツは決まっていたようなものであったが、この結果でまさか落とされることはないだろう。

 問題になるとすれば不祥事ぐらいで、白富東の生徒は、よく犯罪にはならないが大騒ぎになる不祥事は起こしたりする。

 それもまあ、最近では野球部と関係なければ、出場辞退などにはならないのだが。


 国立は選手の様子を見る。誰もが疲労困憊といった感じだ。

 だが本当に切実なのは、やはり優也であろう。

「分かっていると思うけど、明日は山根君は投げられないからね」

 ここまでズタボロでも、一晩寝たら回復しているのが高校生だ。

 しかしさすがに国立は、この状態のピッチャーを投げさせようとは思わない。

 これがもし優也が二年生なら、体力の限界を見極めつつ、リリーフで投げさせることはあったかもしれない。

 だが今はまだ早い。


 白富東は最盛期、神宮大会にまで出場して、しかも優勝している。

 どうやったらそんなことが可能な選手層になるのか、今更ながら不思議な国立である。

(一度山手さんに聞いた方がいいな)

 実のところSS世代の二年の秋は、シーナがジンと話し合って、方針を決めていたものだが。




 準決勝までの間にプロ野球のドラフトがあり、悠木は二位指名で東北ファルコンズの指名を受けた。

 だがその年の目玉は佐藤武史であり、六球団が競合した指名でありながら、本人の希望の球団に行くという、なんとも運の強いところを見せた。

 国立としては教え子である星と同じチームのため、なんだかんだと世話を焼くのかな、とは思っていたが。

 ただその星は、このオフには結婚するとのことで、結婚式への招待状を送られている。

 何でも既成事実による、強引な敵中突破であったらしい。


 国体に関しては三年だけで挑んだこともあり、一回戦で敗退した。

 それはまあ、分かっていたことなので仕方がない。

 その中から、悠木は東北に指名されたわけである。

 本人としてはスターズが好きな球団らしかったが、スターズはまた即戦力の野手を欲していた。

 普通は高卒野手など、プロでは数年は見ないといけないものだ。

 ただ大学に行ってもう一度の機会を、という選択は悠木はしなかった。


 東北は一位を社会人ピッチャー、三位以下もピッチャーを多めに取った。

 その中で二位で高卒の悠木を取ったというのは、かなり買っていてくれているということだ。

 昨年パの最下位だった東北は、下手をすれば一位指名クラスの選手を二位で取れたのだ。

 そこで悠木を取ったということで、本人は満足したらしい。


 国立の見る限り、東北は確かに野手はそろってきているが、まだまだ固定化というには程遠い状態だと思っていた。

 ライトを守っていた悠木だが、実のところ外野ならどこでも守れる。

 そのあたりを考えると、まだまだ東北の埋めたいポジションには合致したのだろう。

 大学野球には向いていないと思うので、国立としても迷いなく送り出すことが出来た。




 そして翌日の決勝、白富東は嘘のようにぼろ負け……しなかった。

 対戦相手は本命だった東名大相模原を破ってきた刷新学園であったが、刷新学園も前の試合で、一年生エースを限界まで酷使した。

 いや、エースではない。背番号は18だったので。

 だが準々決勝も準決勝も、その一年生はエースクラスの扱いを受けていた。


 このエースが少しは調子を落としながらも、先発で投げてきたのである。

 国立としてはセンバツは決まったようなものなのだから、ここは休ませてもいいだろうと思ったのだが。

 しかし夏の大会には出ていなかったこの選手は、150km台のストレートをぽんぽんと投げて、白富東打線をぽんぽんと三振に打ち取る。


 だが夏までに試合経験をあまり積んでいなかったのが問題だったのだろう。それに連戦ということもある。

 七回を終えたあたりからガクッと球威が落ちて、白富東の反撃が始まる。

 だが白富東もまた、相手の追加点を防ぐことが出来ない。

 渡辺と山口に加えて、正志や潮までもマウンドに上げて、どうにかアウトカウントを重ねていく。


 俺を使えと優也がベンチで喚いていたが、分かった分かったと国立は代打に送り出した。

 そこで本当に打ってしまったりするのだが。

 逆転までしたら、一イニングだけなら投げさせたかもしれない。

 このあたり国立は、ぎりぎりの覚悟が足りないな、と自分でも思う。

 ただ三年の夏なら、そしてこれが渡辺や山口なら、投げさせたかもしれない。

 最後の夏で燃え尽きて、壊れても悔いはないという執念。


 国立も無理をして故障し、プロを諦めた人間だ。

 だがあの時の判断はあまり後悔していない。

 故障でプロに行けないよりも、プロに行ってから故障する方が致命的である。

 人生でやり直しが利く時に、故障はするべきではないか。

 もちろん故障をしないのが、一番いいことは確かだ。

 だが故障を恐れて完全燃焼できなければ、それはそれで悔いが残るとも思うのだ。


 壊れてでも試合に勝ちたいという選手の意見を、子供の言うこととして大人の立場から、完全に封殺するのはむしろ一方的ではないのか。

 そう思う国立だが、センバツがほぼ決まっているこの試合では、やはり優也を使うという選択肢はない。

 かくして7-5にて刷新学園が関東大会は優勝、神宮大会へと進出することになったのである。

(それにしても、終盤で球威が落ちたあのピッチャー……)

 刷新学園の小川。急にコントロールも悪くなったのは、どこかを少し痛めたのではないか。

 もしそうなら神宮大会までには、治療も間に合わない気がする。


 センバツが行われるのは、高校二年生の春。ちょっとした故障ならば、充分に治せるだけの時間がある。

 東の小川に西の毒島、あるいは右の小川に左の毒島。

 二年生の甲子園を盛り上げる二大主人公とも言うべきエース二人は、ここから頭角を現してくる。

 近畿大会を制した大阪光陰と神宮大会では準決勝で対戦し、12回までを投げて一点差で刷新学園が勝利。

 しかし疲労の漁夫の利を得て、優勝するのは仙台育成であったりするのだが、それはまだ少し先の話。




 秋の大会が終わり、練習試合禁止期間に入る。

 ここからの基礎トレが、春以降の成績に直結すると言われている。

 他の季節はどうしても、公式戦を念頭に置いた調整をしなければいけない。

 主にウエイトで、体を一回り大きくする。

 だが体重を増やすのが目的ではなく、瞬発力を増やすのが目的なのだ。

 あとは体幹とインナーマッスルを鍛えて、怪我をしにくい体にしなければいけない。


 秋の大会のあと、実は少し優也は、コントロールを乱した。

 疲労が抜けきっていないのだろうと、すぐに国立はピッチャーを交代させ、しばし優也にはブルペンでの調整をさせた。

 これはもう一つの副次的な効果をもたらした。

 優也以外のピッチャーの成長である。


 現在の白富東で、左利きで少しでも公式戦で使えそうなピッチャーは、一年生に川岸という者がいる。

 ただまだ長身の割には線が細くて、上手く身長を活かして角度をつけて投げる以外に、ピッチャーとしての長所はないと言っていい。

 それでもサウスポーというだけで、活躍の機会はありえる。

 同じぐらいの実力でも、左というだけで優先的に使ってもらえる、

 機会が与えられるのだとしたら、人間は成長していくものである。


 また渡辺も、明確にこの冬の目標を定めていた。

 それは球速140km/hという、明確すぎるものだ。

 単純にスピードだけがいいピッチャーの条件ではないが、他の全てが同じであれば、スピードはあった方がいい。

 コーチの意見も聞きながら、渡辺はウエイトトレーニングに励むことになった。

 国立からの要求は、故障しない選手を作ること。

 鍛えないと強くならないし、鍛えるということは少なからず無茶をするということ。

 それでも国立はあえて、難しい要求を出している。


 白富東はなんだかんだ言って、ピッチャー以外のポジションはそれなりに埋まるのだ。

 球数制限が言われて、強豪校はどこも、第二ピッチャーの存在を重視するようになっている。

 エース一枚では甲子園に行くのがやっと。地区によってはそれすらも難しい。

「スピードを上げるのは肩肘よりも、下半身が重要だよ」

 コーチは壊れない投げ方を熟知している。

 そもそも壊れない方法というのは、アメリカの方が日本よりも進んでいるのだ。

 ただ日本の場合は、純粋にトーナメントでの投げすぎはよく言われる。


 


 チーム力全体は上がっているな、と日々の練習で国立は感じる。

 優也はしばらく休息させると、普通にコントロールの乱れはなくなっていた。

 その優也も、目指すは150km/hである。

 優也の場合は体格から見ても、それは無理な目標ではない。

 昨今の甲子園の優勝校には、かなりの確率で150km/hを投げるエースがいる。

 もちろん例外もいるのであるが、高校生の頃から150km/hを目指すというのが、当たり前になってきているのだ。


 キャッチャーは山口と潮の二人がいるのだが、山口がピッチャーをすることもあるため、もう一人一年生から、ベンチに入ることが多くなっている。

 ただ正捕手はおそらく、このまま潮でいいのではと思う。

 内野と外野でほぼポジションが決まっているのは、本当にセンターラインぐらいだろうか。

 ただショートとセンターは完全に守備力重視なので、もしもここを守る強打者が出てくれば、スタメンと終盤の守備固めで、入れ替わる可能性は出てくる。


 寒さの中でも、充分なアップをして、メニューはトレーニングを多めにする。

 国立はノックを打ちまくって、守備をより強化していく。

 はっきり言って国立は、守備練習でノックを打つのが、一番選手が上手くなっているのを感じられる。

 だがそこはバランスの問題で、バッティングもしっかりと伸ばしていかないといけない。


 学校の行事としては期末テストがあり、スポ薦組や体育科がひいひいと言っている中、潮が監督して勉強を教えている。

 こういう時に研究班が完全に上に立つので、白富東はバランスのいいチームになっているとも言える。

 平均点の60%を取れたら大丈夫というのが、おおよその白富東の基準である。

 平均点ぐらいは取れるだろうなどと潮は言うが、彼はそもそも普通にやって学年でトップ10に入るぐらい頭がいいのだ。

 やはりキャッチャーは頭脳である。


 ここから冬休み、年末年始、そして学校の方ではスポーツ推薦の試験に、一般の試験が行われていく。そして一月には、正式なセンバツの出場校も決まる。

 監督であり教師である国立は、むしろこの時期が大変なのだ。

 そんな国立の教科である数学で、野球部から唯一の赤点を取ってしまうのが優也で、国立は職員室で肩身の狭い思いをしたものである。

 ただ二学期の期末というのが、唯一の救いか。

 ちなみに去年は悠木も似たようなことをしていた。そして耕作にガンガンと叱られていた。

 いやそれ以前の問題として、一月からプロ入りの悠木は、ちゃんと卒業する単位を取っていなければいけない。

 今のままでは足りないと、受験に余裕の耕作が、必死で教えたりもする。


 不思議な季節だ、と国立は思う。

 野球の試合からは遠ざかり、ひたすらに鍛える日々。

 ここでの土台作りが、春には結果として出る。

 秋からどれだけパワーアップしているかで、センバツの勝敗は決まる。

 そもそもセンバツでは、秋のデータは全く役に立たないとまで言われる。


 人間の生活においては、流れる時間の早さは変わらない。

 それでも冬は停滞して感じられるのは、野球の公式戦がないからだろう。

 長い冬が始まる。

 終わってしまえば、あっという間でであったような、長い冬だ。

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