第70話 投手運用

 関東からセンバツに出場できるチームの数は、4.5である。

 簡単に言えばベスト4まで進めば自力で出られるわけだが、微妙な制限もある。

 たとえば今年は神奈川県での開催となるが、ベスト4まで神奈川のチームが三つ残れば、そのうちの一つは出場できない。

 あとは関東大会で優勝したチームが、どこまで勝ち上がるかによる。

 東京代表のチームよりも神宮大会で上まで勝ち上がれば、ベスト8に残った中から一チーム選ばれる可能性が高い。

 それと神宮大会で優勝までしてくれると、関東の出場枠が一つ増える。


「とにかくベスト4に残ればいいってことだよな」

「まあそうだね」

 優也の雑な把握の仕方も、逆に変なことにまで考えが至らないので、悪くはないのかもしれない。


 トーナメントで初戦の相手が、優也のまたも因縁のある横浜学一であった。

 正直なところ横浜学一に行っても、今のような自分にはなれなかったろうな、と思う優也である。

 それを思えば感謝すらしていいのかもしれないが、優也はそこまで人間が出来ていない。

 純粋な恨みというものがある。

 そもそも甲子園であそこまで投げた自分を、獲得しなかったあちらの方が間違っていたに違いないのだ。

 だから復讐する正義は我にある。


 国立としても、完全に優也を登板させないわけではない。

 問題は関東大会の日程が二連戦となっていて、翌日に甲府尚武と前橋実業の試合の勝者と当たらなければいけないからだ。

 優也がエース格であることは、二年生も含めて認めている。

 だからこそ優也をどう使うかが、問題となってくるのだ。

「試合に出さないわけじゃないから」

 先発は渡辺と聞いて錯乱した優也を、すぐに国立は落ち着かせた。

「ここで勝てても、次も勝たなければ、センバツに行けるとは限らないからね」

 国立はちゃんと遠くを見ているのだ。


 白富東は千葉においては、まさに最強のチームである。

 夏の甲子園への連続出場記録を、そのうち更新するのではと言われている。

 だが世の中には10年以上夏の甲子園に出場している学校もあったりして、国立としてはさらにその上を目指している。

 それにセンバツはこの二年、出場出来ていない。

 最後に出場したのは、悟たちを中心にして、夏には優勝出来たあのチーム以来だ。

 それまでは五年連続で、センバツにも出場できていたのに。


 新入生にどんな選手が入ってくるかは分からないが、春のセンバツの出来次第では、全国制覇を狙ってもおかしくない。

 一冬をかければそれぐらいまで、選手を強化できるという自信がある。

(問題は大阪光陰とかだけど)

 毒島の怪物ぶりばかり話題になっていたが、大阪光陰は毒島と水原の後の三番手が不足していた。

 もっともあの時点では、その三番手のピッチャーでさえ、優也と同レベルはあったかもしれない。


 それにコントロールのアバウトな毒島をリードしていたのは、四番の呉であった。

 あのキャッチャーが引退したため、毒島をどうやって制御しているのか、国立は注意している。

 近畿大会には勝ち上がったそうであるが、府大会の決勝では理聖舎に負けたらしい。

 スコアを見るに毒島がフォアボールでランナーをためてしまって、そこから置きにいったボールを狙われたらしい。


 投手運用のためには、優れたキャッチャーも必要だ。

 国立からすると潮は、優れたキャッチャーの資質を持ってはいるが、まだ優れたキャッチャーと言い切ることは出来ない。

 多くのピッチャーを経験させることは、キャッチャーである潮の経験にもなる。

 特に本来はキャッチャーの山口とバッテリーを組むなら、お互いの足りない部分を補うことが出来ると思ったのだ。

 実際には山口は、ピッチャーの時はあまり自己主張をしないのだが。


 一回戦と二回戦を勝ってベスト4にまで残れば、よほど無様な野球をしない限り、関東の枠でセンバツに出ることが出来る。

 そこまでは確実に、優也を温存していかなければいけないのだ。

 県大会で故障することまで考えて、決勝で山口に先発させた。

 国立はそこまで、過保護と言っていいぐらいに、ピッチャーの運用に気を遣っている。




 秋季大会の期間中に、夏休みの部活紹介とはまた違った、学校説明会が行われる。

 そしてこの期間には、文化祭なども行われるのだ。

「え、ギター弾くの? てか弾けるの?」

「エレキの方な。かっこよかろ?」

 弾けてもおかしくない雰囲気の優也は、本当に弾けるらしい。

 文化祭では野球部以外の人間と組んで、ステージで演奏するそうな。


 優也の場合は学校の行事など、かったるいとか言って不参加を決め込みそうなものだが、こちらの方向なのは意外だった。

「お前らは何かしないの? つか野球部では何かしないのかな」

 実はグラウンドを使って、ストラックアウトと打てたら無料チケット配布というのをやるらしい。

 昔は人数が少なくて出来なかったそうだが、今は野球部は三年が引退しても50人近くいる。

 それだけいればクラスの方に出席する者がいても、こちらの出し物も回せるというものだろう。


 ストラックアウトに挑戦してみるものの、なかなか九分割には投げられないものである。

 ピッチャーならどうだと言われても、山口などは低めに集めるのは上手い。

 おそらく普段からキャッチャーの送球で、低めのベース付近に投げる練習をしているからだろう。

 だが高めに投げてから低めにすると、かなり左右に散ってしまったりする。


 基本的にピッチャーのコントロールは、アウトローの出し入れが肝要なのだ。

 あとはインコースに投げる時に、インハイやインローをどれだけ厳しく攻められるかによる。

 九分割であっても、基本的にアウトハイは外す球である。

 よってそこに投げることは、ピッチャーもあまり練習しないので難しい。

「佐藤さん、普通に16分割ぐらいしてたよな?」

「あの人は変態だろ。昔四角い板の縁にボールを掠らせながら、キャッチャーのミットに入れる映像やってたぞ」

「あれかあ」

 

 実は高校生レベルのコントロールの良さというのは基本的に、ストライクを取りたいときにちゃんとゾーンに投げられるレベルのものを指す。

 狙ったところに投げられるのが、コマンドという。これが非常に難しい。

 精密機械と言われた北別府学が、ストライクゾーンは四分割と言ったように、プロでもおおよそその程度の認識なのだ。

 だがそれもまた、投球技術は進歩していく。


 狙ったところの、10cmの範囲内で投げる。それもちゃんと全力投球で。

 それが出来ればプロの超一流だ。あとは球速をどれだけ上げていけるかで。

 実際にはそこまで精密なコントロールを要求されるのは、アウトローだけである。

 アウトローの出し入れに、厳しくインコースを攻めることだけが、プロでも基本と言っていい。

 ただし最近はこれに、あえて高めを狙っていくというパターンが増えている。

 高めの球は伸びるので、三振が多くなる。しかし捉えられるとスタンドまで持っていかれる。


 このストラックアウトの看板に当てるのを見て、お客さんに打ってもらうバッピを決めるのである。

 もちろん万が一のことを考えて、本職のピッチャーはお休みである。

「意外な結果だね……」

 国立がそう言ったのは、この九分割の板抜きの中で、一番上手かったのが潮であるからだ。

 キャッチャーも確かに盗塁を刺すためには、ベースカバーした野手のグラブへ、近いところに投げる必要がある。

 ある意味では球速以上に、狙ったところへ投げる能力が必要になる。

 ボールを捕ってから50cmを動かすのと、球速との比較を考える。

 キャッチャーにはコントロールが必要だ。




 日が没する時間が、だんだんと早くなっていくのが毎日分かる。

 国立はこの時期は、無理な練習はさせない。関東大会を無事に迎えるのが第一だからだ。

 日本人はどうも故障の問題にしても、故障するぎりぎりまではやるべきだ、と思っている節がある。

 だが練習というのは、やりたいプレイを出来るようになるためにするものだ。

 単純に追い込んで、それで無理やりレベルアップということも分からないではないが、少なくとも国立はそんな指導は出来ない。

 

 野球以外のことももちろんさせる。この中では優也と正志、そして場合によっては潮もプロに行くかもしれないが、だからといって野球ばかりさせるわけではない。

 教育というのは、その基盤を広く作るべきなのだ。

 高校までは普通科があるというのは、その象徴的な事実であろう。

 たとえ野球選手になったとしても、30歳までに引退する人間が大半なのだ。

 ほとんどの場合、人間はその後の人生の方が長い。


 自分には野球しかないというのは、人から余裕をなくさせる。

 一つのことに本当に打ち込むのも、それはそれで立派なことと言えるかもしれない。日本の伝統技術などは、多くがそうやって生き残ってきたからだ。

 ただ、誰もが選択出来る野球ならば、そこには他の視点も入れてやることが必要だろう。

 他にも道があるというのを、逃げ場と捉える人もいるだろう。

 実際の人間は、ちゃんと逃げ場があった方が、一つのことに集中できる。そのあたり日本は分かっていない。職人気質の国で、その価値を否定したくもない国立だが。


 野球部の知名度もあり、文化祭が終わった。

 ただそこで一年生の両雄、優也と正志の表情が死んでいる。

「一年であんな彼女持ち多いのなんなんだ……」

「潮の裏切り者……」

 優也はともかく、正志が闇落ちしかけている。


 ピッチャーである優也などは甲子園でも投げたし、普通ならモテそうなものだ。

 だが普通でないのが白富東である。

 キャッチャーとしてあの重そうなプロテクターをつけたまま動く潮を、かっこいいと思った女子がいたそうな。

 おそらくMSの中ではドムやジ・Oが好きなタイプなのだろう。

「しかもけっこう可愛かったよな!」

「いや、潔く認めよう。あれはかなり可愛かった」

「……そうだな」


 投打の主力二人の目が死んでいる。

 この二人はまさに甲子園でも主役級の働きをしただけに、かえって気安く声がかけられないのである。優也の場合はまだ微妙にチンピラ臭が抜けていないし。

「普段はどうでもいいけど、こういう時は彼女ほしくなるよな」

「普段はどうでもいいんだけどな」

 どうやら主力二人は、謎の絆で結ばれていくようである。

 ……どちらかが先に彼女を作ったときが、友情の壊れる時であるかもしれない。




 関東大会が始まる。

 国立は事前の言葉通りに、横浜学一との先発に、渡辺を持ってくる。

 もちろんピッチャーとしては、横浜学一を完全に抑えることは難しい。

 だが短いイニングでも、しっかりと抑えてもらわないと、優也の負担が重くなる。


 国立も散々に迷いはしたのである。

 だが今年の白富東は、現時点の戦力で、間違いなくセンバツを戦えると判断した。

 それに優也に対しては、飴も用意してある。

 打順の三番に正志を移し、四番を優也にしたのである。


 白富東は基本的に、一番いいバッターは三番に置く。

 これはセイバーの準備したことでもあるが、彼女がいなくなってからもずっと続いているものだ。

 実際に大介の後も、少し他の者が任されたこともあるが、悟はずっと三番にいたし、この夏まではまさに正志が三番であった。

 優也もまた長打力のあるバッターなのは間違いない。


 夏の甲子園が終わり、チーム全体を休ませて、そして秋の県大会前後には練習試合も入れた。

 その中で優也は、ややムラがあるものの、打率は全体的にいいのだ。

(三番バッターは長打力もだけど、安定感も必要だからね)

 国立から見て、長打はともかく安定感なら、正志が上なのは間違いない。

 優也にはロマンの一発を期待しよう。


 実際のところ優也の横浜学一に対する敵愾心は、上手く利用していきたいところなのだ。

 多少は性格にクセはあるが、どうしてこれをセレクションで落としたのか。

 国立としてはかなり疑問に思うところなのである。

 去年の夏の段階で、130km/h台半ばは出ていたはずだ。

 それを落とすほどに横浜学一には戦力があるのか。


 東名大相模原は、正志の加入がなくても、甲子園で優勝を果たした。

 春の大会の結果から見ても、今年は一番強いチームだったと言っていいだろう。

 その同じ神奈川で、甲子園を争う横浜学一。

 少しでも戦力になりそうなら、取って当たり前の人材であったはずなのだが。

(地元神奈川開催だし、なんとか時間を取ってそのあたり聞けないものかな)

 その前に、まず目の前の試合が大事なわけだが。


 関東大会一回戦、対横浜学一。

 先攻は白富東である。

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