第67話 最低限

 10年前の千葉県では、私学二強と言われていたのが東雲高校である。

 だが最後に甲子園に出場したのはSS世代の入学する二年前で、それ以来はずっと出場できていない。

 もっともこれは気の毒な見方で、白富東が延々と夏の大会を独占し続けてきたというのがある。

 センバツにしても白富東を筆頭に、勇名館、トーチバ、上総総合などに勝っていかなければ関東大会にも出られないわけで、そして関東大会では神奈川や埼玉の代表と戦う必要がある。

 去年の秋は白富東も関東大会に行けたが、センバツには届かなかった。

 それぐらい関東大会で勝って甲子園に行くのは難しいのである。

 これが一時期の神奈川であれば、関東大会を勝ってセンバツに行くより、神奈川の代表になる方が難しいなどとも言われたものだ。


 関東大会に出場できるのは、開催県を除けば優勝と準優勝の二校だけ。

 つまりこの準決勝を全力で戦って勝てば、決勝では負けても関東大会には出られるのだ。

 秋季大会は新チームでの参戦となるわけで、意外と夏の優勝チームはあっさり負けたりもする。

 極端な話だが、甲子園でも戦力に連続性の高い春夏の連覇の方が、夏春の連覇よりも数が多い。


 白富東はこの夏、甲子園で準決勝まで進んだ。大阪光陰と当たるのが決勝だったら、決勝まで進んだかもしれない。 

 なにせ白富東相手に力を使い果たして、大阪光陰は決勝で負けたというのが、一般的な見方だからだ。

 その白富東は、スタメンのほとんどが三年生であった。

 なので戦力は低下していると見るのが妥当であるのだが、白富東はそもそも、私立の強豪が特待生で取るような選手は入らない。

 それを三年でそこまで鍛え上げるのだから、二年生もそれなりに育っていると見たほうが油断せずにいいだろう。


 ここまでの試合を見ていれば、本当に実戦の中で、手探りで試していることが分かる。

 だが準々決勝を五回コールドで勝って、何かがかちりとはまった気もする。




「東雲のエースは一年の下部君。公式戦ではないけど、練習試合で148kmを出したそうな」

 国立はそう説明するが、優也だって甲子園で147kmを出している。

「それでも夏の大会で出なかったのは、東雲が一年生をまず出さないチームということもあるけど、コントロールが極端に悪かったからだね」

 実は春の大会の前に練習試合には出ていたらしい。

 一試合で三つのデッドボールを出してから、夏までずっと公式戦には出ていなかったが。


 それが出てきたのだから制球難が克服されたのかと言えば、それも微妙であるらしい。

 試合によって異なり、途中で控えに代わった試合もある。

 ゾーンの中に適当に入れてくるので、かえって読みが当たらない。

 多少は毒島に似たところがあるが、ムービングボールを使うわけではないし、変化球は緩急を取るためのカーブとチェンジアップだけ。

 劣化毒島だ。それでもそれなりには強いだろうが。


 こいつもまた、一年生。つまり最後の夏まで、戦うことがあるかもしれない。

 それを思えば事実上最初の公式戦となるこの大会で、こちらの怖さを思い知らせておく必要がある。

「こちらも先発は、同じ山根君で行こう」

 とそのようなミーティングがあって、今日の試合になっているのだ。


 明日の決勝戦は負けても、関東大会に行ける。

 ただし優勝しての通過でないと、いきなり神奈川一位などと当たったりするかもしれないが。

 それすらも勝ち抜けるなら、もうセンバツ出場は間違いない。

(さてどうなるか)

 先攻を取った白富東の攻撃から、試合は始まる。


1(二) 高瀬(二年) 右投右打

2(三) 清水(二年) 右投右打

3(一) 山口(二年) 右投右打

4(右) 児玉(一年) 右投右打

5(左) 渡辺(二年) 右投左打

6(投) 山根(一年) 右投右打

7(中) 今野(二年) 右投右打

8(遊) 土川(二年) 右投左打

9(捕) 八代(一年) 右投右打


 甲子園でスタメンを経験し、選球眼のいい高瀬を一番。

 二番はキャプテンの清水で、打力もあるが犠打も得意という点を評価した。

 三番に今日はファーストで出ている山口を入れたのは、そのパワーを期待したため。

 とりあえず正志はまだ四番のままである。

 五番の渡辺はピッチャーの控えでもあるが、それなりに打てて、そして左打者であるという特徴を持っている。

 右ピッチャーの左打者というのは、本来はあまり良くないのだが。

 優也は三番か五番でも良かったのだが、ピッチャーとしての負担を考えて、少し打順を下げた。

 七番の今野と八番の土川は守備力を優先。

 潮は九番におくのはもったいない打力を持っているが、今日はとにかくリードに専念させたい。


 今年の白富東としての弱点は、左バッターが少ないということ。

 実力がほぼ同じとしたら、左打者を優先して使っている。

 また野手としては問題はないが、左利きがいない。

 サウスポーのピッチャーが一人はほしいのだが、ベンチ外の左利きを少し使ってみたが、とてもまだ試合では使えない。

 とりあえずの形にはなったが、まだまだ改善の余地はある。




 先頭バッターの高瀬が、いきなり歩かされた。

 今日の下部は、悪い日なのかもしれない。

(送りバントですか?)

(いや、ノーコンピッチャー相手に送りバントは、ちょっと危ない)

 清水には初球は狙い目とだけサインを出す。


 フォアボールにしてしまったピッチャーは、どうしても次の初球はストライクが取りたくなる。

 下部は比較的ストライクの入るカーブを使ってきた。

 なるほどこれは狙い目だ。

 下部の変化球は荒れるストレートがあるからこそ、緩急で活きるものである。

 ストライクを取るためとはいえ、初球に投げていいものではない。


 清水は懐に呼び込んで、この球をジャストミート。

 左中間だが、レフトが回りこんで長打になるのは防いだ。

 シングルヒットで一二塁。

 上手く走塁出来たら、一三塁のいい形に出来ていただろうに。


 だが三番の山口も、かなりパワーのあるバッターではある。

 なので本職は捕手なのだが、今日はファーストに入っているのだ。

 下部の荒れたストレートの、低めに入ったものをアッパースイング。

 ライトがやや後退して、これはタッチアップになる。

 なんとか最低限という仕事をして、四番の正志である。




 下手に進塁打で、一塁を空けさせないように打てたのは良かったのかもしれない。

 ただそれでも東雲バッテリーが冷静に、満塁策を取ってきたらまずかった。

 五番の渡辺もピッチャーだけとしてではなく、バッティングにも優れている。

 そして六番まで回れば優也がいる。


 東雲のバッテリーは、監督の指示を見る。

 ここは初回、まだ歩かせる場面ではない。

(低めだぞ。せめて低めに投げてこいよ)

(低め低め低め)

 正志はその低目が、甘く入るのを狙っていた。


 浮いたストレートを、全力で叩き返す。

 あまり伸びはないと分かっていた。打球はあまり上がらない。

 外野の頭を抜けて、フェンス直撃の長打となる。

 まず三塁ランナーの高瀬が帰り、一塁ランナーの清水も三塁には到達する。

 微妙なタイミングだったのでそこでストップ。そして正志も二塁までは来た。


 先制点を取って、まだランナー二三塁。

 五番の渡辺がバッターボックスに入り、そのあたりで東雲のベンチがやかましくなる。

 下部を降ろすことを考えて、リリーフの準備を始めた。

(大変だな~)

 まあコントロールの悪さを矯正できていない、相手側の監督が悪いのではあるが。


 エースを育てるつもりなら、ここで心中ということも考えられなくはない。

 だがこの試合に勝てば関東大会という誘惑を、東雲は捨てられないようだ。

 ピッチャーとしてはブルペンがドタバタするのは、集中力を乱されるものである。

 それごときで乱される集中力なら、乱される方が悪いとも言えるが、まだ高校生であるのだ。

(まだ試合に出すのは早かったかな)

 渡辺の打ったボールは、セカンドの守備範囲内だった。

 だがボールの勢いが強く、完全な体勢では捕球し切れなかった。

 なんとか一塁には送ってアウトを取れた。

 ただサードランナーが帰って、これで二点目。


 ツーアウトランナー三塁。これもまた点数の入りやすいパターンだ。

 特に下部のようなコントロールの悪いピッチャーは、バウンドするようなカーブは投げられなくなるだろう。

 あるいはバウンドしない高めに投げてくるかもしれないが。


 なんとかツーアウトまできた。初回から二点差は、あの甲子園でも投げた一年生ピッチャーを相手には厳しい。

 だが下部が安定してきたら、それほど大量点を追加されることはないはずなのだ。

 あとは春夏とずっとバットを振ってきた、打撃力に期待する。

 初回の二点差なら、まだ諦めるような展開ではない。


 しかしそれは白富東の、準々決勝より前までのこと。

(毒島に比べれば)

 速いだけで高めに浮いたストレートを、優也のバットが一閃。

 けっこう飛ぶなと思ったボールは、左中間のスタンドにまで達した。

 ツーランホームランで、四点目が入った。




 東雲が甘く見ていたのは、白富東の何の部分だったのか。

 甲子園で毒島という、下部の明らかな上位互換と戦った、その経験だろうか。

 だがそれはスタメンの多くが入れ替わった。もっとも毒島から打った、正志と優也がいることを考えれば、やはり甘く見ていたと言えるだろうか。

 ピッチャーは事実上の一年生エースが先発し、この試合に全力を賭けてくるのは分かったはずだ。

 しかし白富東の、ここ数年の本質に気づいていないのか。


 国立が赴任してから、ずっと白富東は、ある程度のレベルの打力を維持し続けている。

 悠木のようにドラフト指名間違いなしと言われた選手も、一年の夏にはベンチ入りしていないのだ。

 つまりそれは入学から三年の夏までに、それだけバッティング力が上昇した成果。

 国立の手腕である。


 その国立が、一年の夏どころか春の段階で、使えると判断していた正志。

 そして優也も、ピッチャーでありながら打線を任せていたのだ。

 この二人のバッティング能力が、既に全国レベルにあると、国立は判断していたのだ。

 甘く入ったストレートなら、150kmでも打ってしまえ。

 毒島のようなムービングの多用ではなく、下部の下手に綺麗なストレートは、上手く荒れ球で散っても怖くはない。


 準々決勝まで五回コールドがなかったのは、進塁打が100%効率的な場面でも、あえて打たせてその可能性を探っていたから。

 公式戦で試してみても、勝てるだろうという確信があったから。

 光園学舎戦で正志がきっかけをつかみ、おおよその形が出来上がった。

 その成果を見せるのが、この準決勝だったのかもしれない。




「強えぇ……」

 思わず誰かがうめいても、それを咎めることは出来ない。

 東雲のベンチにおいては、絶望的な雰囲気が漂っている。

 四回の裏が終わって、スコアは11-0と、既にコールドの成立条件が達成されている。

 後攻なので五回の裏があるのだが、その前の五回の表にさらに失点するかもしれない。


 それに、スコアボードを見れば分かるが、刻まれた0の数字。

 東雲は、まだ一本のヒットも打てていない。

 フォアボール二つで出塁したものの、ヒットが一本も出ていないのだ。


 確かに甲子園で毒島と投げ合って、一年生のくせにいいピッチャーだという印象はあった。

 だがそれでも、ここまでのものであったのか。

 甲子園では耕作と渡辺、そして永田と登板機会を分け合っていた。

 秋の大会も渡辺に、他二人ほどが登板機会を得ている。

 ここまでの絶対的なエースだったのか。

 想定外の球種などはないが、その全ての純度が高い。

 特にスライダーは、決め球に使われると右打者は三振ばかりしてしまう。


 この五回の表も、ランナーが出てしまっている。

 ツーアウトにまではこぎつけ、バッターは九番、ラストバッターの潮。

 今日は当たりこそいいものの、まだヒットは打てていない。

(想定した伸びを予想してたら、ボールの上を叩いてた)

 つまり下部のボールは、思ったほど伸びていない。

 四回まで毎回失点と、普通なら代えてもおかしくないだろう。

 ここから逆転は、現実的には難しい。ならば他のピッチャーにも機会を与えるべきではないか。

 潮などはそう思うのだが、国立の考えは違う。

 東雲はもう、一年生エースと心中することを決めたのだ。


 エースとしての自覚を持たせるため。そんなことを考えているのだろう。

 ただ高校一年生で、そんな覚悟を持てるのか、国立には疑問である。

 野球は根性論や精神論がいまだに幅をきかせているが、国立はそれを全否定するわけではない。

 だが根性や精神も、鍛え方があると思うのだ。

 正志が立ち直ったように、待ってやることも一つの手段だろう。

 精神にだって、鍛えるための技術があってしかりのはずなのだ。


 ただ追い込むだけで、強くなると思っているのか。

 国立としては、やはり否定はしきれない。

 だがこの惨状においては、指導者の八つ当たりや、無知が導き出した状況ではないのか。

「もったいない……」

 思わず国立が呟いたところへ、潮のバットが火を噴いた。

 打球は左中間を抜いて、ランナー二人が生還。

 五回コールドをほぼ確実にする、タイムリー二点ツーベースであった。


 下部がもし白富東に来ていたら、派遣コーチの手によって、その制球難にもっと手は加えられていただろう。

 本来ならば優秀なはずの私立の指導者なのに、東雲は明らかに方針変革に失敗している。

 甲子園に出場したのも遠い昔。

 それでも中途半端なところにまでは勝ち進めるので、かえってたちがわるいのかもしれないが。


 13-0にて試合は終了。

 参考記録ながら優也はノーヒットノーラン達成。

 最低限の目標である、決勝進出を果たしたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る