第66話 四番の重さ
秋季県大会が始まるが、白富東は実戦の中で、その戦力を把握していかなければいけない。
三年生がスタメンのころは、県内の公立などを相手に、ベンチメンバーでもう一試合練習試合などもしていた。
ただ公式戦での出場経験というのは、練習試合の経験とは全く違うものなのだ。
ポジションについてはある程度決まっているので、その中で誰が実戦で動けるかを見ていく。
また打順も固定はされていない。
その中で正志だけは、四番に固定してあるが。
白富東は三番打者最強論で長くやってきた。
大介はもちろんであるが、その後には悟が入って、やはり卒業まで三番を打っていた。
そして現状の白富東は、三番打者をそこそこ動かしている。
中には優也に三番を打たせた試合もある。
今の白富東の中で、もっとも打撃に秀でているのは、正志だとおおよその認識は一致する。
三番打者を固定しないのか、正志を三番にしないのかとは、国立もよく尋ねられるのだ。
そういう時は、チーム状況によって三番を重視することもあれば、そうでない時もあると、国立は核心を突かないように回答している。
だがさすがに家庭内の嫁にまで問われたら、これは内緒だけど、と明かすこともある。
「今の児玉君には、四番という重さが必要なんだ」
国立は三番打者最強論を否定していない。
そしてチーム状況によって変わるというのも、嘘を言ったわけではない。
だがこの四番に正志を置くのは、チームのためではなく正志のためだ。
それが回りまわってチームのためにもなる。
正志は確かに練習試合でも打っているが、本当に夏の大会のころの、神がかった気配は戻っていない。
どこか切迫していない正志を、無理やり集中させるために、四番という今でも分かりやすい称号を与えているのだ。
正志の調子が戻ったならば、三番を打たせてもいい。
だがそれをするならば、すぐ後ろの四番を打てるバッターが一人必要になる。
実のところ国立が考える三番、あるいは四番候補は、優也である。
甲子園で毒島からヒットを打ったことを考えれば、バッティングセンスも折り紙つきだ。
だがクリーンナップも任せて、さらにエース扱いするというのは、さすがに厳しいのではとも思う。
あとはセンスの問題以外に性格の問題もあるので、三番を正志に、四番を優也にという選択もあると思う。
それをこのトーナメントの中で試し、的確なポジションを考えていかないといけない。
トーナメント表によると、向こうの山に勇名館とトーチバがいるので、強豪のどちらかとは戦わなくて済むのがありがたい。
だがこちらの山はこちらの山で、情報を集めていくに、どうやら東雲の一年生エースがかなり注目されているそうな。
基本的に東雲は、一年生は夏まで大会にも試合にも出さないという、訳の分からない指導をしている。
そういうものはチームそれぞれと言うならそれまでなのかもしれないが、かつては一年生エースの力で甲子園にも行っている。
「東雲行かなくて良かった」
優也がそう呟くと、頷く者が何人かいる。
東雲と当たるとしたら、準決勝になる。
一年生エースということは、優也たちにとっては最後の夏まで戦う相手となる。
ここで叩いてへし折っておけば、将来的には楽になるかもしれない。
その東雲が上総総合や三里とも当たるので、白富東が当たるのは、ベスト8の光園学舎ぐらいまで強そうなところは見当たらない。
だが白富東も試行錯誤でプレイしているので、弱いところと当たっても、なかなかコールドまで持っていけなかったりする。
渡辺と優也に加え、一年と二年から一人ずつ、投手経験者をベンチには入れてある。
秋季県大会と関東大会は、基本的に土日を使って行われるので、連戦にはなる。
出来るだけ交互に使っていくつもりだが、どうしても調子が悪くなるという日もあるだろう。
そのためには控えのピッチャーは必要で、必要な時に使えるようにするため、ある程度の公式戦経験を積ませないといけない。
キャッチャーも二枚を使って、どちらが適しているか見極める。
ただそんなことをしている中で、国立は発見をしたりもする。
(山口君、ひょっとして……)
入部時にこれまでの経歴などは、全て書いてもらっている。
だが自己申告なので、それを疑う必要はない。
盛って書いていても、実際のプレイを見れば、そのレベルは一目瞭然だ。
国立レベルになると、立ち姿を見ているだけで、ある程度は判別がつくが。
ただ過少に自己評価をしていると、さすがに気づかないこともある。
一回戦を渡辺と優也の継投で戦った白富東は、七回コールドで危なげなく初戦突破となった。
二回戦からはその他のピッチャーを使っていくのだが、足元を掬われるとまではいかなくても、なかなかコールドで快勝とまではいかない。
その分ピッチャーは何人も使えるし、肩の強い正志をマウンドに上げたりもする。
気をつけるべきことは、あまりにも試しすぎて、ポジションの人間が怪我をした時、そこを埋める者がいなくなるということ。
その点には注意をして、出来るだけベンチメンバーはたくさん使っていく。
今の戦力ではおそらく、関東大会を勝ち進んでセンバツに出ることは不可能だ。
誰かが覚醒してくれないと、打力の点で夏からはかなり落ちるからだ。
優也も渡辺も甲子園で成長したが、関東大会で勝ち進むのは優也一人では難しい。
だがその爆発の兆しは、国立には少しずつ見えてきている。
(一年と二年に、それぞれ少し投げられそうなピッチャーはいる)
おそらく来年の春までには、現在の戦力をしっかりと伸ばすことが出来る。
あるいは、今年の夏に甲子園に出られなければ、そのための時間があったかもしれない。
しかし、今年は甲子園に行く年だったのだ。
順調に勝ち進んでいって、主力のピッチャー二人の消耗は回避し、ベスト8進出。
選手起用や、最高戦力以外での全力など、国立も自分の采配能力が高くなっているなという気はする。
だがこれも負けてしまえば、もっとメイン戦力に経験を積ませるべきであったかと、後悔が出てくるのだろう。
正解はないのに、いつも結果だけは出てくる。
結局優勝すればそれでいいのかとも思うが、やはりそれも違うと思う。
この間に、学校説明会などもあった。
夏休みにあった体験入部とは違い、本当に学校を説明するためのイベントだ。
国立がビデオを見て注目していた、あのサウスポーのピッチャーも来ていた。
スポ薦ではなく普通科か体育科を狙っているということか。
確かに体格から見て、まだ素材レベルであり、その素材としても成長期だなとは思った。
秦野から監督を引き継いで、二度目の夏が終わった。
おそらく国立の感触としては、今の一年が三年生になった時、自分が持ったチームの中では最強の戦力となる。
もっとも甲子園でも投げられるレベルのピッチャーが一人、出来れば二人、一年生の中から成長するか、新入生で入ってくれればだが。
バッティングを教えて伸ばすことには自信がある。
だがバッテリーの実力を伸ばすのは、けっこう難しい。
倉田にしても就職すれば、ボランティアのコーチなどは無理になるだろう。
それでもコーチを一人、週一ペースで派遣してもらっているところなど、普通の公立ならありえない環境だ。
もっとも国立も、いずれは白富東を去る。
なんとなくだが国立は、公立の強い野球部のある高校を、順番に動かされていくような形になるらしい。
三里で初の甲子園出場を、全く部員を集めずに果たした。
もっともあれは古田の転校と、プロにまでなった星という、やはり優れた選手がいてのことだ。
国立の一年目のチームは、ユーキという絶対的エースを擁した集団であった。
ユーキが精神的にも安定し、そして肉体的にもタフであったため、夏の甲子園に出場することが出来た。
そして今年は、やはり優也というピッチャーの加入が大きい。
悠木という主砲や、比較的高い打率を誇る打線は、かなり国立が手を入れた部分だ。
それが卒業し、かなり打撃力は落ちる。
だが得点を落とさないためには、ランナーがいる時のセットプレイを作っていくべきだろう。
思えば秦野は、足のスペシャリストも用意し、ピッチャーの種類を多く用意し、最後には器用な打者に器用なプレイをさせることで、全国制覇を果たしたのだ。
純粋に打撃育成なら、自分の方が優れていると思う。
だが全体を勝利のために役割分担させ、そしてバッターに長打ではなく、犠打や進塁打を、納得させ打たせるようにしていた秦野は、指揮官として優秀なのだ。
チーム全体の運営というのは、さすがに専業監督であった秦野にはかなわない。
だが教師としても接している国立には、その立場だからこそ出来ることもある。
生徒指導室に呼ばれた正志は、自分が叱責されるのかと思った。
国立は部活の中でも、声を荒げることはない。
大声でよく通る指示を出しても、怒鳴るということはないのだ。
それが怒りを見せるのが、危険なプレイをした時ぐらいである。
優しいが厳しく、厳しいが優しい。
これぐらいなら出来るよね、とハードなメニューを出してきて、助言してきて実際にそれをやらせてしまう。
選手の上限値を引き上げることを、国立は得意としている。
そしてそれが達成された時、大げさにはしゃぎまわりはしないが、選手と一緒に笑顔になるのだ。
この日の生徒指導室でも、国立は対面に座って、穏やかな顔をしていた。
「最近はどうだい?」
説教がましいことを言うでもなく、そう尋ねてくる。
「すみません、まだ感覚が戻らなくて……」
「いや、そうじゃなくて家の方は」
生徒の生活に干渉するのも、教師の役割である。
正志はそこで、ハッと顔を上げた。
国立の顔は穏やかで、これが試合の勝負どころに入ると、一気に戦闘指揮官の顔になる。
部員たちはその国立の状態を、修羅モードなどと呼んでいたりする。
「生活は、お婆ちゃんがいるので、分担してやっている感じです。その、覚悟はしてたんで、なんとかなってます」
むしろ、病院に通っていたころより、自由になる時間は増えたという皮肉すらある。
国立は無言で頷く。彼も両親は健在なので、正志の気持ちを正確に理解することは出来ない。
「他のチームメイトも心配しているけど、これは本当に自分で乗り越えることしか出来ないと思う。ほんのわずかに、手助けすることはあっても」
ただ、教えておきたいことはある。
「これは山根君と八代君が言っていたことなんだけど」
なぜ国立がそれを知っているかというと、壁に耳あり障子に目あり、といったところだ。
「山根君はやっぱり、君の現状に共感するのは難しいらしい。あそこも少し特殊だからね」
それでも優也の母からは、よく差し入れなどがあったりする。
直接見に来ることは甲子園でさえもなかったが、応援していることをちゃんと形で示している。
不器用な母親だな、と国立は思う。おそらく優也がそれに気づくのは、彼も大人になって親になってからだろう。
大切なのは、その後の話だ。
「八代君が、山根君に言ったんだ。あれだけ甲子園では頑張ってくれたんだから、今度はこっちが支える番だってね」
潮は確かにそういうことを言うだろうな、と正志は思う。シニア時代から試合に出ていないときも、チーム全体を気遣える人間だった。
「それを聞いた山根君がね」
笑ってはいけないのかもしれないが、これは嬉しさの笑いだ。
「君が調子を取り戻すまでは、自分が絶対にチームを負けさせないと言ったそうだよ」
「山根が……」
お山の大将の気質はあるが、確かに今のチームのエースではある。
別に全ての選手が、チームを把握している必要はない。
エースはエースらしく、突っ走ることが必要なのだ。
ただそれでも、優也は一つの壁を破った。
「いいチームメイトを持ったね」
その一言が、最後のきっかけだった。
母の余命を知らされた時、正志は一人で泣いた。
それ以来は一度も泣いていない。
人目のあるところではもちろん、一人きりになった時も。
自分はお兄ちゃんなんだからと、祖母への負担をかけないように、また妹を支えるように。
こぼれだした涙を止められなかった。
国立は静かに、何も言わずに待っていた。
秋季千葉県大会準々決勝、白富東対光園学舎。
初回の光園学舎は、ピッチャーの立ち上がりが悪く、ヒットとフォアボールの積み重ねで、ノーアウト満塁のピンチにあった。
そして四番の正志に回る。
「甲子園でホームラン打ってきたやつかよ……」
バッテリーはピッチャーが苦しそうな顔をするが、同じく苦しんでいるキャッチャーはそれを顔に出さない。
「この大会もそこそこ打ってるけど長打はあまりないし、ゲッツーも多いんだよな」
「どのみち勝負するしかないわけか」
「低めに集めて、球威で詰まらせよう。全力で腕振ってこい」
高校生のピッチャーというのは、まだまだ不安定なものだ。
甲子園の大舞台で平気でノーヒットノーランをするような強心臓は、おそらく数十年に一人しか現れない。
この数年間、連続で現れたことはあったが。
低めに集める。これ自体は間違っていない。
(こうやって近くで見ても、覇気があまり感じられないもんな)
情報収集に熱心な私立の光園学舎は、正志の事情まで調べている。
これは普通に、知り合いであればすぐに伝わることなのだ。
母親の死を越えて、再び挑戦する一年生の四番。
何かのドラマみたいなものだが、調子を落としているのは確かなのだ。
(俺たちだって、甲子園は行きたいんだ!)
そして投じられたボールは、ややコースは甘かったが渾身のストレート。
キャッチャーも満足するその球に、正志はスイングする。
覇気がないと見えたのは、余分な力が入っていなかったから。
とんでもないスイングスピードから放たれた打球は、バックスクリーンのすぐ横を通り過ぎ、場外へ消えていった。
打たれた方さえ見ほれるような、生涯に一度しか見ないであろう、特大のホームラン。
正志は拳を握り締め、俯いていた顔を上げる。
(母さん、俺はもう、大丈夫だから)
うっすらとまた涙を浮かべながら、正志はダイヤモンドを一蹴した。
この日、白富東は14-2の五回コールドで快勝。
そして関東大会進出を決める、準決勝へと駒を進めたのである。
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