第60話 クセ球

 毒島海里はDQNネームの持ち主である。

 海里ならば別におかしくないと思えるが、これでマイルと読むのだ。

 だがそんな名前とは別に、ピッチャーとしての性能というか、人間としてのフィジカルスペックはほぼ最高峰である。


「たぶんあれ、スプリット以外のムービングは、ほとんど適当に投げてるんだと思う」

 悠木がそんなアホなという意見を言い出したが、こいつもそれなりに本能だけで野球をやっているので、信憑性は高い。

 具体的にはムービングの変化量が一定ではない。

 それでいてスプリットとフォーシームだけは、きれいな回転がかかっていたり、素直に真下に落ちていく。

 ただ案外、全く打てないという球でもなさそうだ。

 下手に当ててしまえるので、むしろそれが問題になるのかもしれないが。


 国立は色々と考えながらも、とにかく毒島攻略を考える。

 個人的にはそんなデタラメなピッチャーでの、打てなくはない。

 だが選手たちに指示を出すとなると、かなり難しくなる。

(待球策になるかな)

 それはともかく、今は大阪光陰の攻撃を凌がなければいけない。


 幸いと言うべきか大阪光陰は、ドラフト一位競合必至などというようなバッターは、今年は持っていない。

 だが府大会から連打で勝ち続け、決勝さえも10-1で圧勝している。

 甲子園に来てからも、大量得点で相手を蹂躙というほどではないが、五点は確実に取れるような打線である。

 そしてピッチャーが一点以内に抑えるような試合をするので、苦戦らしい苦戦がない。

(案外そこが弱点かな?)

 競り合いに持ち込めば、意外と弱いかもしれない。

 だが木下がそんなチームを作っているのもありえないか。


 


 夏の甲子園大会準決勝。相手は超名門大阪光陰。

 それを相手に先発で投げるというのは、優也にとってもかなりのプレッシャーである。

 だが優也は、プレッシャーを感じた時には笑うのだ。

 これも悪くないなと思って。


 優也の決め球がスライダーであることは、既に知られている。

 だが右打者にとっては、あのスライダーはかなり驚異的なのだ。

 左打者にとっても、懐に飛び込んでくるボールを、そうそう打てるものではない。


 なので塩谷はあえて、カウントを取りにいく球としてスライダーを使う。

 そして最後はアウトローの、伸びのあるストレートを。

 これで簡単に打ち取れたら苦労はないのだが、外角の際どいところはヒットを狙わずにカットしてくる。

(苦しい試合になりそうだな)

 先頭打者に七球使って、ようやく内野フライに打ち取ることが出来た。


 大阪光陰は確かに優勝候補ではある。

 だが木下は監督として、ほとんど毎年優勝候補と言われながら、何度も優勝出来なかった経験があるのだ。

 油断は出来ないことは確かだが、トーナメントの運というのもある。

 いきなり有力校と当たるのはまだいいのだが、三回戦と準々決勝で強いチームと連続で当たると、ピッチャーのやりくりが大変になる。

 目の前の試合に勝つことに全力で挑めるチームと、最後まで勝ちぬくチームとでは、一戦あたりに割けるリソースが違うのだ。


 水原が使えなくなったのが痛い。

 医師は打撲ではなく、骨折しているだろうとも言っていた。

 どのみち打撲で済んでいても、明後日の決勝には投げられなかっただろうが。

 毒島はスタミナが豊富であるのだが、安定感自体があまりない。

 今でもかなりアバウトにゾーンに投げ込んでいるが、調子が悪い時はフォアボールを連発する。

 そういう時に水原を使いたいのだが、それが不可能になった。

 決勝が東名大相模原だけに、毒島でいくしかない。

 だが体のどこかに少しでも疲れが残れば、コントロールへの影響が大きい。

(どうにか大量リードして、毒島を代えたいんやけど)

 今年は優勝は無理かな、と冷静に考える木下である。




 初回から優也は粘りのあるピッチングをしているが、球数が多くなっている。

 毎回20球以上の球を投げさせられているのだ。

 ここまで球数の累計はそれほど多くないが、優也はまだ一年生だ。

 このままのペースでは絶対に最後までもたないだろうが、塩谷も必死でリードをしている。

 大阪光陰の打線を考えれば、下手に球数を減らそうなどとしたら、簡単に甘い球を打ってくる。

 三回までで無失点というのは、それだけ塩谷と、優也の神経を削っているのだ。


 毒島のピッチングも圧巻である。

 交代してから三回まで、一人のランナーも出していない。

 バットに当たったとしても、ほとんど前に飛んでいかない。

 球威に押されて内野ゴロやフライ、そして空振り三振と、凄まじいパフォーマンスを見せ付けてくれる。


 だがこの四回は、二番の城から始まる。

 国立が城に与えたオーダーは、早打ち厳禁で見ていくこと。

 いくら怪物と言ってもまだ一年のピッチャーに、欠点がないはずがないのだ。

 いや、既にいくらでも欠点は見つかっている。

 だがそれを考慮に入れても、毒島が怪物と言うだけで。


 城が三振に倒れて、これで五つ目の三振。

 しかしここで一番、安定感も突破力もある正志に回ってくる。




 初回は悠木の打席から交代したので、正志が毒島と対決するのは初めてだ。

 正志もかなりの長身であるが、毒島はそれ以上。

 マウンドの上から見下ろすように感じられるが、正志が対決して思うのは、その上半身の体格だ。


 ユニフォームを盛り上げる胸板。

 体型は逆三角形で、おそらくとんでもない筋肉を形成している。

 投じられた初球は甘い高めであったが、手を出そうとは思わなかった。

(ボールが唸りを上げてるみたいだ)

 直史に投げてもらった、きれいなバックスピンのストレートや、計算されたムービングとは違う。

 球に野生が宿っているとでも言うべきか。まだ制御されていないボールだ。

 これは打てない。少なくともこの打席では。


 一球だけ振ってバットには当てたものの、前には飛んでいかなかった。

 そして最後はやや甘いコースながらも、見逃して三振。

(最後は少し、シュート気味に曲がってたよな)

 恐ろしいクセ球に、頭を悩ませる正志である。


 現代の野球においては、クセ球というのはあった上で、それを制御するような考えが主流である。

 クセ球のクセというのは、そのピッチャーの個性だ。

 下手に綺麗なストレートを投げるよりも、クセがあってもキレさえあればそれでいい。

 そのストレートを主体に、他の球種を加えていく。


 毒島の投球スタイルは、ムービング系のクセ球をそのままに、スプリットとフォーシームだけはしっかり使えるようにしているというものだ。

 フォーシームの球威は凄まじく、スプリットは確実に内野ゴロを奪う。

 他のムービング系のボールは、とにかくミートが難しい。

 150km前後のムービングをミートするなど、高校生には不可能に近い。

 正志や悠木であっても、それは変わらないのだ。


 だが、中には例外もいる。

 今日は六番で入っている優也が、ストレートを弾き返した。

 ようやく毒島相手にランナーが出て、パーフェクトリリーフも阻止した。

 ただその後が続かず、得点には結びつかなかったが。


 やはり伸びて球威があっても、あのフォーシームを狙うしかないか。

 毒島はナチュラルにクセ球を主体に使っているので、滅多に投げないフォーシームを狙うというのは、かなりの難問なのだが。

 国立としてはムービングは出来るだけカットすること。

 そしてフォーシームを狙うしかないと、口では説明できる。


 だがあのフォーシームの伸びは、恐ろしいものがある。

 おそらく打席に立つのが全盛期の国立でも、まともには打てないだろう。

 白富東に果たしてチャンスが訪れるのか。

 監督である国立でさえも、はっきりとは言えないことだ。




 木下は自分が間違えていたことに気付いた。

 白富東のキーマンは、キャプテンでエースナンバーを背負う耕作でもなく、実質一年生エースの優也でもなく、三番四番の正志や悠木でもない。

 キャッチャーの塩谷だ。

(そういえば一年の夏から、ベンチに入ってたんやもんな)

 優也のピッチングを、本当に上手くリードしている。

 当初はカウントを稼ぐのに使っていたスライダーを、途中から決め球に使う。

 そしてその変更に気付いたと思った瞬間、ストレートとカーブを上手く緩急で使ってくる。


 白富東は甲子園で四人のピッチャーを使っているが、キャッチャーは一人だけ。

 かといっていまさらキャッチャーの分析などをしていては遅い。

 それに球数を投げさせることには成功している。

 五回を終わった時点で、既に100球を超えている。

 そんな中で優也はバッティングでも、初めて毒島のボールをヒットにしたりもした。


 ピッチャーは才能の塊と言うが、確かにそうなのだろう。

 詳しくは調べていないが、中学時代などは四番でエースだったのではないだろうか。

 予選のスコアなどを見ても、スタメンで内野で出ていることもある。

 ただそれでも、毒島のボールをホームランにすることは不可能だろう。


 そして優也にしても、全国レベルのチームでエースになれる一年生なのは確かだが、大阪光陰相手には、まだ正面からぶつかることは厳しい。

 塩谷のリードに従って投げてはいるが、簡単に取れるアウトなど、完全守備特化のショートぐらいだろう。


 だがその時はやってくる。

 六回の裏、ツーアウトまでは取っていたものの、連打でランナー二三塁。

 ピッチャー返しで足元を抜けるボールに、グラブを伸ばす。

 わずかにかすったおかげでセンターまでは抜けていかなかったが、三塁ランナーはホームイン。

 ツーアウト一三塁で、国立はピッチャー交代を告げる。


 優也はベンチに戻らず、ファーストへ。

 そしてファーストの正志はサードへと、全体の打力は少しでも下がらないようにする。

 サードの長谷川を下げてしまうので、そこでは打力が低下しているが、優也を下げても打力は低下する。

 それに1-0からならば、まだ優也がマウンドに復帰することもあるかもしれない。

 交代した耕作は、内野フライを打たせてスリーアウトチェンジ。

 試合はいよいよ終盤、七回の表へと至る。




 七回の表、白富東の攻撃は、三番の正志から。

 毒島から出たランナーは、結局まだ優也の打ったヒット一本である。

 初回にピッチャー急襲で打ったのと合わせても、まだ二本しか白富東はヒットを打っていない。

 毒島のコントロールはアバウトで、おおよそゾーン内に投げ込んでくるだけといういい加減さ。

 だが要所ではキャッチャーの呉がフォーシームかスプリットを要求して、白富東打線を封じているのだ。


 既に奪われた三振は10個。

 アウト三つのうち二つは、三振で奪われている計算になる。

 このままならば普通に、15奪三振ぐらいはしてくるだろう。

 そして緩急をつけるボールはいまだに投げてこない。


 まさか今どき本当に、緩急のためのボールがないのかと、国立は信じられない思いでいる。

 ゾーンに適当に投げ込むだけで、ほとんどのピッチャーを打ち取れる。

 もちろんそれが手元で曲がるムービング系のボールであるからだが、今どきの高校野球は、緩急のためにチェンジアップはたいがいのピッチャーが身につけているだろうに。

 それで通用してしまっているところが、本当に恐ろしいところだ。

 本当に持っていないのか、持っているが精度がいまいちなのか。

 単純に今は必要としていないというのもあるだろう。


 ストレートを狙う。国立の指示ははっきりとしたものだった。

 だがあのストレートの伸びを考えれば、まともに打てる者は少ない。

(悠木先輩なら打てるのか?)

 少なくとも正志は、ムービングの中で組み合わされたら、まともに打てる気がしない。


 同じ一年生。つまり三年間戦っていかなければいけない相手だ。

 そしてこのピッチャーを打倒しない限り、決勝へは進めない。

(下手をすればこの打席が最後)

 ムービングはなんとかカット出来るが、ヒット二することも出来ない。

 なんとか塁に出さえすれば、悠木が打ってくれるとは思うのだが。

 それに一人出れば、唯一のヒットを打った優也にも回る。

 優也もまた悠木に近い、感覚的な打者である。

 ここで塁に出て一点を追いつかないと、かなり厳しい。


 粘る正志に、大阪光陰のキャッチャー呉も危機感を覚える。

 水原が投げられないので、決勝は毒島メインで戦うしかない。

 名徳を倒した東名大相模原を見ても、おそらくかなりの苦戦となるだろう。

 毒島はスタミナがないピッチャーではないが、その体格と出力からして、燃費はあまりよくないタイプだ。

 食生活などからしっかりと育てて、二年後にはドラフト一位に成長するだろう。

 だが今はまだ、不安が残る。

(下手に粘られるよりは、全力で)

 そして投げられたボールの下をバットは潜りぬけ、11個目の三振となった。

 球速表示は155km。

 上杉が出した、高校一年生の最速とタイの記録であった。




 歯が立たないピッチャーだと、国立は思っていない。

 三里において最後の夏は、白富東を倒すつもりであったのだ。

 下手をしなくてもパーフェクトを達成してしまう直史。

 それに比べたらまだ毒島は、ヒットが出ているだけマシである。


 弱点らしい弱点も追加されている。

 ぎりぎりのコースを狙うことが難しいため、タイミングさえ合えばバットには当たる。

 ただそれすらも球威によって、空振りになってしまうが。


 ここで点を取らなければ、ひょっとしたら最後の打席になるかもしれない。

 悠木はその考えをすぐに頭から追い出して、目の前のピッチャーに集中する。

 難しく考えることはない。打てる球を打てばいい。

 手元で動く球を、しっかりと叩いた。

 毒島のストレートを、完全に引っ張る。

 当たりが良すぎて逆に、引っ張りすぎてしまった。

 ファールスタンドに入ってしまって、応援からは大きな残念がる声が出る。


 三番と、この四番はやはり要注意だと、呉は考える。

 悠木は一年の秋からクリーンナップを打っているが、かなりバッティングの調子に波があった。

 凄いピッチャーからも打ってるわりに、普通のチームを相手にしては凡退が多い。

 戦い甲斐のある相手でないと、なかなか集中力を発揮しないのだ。


 この強打者相手に、どう攻めるか。

 毒島は案外、強打者との真っ向勝負にこだわるタイプではない。

 ただコントロールが微妙なため、それと学年が上のこともあって、ちゃんとサインに頷いてくれるだけだ。

 それでも時々、イヤイヤと首は振るが。


 もう一度ファールを打たれて、ストライクのカウントは稼げた。

(少し球数は増えるが、こいつは確実に打ちとっておきたい)

 せめて単打までに。

 ボール球を見せた後、カット気味のボールを投げるようにサインを出す。

 その球は、わずかに抜けたような感じがした。

 アウトローの球へ、悠木のバットが伸びる。

 だがスライダーのように変化した球には、バットの先が当たっただけ。


 深く守っていた内野の反応は遅れた。

 悠木はすぐに切り替えて、俊足を飛ばして内野安打。

 ただ、今のはスライダーではなかったのか。




「スライダーですかね?」

「う~ん、キャッチャーがマウンドに行ってるあたり、偶然曲がりすぎちゃったんじゃないかな」

 国立としても、これまで一切スライダーを使ってこなかった理由が想像できない。

 ムービングボールを曲げようとして、曲がりすぎてしまった。

 つまり潜在的には、スライダーも投げられるのだ。

 まさかここで多投はしてこないだろうが。


 せっかくランナーは出たが、その後の塩谷と優也は三振。

 ここにきてギアを上げてきた。

 球速はともかく、意識してフォーシームを投げれば、キレが増してくる。

 悠木が出塁したことにより、最終回までにクリーンナップに回るようにはなった。

 1-0のまま七回の裏へ。

 もしも追加点が入れば、おそらくそこで試合終了だ。

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