第59話 白い光

『白富東、大阪光陰ベスト4進出』

『準決勝第二試合にて大阪光陰との対戦』

『夏は二年連続の対戦。雪辱なるか』


「は~」

 国立は溜め息をつきつつ、モニタのデータと紙に出したグラフなどを見比べる。

 煙草を吸わない国立であるが、おそらくこういう時こそが、煙草が必要な時なのだろう。

 とりあえず微糖の缶コーヒーでも飲むかと、監督用の部屋から出る。


 単純な数字だけを見れば、白富東に勝ち目はない。

 ベスト4に残った4チームのうち、白富東を除いた3チーム、名徳、東名大相模原、大阪光陰の三校は、雑誌でもだいたいS評価かA+評価となっている。

 白富東は高くてもB+だ。

 もっともそれでも、評価を覆して勝ってきたのだが。


 過去の実績だけを見るなら、白富東もこの10年で、五度の全国制覇を達成した強豪である。

 だが今年の甲子園には、マモノらしきものは棲んでいないようだ。

 いや、事前の評価では上であった天凜や東名大菅原に勝っているのだから、充分にマモノは仕事をしてくれているのか。


 選手たちは大広間で、今日の大阪光陰の試合を見ている。

 毒島は登板せずに、準々決勝を勝ったので、おそらく明後日は先発か、それでなくても投げてはくるだろう。

 150kmオーバーのストレートに、150km近いスピードのムービングボール。

 スプリットだけは確認してあるが、ツーシームとカットらしいものは、変化が一定していない。そのくせ150kmを超えてくることがある。

 下手に制球してあるよりも、打つのは難しいかもしれない。

(速球系だけなら、なんとかなると思うけど)

 おそらく緩急を取るためのボールを、何か持っているはずなのだ。

 それを使わずにここまで来ているというのが、本当に規格外なのだが。


 試合の映像を確認する限り、二番手以降もかなりいいピッチャーは揃っているが、正志と悠木ならばおそらく打てる。

 毒島だけが本当に規格外なのだ。おそらくあれは、ちゃんと読んで打つタイプの正志では打てない。

(勝たせてやりたい)

 いつだってそう思っていたが、これほど強く思うのは初めてだ。

 余命いくばくもない母に、甲子園で活躍する自分の姿を見せる。

 そんなのはお涙頂戴でいくらでもありそうだと思ったが、実際に経験するときつすぎる。


 国立は中庭に散歩に出たのだが、そこには先客がいた。

 ちょうど考えていた正志が、スマホ片手に何か喋っている。

 アプリで通話しているのだろうが、その内容も聞こえてくる。

 病院の母親と、家族と話しているのだ。

(もうすぐ面会時間も終了か)

 自分のスマホで確認する国立は、通話を終えた正志が、ものすごい表情で宿舎の中に入っていくのを、声もかけずに見送った。


 正志が打てるタイプのピッチャーではないと思った。

 だがそれは、いつもの正志の場合だ。

 読みではなく、純粋に集中して反射だけで打っていると、思われる打席がいくつもある。

 間違いなく正志がいなければ、ここまでは来れなかった。

(あと丸々一日、考える時間はある)

 パンと頬を強く叩き、自分の部屋へと戻る国立であった。




 休養日に都合よく、小雨が降っていた。

 ぬかるみがグラウンドに残ることもなく、ほどよい湿度でプレイ出来るのではなかろうか。

 選手たちは中庭を軽く散歩したが、これで風邪でも引いたらバカらしいと、すぐに中に戻って着替えた。

 朝から風呂に入っている者もいる。


 ストレッチをしたり、屋根のあるところで素振りをしたり。

 昨日の試合の影響は、ピッチャーたちにはないようである。

 スタメンについては、国立はまだ迷っている。

 耕作と優也の二人しか、通用するとは思わない。

 ここまで数字の上では、渡辺の方が耕作を上回っている。

 だが大阪光陰レベルになれば、それもまた違う視点が必要になる。


 耕作は弱いチーム相手でも、それなりにヒットを打たれる。

 だが強いチーム相手だと、渡辺よりも打たれることは少ない。下手をすれば優也よりも。

 この軟投派の耕作と、本格派の優也を上手く使い分ける。

 何度もポジションを移動させることで、集中力が途切れるかもしれない。そんな危険性もある。

 だが大阪光陰とのチーム力の差を考えたら、それぐらい割り切らなければ勝てないと思う。


 他に勝機があるとすれば、あちらが油断して二番手以降のピッチャーを先発させて来た時か。

 そこで先制点を一気に取って、逃げ切るという手段がある。

 もっともこれは大阪光陰が、毒島を先発させないという前提での話だ。

 準々決勝で投げていないのだから、次は先発、あるいはかなり長いイニングを予定しているだろう。

 大阪光陰の木下は、真田や蓮池を見れば分かるように、一年生でも投げさせる時は投げさせる。

 ただそれで真田も蓮池も、致命的なものではないが故障してしまっているのだが。


 幾つかの相手の偶然を期待するしか、勝利への道筋はないのか。

 それでも勝利への可能性が高い道を考える。




 世間では白光戦なの光白戦だのと盛り上がっている。

 だがしたたかな解説者などは、明らかに大阪光陰有利と意見が揃っている。

 高校生の一発勝負のトーナメントは、その日の選手のコンディションで、かなり実力差は逆転する。

 決戦当日、オーダーを交換した国立は、勝利のための条件が一つ、成立しているのを発見した。

 先発が毒島ではない。


 確かに毒島はそれなりに制球が甘く、失投もある。

 それでも球威があるために、失点につながらないのだ。

 二番手にもドラフトにかかりそうなピッチャーを持っているあたり、大阪光陰の選手層は、相変わらずひどい。

 SS世代の頃は、ごく一部の突破力で勝利することが出来たが、おそらく今年の白富東が拮抗しているところは、クリーンナップの打撃力ぐらいか。

 三番手ピッチャーのストレートのMAXが、優也よりも速いのだからとんでもない。

 もちろんピッチャーは球速が全てではないが、そんなスピードが出せるフィジカルを持つ、選手が多数いるわけだ。


 先攻は白富東。

 先制点を得る可能性がある先攻を取れたのは、またほんの少しだが白富東にはツキがある。

 先制して主導権を握ることが、大阪光陰相手に勝つための、絶対条件とさえ言える。

(対策は考えてきたけど)

 二番手ピッチャーである三年の水原は、ここまでの試合でも投げて、151kmのMAXストレートを持っている。

 単純に本格派であるが、右打者のアウトローへのスライダーの出し入れが上手い。

 このピッチャー相手なら、何点かは取れると思う。


「よし、甘く見てくれたことだし、決勝で待っている東名大相模原に見せつけるぞ」

 耕作がそう言う。円陣など滅多に組まない白富東だが、今日は特別である。

 相手の方が自分たちよりも強いのは知っている。

 だがそれを覆すのが、チームスポーツであるのだ。

「と言っても俺は最初ベンチなんだけどな」

 そんなことを言って笑いを誘う。


 今日の先発は優也で、途中で耕作とくるくる入れ替えると言ってある。

 そんなに入れ替えをしてピッチャーの集中力が続くのかという問題はあるが、出来なければ負けるだけだ。

 まず問題は、一回の表の攻撃。

 ここでどうにか一点を取りたい。




 大阪光陰の木下監督は、負けるはずがないと思っている。

 どの数値を見ても白富東は、大阪光陰よりも下の戦力のはずなのだ。

 むしろここまで、天凜と東名大菅原に勝ってきたことの方が驚きである。

 

 歴代の対戦を見ると、ずっと大阪光陰の方が、全体の戦力としては優っていた。

 だが白富東はそれを、強力な個の力で覆してきたのだ。

 佐藤兄弟と白石大介。それと中村アレックスなど。

 だが今年の白富東には、それに匹敵するほどの理不尽な存在はいない。

 クリーンナップにさえ気をつければ、点を取られることも少ないだろう。

 問題は一年生を先発に持ってきたことぐらいか。


 伸びのあるストレートと、緩急差をつけるカーブとチェンジアップ。

 そしてスライダーの切れ味がいい感じである。

 スプリットも持っているが、空振りを取れるほどの切れ味ではない。

 もちろん対策は考えているが。

(あちらはストレート対策にしても、マシンのボールを打つしかあらへん)

 人の投げるストレートは、マシンのものとは全く違う。

(負ける要素はないはずや)

 そう考えていたのは、一回の表の途中までであった。




 三年生の水原は、春までは間違いなくこのチームのエースであり、現在もエースナンバーを付けている。

 そして実際に、本当に重要な場面では、水原の方が投げる機会が多い。

 あの屈託のない、無意識に才能を見せ付ける一年生は、まだあまりにも未完成過ぎる。

 それでも木下が甲子園でまで投げさせるのは、力の絶対値が高いからだ。


 毒島がいるこの二年間。

 大阪光陰は春夏連覇、あるいはそれ以上を目指せるタレントが揃っている。

 特に今年は強豪でもエース級になるピッチャーが三人もいて、あるいは春のセンバツの覇者名徳よりも、優勝候補ナンバーワンとも言われる。


 先発の水原も、木下の期待に応えてくれている。

 準々決勝を継投で勝ったため、体力の消耗などもほとんどない。

 この水原と毒島で、決勝まで戦える。


 木下は決勝が見えているだけに、準々決勝は三番手ピッチャーにかなりの負担をかけてしまった。

 だがこの準決勝と決勝は、毒島と水原の二人で勝てるはずだ。

 水原もそのつもりで一回から飛ばし、白富東の一番と二番を三振に打ち取っている。


 白富東は油断してはいけない相手だ。

 だが負けた時の白富東は、確実にもっと層が厚かったのだ。

 去年はユーキがいたせいで、蓮池のスタミナを削りながらの対決となった。

 あれがなければ全国制覇に届いたと思っている。


 そして迎えるのは、一年生ながら三番に入る正志。

 白富東の三番が強打者であることは、白石大介以来の風習と言っていいのか。

 だがこの数年は、水上悟以外は、それほど傑出した三番打者はいない。

 その悟も高卒野手で新人王を取るという、相当の化け物であるのだ。




 目の前で出塁率の高い二人が、三振に打ち取られた。

 正志はゆっくりと立ち上がり、脳裏に描く投球の軌道に、素振りで当てていく。

 この一回の表は、勝負をかけるべき数度の機会の最初だと、国立は言っていた。

 一番バッターから始まる、一番得点の確率が高い打順。

 だがそれでも、簡単に三振を奪われてしまう。


 正志は脳裏で修正をかけ、バッターボックスに入った。

(単なる150kmオーバーなら、普通に打てても間違いないんだ)

 そのぐらいのストレートは、甲子園の前に経験している。

 直史がわざわざ、後輩のために投げてくれたのだ。


 ストレートは人によって、その球質が違う。

 だがお手本となるようなストレートを見たら、それをしっかりと頭の中で再現するのだ。

 それと現実の球を、微調整して合わせる。

 外角に投げられた球を、無理矢理にでも引っ張る。


 この時、事故が起きた。

 いや、自己とも言えない、仕方のないことだったのかもしれない。

 正志の打った強烈な打球は、ピッチング直後の片足立ちをしていた、水原の軸足に当たったのだ。

 回避も出来ないタイミングであった。

 それを横目に見ながらも、正志は一塁へ走る。

 ボールは間に合わず内野安打となったが、そこでマウンドの水原を見る。


 左足の脛を押さえる水原は、激痛に耐えているようだった。

 担架が運ばれて、ベンチで治療が開始される。

 だがそれと同時に、ブルペンでは毒島が投球練習を開始した。


 正志の打球は、完全にジャストミートしたものであった。

 それがそのままライナーで足に当たったというのは、もちろん正志の意図したものではない。

 第一国立からしたら、ここで水原がマウンドから降りれば、毒島がマウンドに登るということだ。

 毒島が出てくる前に先取点を取って主導権を握るという、当初の予定が全く違うものになってしまう。


 しばらくの間、打った正志もベンチの国立も、大阪光陰側のベンチに注目する。

 自己であるし、正志としてもさほどの罪悪感はない。

 ただ、今後の展開がどうなるのかを、ずっと考えているのだ。


 そしてアナウンスは、ピッチャーの交代を告げた。

 おそらく治療の時間は、毒島が肩を作るまでの時間稼ぎだったのだろう。

 後に知ることだが、水原は足の骨に罅が入っていて、この後の国体も出場できなくなる。

 それでもプロには指名されたのだから、選手生命には致命的なものを与えたわけではなかった。




 毒島がマウンドに登る。

 一年生でMAX154kmというのは、上杉が記録した一年生時の球速の記録に、あと1kmというところまで迫っている。

 体格も上杉並であり、スピードも上杉に匹敵する。

 ただ実際は、上杉に比べると劣る部分が多いのだが。


 先発が一イニングももたなかったわけだが、木下よりもむしろ国立の方が、これには舌打ちした。

 毒島のピッチングは破天荒で、なかなか読んで打てるものではない。

 そもそもコントロールがそこまでは良くないのだ。

 この毒島が迎えるのは、四番の悠木。

 この大会でもホームランを打っていて、甲子園通算で四本を打っているわけだ。


 大会でもかなりの強打者である悠木に向かって、毒島は初球からストレートで押す。

 悠木のスイングしたバットは、ボールの下をこすった。

 かなり高目を意識したのだが、それよりもさらに伸びてきたのか。

 だが二球目は真ん中付近のボールが、手元でややぶれた。

(厄介な)

 ナチュラルムービングボール。

 経歴からして、このクセのあるストレートは、意識して身につけたものではない。

 だが充分に、悠木に対しても通用してしまっている。


 手元でどう動くか。

 それを意識していた悠木は、最後の伸びたボールに空振りした。

 154kmのストレート。だが悠木の体感としては、それよりも速い。

 やはりサウスポーということが、体感速度に関係しているのか。


 それでもどこかで、一本は打つ。

 波乱の幕開けの準決勝は、まだ一回の表が終わったばかりである。

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