第57話 相性
高校生には高校生の限界がある。
それは体力の限界だったり、パワーの限界だったり、技術の限界であったりと、それはそれは色々とある。
この限界を超えてしまったりすることも、また高校生の力の一つである。
そして高校生の限界の中には、対応力というものもある。
試合中に、あるいはその打席の中で、ピッチャーやバッターがアジャストしていく能力。
これこそまさに才能と、多くの経験知によって変わるものだ。
東名大菅原のピッチャー井野は、もちろんここまで勝ち残っていることから考えても、悪いピッチャーのはずはない。
サイドスローで144kmが投げられるというのは、その変化球の組み合わせも考えて、かなり打ちにくくなる。
そのはずだったのだが、なぜか白富東打線が噛み合ってしまった。
コントロールがやや甘く、ストレートが浮いたことと、そこからの変化球がゾーンに入らなかったこと。
これもまた、高校生の安定感の限界なのだろう。
初回に三点を先制。
エース井野はそこで降板ではなく、一度外野へと移動する。
二番手ピッチャーも140km前後は投げてくるピッチャーで、そちらは普通に打ちにくい。
ただとりあえず、三点のリードを奪えたことだけは確かであった。
「う~ん……」
この三点をどう考えるべきか。
国立は悩みつつも、こちらが普段通りに出来るのなら、もちろん望ましいことだとは思う。
問題は油断しないことだが、東名大菅原の打力については、散々に説明してある。
先発は本日は渡辺。
全国クラスのチームなら、エースはおろか控えでさえ、ベンチ入りすることは難しいだろう。
耕作も優也も使わない白富東としては、三番目のオプション。
ただ菅原は天凜と違って、フルスイングのチームではないのだ。
耕作との相性はおそらく悪いのだとは思う。
なのでここは渡辺に頑張ってほしい。
向こうのベンチを見てみれば、ブルペンマウンドに井野が登っている。
この間にも調整をして、もう一度マウンドに登る必要なのだろう。
(確かにここで崩れたままだと、今後にも問題はあるだろうしな)
ここから逆転して頂点を狙うのも、また井野個人としても。
エースの乱調で負けましたなどというのは、あまりにもお粗末過ぎる夏の終わりである。
渡辺と塩谷には、事前に分析は伝えてある。
失点は覚悟した上で、ビッグイニングだけは作らせずに抑えていく。
下手に失点を恐れるよりは、確実にランナーを消して、連打での大量点を防ぐ。
そうそう都合よくはいかないが、打たれることを覚悟して投げれば、それなりのピッチングにはなる。
先頭打者の三塁線への打球は、サード長谷川が飛びついてキャッチアウト。
下手をすればツーベースになっていた当たりだ。
やはりツキが今はこちらにある。
ただこれはエースの乱調からの、タナボタ的な幸運だ。
実力自体が相手を上回っているわけではない。
(九回までずっと、この流れが変わらないはずはない)
今日も継投が悩みになりそうな国立である。
甲子園のマウンドで投げるというのは、渡辺にとってもごく自然な、子供のころからの夢であった。
だいたい中学二年生ぐらいにまでなれば、プロに行けるかどうかという基準もはっきりしていくる。
練習試合で自分からホームランを打ったバッターを、簡単に打ち取るピッチャーがいる。
そんなピッチャーでさえも、強豪校のエースになれるわけではない。
野球は競技人口が多い分、才能の中でもトップクラスが集まってくるスポーツだ。
プロとして成功するなら、他にも色々とあるだろうが、やはり野球選手というのは一種のステータスだ。
ただ単にプロになるのではなく、プロとして続けていく。それが難しい。
国立などはドラフト指名確実と言われていたが、大学中の怪我が理由で、プロを諦めた。
その諦めたというのは、実力的についていけないとか、怪我の後遺症が理由とかではない。
一度痛めた怪我の箇所を庇って、全力のプレイが出来なくなったからだ。
プロに入って、ある程度は実績を残したとしても、そのままずっと食っていくのは難しい。
高卒でいきなりプロに入っていたら、そういった計算を考えることもなく、ひたすらに全力でプレイしていただろうが。
白富東に入ったのは、かなりの打算がある。
強豪の私立ともなるとスカウトが存在し、競争率も高い。
だが白富東はスポ薦と体育科はあるが、スカウトでの入学はない。
ピッチャーの一流どころは入らないだろうと思ったら、確かにそれは正解だった。
入学の時に120kmちょっとだった球速も、130km台後半にまで伸びている。
ピッチャーに必要なのは球速ではないと、散々に言われた。
正確には球速以外でも、ピッチャーとしては勝負出来る。
それはエースナンバーをつけている耕作を見ても、確かに正しいことなのだろう。
ただしサイドスローにする以前に、まだオーバースローで伸び代がある。
純粋に出力を上げるのが、渡辺の課題である。
(それでもこんな相手に投げてるなんてな)
東京の代表校相手に、バッター一巡。
かなり運のいいところもあったが、それでも無失点で抑えられた。
しかしここで、耕作に交代である。
三回の裏、東名大菅原の攻撃で、ワンナウト一塁。
ランナーがいる状態で代えることは、リリーフピッチャーにとってはありがたいことではない。
ただでさえランナーを背負って投げるのは、それだけで消耗が激しい。
それを自分以外のピッチャーが出した状態で、投げなければなくなるとは。
「すみません。お願いします」
「了解だ」
こんな時でも全く動揺しない耕作は、本人がどう思っていようと、やはりエースなのだろう。
本人としてはキャプテンとして後輩に勉強を教えるのが、最大の役目だと考えているらしいが。
先頭に回ってきた八番バッターを、上手く渡辺は打たせて取った。
だがラストバッターの井野にヒットを打たれて、そこで打者一巡である。
国立は出来るなら、もっと楽なところで代えたかっただろう。
だが現実はそう上手くはいかない。
高打率高出塁率の一番が回ってきたところで交代。
この考えは間違っていないと思う。
耕作はこういった状況でも、一点までは構わないのだ、と判断する。
今年の白富東は、とても完封の出来るピッチャーはいない。
だからこそ継投を使ってきて、それで成功している。
三回の表に、上位打線で一点も取れなかったのは厳しい。
エース井野のスタイルは、かなり白富東のバッターには合っていた。
控えの二番手相手にも、追加点は取れていない。
おそらく終盤まで、もう一度こちらの上位が回ってこないと、追加点は入らないだろう。
そこまでにこの三点差を、大事に守らなければいけない。
一番バッターを塁に出すのは、長打を打たせたら一気に二点が入る可能性がある。
ここはどうにか、ランナーは進めてでもアウトは取りたい。
(スライダー中心で)
(出来れば左方向か)
左打者の一番に対しては、内角を攻めたら詰まらせて打ち取ることが出来る。
最初の打席は逆らわずに流し打ちをしていったように、このバッターはミートして内野の頭を越えさせることが多い。
かなりセンスよく、左右に打ち分けるのだ。
(だけど百間のスライダーなら)
打った当たりは、サードへの平凡なフライに。
普通のスライダーよりも沈まない耕作のスライダーは、打ち上げるバッターが多いのだ。
特定の状況で特定の打球を打たせる変化球が一つあれば、それだけでかなりピッチャーとしては強力になる。
ファールグラウンドでキャッチして、これでツーアウト。
ここからならばじっくりと、相手のバッターを料理していける。
東名大菅原は、左バッターが多い。
全国的に左打者が多い理由としては、それはもう左が一塁に近いというのと、左の有名バッターが多かったことからだろう。
白富東も歴代の主砲を見れば、大介、アレク、悟といったあたりが、左打者である。
利き目が右の者が多いから、左打席の方がいいとも言われる。
理屈はどうであれ左打席のバッターは増えているし、そもそも最初から左で打とうとしている子供も多いのだ。
そんな左バッターに対して、耕作は真田ほどではないが、かなり相性がいい。
三回に登板してそこから、意外なほどに点が入らない。
打者一巡目は無失点で、そして白富東は上位打線の三打席目が回ってくる。
ワンナウトから九堂が出塁し、城の打球が進塁打となる。
ツーアウト二塁で、バッターが打ったら即座にスタートが切れる場面で正志。
今日は一打席目はボールを選んだが、二打席目にはセンターフライに倒れた。
打球の勢いにもよるが、ワンヒットで追加点が入る場面。
ここで東名大菅原は、エースの井野をマウンドに戻す。
サイドスローからスライダーとシンカーを投げ分ける井野は、本来なら右打者の攻略を得意とする。
だからこの大会でも大当たりの一年生に向けて、エースを戻したというのは分かる。
渡辺と耕作とつないで、白富東は粘りのピッチングと守備で、失点を許していない。
さすがに三点差が重くなってきたのだ。
バッターボックスの正志は、相手の立場になって考える。
終盤に向けてこのあたりで、さすがに一点は返しておきたいと思うのが、東名大菅原であろう。
白富東のブルペンでは、優也に投球練習をさせ始めている。
耕作の変則的なボールに対して、優也は正統派ではあるが、純粋に球速なら上回る。
四点差になって、スピードのあるボールを投げられる優也に交代する。
耕作のボールに慣れた相手バッターは、戸惑うかもしれない。
ただ優也は正統派のピッチャーなので、普通に打てる可能性もある。
だが各種数字を見てみると、甲子園で一番内容がいいのは優也である。
ここでエースを戻したというのは、単にピンチだからということ以外に、クリーンナップをしっかり抑えて、攻撃にも勢いをつけたいからだろう。
正志はそう考えて、初球から強い球をゾーンに入れてくるのではないかと考える。
(長打はいらない。代わり端を叩いて、少しでもダメージを与えられれば)
そして投げられたのは、アウトローへのストレートだった。
やや手打ちになるのは覚悟の上で、正志はそのボールを叩く。
初球攻撃。そして打球は飛びあがったセカンドの頭上を通過する。
白富東でもかなりベースランディングの上手い九堂が、三塁を蹴ってホームに帰ってくる。
マウンドに戻ったエースを叩いて、追加点。
まさに値千金の一点であった。
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