第53話 小さな野球

 松山産業のやっている野球は、所謂スモールベースボールである。

 ランナーが出たら送りバントをして、アウトカウントに余裕があればスクイズもする。

 ワンナウトからでもランナーを送りバントで二塁に向かわせるのは、昨今のガンガン打っていくスタイルとは違うものだ。

 だが、だからと言って弱いわけではない。


 確率の問題なのだ。

 パワーの不足しているバッターが、上手く打球を飛ばして外野の前まで落とせるか。

 あるいは内野の間を抜いていくか。

 そんな基本的な戦術と共に、現代の栄養学とウエイトでパワーのついたバッターには、しっかりと打たせていく。

(一方的な見方をしてはいけないけど、クリーンナップにはそれなりの選手が揃っている)

 クリーンナップ以外のところでは、セットプレイの得点が多い。

(けれど本質は、ワンマンチームだ)

 本当の力を持っているのは、エースで三番を打つ西岡のみ。

 だが西岡頼みではなく、西岡を最大限に活かすために、全ての作戦が練られている。


 一番と二番を内野ゴロに打ち取る。

(走力もそれほど突出してはいない。本当に、一人の力をどれだけ活かすかで、勝ってきたチームなんだな)

 国立の見るところ、チーム全体の戦力を数値化すれば、一回戦の静院の方が強い。

 だがただ足していくだけが、チーム力の計測方法とは違うのだ。

(確かにエース西岡もは、このチームの戦力の中心ではある)

 幸いなのは情報を精査する時間は、充分にあったことだ。

(だけどチームの精神的な支柱は、実は監督なんだな)

 監督の秋山は、野球経験者ではない。

 高校大学とレスリングの選手であり、そこからトレーニングなどのメニューを算出して、決して潤沢とは言えない人的資源を強化した。

 食事やウエイトで体を作ることは、むしろ体重の制限があるスポーツの方が優れている。

 そして野球の技術自体は、西岡の父である元プロが、かなりの部分を教えたと聞く。


 ただし甲子園のベンチに入れるのは、選手とマネージャー、あとは監督と部長だけ。

 公立高校であれば、教員でない者を監督にするのも難しかっただろう。

 秋山監督はかなり、臨機応変の才には乏しい。あるいはもう少し優しく、経験が足りないと言うべきか。


 だが、それでもいいのだ。

 国立にしても鶴橋などと比べたら、まだまだ選手たちの心理に通じていないし、適切なタイミングのサインなども分からない。

 経験を持たない人間が、選手たちに向かうには何が必要か。

 それは懸命さと、親身になって指導してやることだ。


 西岡を筆頭にして、確かにここまでやってきた。

 同じ古豪でありながら、近年も甲子園に何度も出ている、熊本商工を倒してきた。

(だけどまあ、相手の嫌がることをするのが野球なわけで)

 監督になってから国立は、特に試合中の自分は、性格が悪くなったなと感じる、

 そしてそんな自分が心地いい。


 キャッチャー塩谷は立ちもせず、国立は審判に伝令を送る。

 三番の西岡は申告敬遠である。




 ツーアウトから三番を敬遠して、四番と対決する。

 この合理性はともかく、国立には勝算がある。

 これが四番を敬遠であったら、もっと反応は大きかっただろう。

 だが敬遠するのはエースの三番で、四番とはちゃんと勝負するのだ。


 四番は確かに、松山産業の中では長打力がある。

 ただしそれも比較問題であって、確実に打つほどではない。

 するとあとは、盗塁で二塁にまでランナーを進めていくか。

 だがピッチャーを走らせることは、それなりにリスクがある。


 ここで走らせてくるなら、松山産業は国立の想定より、もう少しだけ強いチームになる。

 だが初回のここでは仕掛けてこない。四番に打たせてきた。

 そしてその四番の打球は、平凡なセンターフライ。

(運もあるけど、それでもこちらの勝ちだな)

 一塁ランナー残塁で、一回の攻防は終了する。




 国立からすると、データが豊富で分析に時間もかけられる、一回戦と二回戦は難しくなかった。

 ただ問題になるのは、三回戦の天凜戦だと、トーナメントが組みあがった時点で分かっていた。

 もちろん甘く見ているわけではないが、普通にやっていれば勝てる。

 そして甲子園では、その普通にすることが難しいのである。


 松山産業は一回戦こそエラーがなかったものの、四回からエラーが出てしまった。

 対して国立は、ニコニコと笑っているだけである。

 二打席連続の西岡の敬遠。

 確かに長打も打てるバッターだが、敬遠をするほどのものか。

 そこに戸惑いがあるため、観客もこの連続敬遠を批難するタイミングがない。


 古豪だけあって大量の応援団を、連れて来てはいる。

 なので小規模ながら、二打席目にはブーイングがあった。

 ただ国立はにっこり笑って、欠片も動じたところを見せない。

 そしてこの国立の様子を見て、向こうの方があせってくれたということだ。


 送りバントと進塁打による、ランナーを一歩ずつホームに近づけていくスモールベースボール。

 基本的には白富東も、しっかりと守備の練習もやる。

 だが長く時間をかけるのは、バッティングの方である。

 単純にバッティング練習の方が面白いからだ。


 国立が白富東に来て感じた、前任者たちの残した最高の遺産。

 それはまさに、白富東の魂と言える。

 強豪となって今では信じられないが、昔の白富東と言えば、県大会でベスト16にまで進めば奇跡であった。

 勝つことが目的であり、だからといって無理はせず、合理的なことを煮詰めていったのだ。


 それは集まる選手たちが、選別された者になっても変わらない。

 合理的な精神の中で、国立はとにかくバッティングを教えた。

 そしてそのバッティング力で、守備の練習もした。

 強い球を抜かせないための守備練習をしていれば、自然と守備も向上する。

 高校野球は守備がしっかりしていれば、案外弱小と言われるチームでも勝ち目がある。

 だがその守備を鍛えるために、先にバッティングを鍛えるというのも、理屈の上では間違っていない。

 それに国立が教えるのは、全ての選手がホームランを打てるバッティングではない。

 三振してもホームランで返せばいいという野球は、あくまで統計で優位と考えられているだけだ。

 一発勝負のトーナメントでは、攻撃のオプションは多ければ多いほどいい。




(今年はここが限界か)

 諦めてはいないが、同時に冷静な目で試合を見ているのは、松山産業の監督である秋山だ。

 先発の永野の後に白富東が出したのは、エースナンバーを背負ったキャプテンでもなく、評判の一年生でもなかった。

 永野から渡辺へ、タイプとしては似た感じのピッチャーへのリレーである。


 秋山は本職の人間でないので、作戦の臨機応変さには、どうしても判断力が足りなくなる。

 甲子園に来れたのも、そこまで育ったのも、西岡とその父がコーチとして鍛えてくれたからだ。

 二年生の西岡には、まだ来年がある。

 それに新しく入った一年生たちも、伸び代はうんとあるはずなのだ。


 白富東のピッチャーの中では、左のサイドスローである耕作を、一番に警戒していた。

 だが白富東はそれに対して、球速順に三年から二年へと継投している。

 打ちにくいピッチャーも、期待の一年もいるだろうに、それを温存しているのだ。

 確かに三回戦は中二日なので、ピッチャーを休ませたいというのは分かる。

 だが先のことを考えて、ここでエースクラスを使わないというのは、かなりの余裕がなければ出来ないことだ。


 先を見据えて選手を起用するだけの余裕。

 そこは逆に、格下相手でも負けるかもしれないという、リスクを含んでいる。

 それでもここまで、試合を優位に展開されている。

 三番に入っているが、実のところ秋山は、西岡にはむしろピッチャーより野手の方が向いているのではないかと思っている。

 県大会でも決勝点を上げるのは、西岡が多かったのだ。

 体はそれほど、飛びぬけて大きいというわけではない。

 だがだがバネがすごく、それで速い球も投げられるというわけだ。


 秋山は本職はレスリングだったので、野球についてはどうしても疎いところがある。

 ただそれでも勉強していけば、分かってくることはある。

 コーチである西岡の父は、息子をピッチャーとして育てたいようだ。

 確かにボールも速いし、適性がないわけではない。

 本人もプロにいた頃は、球速よりも駆け引きなどで、勝負するタイプであった。

 ただその父譲りの変化球が、西岡の肘を痛めていることを、秋山は知っている。


 秋山は教員の監督として、まずは甲子園よりも、選手を潰さないことを第一に考えている。

 だがその甲子園は、既にもう達成した目標だ。

 それも一回戦は勝って、二回戦の相手はあの白富東。

 互角に戦えるならともかく、あちらはこっちの得意なタイプの戦術を取ってきて、それで優位に試合を進めているのだ。


 西岡の父も元プロとして、10年以上も飯を食ってきた。

 だが野球の現場を離れてからは、トレーニングなどの情報のアップデートが遅れていると思う。

 秋山が現役時代、徹底的に合理的に考えていたレスリングのスタイルと、野球とでは相性が微妙だったこともあるだろう。

 息子をプロにしたいのか、それともまた母校を甲子園に連れて来たかったのか、どちらの意思が強いのか秋山には分からない。

 だが後者であれば、少なくとも既に達成している。

(まあ甲子園に立てる高校球児なんて、本当に少ししかいないものだしな)

 秋山は試合の推移を見つめつつ、ひたすらにスモールベースボールで試合を進めるのであった。




 点差がついたので三打席目の西岡とは勝負をさせれば、その打球がスタンドにまで届いた。

 永野から代わっていた渡辺であるが、まともに勝負に行くべきではなかったのか。

 だがこれで松山産業は、活気を取り戻す。


 やはりバッティングセンスの方がいいのではないか、と国立は考える。

 身長がそれほどもないとは言っても、175cmぐらいはあるだろう。

 そのぐらいの身長で150kmを投げるピッチャーはいるし、体重さえ増やせばホームランをもっと簡単に打てるのではないか。

 だがそういったことを考えるのは、試合が終わった後でいい。


 5-1からソロホームランが出て、5-2の三点差に詰め寄られる。

 ここで勢いに乗せないために、国立はすぐにピッチャーを交代する。

 渡辺に代わって耕作を。

 ここで投入すべきは優也ではない。


 左のサイドスロー。研究していた相手が、ようやく出てきた。

 主力の一発の後なので、ここから一気に逆転出来る。

 おそらく松山産業は、そう考えたのだろう。

 野球には勢いがあるし、甲子園にはマモノが棲む。それは間違いない。

 だがその両方も、ここでは関係ないだろう。


 耕作の使う、あまり沈まないスライダー。

 これを上手く打たせて、四番をファールグラウンドへのフライで打ち取る。

 五番はセーフティバントなどを仕掛けてくるが、これも想定内。

 左利きの耕作がそのゴロを拾い、くるりと回転してファーストへ送球。

 バッターアウトで、いったん勢いを止める。

「さて、ここからが本当の勝負かな」

 守備から戻ってきた選手たちに、国立は気負いなくそう語る。


 ここからが本当の勝負というのは、国立の言葉は正しかったと言える。

 ここからは、本当に互角の形で試合が展開した。

 だが互角であるならば、既にリードをしていた方が有利。

 三点差を二点差まで詰められることはあっても、耕作は最小失点に抑えることに慣れている。


 最終的なスコアは7-4と、数字だけを見ればリリーフで投げた耕作が、一番点を取られている。

 だが数字には表れない、粘りで相手を封じるのが、耕作のピッチングなのだ。

 スモールベースボールに、白富東も応じた。

 ただし悠木だけには好きに打たせて、打点三を記録させたが。


 白富東、三回戦へ進出決定。

 次の対戦相手は、奈良の天凜高校である。

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