第52話 古豪

 甲子園八日目第一試合。

 朝八時から始まる試合であるので、出来れば四時には起きて、意識と身体を覚醒させておきたいところだ。

 もちろんだらだらと起床が遅い者もいる。

 なお、農家の朝は早い。

「ほら、散歩だぞ。まだ眠ってるやつは押してやれ」

 そう言う耕作は、眠ったままの悠木を立たせつつ引きずっているが。


 八時からの開始というのは、甲子園特有のものと言うべきか。

 上級生は充分にその意味が分かっているが、一年生はこれが初めてだ。

 甲子園は日程の関係上、基本的に一日に四試合を消化する必要がある。

 そのために試合の進行も急かされる。


 甲子園に初出場すると、あっという間に時間が経過するというのは、単なる比喩表現ではない。

 円滑な大会運営のために、審判の判断も早いし、攻守交替も全力疾走を良しとする。

 本当ならば一日三試合あたりに日程を空ければ、チームのピッチャーも負担が軽くなるかもしれないのに。


 このメンバーの中で一番緊張しているのは、三年のピッチャー永田である。

 甲子園では自分の出番はないかと思っていたら、二回戦の先発に指名された。

 松山産業は打撃に優れたチームではない。県大会も初戦以外はコールドがなく、接戦ばかりである。

 そんな守備のチームを相手に、白富東は正攻法で勝つと決めている。

 そしてそう言うときに必要なのが、経験の豊かなピッチャーである。

 実力的には確かに、白富東のピッチャーの中では四番目だ。

 だが松山産業との試合においては、相性はいいだろう。


 ピッチャーは出来るだけ、負担を分散すべし。

 このタイプのチーム相手ならば、圧倒的なパワーピッチャーが本来は向いているはずだ。

 だが県大会ではそういったピッチャー相手にも、しっかりと点を取って勝っている。

 そして今の白富東に、それ以上のパワーピッチャーはいない。




 早朝であるのに、甲子園は満員。

 千葉からは夜行バスを使って、応援に来てくれている応援団が多数。

 夏の恒例行事となっている、甲子園での応援は、OBも含めてお祭り騒ぎである。

 地元からだけではなく、関西に現在は居を持つ者も多い。

 大会八日目ともなると、盆休みが重なることもあって、かなりの動員が見込める。


 あの上杉から始まって、SS世代に至るほどには、さすがに熱狂の渦はない。

 だがそれでも全席売り切れ状態で、これが日本以外の建築物なら、崩壊してもおかしくはない。

「本当にすごいのは準々決勝以降かな」

 それをグラウンドで経験しているのは、耕作しかいない。

 塩谷も一年の時は、ベンチにいたが甲子園のグラウンドではプレイしていない。

 去年は三回戦で敗退しているので、甲子園が一番盛り上がると言われる準々決勝は体験していない。

 ここまで勝ちあがったチームが、全て見られるのが準々決勝である。

 ただ体力的に考えるなら、準決勝の方が残ったチームもより厳選されて、集中して見られるかもしれないが。


 朝の八時であっても、既に気温は25度を超える。

 この中で永田は、先発として投げるのである。


 ノックをしながら国立は、選手たちの様子を見ている。

 リズム良く打って行って、調子を測るのだ。

 ただし外野で欠伸をしている悠木は、あまりアテにならない。

 本番になれば一気に、スイッチが入るからだ。


 神経の図太さなどから考えても、素質はプロ向きだと思う。

 ただ一年生の時は、このマイペースさが心配で、スタメンには入れられなかったのだが。

 今年は国立が白富東にきて四年目のシーズン。

 五年目が終われば異動になるので、そこで来年転勤してくるはずの北村に部長をやってもらい、翌年からは監督の引継ぎだ。

 公立高校をいくつも回り、どんどんと野球部を強くしていく。

 千葉県全体のレベルアップが、国立の考えである。




 先攻を取った白富東は、一番の九堂から。

 相手のピッチャーの特徴は、散々に頭に入れてある。

 そのデータをあえてここで、覆してくるだろうか。


 松山産業の攻撃のパターンなどは、複合的な要因はあるものの、基本的には同一である。

 試合の前から状況を想定し、それに従って戦術を考える。

 よく言えば無難であり、悪く言えば積極性に欠ける。

 ピッチングから始まる守備も、おおよそはその通りだ。

 

 初球はストレートをゾーンに入れてくる。

(ドンピシャ!)

 そのストレートを叩いたが、いい打球が野手の正面に飛ぶのはよくあること、

 強烈なサードライナーにより、一球でアウトになってしまった。


「すみません」

 初回の先頭打者の役割は、ピッチャーの調子を測るものでもある。

「大丈夫。そのための二番だから」

 国立は単なるつなぎの二番ではなく、優位を拡大するための二番として、城を置いている。

 九堂には初回から積極的な攻撃をさせるのも、相手の出鼻を挫くという点では大きい。


 先制点は重要だが、それほど都合よく初回からランナーが出て、点につながると考える方がおかしい。

 少しずつ手を伸ばして、機会を見れば一気に奪い取る。

 相手の守備陣が堅実であるならば、逆にその範囲でしか動けないということである。

(どうかな?)

 高校野球はトーナメント戦で、三年間の間に一度しか戦わない相手もいる。

 相手ごとに戦術を、どの程度変えてくるか。


 城は西岡の球種を全て引き出し、出塁までも目指したがそこでアウト。

 ただ二人へのピッチングの内容を見る限り、やはり基本的な戦術は変わっていない。

 これを工夫が足りないと見るよりは、全てを明らかにしてようやく、甲子園に来たと考えるべきなのだろう。

 古豪ではあっても今の松山産業は、お世辞にも県下の代表的な強豪とは言えない。

 それでも最善に近いものを考えて、ここまで勝ち進んできた。


 基本的なプレイは、全て昭和の時代からあるもの。

 だがそれに現代の技術を加えて、ブラッシュアップしてある。

 革新的なものなどはないが、そもそも革新的なものなど、基礎の積み重ねの上に置かれるものである。

 その基礎が間違っていた、などということもあるのだが。




 三番の正志がバッターボックスに入る。

 一年生ながら四番の悠木にも匹敵する、打撃成績を残している正志。

 他のバッターも優れた者は多いのだが、仲間である白富東のメンバーでさえ、正志のバッティングには何かが違うと感じる。

 それが単純にメンタル的なものだとは、ほとんど知る者はいないが。


 打ち損じを狙ったツーシームを、バットの根元で叩く。

 打球は外野の頭を越え、正志はスタンディングダブル。

 そして続くは四番の悠木である。


 ツーアウト二塁というのは、単打でも二塁ランナーがスタートを切りやすいため、そこそこ点が入りやすい。

 悠木には長打力があるので、一点を入れてさらにもう一点という可能性もある。

 ならば一塁が空いているので、歩かせた方がいいのか。

 大介ならば歩かされることは間違いないが、悠木にはそこまでの力はない。

 ランナーを一回から複数出すのと、勝負して打ち取れる可能性。

 一回ならばまだ、一点は想定の範囲内。

 ホームランを打たれないようなピッチングをすればいい。


 そのあたりの考えは、白富東も分かっている。

 悠木も直感的に、ホームランを打てるようなボールは来ないな、と思っている。

 完全にコースと球種を限定して打つなら、その限りではない。

 だが広く待って、来た球を打つのであれば。


 ――キン――


 金属バットを上手く使って、内野の頭を越える。

 外野の守備位置は、悠木が四番であることと、序盤で一点の重要度がまだ低いために、わずかに定位置より前に出ただけであった。

 レフト前のヒットで、一気に正志がホームに帰ってくる。

 単純に結果だけを見れば、一点を取られた。

 ただしセカンドを狙った悠木を、その手前でタッチアウト。

 先取点こそ奪ったが、その先には続かない。


 もしもセカンドに達していれば、さらに一打で一点のチャンス。

 一点を取られてすぐに、セカンドに投げたキャッチャーを誉めるべきであろう。

(点を取られることは前提で、すぐにその後の行動まで選手たちが共有しているのか)

 なるほどこれは、監督の指導がちゃんと、行き届いているということだろう。


 一回の裏、先発の永田がどれぐらい相手打線を抑えられることが出来るか。

 基本的にはこの試合も、継投で戦うつもりの国立である。

 だが継投は上手くいかなければ、試合そのものを炎上させることもある。

 安定感は抜群の松山産業のエースの方が、白富東の投手陣よりは強い。

 それでも、向こうは一人で、こちらは四人で戦う。


 一人のピッチャーで、勝ち抜ける時代ではないのだ。

 グラウンドに散らばる選手たちを見て、国立は試合の進行をじっと眺める。

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