第50話 まだ一年生
愛媛県は野球王国である。
理由としては一つに、野球の日本導入に尽力し、様々なルールの用語を日本語化した正岡子規が、愛媛県出身だからというものがある。
プロ野球の開催にも使える巨大球場があり、四国全体に独立リーグがあるなど、野球の盛んな土地であることは間違いない。
松山産業は過去に五度の夏の全国制覇の経験もあり、完全に強豪校と思われるかもしれないが、近年ではなかなか甲子園に出ることはなかった。
古豪としてはもちろんずっと知られている存在ではあったが、この20年間では二度目の出場である。
「最近は私立以外でも、他の公立の方が強かったんだけど、ここ数年でまた力を付けてきたみたいだね」
国立が秦野や鶴橋あたりと話すと、古い時代の強い松産を知っていて、典型的な古き良き野球だと、二人は苦笑していたものだが。
なお鶴橋はともかく秦野でさえ、昔強かったチームという印象であった。
部員数は18人で、なんと全員がベンチ入りしている。
よくもまあそんな人数で甲子園に来れたものだと思うが、白富東も甲子園に初出場したセンバツは、二学年だけとはいえ20人を割っていた。
あの頃はまだ甲子園のベンチ入りメンバーは18人であったので、研究班という区分けがなかったら、色々と切ないことになっていたかもしれない。
三年生がいた夏も、二年と三年はガチ勢が少なかったため、北村以外はスタメンに入っていなかったものである。
もっともそんな古い時代を知っている者は、今の白富東では、ほとんどいなくなっているが。
「たった18人で良く来られたよな」
「いや、白富東も初めてセンバツ出場した時、実戦部隊は15人ぐらいしかいなかったし」
「SS世代が入るまでは、けっこう廃部の一歩手前で、同好会に格下げか、グラウンドを他の運動部の活動に分割とか、色々やばかったんだぞ」
「へえ、よく知ってるな」
「逆になんで知らないんだよ。本にもなってるのに」
今の白富東に入ってくる選手は、けっこうロマンを求めて入ってくる者が多い。
おかげで70人以上の部員であっても、ベンチ入り競争があまりガチではないのだが。
この夏のベンチ入りも、ほとんどがスポ薦か体育科の人間で、普通科からベンチ入りしているのは、キャプテンの耕作と一年キャッチャーの潮だけである。
野球というのはルールが複雑で、扱う情報量は多い。
だから必ず、頭のいい選手というのが必要になる。
もちろん根本的なところを考えるのは、指揮官である監督になるのだが。
それでもピッチャーのリードをキャッチャーに任せられるなら、それだけでも充分に助かる。
塩谷は勉強は出来ないが、地頭は悪くないのだ。
松山産業は監督が若手に変わってから、また強くなっているらしい。
伝統校というのはめんどくさく、OBでないと監督にはなれないとかそういうものがあったらしいが、弱い機関がずっと続いたせいで、そういう条件を満たす者がいなくなったそうだ。
そこで仕方なく普通に教員の中から経験者を監督にしたらしいが、これがまず当たった。
少人数であることを逆に活かして、目が届く範囲でしっかりと指導。
ベスト8以内には入るようになってきて、そこに一人の選手が入った。
父親は同校のOBであり、元プロ野球選手。
父の兄弟や祖父もOBという野球一家で、一族の期待を一身に受けて入学。
見事二年の夏に甲子園出場を果たしたわけである。
「西岡って、ライガースの?」
「うんにゃ、フェニックスの方の」
「まあ西岡って、そんな珍しい名字でもないしな」
「フェニックスの西岡って、準レジェンドだよな」
高卒からプロ入りしてジャガースからフェニックスへ。
そして戦力外通告を受けても独立リーグへと行き、そこで引退した後はコーチに。
地元愛媛に骨を埋めるつもりの元ピッチャーの息子である。
国立が分析する限りは、素質はむしろピッチャーではなく、バッターに向いているのではないかと思う。
フィールディングが抜群に上手く、ピッチャー返しをことごとくアウトにしている。
体格は巨大化する野球選手の中では、あくまでも平均的。
そこから全力で投げるので、いつか故障するのではないかと、見ている方が不安になる。
ストレートは140km台の半ばで、これはけっこう打たれるのだが、コントロールがよく長打にはなりにくい。
そしてツーシームとカットボールで、打ち損じを狙うというピッチングスタイルだ。
一応カーブもあるが、これは落差の大きなドロップカーブ。
ストレートと速球系の二つの変化球の球速差が少なく、駆け引きで打たせて取るタイプ。
三振はあまり多くなく、それでいて牽制や間合いの取り方などが、既にプロっぽい。
「欠点の少ないピッチャーだ」
国立はそう評した。
高校レベルのピッチャーなどというものは、いくら超高校級などと言われても、それはスペックであることが多い。
テクニックを見ればクイックに課題があったり、ノーコンであったり、球種が少なかったりと、まだまだ成長の余地がある者が大半だ。
このピッチャーにはそういったスケールの大きさではなく、既に完成された雰囲気があるのだ。
三里を率いていた時に見た、直史がこんな感じだったか。
ただあちらは完成形ではなく、大学入学後にしっかりと球速も伸ばして行ったが。
攻略方法としては、特別なものはあまりない。
地道に出塁して、ランナーを進めて、チャンスを作ってものにしていく。
問題になりそうなのは、守備がかなり固めであるということか。
県大会でも平均で一試合に、二つはダブルプレイを取っている。
守備的なチームであり、まさに高校野球といった堅実なプレイをし、ロースコアで勝っていくタイプだ。
そんな説明の後に、国立はどう攻略すべきかも説明する。
攻略には二つの手段があるだろう。力技か、真っ向勝負か。
どちらも同じではないかと思われるが、力技はとにかくクリーンナップに長打を狙ってもらって、連打以外で点を取る。
真っ向勝負は送りバントなども混ぜた、正統派の高校野球である。
そして白富東は、だいたいそのハイブリッドの攻め方をする。
基本的な一点を取る技術も、もちろん身に付いている。
だが基本的には、流行の強攻策である。
フィジカルを鍛えてパワーで圧倒。
今の日本の野球は、高校野球でもその傾向が大きくなっている。
もちろん生まれつき、体格からして長打を狙うのが難しい者もいる。
そういうバッターでもクリーンヒットを打てるように、鍛えたのが国立である。
理想的なのは、出塁率と長打力のバランスを取ること。
OPSだの打率だのというのは、一発勝負の高校野球では、それほど重視すべきではない。
「相手の土俵で戦おうか」
松山産業は打力は高いチームではない。
なのでエースと守備を抜けば、それで勝負は決まる。
国立の方針に、選手たちも異論はない。
フィジカル頼みでもなく、古くからの戦術でもない。
柔軟性が白富東の最大の武器なのだ。
ともあれ対戦するのは、まだ先の話である。
甲子園の日々を、選手たちは過ごしていく。
二日目の残り二試合は、準々決勝までは当たる確立の少ないチームの試合である。
ここで勝ったのは、西東京代表の東名大菅原と、地元兵庫代表の関西国際交流大学付属。
どちらも強いチームではあるが、やはり純粋なチームの強さだと、東名大菅原の方が上か。
しかし関国交大も地元というバフがかかった状態で戦う。
二回戦では屈指の好カードになるであろう。
翌日からは白富東は、軽い調整の練習をする以外は、やはり甲子園の試合をテレビで見ることが多い。
大会三日目の見所は、第三試合の大阪光陰と水戸学舎との戦い。
関東ではもうすっかり強豪入りした水戸学舎であるが、大阪光陰はどう戦うのか。
噂のスーパー一年生が出てくるのか、白富東としても注目である。
大阪光陰はその一年生を、大切な甲子園の先発に持ってきた。
一年生に一回戦を任せるのかとも思うが、白富東も優也を一年生でクローザーとして使っている。
大阪光陰には他にも、いいピッチャーが何人もいるはずなのだが。
だが歴戦の名将木下監督は、単に驚かせることだけを目的に、この起用をしたわけではなかった。
初球のストレートの記録した球速が、152km。
まだ一年生ということを考えると、驚異的なスピードである。
「しかも左かよ……」
サウスポーは体感5km増し、とも言われる。
一回の表の相手の攻撃を、バットがボールにかすることもなく三者三振。
コントロールはアバウトだが、それを弱点にしないスピードとパワーがある。
「今の曲げる球使ってたか?」
「どうだろ。全部ストレートだったと思うけど」
「球質はげっこうバラバラかもしれません」
正志がそれはしっかりと見ていた。
コースが違うので分からないが、ホップ成分が違うのではないか。
高めに投げた球はもちろん伸びるが、低めに投げた球も、それぞれ違いがあって伸びたり伸びなかったりしている。
伸びない球を狙えばいいのかもしれないが、おそらくこの速度であると、むしろ球質が統一されていない方が打ちにくい。
とにかく150kmオーバーで、ちょっとすつ違うストレートを投げているのだ。
直史あたりが計算してやっていることを、天然でやっている。
ストレートだけで、どれだけ抑えられるのだろう。
関東大会で対決することのある水戸学舎は、基本的に守備が堅くて機動力が高い。
ピッチャーもそれなりに質の高い者を連れて来て、近年では茨城県の最有力と言われている。
大阪光陰ももちろん、ずっと強いチームである。
去年のセンバツは優勝していたし、夏もベスト8までは進んだ。
今年のセンバツも同じくベスト8なので、屈指の強さであることは間違いない。
センバツベスト8のメンバーに、このスーパー一年生が加わったわけか。
そしてこの一年生は、バッティングでも魅せてくれる。
ラストバッターでありながら、ランナー一人を置いて、ライトの最上段近くまで飛ばす。
まさか場外かと思ったが、そこから一伸びするのが、甲子園では難しい。
そして投げては毎回奪三振で、水戸学舎はどうにかセーフティバントでバントヒットを記録したのみ。
それで六回まで無得点で試合は進んでいた。
「えぐい……」
誰かが言ったが、それは誰もが思っていたことである。
毎回ランナーを出す大阪光陰は、着実に点を積み上げていって、六回までに八点を奪っていた。
そして水戸学舎は、フォアボールで四人のランナーが出たが、他はバントヒットの一本だけ。
大阪光陰は余裕をもって、リリーフをマウンドに送る。
球数自体はまだまだ大丈夫だろうが、他のピッチャーにも経験を積ませる必要はあるだろう。
何より水戸学舎の方が、既に戦意喪失している。
数字以上に圧倒的な感じを受けるのは、大阪光陰がこれだけ圧倒しながらも、エラーを一つもしていないことである。
キャッチャーの呉はフォアボールで出たランナーを、二度も二塁への盗塁で刺した。
そして自身も一発スタンドに放り込み、完全に止めをさした。
結果は16-0という、圧倒と言うよりは虐殺とでも言うべき、ワンサイドゲームである。
途中からは悲惨とかどうとかではなく、もうさらし者としか思えないようになっていた。
毒島が降板してからなら、せめて一矢報いようという気にはなれなかったのか。
単純に150kmオーバーというだけなら、関東大会でそれなりに経験している者もいるだろうに。
「攻撃とピッチングの、二つで圧倒されたのか」
地方大会の試合でも、だいたいこんな感じであった。
決勝の相手である理聖舎は、かなり研究して対策をしていたはずだが、9-0と完封されたことは変わりはない。
どこにも隙が見えず、しかもスケールの大きな選手もいる。
「蓮池以上じゃないか?」
「いや、さすがに三年の時の蓮池ほどじゃないだろ」
三年時の蓮池は、ストレートがうなって158kmを出していた。
毒島は154kmが本日の最速であったが、それでもまだ余裕が残っている気がした。
「これがあと二年……」
こいつを倒さないと、全国制覇は出来ないわけか。
何気に継投したピッチャーも、普通に150km近いボールを安定して投げていた。
水戸学舎は立て直していこうを思ったのかもしれないが、それでも一点も取れなかった。
あまりにも圧倒的過ぎる。
それは雑誌においても、Sランク扱いされるのも無理はないだろう。
幸いなことに、当たるのは準決勝以降。
もちろん二回戦や三回戦の準備も必要であるが、全国制覇のためには、この怪物を倒さないといけない。
そう、怪物だ。
かつて上杉勝也や、白石大介が言われたような怪物。
蓮池はどちらかと言うと、天才といわれることが多かった。
少なくともこの時点では、一年時の武史以上のパフォーマンスである。
欠点と言えるのは、そこそこフォアボールがあったことぐらいだろう。
それは大きな欠点かもしれないが。
対戦するまで、時間がそれなりにあるのはありがたい。
これとは必ず、ぶつかる気がする。
甲子園に出場する、全てのチームに鮮烈な記憶を残した毒島。
今年もまた、スーパースターの誕生の兆候である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます