第30話 強い者が勝つ

 万年一回戦負けの弱小相手とはいえ、三年までそろったチームをコールドで撃破し、いよいよ第一シードの白富東との対決。

 こちらは一年生のみで、負けても全くおかしくはない。

 だが新しい仲間になったピッチャーのボールも、隙なく打っていった頼れる四番も、その力を十全に発揮することが出来ない。

「……高校野球、パねえな」

「練習試合の連勝はなんだったのか」

 今年創設したばかりのチームと練習試合をしてくれるなど、その程度のチームであったということだ。


 それに白富東が、エースを登板させて、打線も完全に主力であるというのも計算外だった。

 耕作は甲子園でこそそれなりに点を取られるピッチャーであったが、県大会のベスト8レベルまでは充分すぎるほどに通用するピッチャーだ。

 130kmというスピードははマシンでも簡単に体験出来るものだが、サウスポーがサイドスローから投げたら、あそこまで打ちにくくなるものなのか。


 切り札であったはずのジャイロボールは、三番と四番の連続ホームランで打ち砕かれた。

「三番の児玉って、俺らと同じ一年だよな」

「神奈川のチームに行ったはずなんだよな。まあそれを愚痴っても仕方ないけど」

「なんでジャイロが全然通じないんだろ」

「一回戦で少し投げたから、対策されてたとか?」

「投げたって言っても数球だろ。うち相手にそこまで詳しく見るかな」

「見るからこそ強豪なんだろうな」


 初回に四点を取られて、次の回にも一点を取られた。

 だがまだなんとか、と思った三回にも三点を取られた。

 この時点で八点差で、七回までこのまま行けば、コールドという点差である。

 そして四回の裏に二点を取られて10点差。

 この五回の表に一点でも取らなければ、コールドが成立する。

「甘くなかったな……」

「これが千葉の頂点なんだ。だからあとは、どこまで近付くかだ」

 そう言っている間に最後のバッターが三振に終わり、白富東はちょうどいい点差で初戦を勝ち抜いた。




 五回を投げて、散発三安打の一四球で無失点。

 エースらしい活躍をした耕作の、偵察する強豪たちに見せ付けるピッチングである。

 左のサイドスローといっても、県内の私立の指揮官は、サウスポーの160kmや、左でアンダースローで同じぐらい出すピッチャーを知っているので、最後の夏までにそれ以上にならなかったことにホッとしている。

 精度は上がっているし、球速も確かに出るようになったが、劇的な変化はしていない。

 それでも春と同じく、県内では最強レベルのチームだ。


 まずは無難に初戦突破ということで、夏のマモノが出てこなくてよかったと考える国立である。

 夏というのはとにかく、甲子園とはまた違ったマモノが出てくるのだ。

 これで三日間の間があって、三回戦に挑むことが出来る。

 次からは臨海球場だが、果たして観客が全員入れるものだろうか。


 地方大会は甲子園と違って、球場が分散して試合が行われる。

 だいたい一日は間が空くが、ベスト16と準々決勝、準決勝と決勝の間には、休養日がない。

 なんだかんだ言ってピッチャーの枚数が揃っている白富東は、かなり有利ではあるのだ。

 ベスト16までは、どうにかコールドで勝っていきたい。

 あちらの山からは勇名館かトーチバが来るとして、両者は準決勝で激突する。

 決勝にはそれなりに消耗した状態で出てくるだろう。


 白富東の次の対戦相手は、県立棚橋高校。

 公立の中では比較的強いチームであって、時々ベスト8に残ることもある。

 だがむしろ部活はサッカー部の方が有名で、そちらにスポーツの能力が高い人間を取られている。

 公立だけに金も時間もいたずらにかけることは出来ず、かなりポイントをしぼった練習をしている。

 完成されたチームプレイは、弱い相手には強い。

 ただし強い相手には、全く通用しないことも多い。


 国立としてはここいらで、優也を使っておきたいという狙いはあった。

 純粋に球速では一番であり、スライダーが決め球として使え、緩急も取れるようになってきた。

 スタミナの配分などには注意が必要だろうが、平日のため観客も少ないし、プレッシャーは少ないだろう。

 ただこれまで国立が見てきた限り、優也はプレッシャーなどでパフォーマンスが低下するようなタイプではないようだが。


 あと一歩でセンバツを逃した去年の秋だが、春の大会では手応えがあった。

 一年生が戦力になっている。優也よりも今はまだ、正志の方が貢献度は高い。

 私立の強豪に行くような選手が、家庭の事情で地元に残る。

 その中では白富東を選んだのだ。


 国立は正志の事情を知っているし、マナからさらなる家庭の背景も聞いている。

 実力はある正志だが、高校生だ。

 身内の入院と死によって、どれだけそのメンタルが乱れてしまうか、それは経験しないと分からないだろう。

 頼りにはなるが、頼りすぎてもいけない。

 それが正志への評価である。




 大会が始まって三回戦。

 準々決勝からは、学校に泊り込みになるベンチ入りメンバー。

 疲れがちゃんと抜けるように、無理な練習はしない。

 ここまで来ればぎりぎりでの練習などは、むしろマイナスになるだけだ。

 調整して、上手く試合に合わさないといけない。


 その中でも正志は、病院に向かう。

 新しい薬の効果はあまりなく、痛みが大きいらしい。

 母の体から出る匂いは、他に嗅いだことのないものだ。

 不吉な予感をもたらすが、だからといって自分に出来ることはない。


 そう、自分に出来ることは、少ない。

 医者でもないのだから、その点ではもう何も役に立てない。

 だからこそ、自分が精一杯やっていることを、見てもらうしかない。

 順調に行けば、甲子園の開幕までは20日後。

 長いのか短いのか、おそらくは……。


 県大会が地方局の地上波で流れるのは、準決勝からである。

 そうなれば病院でも、試合を見ることが出来る。

 子供のころから、母に連れられてグラウンドに向かっていた。

 今は一人でグラウンドに向かい、そしてチームの皆と球場に向かう。


 大人に近付くということは、いいことばかりではない。

 子供が大人になっていく間に、大人はだんだんと老いていく。

 そしてその最後には、誰にも避けられないものがある。

 時折考える。生きていることの意味を。

 ただしそんな無駄な思考を、野球は洗い流してくれる。


 長くて短い、高校一年生の夏。

 母にとっては最後の夏だと、もう気付いてはいる。

 だから出来るだけ、長いものにしないといけない。




 先発を告げられた優也は、それも当然とは思いながらも、同時にそわそわと落ち着かない。

 初戦のマリスタと違って、平日の県営は、それほどの観客も集まらない。

 だがそれとは別なのが、夏の先発である。


 棚橋のデータは、試合の前に充分に検証することが出来た。

 それなりに上手い選手もいるが、あくまでもそれは県内レベル。

 私立の強豪で見るような、特別なバッターはいない。

 なので勝てるとは思う。


 春の大会でも投げたが、高校に入ってわずかの間に、自分が急激にレベルアップを果たしたのは分かる。

 今までどれだけ、力を無駄に使っていたかも、とことん思い知らされる。

 ストレートのスピードはアップしたし、そのくせコントロールも良くなった。

 コントロールを考えるスピードが落ちると考えて、そのちょうどいいところを探していたのはなんだったのか、という気分になる。


 正しい力の出し方と伝え方をすれば、自然とコントロールはつくのだ。

 その正しいフォームと出力を憶えて、あとは回数を繰り返す。

 投げすぎは肩や肘に負担がかかると思っていたが、高校に入ってすぐにやったフォームチェック以来、どんどんと投げるのが楽になってくる。

「基本的にボールは、投げないと鍛えられないからね」

 国立はピッチャー出身ではないが、バッテリーを見られるコーチのメニューで、ピッチャーを鍛えることが出来る。


 白富東はSS世代から強くなった。

 だがその佐藤と白石をつないでいたのは、キャプテンの大田である。 

 彼はキャッチャーだった。

 そしてシニア時代には、後にプロへ行く岩崎と豊田の球を受けていた。

 今では帝都一でコーチをしていて、練習試合の時には色々と教えてくれた。


 キャッチャーというのは、あれが本物なのかと思ったものだ。

 バッテリーはだいたい、キャッチャーがピッチャーを制御するのが役目だと言うが、単純に精神的な支えになるよりも、ずっと技術的な要素の方が大きいと言っていた。

 精神論から最も離れたところにいなければいけないのがキャッチャー。

 ただし最後の部分では、ピッチャーのメンタルを支えるのもキャッチャーである。

 月に数度コーチに来てくれる倉田は、シニアと高校でジンの教えを受けて、キャッチャーをやっていた。

 甲子園優勝チームのキャッチャーであり、人格は穏やかだ。


 プロか、大学で鍛えてからプロという話もあったのだという。

 だがプロのレベルに到達するキャッチャーは、ジン並の戦術理解と、自分よりも打つことが求められる。

 そう考えてその道は諦めた。

 来年からは普通に社会人で、白富東の応援をずっとしていくのだろう。

 あのレベルでもまだ、キャッチャーとしてはプロでは全く通用しないと聞くと、どれだけ化け物なのかと思わないでもない。


 その指導を受けて、優也は安定して140kmが投げられるようになった。

 ストレートが安定すると、他の変化球も使いやすくなる。

「まあコントロールの極致はナオ先輩だからね」

 国立や倉田の口から出てくる、伝説のピッチャーの名前。

 甲子園優勝投手であり、WBCのMVPにも選ばれた、おそらくは100年に一人の天才。

 プロに行かずに大学に行き、そしてプロには進まなかったという。


 優也には理解出来ないが、頭がいいということは選択肢がたくさんあるということだ。

 単純に選べる道がたくさんあったので、プロ野球という道を選ばなかった。

 そこまで野球にのめりこんではいないのに、そんなピッチャーになれるものなのか。

 練習やトレーニングの内容を聞いてみると、とても同じ人間がやっていたこととは思えない。

 本など読まない優也だが、部室に置いてある白い軌跡は、さすがに読んだ。

 一日500球投げていたというその内容は、注釈でちゃんと投げすぎに気をつけるようにと書いてあった。


 球速のMAXが140kmもなくても、甲子園でパーフェクトが出来るのだ。

 ただしそのためには、変化球が必要になる。


 優也はストレートの質を上げて、打ち損ね狙いのスプリットと、スライダーでのコンビネーションを考えている。

 そこに最近は、チェンジアップとカーブが加わった。

 今投げているその球は、チェンジアップではなくカーブだと言われた時は、けっこう混乱したものである。




 甲子園を目指せるチームだと、潮も実感している。

 春の県大会では優勝したし、関東大会でも東名大相模原に善戦した。

 甲子園を狙うだけではなく、さらにその上に進んでいける。


 国立はこのあとのことをずっと考えている。

 ここまでは少しずつの間があったが、ここからは長くても一日しか休みがない。

 そして連戦が二度あるので、どのようにピッチャーを使うかが、甲子園を勝ち進むために必要なのだ。


 一年の優也のことも、戦力として国立が見ているのも分かる。

 正直なところ、確かにシニア時代から、調子のいい時はすごいピッチングをしていた。

 だが高校に入って指導を受けてからは、完全に別格のレベルへと進化している。

 それにバッティングの方もすごい。

 シニア時代は四番でエースと、完全に一人の活躍でチームを勝たせていた。

 それが調子が悪いと、チームも全く勝てなくなるのだ。


 今はもう、ワンマンチームではない。

 支える周囲の力も強く、孤立させることはない。

 それを次の試合で、証明してほしい。

(まあ俺は試合に出られそうにないんだけどね)

 哀愁の漂う潮の背中である。

 将来は正捕手と国立は見ていても、今の段階ではまだ経験が足りない。

 優也がバッティングも出来るので、三年生のなるころには、この三人で中心となれればいいのだが。


 七月も中旬の猛暑日の中。

 三回戦、夏のトーナメントの初出陣となる優也である。

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