第29話 開幕

 いよいよ夏の大会が始まった。

 合同チームも入れて168チームによる、たった一つの席を争う大会。

 168チームもあるのに、甲子園に行けるのはたったの一校。

 そして一度負ければ、そのチームの夏はそこで終わる。


 白富東はシード校のため、大会三日目が初戦となる。

 大会一日目に、一回戦を勝った相手と対決するのだ。

 序盤はまだ、ピッチャーも消耗していない。

 そんな状態で、とりあえず一回戦を勝って勢いに乗る相手と、夏の初戦を戦うわけである。


 体を暑さに慣らしつつ、徐々に疲労を抜いていく。

 大会が始まってから次の相手に備えて付け焼刃の練習をするようなチームは、既に戦う前から負けているのだ。

 休日であれば研究班の人間と、レギュラーから数人が、対戦相手の試合を偵察に行く。

 正直なところ初戦の相手は聞いたことがないチームと、弱小で知られているチームの勝った方になる。

 どちらが来ても問題なく勝てそうであるが、やはり弱くて有名な方が勝ってくれた方が、気楽な気分で勝てそうな気がする。


 そんな考えを持ちながら、授業が終われば試合の結果を見る。

「こいつら全員一年生か」

 対戦するのは春の大会の成績さえ分からなかった無名校。

 つまるところ今年が野球部新設一年目なのである。

 全員一年生相手に7-0でコールド負けてしているのは、毎年一回戦負けで有名な弱小。

 相手が弱すぎて、あまり参考にならないといったところか。


 エースも当然一年生であり、打たれたヒットが六本でフォアボールはなし。

 守備のエラーもなく、悪いチームではないと思う。

「三振は相手のバッターがひどすぎて、あんまり参考にならないな」

 七回コールドで六個の奪三振なのだから、数字だけを見れば悪くはない。

「変化球はカーブとスプリット、かな?」

「球速的にチェンジアップだろ」

 どちらにしろ、たいした相手ではない。


 バッティング面を見ても、長打はあってもホームランまでを打てるバッターはいない。

 だが一番と四番が全打席出塁しているのは注意かもしれない。

 これまた相手のピッチャーが弱すぎるが、それを考えても打線がパワー不足なのは間違いない。

 負けるはずのない、相手のはずだ。

 ただしピッチングのスロー再生を見ていて、国立は気付いた。

「このピッチャー、ストレートが二種類投げるみたいだね」

 正確には、そのストレートはほんの数球だけだったのだが。

「ジャイロ回転のストレートを三球投げている」

 そしてそれで、ボテボテの内野ゴロを打たせていた。




 ジャイロ回転のストレート。つまりジャイロボール。

 直史の投げていたスルーは、それが完全にライフル回転しているものである。

 回転数があるので失速しにくく、ホップ成分がないので球速の割りに沈む。

 現代の魔球の一つであるが、投げ方としてはスライダーに近い。

 ただ手首が柔らかくないと投げられないのと、回転軸を上手く進行方向に合わせる必要がある。

 失敗すると縦スラか横スラか、あるいはカットボールになってしまう。


 魔球使いか、と周囲がシンとする中で、国立は特に問題もないと結論付けた。

「球速が足りないし、ランナーが進んだところでしか投げていないし、それも序盤だけ」

 投げようとしたのか、スライダーもどきになっている場合もある。


 おそらくは本当に、切り札的に使うものなのだろう。

 だが本当に勝ち進んでいくつもりなら、一回戦では完全に温存すべきであった。

 全くのノーデータからあれを投げられたら、かなり混乱しただろう。

 それにスルーという球は、直史の制球力と多様な変化球があるからこそ、その真価を発揮するのだ。

 ピンチになったシーンでばかり使うのでは、あまり意味がない。


 ただフォアボールがないというのは、相手が弱かったことを考えても注意すべき点だ。

 コントロールは案外散らばっているが、ゾーン内に収まることが多い。

 内と外で投げ分けているのは、荒れ球なのではなくそもそもそういったピッチングなのかもしれない。

「他にも隠し球がないかな。このピッチャーのこと、誰か知らないかな?」

 一年生に尋ねてみるが、誰も知らない。

 ただほとんどのメンバーが、同じシニア出身なのではという声があった。


 それほど強くもないシニアであるが、そう聞くと内野の連繋が上手いことや、攻撃の時の犠打がスムーズなのが分かる。

「同じ中学でしたけど、俺は軟式でした」

 そういう一年生からの情報も聞くに、ピッチャーだけが特別なのだ。

「球速は120kmぐらいかな? それで変化球はカーブとチェンジアップ。まあ打てるな」

 悠木はナチュラルに自信たっぷりで、その意見を否定するつもりは国立もない。

 ただこのジャイロボールを投げる時はかなり絞っているので、勝ちにくることは間違いない。

 だいたい高校野球というものは、ちょっとした勢いで格下のジャイアンとキリングが起こるものなのだ。

「勝てるはずだけど、油断はしない」

 国立の言葉が、まさに一番正しいのだろう。




 初戦となる二回戦は、土曜日ということもあって、応援の数も多い。

 三万人入るマリスタに、一万人以上は入っているのではないか。

 春の大会もそれなりにクラスメイトが見に来ていたのは知っている。

 だが夏は、特別なのだ。


 白富東の優等生は、人生を楽しむことに関しても優等生である。

 合間の息抜きの手段として、野球観戦を使う者は少なくない。

 そして学校の近隣住民も、オラが街の野球部として、白富東の応援に来るのだ。

 なにしろ100年以上続いている学校だけに、OBやOGは大変な数になる。

 また地元の名士なども、この数年の甲子園を盛り上げてきた、白富東には無関心ではない。


 国立は当然のように、この試合では耕作を先発に持ってきた。

 それなりに打たれることはあっても、一番防御率が優れているのが耕作である。

 分かっていても直接対決していなければ、打ちにくいのが耕作のサイドスローだ。

 相手に先攻は取られてしまったが、それほどの逆風ではないと考える。


「これがうちが先行を取れていたら、その時点で勝負は決まっていたかもしれない」

 先行が取れるかどうかは運なので、別にそれが耕作の責任であるとは言わない国立である。

「じゃんけんで勝って先行を取ってきたことに、相手の意図を見なければいけない」

 少しでも勝つ気があるなら、先行を取るだろう。


 シニアからやってきたというチームであるが、エースだけは他の学校に進学したのだと、情報が回ってきた。

 そしてピッチャーは、高校から千葉という転校生であるとも。

 元は京都の人間であり、普通に親の転勤を伴っていたのだという。

 別に全国レベルで有名なわけではなく、普通のピッチャーだ。ジャイロボールを使えるということ以外は。


 本当に勝つ気なら、一回戦は完全にジャイロボールは封じておくべきだった。

 それでもあの相手にならば、勝てたはずなのだ。

 白富東の戦力を前に情報を出して、勝てると思う方がおかしい。

 そのあたりまでは、まだ徹底できていなかったのか。


 中学時代までの試合は、多くても1000人に満たない観客であったろう。

 しかしこの試合は、白富東の初戦ということもあって、万を超える観客が集まっている。

 この環境の中で、全員一年生のチームがまともにプレイ出来るのか。

 一回戦とはまるで違う環境なのだ。


 そのために、先攻を取った。

 少しでも球場の空気に慣れて、エラーなどが出ないように。

 一年生が13人の小さなチーム。

 変に恐れることはないが、実力を存分にぶつけていこう。




 最後の大会というプレッシャーは、普通に耕作の中にもあった。

 大学で野球を続けるかどうかは微妙なところだ。おそらく農業系の活動をするので、スポーツまでには手が回らない。

 だから野球をするのは、この大会が最後。

 もし甲子園のベスト8まで残ったとしても、受験に専念すると耕作は決めている。


「なんだかんだ言って、甲子園に行けてよかったよな」

 バッテリーを組む塩谷とは、一年の夏からベンチに入っていた仲だ。

 そして決勝のマウンドには、耕作も立ったのである。


 高校野球の頂点である甲子園。その夏の甲子園の決勝のマウンド。

 あれを経験していたら、プレッシャーがあってもそれに負けることはない。

「事前のデータ通りにな」

「おう、分かってる」

 強い相手ではない。だが油断していい相手でもない。

 一度でも負けたら、甲子園には行けないのだ。


 ベンチの中を見れば、期待をしている顔が並ぶ。

「お前、マナさんを甲子園に連れてくとか思ってないだろうな」

「あ、いや、今までも連れて行ってたし」

「最後の夏は別だろ」

「う~ん……」

 口が重くなる耕作の肩を、塩谷は叩いた。

「まあ、最後まで楽しもうぜ、エース」

 背番号1は伊達ではない。

 塩谷はキャッチャーボックスに座り、耕作のボールを待つ。


 打席に立つ相手バッターは、かなり小柄である。

 だがこれが一回戦は四打数四安打で、それ以外にもフォアボールで出塁しているのだ。

 これを切るかどうかで、試合の行方がある程度見えてくる。

(じゃあ最初からいくか)

(一年には負けてられないか)

 左打者に対して、サイドスローからのスライダー。

 耕作が一番バッターを打ち取るのに使うスライダーを、初球から見せる。

 その軌道に驚いたバッターは、一度打席を外した。


 塩谷のリードに従って、耕作は投げる。

 最後の夏だということは、一球投げた時から、頭からは消え去っていた。

 今はただ、目の前のバッターにだけ集中する。

(これでどうだ)

 低めに決まるカーブを、バッターは当ててくる。そのゴロはショートに転がったが、一番バッターの足は速い。


 それ以上に速いショートのスローにて、一塁はギリギリアウト。

 今大会の打率10割を、いきなり終わらせた。

 ふうと息を吐いて、耕作はボールを受け取る。

 先頭打者を切ることが、これだけ大変だったとは、久しぶりの感覚の気がする。

(これが最後の夏か)

 甲子園を目指す最後の夏であり、高校最後の夏。

 贅沢なことは分かっているが、やはり甲子園には行きたい。

 何度も行っていて申し訳ないが、こちらはそれなりに苦心して練習をしているのだ。


 強いチームが勝つのではない。勝ったチームが強いのだ。

 初回を三者凡退にしとめて、耕作はベンチに戻っていく。

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