第23話 コーチ

 仙台育成は午前中に帝都一との試合を終え、午後の白富東との試合に備え、昼食後の休憩をしている。

 その間にも白富東は、帝都一のグラウンドを使って、守備の練習などをしていた。

 全面人工芝のグラウンドは、雨が降ってもすぐに問題なく練習が出来る排水性を持つ。

 金かかってるなあ、としか言いようがない。

「なんだかいいピッチャーが入りましたねえ」

「やっぱりそう思うかい?」

 かつて白富東のキャプテンだったジンと、かつて白富東と戦った国立が、こうやってまた違う立場の敵味方として話し合う。

 まあプロにでもなればトレードなり移籍なりで、そういうこともあるのだろう。

 大学時代には甲子園で対決した相手が、何人も同じチームにいたものである。

 そしてほぼほぼ、直史と武史にフルボッコにされた。

 あれと対決していた高校時代の他のチームは、よく切れずにすんだものである。特に直史は大学進学後、さらに理不尽な存在になっていた。


 二人の視線の先にいるのは優也だ。

 ストレートのMAXは143kmまでこの短期間で伸びている。

 もっとも逃げていたパワーを上手く使えるようにしたわけなので、夏までにはもうそんなに一気には伸びないだろう。

 ただ球速以外の部分でも、成長する部分は色々とありそうだ、とジンの目からは見える。

 帝都一に就任一年目ながらも、バッテリーコーチを任されているのは伊達ではない。

「どうすればいいと思うかな?」

「う~ん、球種は何が?」

「ストレートとスライダー。あとは少し落ちるスプリットと、本人はチェンジアップと言い張るけどかなり微妙なカーブかな」

「ふむふむ」

 ジンの頭の中には、甲子園で対決するかもしれないチームに対しても、利敵行為は普通に行ってしまう考えがある。

 そのあたり彼はやはりバッテーリーコーチであるのだ。

「組んでいるキャッチャーは正捕手じゃないですよね?」

「一年生だね。正直今年の中では、一番の拾い物だと思うよ。一般の普通科に入ってきて、目の乱視に気付いてから、一気にキャッチングとバッティングが開花したんだ」

「……相変わらず白富東は再生工場と言うか……」

 お前も人のことは言えないぞ。


 ジンは近付いて、二人の姿を見る。

 審判の位置に立って、優也のフォームを見る。

 優也はちらりと国立の方を見て、国立はそれに頷く。

 単純にピッチングのことだけなら、日々バージョンアップをしているセイバーのコーチの方が上かもしれない。

 だがジンには間違いなく、それとは別の何かがある。

 確かに白富東が連覇した時、投打の主役は直史と大介であった。

 だが守備の要はキャッチャーのジンであったはずなのだ。

 高校生の頃から既に、意識は単なるキャッチャーとしてではなく、それ以上のものとしてチームの中で存在感を放っていた。

 高三の春のセンバツは、事実上ジンとシーナの二人で、白富東を動かしていたのだ。


 そんなジンとしては、まず面白そうなバッテリーを見かけたら、放っておくという手はない。

(キャッチング、まだまだ甘いけど、動き自体はいいな)

 キャッチャーが悪かったら、ピッチャーの能力を引き出せない。

 なのでジンはまず、どんなすごいピッチャーがいても、キャッチャーを見る。

「ようし、じゃあ話そうか」

 自分の手元にいるなら、じっくりと育てていける。

 だがわずか一日であれば、教えられることは限られる。

「キャッチャーはまず、とにかく球を受けまくること。それとキャッチする瞬間に、こちらから被せていくんだ。捕球した位置とその音でゾーンが変わるのが高校野球だからな」

 アウトロー大好き病と共に、高校野球の審判の陥っている病の一つである。


 フレーミングという技術がある。

 ボール球をキャッチングによって、ストライクにしてしまうものだ。

 キャッチングの時にわずかに外側から被せるようにしてキャッチし、そこでぴたりと止める。

 キャッチしてから手だけを動かすと、むしろ逆効果の印象を与えてしまう。

 体全体を動かして、キャッチした位置をずらすのだ。

 そしてピタリと止める。


 あとは低めだ。

 ボールに対してミットを向かっていき、いい音を出す。

 その音もまた、審判を錯覚させる。

「ミットがいい音がなるように、磨いたり湿らせたり、色々と方法はある」

「せこい……」

 優也はそう呟くが、潮としてもそういったプレイをしていていいのかという疑問はある。

 だがジンの考えは明確だ。

「野球なんて殺すとか刺すとか奪うとか、そういう物騒な言葉だからね。嫌なら自分は使わなければいいけど、使ってくるチームはあるし、本当に問題なのはこういうものじゃない」

 野球とは騙しあいであり、いかに相手の嫌がることをするかという、頭脳を使ったスポーツだ。

 そうでなければ身体能力に優れたフィジカルエリートだけが、このスポーツにおいて活躍することになるではないか。

 それにジンとしては、相手に怪我をさせないプレイは、特に問題ないと思っている。

 野球は頭脳戦であり、精神戦なのだ。




 なるほど、とこれまで力任せなプレイなどいっさい通用してこなかった潮には、理解出来るものであった。

 そして精神戦ということなら、優也にも分からないでもない。

 シニア時代に優也を攻略するためには、バント戦法を使われることが多かった。

 いつ本当にバントしてくるか分からないため、守備はダッシュせざるをえない。

 そしてそれを気にしてボールを置きにいったところを、痛打されるという場面が多かった。


 強いチームはピッチャーの精神を折り、そこから一気に攻勢に入る。

 帝都一もそうなのだろう。

「一年生だから甘く見られた部分もあるかもしれないけど、夏の大会はそんな甘いもんじゃないしね」

 ただジンから見ても、優也の素質は優れていると思う。

 もっとも高校時代、直史の実力が努力を効率よくする才能だと思っていたのだジンであるのだが。

 実際のところはあれも、完全に特殊なものだが、才能に間違いない。


 優也は入学時点から約二ヶ月で、急激に成長している。

 そしてまだまだ伸び代がある。

(鬼塚の後輩なら、ちょっとは注目されても良さそうなもんなんだけどな)

 それとも環境が変わって急成長したのだろうか。

 それもジンは経験がある。


 潮からミットを借りたジンは、お手本を見せるべきキャッチャーボックスに入った。

 プロテクターもなしに危険な気もするが、まだまだ優也程度のボールなら余裕がある。

(球速はMAXで143kmってとこかな。高校一年生でこれなら、三年には150kmも間に合うかも)

 体格的にも身長の伸びはまだ止まっていないようだし、あるいは大学に進学して鍛えてもいいのかもしれない。

 今年の春のリーグ戦でも、六大学は早稲谷が優勝濃厚である。

 武史がピッチャーで残っていて、淳が二番手としている以上、まだまだエースの力だけで勝てる段階だ。


 優也自慢のスライダーも、左右の違いこそはあれ、真田のスライダーを見てきたジンの目からすると、必殺の威力とまでは言わない。

 ストレートとの組み合わせでかなりの三振は奪えるだろうが、その後に見せてもらったカーブというかチェンジアップがひどかった。

 リリースの瞬間から、カーブだと分かる。

 それでも緩急は付けられるのだが、どうせならピッチトンネルを通る本物のチェンジアップを習得するべきだろう。

 そしてカーブはカーブとして使えるようになれば、ピッチングの幅は広がるだろう。


 今年の白富東は、甲子園にはぎりぎり行けるかもしれないが、甲子園で頂点に立つのはとても無理だと思っていた。

 だが頂点はともかく五合目ほどまでなら、この一年生がどう成長するかで予想できる。

 夏も秋も、甲子園に直結する試合で、白富東とは対決することはない。

 ならばいいピッチャーを見れば、育ててしまいたいのがキャッチャー出身の教師の性である。

「あとで修正ポイントとかアドバイスとかまとめて送るから、国立監督やコーチと話し合って考えたらいいよ」

 バッテリーと主砲、これが今の白富東の一年には存在する。

 あとは下級生の戦力や、それに発奮される上級生の発奮があれば、全国制覇を目指せるかもしれない。

 もっともその時に対決することがあれば確実に、帝都一の力で叩きのめす所存ではある。


 もっとも優也たちにとってみれば、高校のOBでもある。

 白富東の栄光の世代は、SS入学から始まったわけで、その時にビッグ4と呼ばれた一人なのである。

 あのSSの手綱を握っていたというだけで、それは尊敬に値する。




 仙台育成との練習試合は、上級生ピッチャーの継投にて対決した。

 あちらは午前の試合でエースを投げさせているので、ここでは二番手のピッチャーの出番となる。

 二番手ピッチャーであっても、普通のチームなら間違いなくエース。

 実際に国立の目から見ても、白富東の投手陣よりは上かなと思える。


 しかし昨年の秋から、白富東のチームのスタイルは、殴り合いである。

 打たれても打たれても、立ち上がるピッチャーの力。

 そして点を取られてもアウトを取って、イニングを進めていく。

 上位打線から確実に点を取れるチーム。

 白富東は間違いなく、打撃のチームにはなっている。


 超高校級のピッチャーと対戦するなら、それはやはり結果は違うのだろう。

 だが宮城県の二強であり、東北でも五指に入る仙台育成は、強力打線の抑え方も心得ている。

 国立もそれに合わせて単純な強攻策だけではなく、小技もしっかりと入れていっている。

 重要なのは決め付けすぎないことだ。

 ランナーが出たら常に送りバントというのも、ノーアウト一塁からでも打っていくというのも、状況を考えて選択しなければいけない。

 そして相手の打線に対しては、粘り強いピッチングが必要だ。


 球数制限があって高校野球は、ピッチャーがどうしても二枚は必要になってきた。

 それがなんだか寂しいと感じるのは、感傷である。

 もっとも実際のところ、球数制限など、あってもなくても関係ないというのが、国立などの視点であるのだが。


 球数が多いから壊れるのではない。

 ちゃんと普段から準備していないから壊れるのだ。

 日常的に直史は300球を投げていたのだから、それは間違いない。

 あれを日常の存在として扱ってはいけないとは分かるが。




 全国レベルの強豪校との対戦。

 直接試合に出るのは、まずは一年生は正志だけである。

 基本的にはスラッガーだが、足もかなり速い。

 現在はファーストに入っているが、その肩の強さも考えれば、夏までには外野に回すべきだろうか。

 継投をしながらも、ほぼ互角の戦い。

 殴り合いを制して、白富東が5-4で勝つ。


 ベンチでそれを見ていた国立は、このままだと全国制覇まえは届かないな、と考える。

 甲子園すら危ういと考えていた去年の秋だが、一年生でまさかの即戦力級ピッチャーが入ってきた。

 もちろんまで酷使するのは無理な、一年生である。

 だが上手く上級生のピッチャーと組み合わせることで、充分に甲子園でも勝ちあがっていくことは狙える。


 この日の試合はこの一試合だけである。

 仙台育成は神奈川へと遠征をし、今日はあちらで泊まるのだ。

 白富東は帝都一の宿泊施設を借りて、こちらで泊まることとなる。

 野球部の寮にお邪魔して、そこで食事を摂るのである。

 なんだか少し、修学旅行のような感じである。


「そういや勝ち残ったら秋とか、修学旅行はどうすんだろ」

 同じ発想だったのか、優也がそんなことを尋ねた。

 上級生は普通に答える。

「勝ち上がっていても普通に修学旅行には行くぞ。実際にこれまでもずっとそうだった」

 なるほど、そのあたりも強豪っぽくはない。


 そして翌日、午前中には帝都一の練習に混じり、昼食を摂った後はいよいよ練習試合。

 先発のピッチャーには優也が指名されて、バッテリーは潮と組むことになったのである。

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