第21話 短い季節
春季関東大会が終了した。
白富東は前年、秋季関東大会ではベスト8で敗退している。
それがこの春は東京を含めてさらに強くなっている相手に、ベスト4まで勝ち進んだという結果である。
どうせなら去年の秋にそこまで勝っていれば、センバツに出られたのに、などと言ってはいけない。
この結果を受けて学校側も、夏に向けて応援体制を作り上げる。
去年の夏も、センバツに出場どころか、県大会で敗退したため、最初の期待値は低かった。
だが夏にはちゃんと県大会優勝まで届き、甲子園で三回戦まで勝ち進んだ。
そして負けはいたが、壮絶な投手戦を繰り広げたのである。
それに比べるとこの春季大会は、センバツベスト4であった東名大相模原相手に、一点差の好勝負。
校長と教頭の両名から、今年はどうですかと問われた国立であるが、この時点ではまだ分からないのが正直なところである。
「甲子園に行ける可能性はもちろんあると思いますが、この時期の選手は本当に、短時間で驚くほど成長したりしますから」
もちろんそれは白富東だけではなく、春の県大会で白富東に負けた、他の県内のチームにも言える。
よほどの強豪校で実力主義を取っていても、一年生を春の大会に出すことはあまりない。
トーチバや勇名館といったあたりは、おそらく一年生の中から、何人かはベンチ入りさせてくるだろう。
当然その一年生は、上級生を差し置いてベンチ入りするぐらいだから下手をすれば即戦力である。
なので夏の大会のトーチバや勇名館は、おそらく春よりも強い。
だがそんなことを言って水を差さないぐらいには、国立も大人になっている。
今年の四月から赴任してきた校長は、自分が校長として赴任してきた中で甲子園に行ったチームなどはなかったという。
それに比べると教頭は、去年の夏を経験しているわけだが、前教頭のように部長をしてくれるほどではない。
そもそも教頭の仕事というのは大変なので、よくもまあ野球部の部長などという面倒なことを、やってくれていたのかと不思議に思う。
単純に甲子園のベンチに入りたかっただけかもしれないが。
現在の部長は完全に、対外関係に集中してもらっている。
言うなれば国立の秘書として、野球部全体のスケジュール管理をしているのだ。
野球の技術を教えることは、国立にしか出来ない。
だから一般的な事務をしてもらう。
現在の主な仕事は、練習試合の予定を組むことである。
国立にとっては微妙に、やりやすい環境が整いつつある。
セイバーの会社のコーチは週に二度ほどはバッテリーの指導に来てくれているが、それだけでは足りないことがある。
そこへ声をかけてきたのが、全国制覇世代のキャッチャーであり、地元の大学に進学していた倉田である。
就職先も決まったため、日曜日にはコーチとして、主に主戦力でない選手のフィジカル強化を見てくれている。
たいして強くはなかったが大学のリーグでも選手であったため、その技術は錆び付いていない。
ならば大学のリーグはどうしたかというと、面倒になって野球部を辞めてしまったそうだ。
今は就職予定先の企業が出資している、クラブチームの方で活動をしているのだとか。
社会人野球ではなく、あくまでクラブチームというところが、倉田らしいと言えるだろうか。
倉田は確かにメンタルが全くプロ向きではないが、アマチュア指導者としては確かに向いている。
もっと言えば高校生よりは、小学生に最初に教える人間が、こういうタイプだったらいいなと思うのだ。
「彼、いいですね」
春の大会は春の大会で、夏にはベンチメンバーの入れ替えもある。
一年生からキャッチャーを一人は入れるつもりの国立に倉田が推したのが、やはり潮であった。
「ちょっと特殊な乱視で、深視力が上手く使えてなかったからね」
キャッチングもそうだがそれよりバッティングが、20人の選手志望一年生の中で、おそらく三番目に優れている。
「バッティングで言うと児玉君が一番いいですか」
「彼はまあ、本当なら私立の強豪に特待生で行ってた人間だからね」
その東名大相模原との対決でも、充分すぎる存在感を放っていた。
あとは優也である。
「鬼塚タイプですねえ」
「彼と同じシニアの出身だね」
三橋シニアはなんと言うか、ある種の問題児の引き受け先となっている。
学校の部活とも違い、辞めさせることもある。そういう場所だ。
「なんでどこも取らなかったんでしょうね」
「セレクションは受けたみたいだけど、普通なら合格すると思うんだけどね」
そう言って不思議がる二人であるが、彼らは優也の変化の理由を知らない。
野球ばかりやってきた、典型的な野球バカであり、同時に単なるバカでもあるのが優也である。
スポ薦の時には組が違ったのであまり気にかけていなかったのだが、正志の能力は特にバッティングにおいて、優也を軽く凌駕する。
私立強豪で甲子園、そして日本一を目指すのが、その当たり前のコースであった。
しかし残酷な運命は、少年の人生を変えていく。
優也には人生において、そんなに何かに熱中するというものはなかった。
野球にしても、特にプロになりたいだとか、そういうことは漠然としか考えたことはない。
だが正志は明らかに、他の生徒とは隔絶した意思を持っていると感じる。
訳が分からないままバンバンと打っている三年の悠木などとも、それは違った感覚だ。
死が身近にあるのだという。
それはまあ、人間はいずれ誰もが死ぬわけだが、それを実感したことがない優也である。
両親の祖父母は健在で、身近にそういった話もない。
もちろん誰かの家は片親だとか、その程度の話は聞いたことがある。
だが耕作とマナの会話の内容の、圧倒的な現実感。
可能性としては残されているが、現実的に考えれば必ず、訪れるのが死である。
皮肉なものだ。
優也が本気で、甲子園を目指さないといけないと思ったのは、自分に関係したことではない。
自分の認めるバッターが、胸にそんなことを抱えながら生きている。
誰かを甲子園に連れて行くために、今の自分は投げている。
自分勝手に投げるわけにはいかないと、こうまで思わされてしまった。
完全に運命の皮肉であるが、正志のいる過酷な精神状態は、優也にとってはほどよい緊張感をもたらしていたのだ。
ストイックになるには理由がいる。その理由を、与えてくれた。
これを運命と言うなら、まさにそれは皮肉なものでしかない。
夏の予選までには、もう時間がない。
新しく変化球を覚えたり、あるいは劇的な球速アップは、この短期間では望めない。
そして白富東は、頭を使って数字を伸ばす。
全体練習はこの季節でも、平均で放課後は二時間しか出来ない。
ただし一年生も含めて、朝練や昼休みなど、自分でやっている者は多い。
そして週末には、練習試合を入れていくことになる。
白富東の場合は、一軍と二軍とは違う、ピッチャーの力などがほどよく分散された、AチームとBチームを作る。
そしてAチームは県外の強豪と戦って県大会に備え、Bチームは県内の練習試合を求めているチームと戦い、その情報を得ていく。
この期間にそんな情報を取られてもいいのかと思わないでもないが、そもそも白富東と県大会で覇を競うような相手とは、さすがに練習試合も組まれない。
入学以前の春休みから数えたら、二ヶ月が経過する頃。
春季大会は別にしても、一年生の中からも、ベンチを狙えそうな選手が出てくる。
ほとんどはスポ薦か体育科なのだが、一般入学の普通科の生徒から、数人出てくるのが不思議である。
もっとも出てきたのは、守備の名手であったりするのが多い。
やはり打てる選手は、強豪がスカウトしていくらしい。
国立の目から見て、春休みから今までに、急速に成長して来たのは、優也と潮の二人である。
潮などは普通科で、しかもおおよそ学年ベスト10に入るぐらいには頭がいい。
そのあたりは今のキャプテンである耕作と共通している。
まだ気が早いが、再来年のキャプテンには、潮がつくのがいいのかもしれない。
「次の週末は、いよいよ東京遠征だ」
立派なグラウンドがあるため、白富東に乗り込んでくるチームもそれなりにいるのだが、他県の有力校であっても、本命レベルではない。
そういった本命レベルとは、やはりこちらから出向いて対戦するのだ。
東東京の甲子園常連校、帝都一。
東北から遠征してきた仙台育成の二校を相手に、練習試合が行われるのである。
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