第17話 もう一つの因縁
どうしても勝ちたい相手がいる。
それは、どうしても勝たなくてはいけない相手である。
なぜか。
自分の選択を、間違っていなかったものにするためである。
関東大会一回戦を突破した白富東は、準々決勝で前橋実業と対戦する。
投手戦と言うよりは、お互いが堅く守った試合であり、それでも得点力は守備力を上回り、5-3というスコアで白富東が勝利した。
これで関東ベスト4進出。
そして対するは春のセンバツベスト4の、東名大相模原である。
神奈川は全国屈指の激戦区であり、チーム数こそ千葉とそれほど大差はないものの、甲子園優勝回数では圧倒的な差がある。
かつては神奈川を制する者は全国を制すと言われたぐらい、強豪名門古豪がひしめく、大阪以上とも言われる県である。大阪の場合は大阪光陰と理聖舎が、現在はほぼ二強、特に大阪光陰が最強であるので。
東京に隣接しているというなら、千葉もその条件を満たしているが、おそらくその県別実績に差があるのは、地理的要因か。
まあ愛媛のような野球熱に取りつかれたところもあるが、神奈川の場合は東京にも近く西へも移動できるので、選手が集めやすいのか。
そしてこちらは、やはり白富東の一人と因縁があった。
本来なら正志が進学していた学校である。
「へえ、なんで変えたの?」
微妙な理由がありそうなのに、平気で悪気なく問い合わせてくるものが、高校生レベルでは普通にいる。
正志は少し考え込んで、無難なところを答える。
「母さんが病気になって、妹もまだ小さいからな。婆ちゃん一人に任せるのも難しいから、俺もこっちに進路変更したんだ」
まずいことを聞いた、という表情になる質問者であったが、優也は無表情な正志の背中を叩く。
「その判断が間違いじゃなかったことにしてやろうぜ。俺が甲子園に連れていってやる」
「お前だけじゃなくて皆でやればいいぞ。甲子園に行って、ついでに東名大相模原に当たったら直接対決で判断は正解だったと証明してやる」
キャプテンである耕作は、都合のいいことをいって、チームをまとめるための発言とした。
ポーカーフェイスの正志だが、少し照れくさそうな顔をしていた。
なお、勘違いされていることだが。
特待生が内定したのに家庭の都合で辞退した正志に、東名大相模原は何も文句は言っていないし、担当したスカウトはむしろ励ましてくれている。
そこから新しくもう一名の選手を探していった東名大相模原は、むしろこちらも被害者である。
悪いことは何もしてないのである。
それでもチームの団結力が高まるので、ツッコミを入れない国立や耕作、さらに潮などであった。
正志の活躍は当然ながら東名大相模原にも知られていて、逃した魚は大きいな、と首脳陣の間では思われていた。
世の中にはタイミングというものがある。
病気の発覚が一年早かったり遅かったりすれば、正志は東名大相模原で取れていただろう。
千葉県のシニアを代表するバッターで、肩は強いのでピッチャーとしてもある程度投げていた。
それでもやはり魅力だったのは長打力だ。
スカウトは多くの選手を見るが、その家庭環境などにも配慮する。
高校生の年頃の男子などは、たとえ寮生活を送るといっても、家族の心の支えがないと難しいからだ。
もっとも野球さえやれればいいという、単なる野球バカも大勢存在するが。
真面目で責任感が強く、それでいてプレッシャーへの耐性もある。
一つ一つのプレイをちゃんと考えて行い、それでいてガッツもある。
素質や技術だけではなく、人格的にも逸材であったのだ。
それを一年の春から試合に出て、証明し続けている。
白富東の三番を打つというのは、特別な意味があるのだ。
そんな東名大相模原のチームの前に、国立が正志を連れてやってきた。
正確には挨拶に行く正志に、国立が着いてきたのだが。
「監督、お久しぶりです」
名将と呼ばれる小原監督は、甲子園への出場経験どころか、全国制覇の経験さえある。
国立は部長としては全国制覇のシーンを見ているが、采配を取っていたわけではない。
小原は人をしっかりと記憶しているタイプの監督だ。
「おお、白富東で頑張ってるんだな」
その視線にはどこか柔らかいものがある。
逃した魚は確かに大きいのかもしれない。
だがそれに対しての影響力があるのは、悪いことではない。
正志には約束をしてから断ったという負い目があるし、それはそれで試合に影響が出るなら攻めるべきポイントだ。
内心では忸怩たる思いがないではないが、それを表に出すような迂闊さはない。
若年の国立に対し、自分の方から握手を求める。
「敵と味方になってしまいましたが、若い選手は野球界全体の宝です。いい試合にしましょう」
「胸をお借りします」
こうして極めて穏当に、両者の面談は終わった。
相模原相手の先発には、ぜひ投げてみたかった優也である。
だがここは意地を通す場面ではないだろう。
投げられるものなら、全部の試合で投げてしまいたい。
だがさすがに相手が強すぎる。
同じく関東の強豪とは言っても、東名大相模原と白富東では、平均的な選手のレベルと、選手層が違いすぎる。
打線もクリーンナップだけはそれほど見劣りしないが、相模原は普通に下位打線もガンガンと打ってくる。
そしてピッチャーが、エースは150kmを投げてくるし、サウスポーで140km台後半を投げてくる選手がいる。
三番手四番手と、全てが千葉県内のそこそこ強いチームでも、間違いなくエースが務まるレベルだ。
それどころか白富東に来てくれれば、エースとして通用する。
ピッチャーとしての分かりやすいデータが、そのまま本当のピッチャーの力につながるわけではない。
それに相模原はそんなピッチャーを何人も抱えていても、春の県大会で負けている。
ただ敗北した相手が横浜学一なので、戦力が落ちたとも言えない。
センバツで疲れたエースを温存した結果、敗北を許容したと言っていい。
神奈川の春の大会は、ベスト4まで勝てば充分なのだ。
どのみち夏のシードは取ってあるし、関東の県外の強豪と戦えるのは、センバツの実績から分かっていた。
事実白富東相手にも、先発は三番手を送り出してきている。
対する白富東は継投を前提として、まずは先発は二年の渡辺。
一年生が入ってくるまでのパターンとしては、三年の永田が先発で投げて、耕作か渡辺のどちらかを中継ぎと抑えに使ってきた。
一番球の速いのが渡辺だったので、永田が標準的なピッチャーとして序盤を投げて、かなり変則的な耕作が中盤からを投げる。
そしてストレートの速い渡辺を耕作の後ろに持って来ることで、球速差で相手を惑わしたのだ。
だが耕作に相手が合わないと、そのまま最後まで投げさせることもあった。
ユーキ卒業後、白富東には絶対的なエースがいない。
キャプテンである耕作が一応は背番号1を背負っているが、明らかに軟投派で、三振をバンバンと取れるタイプではない。
国立の見る限りでは今年の夏はまだともかく、来年の夏には1番を背負うのは優也だろうと思っている。
ただこの夏にはさすがに、間に合いそうにない。
選手たちもこの試合、国立が継投を宣言しているのは聞いていたが、どういう順番かは聞いていない。
耕作が投げて相手のバッターを惑わすことは、今までもやっていた。
そこから部内一の速球派が、最後にまた交代して相手を封じるのだ。
先行を取れたのは幸いであった。
渡辺は140km近いストレートを投げる速球派だが、相模原相手にマトモにいって通じるほどではない。
まずは先制点を取って相手の鋭気を逸らす。
舐めているわけでもないだろうが、三番手ピッチャーを先発させているところに勝機があるだろう。
白富東の先頭は三年の九堂。
ヒットメイカーでありリードオフマンとして、白富東の先陣を切るトップバッターだ。
この九堂に対して、相模原バッテリーも慎重に入ってくる。
常時140kmのストレートを投げ込んでくるピッチャーであっても、そのぐらいなら白富東は慣れている。
ユーキは150kmオーバーを投げていたし、それ以外でも甲子園では同じ150kmオーバーと戦ってきたのだ。
この初回の攻撃が重要だとは、白富東の全員が理解している。
九堂もまた出塁を重視して、一打席目はヒットを狙わず、ピッチャーのボールをカットしていくことを考える。
調子に波がある悠木に加えて、正志がクリーンナップに入ったことで、ここでの得点力が大幅に上がったのだ。
去年の秋にはそこの得点力が足りず、ピッチャーの失点以上に点を取ることが出来なかった。
夏までには、と上級生たちははっきり認識している。
一年生から投打で、一人ずつ傑出した選手が出てきた。
下級生からの突き上げで上級生の実力が上がるのは、野球だけに限ったことではない。
ただ野球は他のスポーツと比べても、ポジションが周囲と上手く連繋を取る必要は少ない。
ピッチャーなどはスピード、コントロール、そして一つか二つの変化球があれば通用する。
なかなかピッチャーだけはスポーツ推薦でも、入ってこないのが現状なのである。
10球粘った九堂であったが、最後はカットを失敗して内野ファールフライでアウト。
ただ球筋などはしっかりと見てきた。
「打てない球じゃないな。だいたい球種も情報通り」
そしてネクストバッターサークルに入る正志にも、同じように伝える。
ベンチで国立に報告し、ならばやることは変わらない。
相手がエースを投げさせないなら、白富東の打線でどうにかなる。
そのためにもやはり、まずはランナーに出ること。
だが二番の長谷川も、粘っていくつもりだったのだが上手く打たされた。
これで打席に立つのが三番の正志である。
変化球はスライダーとカーブだが、あくまでもコンビネーションの中で使ってくるだけ。
基本的にはストレートの球威に頼ったパワーピッチャーだ。
マシンの160kmよりも、人間の140kmの方が打ちにくい。
確かにそれはそうなのだろうが、160kmに慣れていたら、目がしっかりとボールの軌道を捉える。
一番と二番には粘っていくように伝えた国立だが、三番以降はその打席の中で打てしまっていいと言ってある。
まあ悠木などは何を言っても、打てる球は打ってしまうのだが。
カーブは微妙なフォームの違いでおおよそ区別がつく。
問題はスライダーとストレートの違いだ。
さほどの威力はないスライダーだが、それでもこれで右打者からは三振が取れる。
あとはスライダーを下手に狙わず、ストレートを待つのみ。
それでもスライダーをゾーンに投げられたら、カットしていけばいいのだ。
外れるボールが二球続いたあと、胸元へ食い込んでくるストレート。
だが右ピッチャーのストレートなど、世界で一番多く投げられているものだ。
根元近くで捉えた打球は、サードの頭上を抜けて三塁線を切れていく。
レフトがちゃんと回りこんで捕球したが、それでもこれでツーベースヒット。
ツーアウトながら得点圏で、悠木に回る。
「うむ、見事なり」
そう言って悠木は、また右中間を抜く長打を放つのであった。
先行は白富東。
一番欲しい一回の表に、白富東は先制に成功した。
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