第16話 ふられた男

 千葉県の県営球場で行われる関東大会の一回戦。

 春日部光栄は埼玉県の名門私立で、平成以降に甲子園を目指す有力校になった。

 埼玉県での序列は、年によって前後するが、おおよそは三番手。

 春夏合わせて10日以上の出場を誇り、最高は夏の準優勝。

 しかし低迷していた時期もある。


 現在はまたその低迷期を脱して、戦力がそろった時には、甲子園にも出ている。

 だが問題はしっかりと残っているのだ。


 普段はコーチングスタッフの一人であるが、同時にスカウトも行う人間が、強豪私立の春日部光栄には複数存在する。

 今日もまたスタンドから、スコアをつける役割をしている。

 試合前には白富東のスタメンを見て驚いたものだ。

 去年の夏のセレクションで弾かれた、山根優也が先発していたからだ。

(わざとか?)

 千葉県大会の準決勝で完投した映像を、彼もまた見ていた。

 そして確信した。やはり自分は間違っていなかったと。


 野球特待生は五名まで。セレクションによるスポーツ推薦も、取れる数は決まっている。

 中三の夏に130kmが投げられるピッチャーを取らなかったのは、同じように130kmが投げられて、しかもサウスポーのピッチャーがいたからだ。

 しかし潜在能力は、明らかに優也の方が高かった。

 問題であったのはフォーム、コントロール、変化が微妙であったスライダー以外の変化球。

 それらの欠点は全て、逆に言えば伸び代になる。


 不合格だと知らされた時、どうしようもないとは分かっていたが抗議したものだ。

 しかし現在の監督には、選手獲得の最終決定権がない。

 学校側のお題目として、現在は文武両道を目指すのが健全で、著しく学業成績が悪い場合は、セレクションの結果にも関係する。

 それはスポーツだけしか出来ない人間の選択を狭めているのではないか。頭のいい人間は、基本的にはどこの私立にも行ける。

 下手な文武両道などという意識が、選手獲得の妨げになっている。


 監督もまた現在の方針には反対である。

 そもそも私立強豪の野球の監督とは、チームを甲子園につれていくことだ。

 それを他の理由で、戦力補強を邪魔されたのではたまったものではない。

 学業に問題があるなら、学校側でそれをサポートすればいい。

 だいたい特待生はそんな基準では取っていないのだ。どうしてセレクションにはそんなことを求めるのか。

 まさにダブルスタンダードだが、それほどの価値がないと選手を判断するからこそ、傲慢に切り捨てることが出来るのだろう。


 最初に甲子園を目指していた頃は、全てのリソースを野球にかけることが出来て、とても幸せだったと監督は言っている。

 だがもう年齢的なこともあり、そういったこととまで戦う気力が残っていない。

「俺ももう今年当たりで限界だからよ。その後にお前がやれや」

 そう言われて今日の試合を見てみれば、学校側の方針によって落とした選手が、先発で出ているではないか。

(いっそのこと負けてくれた方がいいな。その方がやりやすい)

 シードも取った春の大会で、最後まで勝ち進む必要はない。

 確かに県外の強豪と公式戦を出来るのはいい経験であるが、あまりデータを見せたくないということもあるのだ。

 セレクションで落としたピッチャーに負けたら、さぞ居心地が悪くなるだろう。


 しかし投球練習から、いいボールを投げている。

 欠陥だらけだったフォームを、入学前の春休みからにしても、三ヶ月ほどでここまで矯正したのか。

 白富東からは化け物のようなピッチャーが何人も出ている。

 この数年間でピッチャーを一気にここまで仕上げるようになってきたのは、そういったメソッドを持っているためだろう。

 試しにスピードガンで計ってみたら、138kmが出ていた。

 投球練習でこの数字ということは、おそらく試合では140kmを出してくる。

 

 去年の夏は130kmだった一年生ピッチャーが140kmを出す。

 白富東は公立で、県外からいい選手が入ってくる可能性はまずない。

 逃した魚は大きい上に、今後秋の関東大会では、白富東の主力になってくるだろう。

 取っておけば、こんなことにはならなかった。

 本当に、逃した魚は大きい。

 もっとも白富東以外の環境であれば、ここまでの急成長はなかっただろう。




 春日部光栄側では当然ながら、既に問題になっている。

 セレクションで落としたピッチャーが一年の春から、マウンドに立って先発として投げてくるのだ。

 ただ学校と野球部はあくまで別と考え、文武両道の名の元に選別すること自体は間違っていない。

 そういう方針自体がそもそも間違っていると言われればそれまでだが。


「良さそうなのは全部とっておけばいいんだよ」

 そうベンチで不貞腐れている監督であるが、甲子園から離れた時期は彼も春日部光栄から離れていた。

 長年高校野球の監督などをやっていると、政治で野球部が左右されて、色々と嫌な気分になるのは分かっていた。

 それでも低迷していた春日部光栄に戻り、数年かけて毒を抜いていったが、理事長の交代と共にまた方針の転換である。


 三つの私立全てを甲子園に導いてきたが、ここまで足を引っ張られることが続くと、さすがに嫌になってくる。

 他の二校ではおおよそ強くなって甲子園出場を果たすと、コネや出身者で指導陣を固めてこようとする。

 まあ年収が3000万にもなるような、プロのコーチよりも見入りのいい職業なので、仕事と割り切れば我慢できなくもない。

 ただ春日部光栄については、自分が最初に強くしたチームだという自負がある。

 それに愛着もだ。やはり母校というのは違う。


(取らなければいけないやつじゃなく、取りたい選手ばっかり集めてたら、そりゃそうなるわな)

 高校野球で勝っていくには、単純にプラス面の性格評価ばかりの人間を集めていてはいけない。

 ルールの範囲なら相手の嫌がることを、どんどんとやっていくだけの覚悟が必要になる。

 文武両道だの高校野球精神だの、そんなものは犬にでも食わしてしまえばいい。

 白富東のような効率と合理性の野球などは、それをバックアップする研究班や、外部のコーチがいるからこそ出来るものなのだ。


 それにしてもセレクションで落としたピッチャーが先発として投げてきて、取ったピッチャーは一年春だから当たり前だが、スタンドで応援というのも象徴的だ。

 白富東の伝説は色々と知られているが、佐藤兄弟も白石大介も、一年の春から普通にベンチ入りしている。

 ましてSS世代の二年目などは、中村アレックスなどが完全に入学時点から主力の一角を形成している。

(この間まで中坊だったのにベンチ入りはまだ早いってのは、固定観念なのかね)

 他人のことばかりは言えないな、と考えられる監督は、精神的にはまだまだ成長の余地がある。




 この試合、白富東にとっての課題は、優也を調子に乗せすぎないこと。

 そして無理をさせないことである。


 両者の因縁は聞いた上で、国立は結局優也を先発させた。

 優也は負けん気が強く、三振を取りたがる、昔ながらの典型的なピッチャーだ。

 昔の白富東なら、絶対にいなかった存在。

 勘所は鋭いが、あまり自分で考えて行くタイプではないので、すこは上手く誘導していかなければいけない。


 現代野球はフィジカルお化けなだけでは通用しない、頭を使ったものになっている。

 だがその頭脳部分を、外部が担当しても悪くはないはずだ。

 フィジカルがあり、センスがあり、野球頭脳も優れている。

 そういう選手を集めるのがスタンダードになっているが、それだけではチームは強くならない。


 国立の知っている中でも、悟や宇垣、ユーキなどにはそれぞれ大きな欠点があった。

 だがそれを上回る長所を重視し、欠点は隠して弱点は克服する、指導というのはそういうものだろう。

 もちろん優也にも欠点はあり、他の歴代白富東のエースクラスと比べても、かなり大きな欠点だ。

 それでも野球に飢えているという、一番大事な部分は持っている。

 成長で欠点を上回ることが出来ると考えるのが、白富東の野球である。




 一回の表、春日部光栄の攻撃は、先頭打者を上手く片付けた。

 リードオフマンのこの選手を出塁させないことが、最初の課題であった。

 ゴロだと内野安打になる可能性が高いため、フライを打たせる。

 塩谷はしっかりと、そのあたりを考えてリードしていた。


 優也のピッチャーとしての優れた点は、ストレートとスライダー。

 特にそのストレートが、球速よりも球威で優れている。

 元から速いことは速かったストレートだが、フォームを固定化して微調整することによって、フォーシームストレートの回転軸が安定するようになった。

 ホップ成分の多いストレートは、内野フライを打たせるのに効果的だ。

 この初回も一番と二番はそのストレートでしとめ、三番はスライダーで空振り三振と、理想的な滑り出しである。


 一巡目は投げられるかな、と期待している国立である。

 ただ春日部光栄も甲子園経験豊富なチームであり、特に監督は私立三つを渡り歩き、全て甲子園に導いている。

 一番長いのが春日部光栄で、低迷期のチームをまた甲子園を狙えるチームに引き上げたのが、業界内では評価されている。

(あとは先取点か)

 春日部光栄はピッチャー陣もいいが、継投していくスタイルだ。

 今は右のアンダースロー、左、そして右の本格派と、三枚のピッチャーのうち二人を一試合で使うことが多い。

 そして今日の先発はアンダースローである。

(けれど星君の方が上だな)

 持っている球種や、ストレートの球速。

 それらは星よりも上だろうが、ピッチャーの本当に大事なところはそれだけではない。


 今の白富東の得点パターンで一番多いのは、三番の正志と四番の悠木が絡むものだ。

 白富東の三番打者というのは、どうしても特別なものに思えてしまうが、確かにバッターの実力としては、悠木よりも正志の方が上かもしれない。

 ただ悠木はセンスとノリだけで打っているような人間なので、確実性が薄いとも言える。

 しかし悠木は数少ない、自分が打てば勝てるという場面では、ことごとく打つという謎の勝負強さを持っている。

 集中力に波があるのは分かるのだが、それでも極端すぎる。

 なお自分が打っても勝てないという場面では、まずおおよそ凡退する。


 この試合においても、ツーアウトから正志の打席で、強打者ということを知っている春日部光栄は、内野も深く守っていた。

 しかしアンダースローに合わせられずボテボテのゴロを打ったことが、内野安打へとつながる。

 必死で一塁ベースを駆け抜けた正志の姿をみて、うむ天晴れと思う悠木である。


 これは歩いて帰れる打球を打たなければな、と考えて打った打球は、わずかにミスショットであった。

 それでもフェンス直撃のツーベースで、正志は一塁から長躯ホームを踏みに帰ってきた。

 まずは一点先制。

 二塁ベース上でポーズを決める悠木に、苦笑するベンチ内であった。




 優也は一巡目の春日部光栄打線を、パーフェクトに抑えた。

 味方が先取点を取ってくれたが、一点のリードで安堵できる相手ではない。

 ただ一点だけでもリードがあることで、優也はリラックスして投げられる。


 打たれたら死ぬ、ぐらいのつもりで投げたら、はたしてどうなるのだろうと、優也は考えたことがある。

 もちろん実際に打たれても死なない。

 試合に負ければ憂鬱な気分にはなるが、次の試合に向けてまた練習をしていくだけだ。

 ただ、それはいつまで続く?


 高校までか、大学でもか、あるいはプロの世界か。

 誰かにとって当たり前の明日は、誰かにとっては当たり前のようにあるわけではない。

 時間は有限で、人生には終わりが来る。

 そしてそれよりもずっと前に、投げられなくなる瞬間は来るのだ。


 優也がそれを、他人の人生を通じて知れたのは、良かったのかもしれない。

 誰かにとってのとてつもない不幸が、自分の気持ちを変えてくれた。

 礼を言うことも出来ない自分は、ピッチングで結果を出すしかない。


 春の大会では、千葉県で優勝した。

 だが夏までには、強豪私立は新戦力の一年生を、鍛えて出してくる可能性も高い。

 スタンドを見てみれば、見知った顔がいくつもあったものである。

(礼はする)

 他人の大切な人生を、意図的ではないとは言え、繊細な部分に触れてしまったことを。

(俺が甲子園に連れて行く)

 優也は感謝と贖罪の半ばする気持ちで、冷静でありながらも激情を備えて投げ続ける。


 何かがかちりと嵌ったのだ。

 それがなんなのか、優也にはまだ分かっていない。

 それは集中力のスイッチであり、漫然と投げていたボールに、今では全て意思が働いている。

 その結果生まれるのが、コントロールだ。

 投げ込む意思の力が、ボールに働いている。

 優也はアスリートとしての、一つ上の段階へと至った。




 二巡目の春日部光栄は、いやらしい采配をしてくる。

 初球は打ちにいくことはなく、とにかくボールを投げさせるのだ。

 ストレートや変化球、より試合中に観察して、攻略の糸口を探る。

 今年の戦力は甲子園を充分に狙えるものだ。

 その戦力でもって、やたらと元気のいい一年生を叩いておくのは、秋の関東大会にも影響するかもしれない。


 ただバントの姿勢を見せたり、足場をゆっくり作ったりと、試合を長引かせることを狙う。

 あまりやりすぎると審判に悪印象を与えるが、春の大会は色々と試しておきたい。

 どうせ他県の審判なのだから、嫌われるぐらいの状態でも構わない。

 高校野球は、試合の価値が重い。

 その重さを選手に教えていくことが、監督の仕事である。


 二点目を取られても、春日部光栄は大きくは動かない。

 イニングで決まっていた継投をするが、まだどんなことをしてでも点を取りに行くという、我武者羅にやる段階ではない。

 春日部光栄の底力。

 それは別に、ここで見せずに負けてもいいというものだ。


 一方の白富東としては、ピッチャーの替え時に悩む。

 二点差になって、六イニングが終了した。

 ヒットは打たれたものの散発で、優也には余力がありそうだ。

 何よりも集中力が切れていない。

 七回の途中には球数が100球を超えそうであるが、ここで完投出来たなら、さらに大きな自信につながるだろう。

 下手に自信をつけて、それが慢心になったら困るのだが、今のところは優也をコントロールすることを、難しいと感じることはない。


「百間君、準備を」

 国立はそう言って、優也にも語る。

「七回で球数が100球を超える。そこまでで今日は終わろうか」

「大丈夫っす。最後まで投げられます」

「この試合で関東大会が終わるなら、それでもいいんだけどね」

 日程の詰まった大会で、最後まで勝ちぬくことを考えるなら、消耗を抑えていかないといけない。


 優也はエースになりつつある。

 だがそれが、途中で壊れるようなことになってはいけない。

「それじゃあ一点取られたら交代にしようか」

 なんとなくその提案に、優也は頷いてしまった。




 さらに一点が入った。

 七回を投げて、八回の最後のチャンスに、春日部光栄はスクイズで一点を取った。

 だがそれでランナーがいなくなったところで、耕作に交代である。


 不満そうな顔を隠さず、優也はベンチに戻る。

 あと四つアウトを取れば完投勝利だったが、確かにボールは浮きつつあった。

 ピッチャーらしさを残しながらも、冷静な自分がどこかにいる。

 大会を勝ち抜いていくためには、確かに継投が必要なのだろう。


 そうやってあっさりと継投をした白富東に、春日部光栄は舌打ちをする。

 結局スクイズで揺さぶってさえ、あの一年生は崩れなかった。

 もしあそこからさらに投げて完投勝利でもしていたら、どれだけの大きな経験になったことか。

 そこはだが、この大会をどこまで勝ち進んでいくかで、考えることは違うだろう。

(まあ夏に向けていい経験にはなったし、まだ一年ならこれからも当たることはあるわけだ)

 その時にはもう、おそらく自分は監督でないのだろうが。


 関東大会一回戦、白富東は3-1のスコアで春日部光栄に勝利した。

 春の大会から投げる一年生のことは、徐々に関東レベルで話題となっていく。

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