第15話 因縁

 関東大会に出場するチームは、関東の八都県の優勝校と準優勝校、そして開催地の三位の17が最低数である。

 実際は春のセンバツのベスト4以上に残っていると、そのチームに無条件で参加資格が与えられる。

 たとえば今回は、東名大相模原がそうであり、18校によるトーナメント制となる。

 なお東名大相模原は先日行われた神奈川県大会では準決勝で敗れたのだが、それでも神奈川一位扱いで出場出来るのだ。


 そしてトーナメント表が作られて、各チームに周知されると、あれこれと展望が述べられる。

「初戦は春日部光栄か」

「埼玉二位ね。花咲徳政が一位で、まあそこは変わらないな」

 センバツに出場したチームは、そのまま夏も強いことが多い。

 一年生が入ってくるといっても、主力の上級生は変わらないからだ。

「それに勝ったとして……前橋実業?」

「たぶんそうだろうな。準決勝まで勝ち進めたら、もうどこが勝ってもおかしくないけど、東名大相模原が最有力か」

「春は負けてるんだよな?」

「つってもセンバツベスト4だろ? 調整不足だったとかそういうこともあるだろうし」

「反対の山からは帝都一かヨコガクだな」

「それこそどこが来てもおかしくないよ」


 他の部員が関東大会について好き勝手言っている中で、優也だけは特別な気持ちを持っていた。

 一回戦の相手が、正確には初戦の二回戦の相手が、春日部光栄。

 一方的な因縁であるが、セレクションで優也を落とした学校である。




 県大会の決勝から、関東大会まではおよそ二週間。

 試合会場は三箇所で、一回戦から決勝まで、休みなく一気に行われる。

 ある意味甲子園よりも、優勝することは難しい。ピッチャーが二枚でも足りなくなる可能性があるからだ。

 ただそれでも、私立の強いチームは、それなりのピッチャーを用意することが出来るのだ。


 国立としては準決勝、優也のピッチングが見事だったとは思う。

 元々身体能力が高いのは分かっていたし、練習ではいいボールを投げていた。

 だが実戦で練習以上のピッチングが出来るとまでは思わなかった。

 三回まで投げればいいというのは、本音であったのだ。

 それがちゃんと、失点をした上でそこから立て直した。

 ブロック予選や、さらに言えば一つ前の試合から比較しても、急激な成長が見られる。


 これだから高校野球は面白い。

 三里時代、あっさりと白富東に片付けられた三里が、センバツにまで出場した。

 あれで国立は名将扱いされるようになったが、全ては選手たちが頑張ったからなのだ。

 もちろん運もあったが、指導者が選手たちにしてやれることは、多そうで少ない。

 何かのきっかけで一気に上達するというのが、高校野球の醍醐味なのである。


 クラブハウスにはコーチ用の小さな部屋がある。

 監督である国立、そして部長に加えて、外部からのコーチ陣などしか入らない部屋だ。

 誰もいない時は鍵のかかっているこの部屋の扉を、ノックする者がいた。




「先発志願ね……」

 優也の睨みつけてくるような視線を、国立は分厚い面の皮で受け流す。

「ダメならいいっす」

「理由は?」

「必要ですか?」

 長くなりそうだな、と思った国立は、優也も椅子に座らせる。


 国立としては選手の自主性は、出来るだけ重んじてやりたい。

 だがピッチャーの先発志願というのは、自主性とはまた違うものだとも思う。

 現在の白富東においては、一番ピッチャーとしての才能に優れているのは、間違いなく優也である。

 だが一年生の春から完投までさせたと言っても、あれは国立が許すギリギリだ。


 関東大会でも、どこかで投げさせるつもりではあった。

 ざっと調べたところ、別に春日部光栄戦でも、それはいいのだ。

 だがあえて優也の方から言ってきたことに、困惑を感じる。


 優也はプライドの高い、ピッチャーらしいピッチャーだ。

 シニア時代の因縁とか、そういうような分かりやすい理由であるかもしれない。

 ただ下手に気負って投げてしまえば、せっかくここまでいい感じできた成長曲線が、減速のカーブを描いてしまうかもしれない。

 なので理由を知った上で判断したいのだが、明らかに優也にはその意思がない。

「私もまだ、相手のチームの詳細を調べてないから、誰を先発させるかは約束出来ない」

 優也のようなストレートとスライダー主体のピッチャーは、左打者が多ければ相性が悪い可能性が高い。

 そのあたりも調べた上で、ちゃんと判断しないといけない。

「ただ、その言葉は憶えておくよ」

 国立の言葉にとりあえず、納得はしたが満足はしていない優也である。


 春日部光栄のチームに、シニア時代のライバルがいるとか、そういうことなら分かりやすい。

 だが同学年であれば、春日部光栄の選手層から、一年の春に公式戦に出てくることは考えづらい。

 年上というのも可能性は薄い。シニアである中学生の頃は、一番年齢で能力差がはっきりする頃だ。

(こてんぱんにやられて、仕返しがしたいとかかな?)

 シニアは部活軟式に比べて、チーム数が少ない。

 なので普通に、弱いチームとかなり強いチームの対戦がある。

 そんな試合の中で負けているとしたら、さすがに調べるのは無理である。

 出身シニアまではデータに分かっているが、そのシニア時代の細かい戦績までは残っていないのだ。


 それでもネットで、過去の公式戦の対戦組み合わせなどは、ある程度調べた。

 なんだか微妙そうな問題だったので、他の者に任せようとは思わなかったのだ。

 だが調べる限りでは、どうもそのようなものは見つけられない。

 そこで国立は一年の中から、優也ともある程度仲の良さそうな潮に聞いてみる。




 こういったことは、選手同士の後の信頼関係にもつながる。

 だから秘密の内容を洩らさない人間を、まだ高校生の生徒の間から選ぶのは難しい。

 だが潮はそういった、秘密を管理出来るタイプだと思った。


 普通科であり、学業成績は非常に優秀。

 一年生の間でも、実力は優れている。

 ただ最初は国立も、妙なちぐはぐさを感じたものだ。

 身体能力の高さに、その実力が追いついていない。

 目に気がついた時には、将来のある選手をちゃんと導けて、我ながらグッジョブと思ったものであるが。


 その潮は呼び出された際、端的に答えた。

「山根君が春日部光栄のセレクションを受けて落ちたっていう噂は耳にしました」

 あくまでも短い答えであり、事実のみを伝えている。

 賢い子だなと考えると同時に、単純な理由だな、とも思った。

 さてならば、この問いにはどう答えるだろうか。

「春日部光栄戦、山根君を投げさせたらどうなると思う?」

 前提となる情報は持っている潮である。

 この返答はあまりしたくない。


 優也の成長は、高校野球という環境、特に白富東の指導によるものだろう。

 ブルペンではボールを受けることも多い潮は、優也の成長にもちろん気付いている。

 ただシニア時代にも聞いていた、不安定ぶりが気になる。


 直接対決した時に、完全に鷺北シニアを抑えた。

 正志も一本のヒットは打ったが、他の打席は凡退している。

 あの試合の印象が、潮には強すぎる。

 試合には出られずベンチの中から、その試合を見つめていた。




 潮の返答は、かなり将来を見据えたものであった。

 非常にキャッチャーらしく、ここで負けてでも勝負していいのか、それとも勝負して勝つことを目指すのか。

 視点が指導者層のものであり、明らかにチームの舵取りをする人間のものだった。


 才能には色々な形がある。

 才能などと言ってはむしろ失礼な、努力の形というのもあるのだ。

 国立は一人、チーム全体の今後のことを考える。


 まず大事なのは、夏の大会だ。

 白富東に欠けているのは、間違いなく投手力。

 一番防御率の優れた耕作でも、全国レベルの相手であれば、それなりに点を取られるのだ。

 夏の戦いを制して甲子園に行くには、ピッチャー三枚では足りない。

 もちろん他にもピッチャーはいるのだが、全国区を前提に戦力として数えられるのは三人まで。


 かつて秦野は悟たちの世代では、文哲と山村に加えて、何人ものピッチャーを作っておいた。

 地区大会の楽なところで、少しでも本職ピッチャーを消耗させないために。そしてピッチャーの間での競争を誘発するために。

 国立もまた今の二年生からは、何人かそこそこでいいからイニングを回してくれるピッチャーを作ろうとはした。

 そして肩の強い者には、今でもそれなりにピッチャーの練習はさせてある。


 球数制限が、高校野球にスカウトの価値観を変えた。

 昔に比べればはるかにピッチャーの需要が高まった。絶対的なエースがいるチームであっても、二枚か出来れば三枚、全国レベルのピッチャーを増やそうとしている。

 その結果、ピッチャーの需要と供給のバランスが崩れた。

 優也レベルのピッチャーがスカウトでいなくなっていないのは、白富東にとっては確かに幸運である。

 だがそれだけに、下手に使い潰すことは出来ない。


 国立の頭の中には、まず夏までの予定が詰まっている。

 そしてそれが終われば、秋の大会だ。三年生がいなくなって、今の一二年生で戦う。

 夏を一つの区切りとして考えていけば、二年後には優也をエースとしたチーム作りを、今から布石を打っていかなければいけない。

「乗り越えられるかどうか、微妙な試練かな」

 春日部光栄には、現在微妙な弱点が生じている。

 そこを突けば、試合にはどうにか勝てる気がする。

 これをものにして、成長を促進させたい。


 下手にあせって、せっかくの素材を無駄にしないこと。

 国立は己を制御しながらも、冒険的な選択をする。




 関東大会までのわずかな期間にも練習は行う。

 疲れを残さない調整メニューが主なものだが、優也はやや投げすぎなぐらいには投げている。

 ただ、投げるのが楽しそうだ。

 コントロールが明らかに上がっている。

 メンタル的なものか、メカニックなのかは、本人も分かっていない。

 裕也は身体的素質には優れているが、あくまでも感覚的な人間なのである。


 ブルペンで受けることの多い潮は、その急成長に驚きながらも、投げすぎには注意している。

 球速もキレも、急激に増しているような気はする。

 この短期間に体が出来上がってくるわけはないので、体の使い方が上手くなり、逃げる力が少なくなっていると考えるべきだ。


 少ない球数を投げてもらって、それをビデオでチェックする。

「やっぱり体の開きがゆっくりになって、バッターからは球速以上に、速く感じるようになってると思うよ」

「球速もけっこう140出てるんだな」

 優也は春休みから練習に参加し、かなり自分で自主練もしていた。

 もちろんそれはちゃんと作ってもらったメニューをやっていたのだが、おそらくインナーマッスルが集中的に鍛えられたため、無意識に体のバランスを取るのが上手くなっている。


 左手でのキャッチボールというのも、かなりの効果が出ている。

 既にある程度の形が出来てしまっている右に対し、これまでは当然投げたことのなかった左。

 この左でキャッチボールし、さらにブルペンでもある程度投げるというのは、体の鍛え方を対称にする効果がある。

 すると体軸がしっかりと通り、全身の筋肉の連動が上手くなる。

 ストレッチや柔軟で、稼動域を広げて、フォームを修正していく。

 140kmが安定して出せれば、充分に速球派である。

 これにスライダーが上手く組み合わさっているので、優也はかなり三振が取れるピッチャーになっている。

(才能っていうのは、こういうものをいうんだろうな)

 指導する側も有能なのであろうが、その吸収速度には間違いなく差がある。

 もっともキャッチャーの練習は、ひたすら地味なものが多いが。

 あと、バカには出来ないポジションだという自負はある。


 白富東はかなり合理的に、そして科学的に練習メニューを組んである。

 全体練習は少なく、個人別のメニューが多いのが特徴だ。

 体を作るためのトレーニングも、人によって全く内容が違う。

 この、一人一人に必要なメニューを組むというのが、一番難しいものだろう。

 全国的な強豪の私立であっても、最低限のノルマなどを課していたりはするが、より強くなるために考える時間は足りない。


 考えなければ強くなれない。

 野球もまた他のスポーツと同じく、才能や素質がものをいう競技だ。

 だがスポーツ競技というのは、それが複雑であれば複雑であるほど、才能や素質以上に求められるものが増えてくる。

 それはあるいは、センスというものである。

 かついての潮は、体は出来ているがセンスがないと言われていた。

 ボールを扱うセンスがなくて、おそらく他のスポーツなどの方が、結果が出るのではと言われたものだ。

 実際には生来のハンデを、視力矯正で修正しただけで、結果は出るようになったが。


 迫る関東大会、そしてそれが終われば、夏に向かって一直線。

 まだベンチにも入れないが、潮はしっかりとチームのサポート役として機能していた。

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