第13話 パーソナリティ
三橋シニアの山根優也は、それなりに有名と言えば有名であった。
中学生の時期に既に、130kmオーバーの球速を持ち、切れ味鋭いスライダーを使うピッチャーであった。
チェンジアップとスプリットは、この二つを活かすためのもの。
はっきり言って全国レベルのピッチャーであったのだが、特待生の話は来なかったし、セレクションも落ちた。
基本的に高校のスカウトというのは、その選手が既にある程度体が出来ていることを重視する。あるいは現時点で体格がいいか。
なぜなら高校の三年弱の間に、成長を待ってから指導をするのは難しいからだ。
教育のためではなく、勝利のため。
なんだかんだ言いつつ、勝利して甲子園に行き、学校の名前を高めるのが、私立の最大の役目なのだ。
そして中学生の時点でスカウトが重視するのは、高校三年間で成長するかということ、それに将来性とある程度のセンス。
あとは人格である。
人格と言ってもそこは、聖人君子である必要などない。
むしろ個性の強い方が、選手として大成する可能性は高い。
昔はとにかく選手を集めて、少しぐらい壊れても他の選手で穴埋めをする、そんな環境すらあった。
ただ現在では選手を壊す指導者は無能扱いされることが多い。
人格の中でも、これだけは絶対に許容してはいけないものがある。
敗北を他人の責任にするというものだ。
特にピッチャーにおいては、これが重要なことである。この部分がないと、成長しないと言われている。
優也が特待生の声がかからなかった理由である。
他人の責任にしてしまうというのは、自分の成長につながらない。
お山の大将であろうが、自己管理が出来てなかろうが、自己中心的だろうが、我儘だろうが、そのあたりはどうでもいい。
ただ、自分の責任を認められない人間だけは、チームに不協和音を持ち込み、自分自身も成長しない。
ちなみにセレクションになると、最近では学力も見ることが多い。
野球知能につながるが、自分のコンディションを把握し、課題を見出し、それを修正し検証する。
その考えがないと、成長するのに効率が悪いのだ。
人格を変えるということも、出来なくはない。
それもまた、技術であるのだ。
ただ他の指導に比べると、それは難しい。なので人格に問題があると、特待生としては取ってもらえない。
だが、そんな欠陥を抱えた選手が、ちょっとしたきっかけで変わってしまったら。
それはもう、なんで取っておかなかったんだ、という話になる。
ただ人間の精神的な変化や成長は、野球だけで教えられるものではないのかもとも思う。
少なくともこの試合の優也を見て、何があったのかと不思議に思う者が大半だろう。
優也の球を受ける塩谷も、これがベストピッチだと分かる。
練習でさえも日によって、大きく調子が変わる優也。
だがそれはメンタリティではなく、メカニックの問題だ。
フォームがしっかり固まっていないのに、普段のボールが投げられるわけがない。
ただそれが今日は、しっかりと落ち着いている。
(いや、練習の時よりもずっといいか)
塩谷としても困惑する限りである。
ヒットを打たれても平然として、表情を変えない。
点を取られた時も、大きく息をするだけだった。
完全に自分でメンタルをコントロールしている。表面だけでないことは、ボールを受けている自分が一番良く分かる。
(何が起こった?)
いい変化ではあるが、ピッチャーの状態であれば、全て把握しておきたいと考えるのがキャッチャーだ。
だが塩谷も、おそらく国立もそうであったのだろうが、優也を即戦力とは考えていなかった。
もちろん県大会の序盤などを任せる程度には、高校野球でも通用する球を投げていた。
しかしこれはどうなったのか。
シニアは七回までで終わるので、九回まで投げさせるのはどうか、という考えもある。
明日の決勝のことを考えれば、他のピッチャーを使わなくてもいいならありがたい。
点差もさらに一点を追加して、5-1となっている。
球数は100球を超えた。
一年生に投げさせるのに、あまりたくさんを投げさせたくはない。
だがトーチバ相手に完投勝利したならば、それは大きな成功体験である。
今のトーチバのスタメンには、甲子園を経験した来た者もいるのだ。
単純なフォームの微調整で、確かにある程度コントロールはよくなったし、球質も安定していた。
だが今日のピッチングはそういったものではない。
気持ちで投げているのだ。三年生の最後の夏を迎えた、ピッチャーに多い感触だ。
投げさせすぎ以外は、何も心配する必要はない。
故障のリスクと、獲得する経験のリターン。
ベンチに戻ってきた塩谷から報告を受ける。
「球はいいです。まだ変に無理に投げてる感じじゃないし、スライダーが上手く空振りが取れてますから。最後までいけるとは思います」
決勝が終わってから、関東大会までに、二週間ほどの時間がある。
本格的な故障をしなければ、充分に疲れも取れるだろう。
この調子を保っていけるならば、明らかに関東大会でも戦力となる。
今の白富東は、一応は耕作がエースではあるが、継投でどうにか勝っていく打撃のチームなのだ。
来年と再来年、必ず必要になるエースだ。
だが原因不明の爆発的な成長というか変化は、その勢いのままにしておいていいのだろうか。
国立はグラウンドに視線を向けて、集中力を保ったままの優也に歩み寄る。
「一応はリリーフの準備をさせておくけど、もう今日は最後まで投げてみようか」
「うす」
優也としてもこのままなら、最後まで投げ抜きたいのだ。
ピッチャー経験者の中では間違いなく一番であったため、一日100球の投げ込みはさせてみた。
その中で徐々に、フォームの修正をしていったのだ。
放任主義で聞いてきたら答えるというような、そんな余裕のある選手育成はしていられない。
だが聞いてはいても、なかなか身についていないのは確かだった。
左で投げさせることで、体の開きを抑えることは出来るようになった。
それに体軸や体幹は、トレーニングで自然と身につくものであったが。
春の大会というのは、お試し期間であるのだ。
だがそこで結果を出す者もいる。
一年生の春。だが春休みの時点から、既に練習には参加していた。
白富東の練習時間は短く、それほど選手を追い込むものではない。
だがそれまでちゃんとした指導を受けていなかった者や、無茶な指導を受けていた者にとっては、新鮮なものだ。
この年齢の選手たちは、本当に三日もあれば変わる。
指の動きや手首の腱などを刺激して、意識させて投げるだけで、一日で5kmも球速が変わったという例はある。
優也もまた、その本来の肉体のポテンシャルを、ピッチングという動作に完全には活かせていなかった。
だから短期間で、投げる球が変わること自体は分かるのだ。
だが試合の中で投げるピッチングは、それとは違うものなのだ。
紅白戦はやったものの、それ以外には公式戦で投げさせただけ。
今日のこの試合から、明らかにピッチャーとしてのレベルが上がっている。
それは強い対戦相手との、先輩ピッチャーのピッチングを見ていたからかもしれない。
あるいはそれ以前の、自分の投げた試合から感じてのものかもしれない。
確かなのは、明らかにピッチャーとしての強さが上がったこと。
(夏の大会まで、使えるのはせいぜい一ヵ月半)
関東大会は五月中旬から下旬、そして千葉県の夏の大会は七月の中旬から。
無理をさせるつもりは毛頭ないが、自然に成長して、充分な戦力になると思う。
ブルペンで耕作に投げさせながらも、ずっとそのピッチングを見ている。
基本的にはストレートとスライダー。そしてわずかに落ちるスプリットと、本人はチェンジアップと言っているが、あれはカーブの性質だ。
あまり無茶は言えないが、左打者から逃げる球と、縦のスライダー、そして本当のチェンジアップまで使えるようになれば、完全なエースの出来上がりだ。
いや、本当に贅沢を言っているのは分かるのだが。
今はスライダーを投げすぎないようにして、カーブで上手く緩急を使うように。
スプリットは本当に、わずかに落ちるだけで充分だ。むしろその小さな変化がいい。
ただスプリットも、肘に負担がかかる球ではあるのだが。
終盤まで完全に、指に抑えのかかった球を、優也は投げた。
塩谷のサインに従って投げたカーブが、いいアクセントになってくれた。
コントロールは落ちてきているが、それを球種のコンビネーションでどうにかする。
スタミナ切れが近くても、どうにか抑えるピッチングが出来るのだと、塩谷のリードから優也は感じていた。
今やっているのは、シニア時代とは全く違った、高度な野球だ。
三橋シニアはお稽古事の延長のような感じで、そんなにすごい選手が集まるわけでもなかった。
それでも何人かは使える選手がいて、強いチーム相手でもそれなりに勝てたものだ。
優也の調子がいい時は、であるが。
ブルペンではよく受けてくれる潮も上手いが、塩谷はさらにレベルが違う。
左のサイドスローという変り種の耕作とは比べづらいが、他の上級生ピッチャーよりは自分の方が上になるだろう。
そのレベルのピッチャーでも、塩谷はリードして格上のバッターを打ち取る。
(コースだけじゃなくて、球種のコンビネーションか)
優也にとってのコンビネーションは、ストレートで内角を攻めて、逃げるスライダーで三振を奪うというのが、右バッターに対する方法であった。
そんなわけで左バッター相手には、スライダーは使いにくかったのだ。
だがトーチバには左バッターもいるが、それをちゃんと打ち取れている。
数えていなかったが、三振もかなり多かったはずだ。
八回と九回も、相手には得点を許さず。
被安打五の四死球三で一失点。
堂々たるエース的なピッチングで、トーチバを相手に投げきった。
そしてこの決勝進出が決まったと同時に、関東大会への進出も決まったのであった。
スタンドで応援していた潮は、優也の明らかな変化にも、もちろん気付いていた。
ビデオにも撮影していて、後で動作解析などもするのだ。
おそらく変化したのは、踏み込み足。
ただそれだけではなく、今日は体が早く開いてしまうボールが一度もなかった。
簡単に言えば、集中できていたということだ。
才能がいくらあっても、集中力がなければ難しいのが、野球というスポーツだ。
何かが優也の心理に影響を与えたのだ。
潮はそれが、同じ一年生でありながら、既に主力となっている、正志の存在だと思った。
それを意識しているからこそ、どうして白富東に入ったのかも聞いてきた。
チーム内にポジションは違っても、ライバルがいるというのは理想的だ。
お山の大将でいられる時間などはなく、成長するために練習とトレーニングを続けていく。
二年後には、あのボールを自分が捕るのだ。
そしてエースと四番がいて、今の一年の面子を見れば、甲子園も夢ではない。
いや、むしろ設備や後方支援などを考えれば、いまだに甲子園の大本命であろう。
県大会の決勝で戦うのは、ブロック大会でも対戦した勇名館。
色々と因縁のあるチームを相手に、もう一度戦うわけだ。
そこで負けても、関東大会には行ける。
秋の大会と違い、東京からも強豪が参加する春の関東大会。
まだ決勝が残っているにもかかわらず、それは楽しみな試合になりそうであった。
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