第12話 覚醒する資質

 野球が出来なくても人は死なない、

 野球が出来なくなっても、その後の人生は続いていく。

 ずっとそう思っていた。


 子供の頃から野球をやって、幼い頃は専業主婦の母がグラウンドへ送り迎えをしてくれた。

 中学に入ってからは、それが気恥ずかしくて、自分でチャリを漕いで向かったものだ。

 それでも日曜日に試合などあれば、キャーキャー騒ぎながらビデオで活躍を撮影していたものだ。

 父が長く単身赴任なので、事実上母との二人暮らし、

 ずっとそれが窮屈だと感じで、それでも便利だとは思っていた。


 既に正志は、そういう領域での野球をしていない。

 野球だけをやっている優也と違って、正志はその生活の中に、生き死にの問題を抱えている。

 何か、環境が違う。

 集中出来る自分の方が、有利なはずである。

 だが実際の試合では、正志は完全に、結果を残してきている。


 その精神状態が、優也には分からない。

 だが正志が負けられないとは思っていて、そしてその集中力も想像すら出来ないが、恵まれている自分がいつまでも、試合に勝てないのは違うと思う。




 どんな事情を抱えていようと、グラウンドの中でそれが影響するわけではない。

 しかし負けられないという気持ちを持つのは、いいことだ。それが不自然に重荷にならないのなら。

 そして正志は、どこか危うい雰囲気を持ちながらも、しっかりと結果を出している。


 優也には、背負うものなど何もない。

 野球はチームスポーツであるが、ピッチャーの比重が一番大きい。

 その中で全力で投げてはきたつもりだが、味方のエラーで点を取られたり、いつまで経っても援護がないと、集中力が落ちていったのがこれまでの優也である。

 だから国立は三回までを全力でと言ったし、一年の春の大会であるから、そこまでやれば充分だと本気で思っているのだろう。

 それは分かるが、だが正志にはもっと期待しているのも分かる。


 試合に負けても、死ぬわけじゃないしな。

 それが優也の辿り着いた結論である。

 いかにも子供の考えかもしれないが、正志は死と向かい合っているからこそ、試合のプレッシャーとは無縁でいられるのかもしれない。

 優也にしてもプレッシャーなどに負けたことはないが、ミスによって集中力を削がれることはあった。

 それこそが、まだ子供であったと言うべきなのだろうか。




 千葉県春季大会準決勝、白富東対東名大千葉。

 出来れば先攻を取って先取点を取り、気楽な状態で優也に投げさせたかったと思う国立である。

 だが一回の表、相手の先行であるのに対し、マウンドの優也は落ち着いていた。


 トーチバが千葉の代表として甲子園に行くのは、子供の頃から何度も見てきた。

 それこそ優也が物心ついたあたりからが、トーチバと東雲の二強時代であったのだ。

 そのトーチバに対して、公式戦で投げる。

 春の大会は既にシードを取り、これで夏も勇名館とトーチバとは、ベスト4まで行かなければ当たらない。

 そういう後がある状態が、優也を気楽にしているのだろうか、と国立は考える。


 それもまた一つの事実だ。

 負けても三位決定戦に勝てば、関東大会に進める。

 そして負けても、既にシードは得ている。

 そして負けても、別に死ぬわけではない。


 あいつは負けたら、死ぬつもりでプレイでもしているのだろうか。

 そういう感じではない。だが打席においては気迫と、それを抑える精神力を感じる。

 同学年にこんなやつがいるのは、戦力的にはラッキーなことである。

 だがそれ以上に、何か言語化しえない、感じるものもあるのだ。


(負けても死なないけど、それぐらい悔しい思いをしたいな。いや、違うか)

 負けても、そんなことでは死ねないのだ。

 だがだからこそと言うべきか、命を賭けるぐらいの気持ちで投げてやろう。


 優也が現実的に甲子園を目標としたのは、この試合からであった。




 優也の潜在能力は、分かっていたつもりの潮である。

 スタンドの彼は応援をするのではなく、データ収集の班と共にいる。

 ほとんどが普通科の生徒で占められた研究班。

 試合中にもずっと、データを収集しているのだ。


 そんな潮であるが、明らかに優也の印象が違う。

 もちろんそのパフォーマンスも違う。

(140kmが出てる)

 それが分かりやすい指標であるのかもしれないが、スタンドから見ていても、ボールが何か違うのだ。


 気合は入っている。それは間違いない。

 だがそれを何か、冷たいもので制御しているような気がする。

 具体的には、フォームにブレがない。

(なんだか……正志みたいだ)

 正志が私立に行かなかったことを、潮は質問された。

 はぐらかすようなつもりではなかったが、優也はあっさりとその問いに答えてもらうことを諦めていた。

 何かを知ってしまったのだろうか。

 それが今、このピッチングに影響している?


 潮が見る優也は、かなり気持ちの浮き沈みが激しく、それによってパフォーマンスも変化する。

 シニアで当たった時、完全に封じられた試合もあったが、かき回された試合ではかなりの乱調を見せていたこともあった。

 素質的にはもったいないな、とは思った。入部時に調べた肉体のスペックでは、陸上競技などをするような数字を出していたものだ。


 野球は、特にピッチャーは、精神的なものがそのピッチングに影響する。

 だが優也はその精神的な部分が、安定していなかったのだ。

 リトルのころから負け試合の後、チームメイトと喧嘩をして、他のチームに移った話なども知っている。

 典型的な、問題のあるピッチャーであったのだ。

 打つほうも力があるので、四番でピッチャー。

 しかしながら大振りが多く、長打は打てても安定していなかった。


 ある程度のレベルまでは、一人で打って、一人で投げて勝てる選手。

 だが連投の許されないシニアにおいては、一人では勝ち進めない。

 苛立ちがあったのは確かだろう。しかしこのチームなら、優也のレベルにもついていける。

 三年の夏には、甲子園を目指す。そんなバッテリーになる。

 そう思っていたのだが、この試合からピッチングが変わっている。


 塩谷が頼りになるリードをしているというのもあるのだろう。

 打線がちゃんと、点を取ってくれるというのもあるのだろう。

 自分がやろうとしていた段階に、既に入りつつある。

 それはもちろん、チームとしては嬉しいことだ。




 ベンチの中の国立は、そこまで優也のことを知らない。

 だがこういう大きな舞台で、強敵と対戦することになると、真の実力を発揮する選手がいることは知っている。 

 ストライクから入っていく、強気の投球。

 スピードも確かにあるだろうが、おそらくキレがあるのだ。

 三振もそこそこ奪っているが、それ以上に詰まった打球が多い。

 そして白富東の守備は、堅実である。

 

 甲子園に行くには今の時点のピッチャーでも、どうにかなると思っていた。

 高校野球は一回きりのトーナメントがほとんどの試合である。

 特に夏の大会は、完全にトーナメントの一発勝負。

 ならばそこで多少の実力差は、策略と采配で覆せると思っていたのだ。

 ただ全国制覇には届かないだろうとも思っていた。


 一年生のこのピッチャーの、素質は一番だと分かっていた。

 だが同時に精神面を、技術的に鍛える必要があるだろうな、とも思っていた。

 メンタルは、単に追い込んだりする精神論ではなく、技術的に鍛えることが出来る。

 夏の予選までにそれを繰り返し、ある程度使えるようにする。

 四枚のピッチャーで主に戦う。

 これで甲子園には行けると思っていたのだ。


 何かがあった。

 一日で急成長するのが、高校球児である。

 おそらくはメンタル的なもの。ただ国立は何かがあったことを把握していない。

 一人で考えて、一人で乗り越えたのか。

 とにかくこの試合は、間違いなくエース的に投げている。


 トーチバもこの間まで中学生であったピッチャーに、そうそう負けてはいられない。

 だが小技を使ってきても、しっかりと塩谷が指示をする。

 ベンチに戻ってきても、集中を切らさない。

 そして当初予定の三回の倍、六回を過ぎてスコアは4-1。

 最後まで投げられるかどうかは、微妙なところである。


 だが、集中している。

 この集中が続く限りは、代えるべきではない。

 国立はそう判断して、七回のマウンドにも優也を送ったのであった。


 急激な、指導者も予想出来ない、選手の成長。

 その手応えを、しっかりと国立は感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る