第11話 秘密
運があるな、と国立は考えている。
高校野球においては、案外これが馬鹿にならないのだ。
最も大事な夏の最後の大会は、県大会から甲子園の決勝まで、全てが一発勝負のトーナメント。
たった一つのエラーで一点が入り、涙を飲むことがある。
逆に強打者のミートしたボールが、外野の真正面に飛ぶ。
三里を甲子園に連れて行ったとき、確かに国立は運がいいとは感じた。
だがもちろん、運だけでもなかったはずだ。
高校野球において負けてもまだ先があるというのは、本当に限られた場合だけである。
春と秋の大会は、ブロックである程度勝ち進めば、県大会本戦に出られる。
そして県大会は、本来なら準優勝までが関東大会進出だ。
しかし今年に限っては、開催が地元ということもあって、三位までが出場出来る。
トーチバと戦って勝つのは難しい。
勝ったとしても決勝で出てくるのは、おそらくまた勇名館だ。
ブロック大会で一度負けている相手であり、今度は戦術を駆使して勝たなければ意味がない。
トーチバ相手だと、そこそこの点の取り合いになる。
一年の正志が、ここまで高校野球で適応できるとは思わなかった。
上総総合にある程度の余裕をもって勝てたのは、間違いなく彼の序盤の活躍が大きい。
準決勝と決勝は、よほどひどい負け方をしない限り、次がある。
トーチバとの試合に負けたら、勇名館に負けるであろうチーム、今回の場合は光園学舎との対決となるが、明らかにここはチーム力で上回っている。
そして準々決勝で、上総総合相手に、短いイニングで継投することが出来た。
ピッチャーの消耗はまずない。
地方大会ではピッチャーの運用が、勝負を決めると言っていい。
わずかだが、余裕がある。
ならば試しておくのが、今の国立である。
トーチバは去年のセンバツに出場した。
結果は二回戦負けという、あまり目立たない結果であった。
今年のセンバツは、千葉からは出場はなかった。
だが去年も、センバツは県大会で負けてしまって、夏は優勝して甲子園に行ったのだ。
今年はセンバツにこそ出られなかったが、関東大会までは進んだ。
そしてトーチバとの対戦である。
この大切であるが、負けても次に進める可能性がある試合に、国立は一年生である優也を抜擢した。
「三回まででいいから、全力で投げてきなさい」
そして守備陣は、大変な試合になるかもな、と笑顔で語り合う。
優也としては一年の春から、トーチバと対戦するなどとは思ってもみなかった。
まあ勇名館と対戦した時点で、甲子園に出たチームとは散々戦っているわけだが。
勇名館も一度甲子園に出たきりだが、今年はかなり強いはず。
優也が子供のころは、千葉の代表といったらトーチバか東雲、そして上総総合あたりだったのだ。
千葉県の高校野球の勢力図は、白富東が変えてしまった。
SS世代がおそろしい成績を残したものであるが、そのSS世代が卒業した後も、ずっと夏の大会は白富東が勝ってきていた。
その夏の前哨戦が、この春なのである。
少なくともバックに足を引っ張られることはない。
そう考えながら、優也は溢れる闘志を発散する。
県大会が行われるゴールデンウィーク中、基本的にベンチ入りメンバーは宿泊施設で合宿である。
今さら練習を積み重ねるというよりは、生活習慣の把握と改善が、主な目的である。
あとは食生活をチェックして、変なものを食べないようにするなど。
マネージャーが二人泊り込んで、国立もこの期間は泊り込む。
小さいお子さんがいるのに、ここまでやるのが高校野球だ。
それでも私立に比べれば、高校生活の全てを野球に捧げているとは言えない。
そんな中で例外なのが正志であった。
家が近いということもあるが、宿泊施設に泊まらずに、実家に戻っている。
なんで? と聞くと祖母が腰を痛めて、少し介護の必要があるとのこと。
「なるほど、あいつパワーあるからなあ」
たいがいはそう納得するが、実際は違うことを知っている者はいる。
同じシニアで相談相手になっていた潮。
そして当然ながら国立。
あとは別のルートから知った者もいる。
優也がそれを知ってしまったのは、完全に偶然であった。
調整練習が終わって、個別練習に移るタイミング。
ちょっと休憩とばかりにサボるほどではないが、飲み物を取りにきた時のこと。
クラブハウスの裏手に回って腰を落としていると、窓の開いたクラブハウスから、声が聞こえてきたのだ。
キャプテンである耕作と、マネージャーを統括するマナ。
二年前の全国制覇の時のキャプテンである、宮武の妹である。
この二人はデキてるんじゃないかという噂があり、部内恋愛禁止の野球部でも、ちょっとした秘密となっている。
優也が聞いたのは、デバガメ根性からのものと思って間違いない。
深刻そうな声に、やはりそういう関係なのかとも思うが、後に優也は当然のように後悔した。
「すると、やっぱり可能性は」
「うん、もってあと三ヶ月ぐらいだって」
「三ヶ月か……」
これはマナの母親が看護師だからこそ知りえたことであり、マナが知ってしまったのも偶然のことである。
そしてマナもまた、耕作にだけは伝えたというか、聞いて欲しかった。
耕作が口が堅いことは、ちゃんと分かっているので。
やるせない声で、耕作も話す。
「うちも農家やってるから、子供の頃に曾婆ちゃんが死んだけど、母親ってまだ若いよなあ」
「若いと逆に進行が早いって言うし」
「それで妹の面倒も見たり、婆ちゃんの世話もするわけか。大変だよな」
「病気って、家族全体が大変になるからなあ。うちの曾婆ちゃんも癌だったけど、もう緩和病棟ってのに入ってたし」
「うちのお母さんもそこに勤めてる」
これは、聞かない方がいいことだ。
そう分かってはいるのに、動けない優也である。
「母親がいなくなるって、ちょっと違うよな」
「うちも共働きだけど、全然別だと思う」
「それにしても、三ヶ月かあ……」
耕作の場合は田舎の農家は、だいたい年配の人がしていることが多い。
なのでそれなりに、葬式に出席することはある。
集落の中には、四親等から五親等ぐらいまでの親戚が、けっこうな数いるからだ。
三ヶ月。
現在の医療では、およそ癌などは、助かるか助からないか、助からないとしたらどれぐらい生きられるか、かなり分かっている。
三ヶ月というのは今から数えれば、県大会が終わって甲子園が始まる頃。
ぎりぎりの時間である。
「薬とかはもうないの?」
「一応最後の種類を試してるけど、多分無理」
関係者にとっての真実と、医療従事者の客観的な事実は、全く別のものである。
家族は最後まで信じたいものなのだ。だが医者も看護師も、おおよそは分かっている。
奇跡は起きない。
起きるとしてもめったに起きない。
そんな奇跡が都合よく起こるとは、思わないのが医療従事者である。
「まあ、俺たちに出来る事は、メンタル的なフォローかな」
「うちらもそれとなく、一年生二人には心配りするようにするし」
「そうだな。山根のやつも図太いところもありそうだけど、基本的には繊細らしいし」
「ピッチャーだよねえ」
話が自分のことに及びそうで、優也はその場を後にする。
もっとすぐに、聞かなかったことにしておきたかった。
なんでこんな、面倒なことを知ってしまったのか。
(けどあいつは、弱いところは見せないよな)
同じ一年生とは言っても、正志は完全な主力扱いだ。
クリーンナップを形成し、確実に主戦力となっている。
スポ薦の試験の時には、測定するものが瞬発力系が多かったため、優也の方がいい成績を残している。
だがフィジカルの素質はともかく、野球が上手いのは正志の方である。
合宿中はベンチ入りメンバーは泊まりこんでいるが、調整練習には他の部員も当然出てくる。
正志は同じ一年で、同じシニアだった潮と、よく組んでいる。
潮はなんというか、周りをよく見るタイプだ。
優也としても投げていて、投げやすいなとは感じている。
先発を命じられた優也は、少しだけ投げておきたかった。
潮ではなく、正捕手の塩谷の方がいいのかもしれないが。
ただここでは、潮に投げてみたかった。
「先発って聞いたけど、打たれても大丈夫だと思うよ」
「打たれる気はねえよ」
こちらのプレッシャーを軽減させてくれるつもりなのかもしれないが、優也はただ、投げておきたかったのだ。
甲子園出場校レベルの打線に、自分の力が通用するものなのか。
勇名館にチームは負けていたが、トーチバは勇名館より、さらに強いと言われている。
だいたいシニアの連中にしても、地元で進むなら勇名館かトーチバと言っていたものだ。
特にトーチバの場合は大学の付属でもあるため、親御さんからの安心感も強いらしい。
優也はなんだかんだ言って、自分の力で進路を決めた。
面接や作文など、どうしてそんなものが必要なのかは、野球をやる上では疑問ではあった。
内申書も必要だということで、正直本当に実技だけで受かるのかは、不安になっていたものだが。
白富東は口だけではなく、本当に実力だけで選手を取る。
それが証明された。
まあ過去に鬼塚という例があるので、ちょっとやそっとの問題児なら、問題はないという考えだったのかもしれない。
ブルペンで優也の球を受ける潮は、なんだか少し変わったな、と思った。
もちろん日々、成長し続けているのが高校生である。
今日のこのピッチングにしても、調子を見つつ短めに終わるように考えている。
とりあえずストレートもスライダーも、よくキレている。
能力的なことを言えば、トーチバ相手でもそれなりに通用するはずなのだ。
ただ名門強豪というのは、ピッチャーへの揺さぶりを自然としてくる。
そこと対決するのに、優也では心配だったのだが。
30球ほどを投げると、それで調整は終わりである。
もっと投げたいという気持ちはあるが、そこはコーチに厳密に決められている。
アメリカ帰りのコーチは、基本的には練習のさせすぎに気をつける。
優也のフォームにも簡単なメスを入れたが、本格的な修正に着手するのは、秋が終わってからになるだろう。
「なんかあった? ボールの質が変わった気がするけど」
潮は聡い。優也のわずかに変化したボールにも、気がついてくれるのか。
「いや……そういやお前、児玉とは同じシニアの出身なんだよな?」
「シニアもだけど、学校も一緒だね」
「なんであいつ、私立行かなかったんだ? ヨコガクだかどこかから誘いがあったんだろ?」
潮がどこまで知っているのか、優也は知らない。
なのでこういった、遠まわしな聞き方になるのだが。
潮は本当に、こういうことに聡い。
だが秘密を守ることには適しているので、迂闊なことも言わない。
「家庭の事情だよ。年の離れた妹さんもいるし」
この言い方では、真相を知っているのか。
確かに潮には、何かを相談したくなる、不思議な雰囲気があるが。
だが今はそんなことを問い詰める時ではない。
自分は明日の試合で投げるのだ。
チームメイトの事情は、優也はそもそも気にしないタイプだ。
それが正志だから気になるのだ。
雑魚であればチームメイトのことさえも、かなりあっさり忘れる優也。
だが正志の存在は、無視できるようなものではない。
「甲子園まで、あと三ヶ月ちょいか」
「夏の予選までは、二ヶ月ちょいだけどね」
「……短いけど、長いよな」
優也はそう言って、体幹トレーニングのメニューに移っていく。
事前に知らされていたよりもずっと、優也は繊細なピッチャーだと思う。
ピッチャーというのは、誰だって繊細な部分を抱えているものだろうが。
(どこかで知っちゃったのかな)
潮としては、それがどういった影響をピッチングに与えるのか。
考えても仕方のないことだが、こういった方面からの優也への心理的な影響が、どういったものであるのか。
気になるし、問題でもある。
だがベンチにも入っていない潮には、さほどに出来ることもない。
フリーバッティングの打席に立つ正志を見る。
その抱えている問題をぐっと抑えて、野球に集中する。
(頑張れ)
内心でそういう程度のことしか出来ない。
潮は正しい意味で善良で、そして無力な存在であった。
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