第9話 妖怪爺
この大会の白富東は運が悪い。
大物食いで有名な、上総総合と対戦するからだ。
これがせめてベスト4であれば、今年は三位決定戦がある。
夏に向けて県大会までは、もう三ヶ月を切っている。
この間にどれだけ、選手たちを成長させることが出来るか。
そして上総総合の鶴橋は、夏に勝ち抜くためになら、春は罠を仕掛けることもある。
間違った情報を出して、夏の戦いに備えるのだ。
もっとも白富東の場合は、研究班という名のスコアラーが優秀である。
カメラを持ってしっかりと、他の球場の試合も確認しに行っているのだ。
勇名館とトーチバが普通に残っている。
ここを勝ちあがって決勝まで行き、関東大会を目指す。
準決勝で負けての三位決定戦は、あまり考えてはいない。
関東大会に出場出来れば、二試合ほどは戦いたい。
それ以上はピッチャーの負担などを考えても、あまり無理をさせたくないのだ。
国立が思っていた以上に、春の時点のチーム力は高い。
それは一年生のベンチ入りメンバー二人が、想像以上に使えるからだ。
正志はクリーンナップとして、三番か五番を打つことが多い。
ただ悠木がムラのあるバッティングをするので、出来れば五番においておけば、その後に残ったチャンスを活かせるのではないか。
あるいは三番において、チャンスをその時点で得点に結び付けてしまう。
どちらにしろ、計算できるバッターだ。
それに正志は、メンタルの背景が強い。
練習を休む時があるために、それなりの事情を知らされているが、打席に立つ正志には、どこか悲壮感がある。
絶対に言えないことであるが、母親の病気というのは正志にとっては、成長する要因ともなってくれている。
一打席における集中力が、間違いなく高いのだ。
何も考えずにバッターボックスに入るのではなく、一つのことに頭を占められながら、打席では感覚で打つ。
シニア時代の成績と比べても、明らかに今の方が集中力の限界が上がっている。
もう一人の優也は、まだこれからの選手だ。
ただ現時点での球速が、MAX140kmを超えた。
おそらく順調に育てれば、三年の夏には150kmが投げられるようになるだろう。
ただ球速だけを求められても、それはそれで困るのだが。
今日の試合には出さないつもりだ。
出すとしてもピッチャーとしての登板ではなく、バッターとして出すだろう。
だがこちらの方はボール球にも手を出してしまい、確実性が薄い。
ピッチャーの継投のタイミングで打席が回ってきたら、代打としてそこで出す。
そして続きのピッチャーにまた代えるという、そういう使い方になるだろう。
本日の先発は二年の渡辺。
球速は140kmに満たないが、それでも充分にエース級のピッチャーではある。
だがやはり上総総合相手には、耕作を中盤から使っていく必要があるだろう。
左のサイドスローで、130kmが投げられる。
本格派ではないが、エースとしての要件を満たしている。
だがこういった変則派を打つのは、上総総合の選手と言うよりは、監督の鶴橋が得意そうなのである。
先攻を取られてしまったが、そこはあまり問題ではない。
上総総合とのピッチャーの比較をすると、今日はそこそこの点の取り合いになるだろう。
ただ上総総合は、もっといやらしく考えていくだろう。
鶴橋はフェアプレイ精神は持っているが、マナーにはあまり関心がないタイプなのだ。
そして上総総合のベンチからは監督の鶴橋と部長の北村が、ベンチの中を窺っている。
北村としてはあの味気ない、母校のユニフォームを敵に回しているのが、少し不思議な感覚である。
だが来年度の北村は、白富東への異動が内定している。
今度は母校の部長をするのだ。
そのためにも今は、鶴橋の元で学ぶ。
やがて国立が異動すれば、自分が白富東の監督となるのだ。
大学野球では神宮で、気持ちよくプレイしてきた。
あの下級生のバッテリーのおかげで、大学では日本一を味わえたのだ。
だがそれでも、特別だと思えるのは甲子園。
今度は監督として、甲子園に行きたい。
上総総合もまた有力ではあるが、鶴橋自身がかなり、今年は無理かもしれないとは言っている。
北村などからすれば、無理かもというのだから、逆に勝算もあるのだろうが。
鶴橋の持っている感覚は、勝負師の感覚であるが、これは秦野と似たようなものである。
高校野球の監督というのは、普段は厳正な管理者であるが、公式戦の場においては、計算を度外視した考えを持たなければいけない。
北村が見る限りでは、その博打打の性質は、国立よりも鶴橋の方が優れているのではないかと思う。
そうでもなければ公立校を率いて、何度も甲子園には行けなかっただろう。
だがさすがに各校がそれぞれの強化をしている現在は、甲子園は遠くなっている。
「まずはよ~、先制点のためにはよ~、先頭打者だよな~」
鶴橋はチーム力では、白富東の方が上だと判断している。
ここまでの成績を見た限りでは、明らかに打撃力は向こうの方が上だ。
だが絶対的なピッチャーがいないというのも、確かなことではある。
白富東はあの劇的なサヨナラ負けの夏から、強力なピッチャーが常にいた。
だがユーキが卒業してから、外国人枠ともいえる、留学生や帰国子女枠で、反則のような選手を取ってきたりはしていない。
三人のピッチャーで回し、そして一年生のピッチャーも使った。
残念ながらまだ充分とは言えない量のデータの蓄積だが、試合以外の選手の人間としての性格は、はっきりと分かった。
シニアの時点で、全国的なレベルのピッチャーであった。
チームがあまり強くなかったこともあり、成績はそこまで残せていない。
だがセレクションに誘われる程度ではあり、誰でも知っている関東の強豪を夏休みには訪れた。
しかしここにいるということは、そういうことなのだろう。
鶴橋としては野球部の生徒などは、どこか問題のある生徒の集まりであるとさえ思っていた。
ただ甲子園に行く時は、そういう問題児どもが、力を合わせた時だったのだ。
強豪の私立が選手を素質で取るようになってから、そういった選手は各地に取られて、矯正されるようになった。
だがそんな選手だけでは、甲子園には行けない。
私立でさえも文武両道などと言われて、内申点で入学を考慮する。
野球だけしか出来ない野球バカに、何を求めているというのか。
白富東は、別の意味でのバカが多い。
頭のいいバカどもというのは、本当に強くなるから始末に終えない。
あのSS世代などは、その最も特徴的な例であろう。
プロに進んで、打撃記録のことごとくを塗り替えようという小さな巨人。
アマチュアでありながら、世界最高の技巧派と言われる変人。
ああいうのが集まって、そして力を発揮してしまうのが、頭のいいバカどもの集団なのだ。
北村にはSS世代については、よく話を聞いたものだ。
彼がキャプテンの間は、結局甲子園には行けなかった。
だがまだ在学中の秋には、関東大会を決勝まで勝ち進む。
そして当然のごとく、センバツには出場したのだ。
北村は大学で、あの早稲谷のキャプテンまでも務めた。
プロからの調査書もあったらしいが、自分の身の程を知っていた。
それ以前の問題として、プロにはやはり興味が湧かなかったのだ。
そして今、母校を相手に戦っている。
(まあこいつもちゃんと育ってきたし、来年は国立のボンと一緒に、甲子園を目指せばいいだろうが)
ただ、今年の夏は難しいだろう。
冬の間に実力を伸ばしてきたが、おそらくそれでも届かない。
ピッチャーがまだ、枚数が足りないのだ。
一回の表、上総総合の攻撃。
先発の渡辺はまずは様子を見るため、アウトローにストレートを投げる。
それに対して上総総合は、いきなりセーフティバントを仕掛けてきた。
完全に意識の外にあったため、ファースト側に転がったボールへ、ダッシュが遅れる。
守っていた位置も、やや深めであったのが悪かった。
捕球したのは一塁に入っていた正志であったが、ファーストベースのカバーに入っていた渡辺には投げられない。
完全に奇襲となる攻撃であった。
油断をしていたわけではないと言いたいが、やはり油断であったのだろう。
初回の初球から、こんなトリッキーな戦術を取ってくる。
やはり上総総合は曲者である。
ただ鶴橋からすると、曲者にならなければ勝てないと思ったのも確かなのだ。
かつては真っ当な手段で、正面から甲子園を目指したこともある。
だがその時もまた、作戦で相手を混乱させたものであったが。
(さあどうだ?)
白富東のバッテリーは、マウンド付近で少し会話をした後、そのまますぐに別れた。
ベンチを窺ってみても、動揺した様子は見せない。
相手の意表は、絶対にかけていたはずだ。
それでも動じないのは、今日の試合がある程度、点の取り合いになると思っているから。
最初から覚悟をしていれば、動揺も小さいということか。
(じゃあこれはどうよ)
二番バッターは最初から、バントの体勢である。
当然ながらファーストとサードは、前に出てくる。
キャッチャーはベンチを確認すると、そのままサインを出す。
そして頷いて投げるのは、またもストレート。
この初球のゾーンに入ったストレートに、バッターはバットを引く。
バントをされてもいい。アウトをもらう。
なかなかに統一された意思である。
(頭のいいやつらは選手が自分で動くからなあ)
それもまた、別の意味で大変だろうな、と考える鶴橋であった。
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