第8話 短期集中講座
白富東の野球部のメソッドは、とにかく精密な分析を根底においてなされ、まずは全員の身体測定から始まる。
県大会のブロック大会が終わって、野球部も本入部期間に入ったため、手配した車両で肉体のデータを収集して分析していくのだ。
ここで飛躍的に身体能力が伸びる者もいる。
それはこれまで、単純に力の使い方を間違えていただけの人間であるのだが。
各種チェック、特にピッチャーはピッチングフォーム、バッターはバッティングフォームを念入りに計測される。
「こんなので本当にいいのかよ……」
そう愚痴る優也は、両手でのキャッチボールをしていた。
右投と、左投を交互に行う。
それが終わると、左投げでキャッチャーまでの距離を投げることになる。
小学生の頃に戻ったような感覚。
もちろんまともには、ストライクも入らない。
春の県大会はともかう、夏に向けて筋力などを鍛えるべきではないのか。
だがコーチはそんな安易な方法を許さない。
優也の課題は体軸の矯正と、体幹の強化である。
フォーム全体のバランスが崩れることがあるが、それは全てこの二つの前提が不安定であるからだ。
毎日毎日、片足で立つトレーニングをやらされる。
そして片足のままのキャッチボールなどもするのだ。
バランス感覚が不足しているのは、コントロールが悪くなる原因の一つである。
そしてこのトレーニングは、比較的早く、優也のピッチングに表れてきていた。
球速を求めてはいけない。
白富東のピッチャーに伝わる、大原則の一つである。
佐藤直史はストレートのMAXが140kmなくても、甲子園でのパーフェクトを達成した。
そしてワールドカップでも最優秀救援投手に選ばれた。
世界の舞台で12イニング投げ、パーフェクトの成績を残したことは信じがたい。
だが誰もがその功績を、映像の記録で見ることが出来る。
あえて球速は測っていないが、優也のストレートが良くなっているのは、組むことが多い潮は気がついていた。
もちろん投げている優也も、何かコツを掴んだ気になった。
ただ県大会本戦前なので、あまり投げ込むことは許されなかったが。
当たり前の話であるが、ストレートは落ちていくボールである。
落とすボールではない。他のボールも全てそうだが、ピッチャーの投げるボールは、必ず重力に引かれて落ちていく。
だがスピンが上手くボールにかかり、回転軸が真っ直ぐになると、ホップ成分が増加する。
そしてより、伸びのあるストレートになるわけだ。
投げるのが楽しい。
元々ピッチャーはそういう人種であるのだが、変わったトレーニングの効果なのか、明らかに球威が上がり、球質が変化している。
これが大会前でなければ、もっと投げ込んでいたいものだ。
そんな中、県大会本戦の組み合わせトーナメントが発表される。
白富東は勇名館に負けているので、反対の山にいる。
準決勝の相手は、順当ならばトーチバ。
そして運が悪いことに、準々決勝までお互いに勝ち残れば、上総総合と当たることになるのである。
私立二強と公立二強。
戦力のバランスを考えれば、上総総合はあちらの山にいる方が自然だろうに。
ただしトーチバも上総総合も、それぞれのブロックでは優勝している。
逆にブロック大会で勇名館に勝っていれば、あちらの楽な山に入れたのか。
もっともこれら以外にも、それなりに強いチームはあるのだが。
国立はこれを、逆境ではあるが望むところだ、と前向きに考える。
ベスト16まではさほど、注意すべきチームはない。
なのでより多くの強いチームと、県内の公式戦で戦うことが出来る。
今の白富東に一番必要なのは、適切なピッチャーの運用。
強敵と次々に戦う上では、それも重要なことになる。
そして何より、一年生に経験を積ませたい。
一年生ながら五番に入った正志は、間違いなく今後も主戦力となるだろう。
いい意味で気楽な白富東の中で、正志のまとう雰囲気は尋常ではない。
事情を知っているチームメイトは少ないが、違和感は感じている。
ただ白富東はお気楽路線をモットーにしているが、過去には普通にガチ野球勢もいた。
わざわざ養子になってまで白富東に来た淳や、体育科設立前に必死で受験をした孝司や哲平。
それに宇垣なども少し毛色は違うが、プロを視野に入れてプレイしていたことは確かだ。
どんなゲームも本気で楽しむつもりなら、本気でプレイするしかない。
勝敗に関係なくプレイするなら、高校生でも地元のクラブチームには入れるのだから。
あくまでも勝ち負けがあるのだから、勝つこを目指さなければいけない。
だが勝利至上主義に陥ってもいけない。
なかなかに難しいところである。
県大会本戦を勝ち進んで優勝するには、六回勝たなければいけない。
だが最低限のノルマは、夏のシードが取れるベスト16である。
つまり二回勝てばいいわけだ。
しかし夏により楽なところと当たるためには、ベスト4以上には進んでおきたい。
また決勝にまで残れば、関東大会にも出場出来る。
今年は開催地が地元の千葉であるため、ベスト4で負けても三位決定戦に勝てば、関東大会には出場出来る。
秋には戦えない東京代表とも、春の大会は対決することが出来るのだ。
新入生がチームに馴染んできた。
ベンチに入ったのは二人であるが、夏の大会までにはまた、他に数人出てきそうな予感がする国立である。
白富東は今の二年は、三年に比べるとやや選手層が薄い。
だが体育科が始まってしばらくして、ようやくその集まる選手のレベルは安定してきたと思う。
プロ入りの選手を二人も出した一年目は、その結果だけを見れば大成功なのだろう。
野球推薦で大学に行った選手も大勢いる。
なんといっても甲子園の夏を制したのだ。
次の年はやや弱かった。
ユーキがエースとして機能していなかったら、夏に甲子園に行くことは出来なかっただろう。
そのユーキもアメリカに帰り、SS世代以降初めて、白富東はプロに進む選手を出せなかった。
今年の三年は、悠木が注目を集めている。
性格に天然なところのある選手であるが、バッティングは打率も高く長打も打てて、走るのも守るのも、そしてライトから内野にボールを投げるのも、全てが優れている。
それでいてまだ素質が開花しきっていないのだ。
国立にとって、夏を勝つために必要な、二つのピース。
その一つは間違いなく悠木である。
そしておそらく素質は、その悠木に近いのではないか。
正志は五番を打っていたが、三番に代える可能性はある。
ただ他の選手のバッティングの調子を見て、打順はかなり変えていくだろう。
今年の一年生は層が厚い。
夏に五人ほどベンチに入れば、上級生との競争もあって、チーム全体が底上げされる可能性がある。
冬の間にみっちりと鍛えていた肉体が、春の訪れと共に解放を待つ。
ここから技術を蓄積させて、戦力を増加させていかなければいけない。
(ただなあ)
国立が頭を痛めるのは、関東大会まで勝ち進めば、試合が平日に行われることだ。
県大会は県大会で、ゴールデンウィークに集中して行われるので、ピッチャーは消耗する。
問題なのは白富東が、体育科であってもスポ薦であっても、学業には一切の妥協を許さないことだ。
体育科創設以前の大介にしても、初年度の悟にしても、進級して卒業するために、必死であった。選手ではなく、教師陣が。
あとは部内でも、テスト前に教え合う土壌が出来ている。
現在の野球部を頭脳面でまとめるのは、常に学年トップ10内にいる耕作である。
農民のくせに頭がいいらしい。(偏見
ブロック大会が終わってから、県大会本戦まで。
絶対に安定感を増していきたいと思っていた優也が、かなり伸びてきている。
元々高い身体能力を持っていたはずなのに、それを使うための調整能力を持っていなかったのだ。
白富東にはトラックマンがあるため、投げているボールをしっかりと計測している。
入学から一ヶ月も経過していないのに、球速が140kmを超えていた。
これは優也に限ったことではなく、これまでの一年生ピッチャーのほとんどが、感じる変化である。
フォームが固まってきたのが大きい。
地味に思えるが毎日の体軸を認識されるトレーニングは、そのバランス感覚を無理に取るのではなく、普段から取るように変化させていっている。
今まではバランスを取るのに必要だった力を、ピッチングに向けることが出来る。
これが短期間で球威と球速が上がる理由である。
フリーバッティングを打たせたら、ガンガンとネットにまで飛ばす正志と共に、この二人は二年後の白富東の中心選手になるだろう。
だが国立から見ると、キャッチャーもまたいいのだ。
生来の乱視が元で、これまで球技にはいい成績が残せなかった潮。
おそらく急成長という意味では、前の二人にも優る。
そして優也に対してはブルペンキャッチャーとして、正志に対しては事情を知るシニアからのチームメイトとして、メンタルの方までケアするように動いてくれている。
(二年後のキャプテンは彼だな)
まだ先の話ではあるはずだが、もう国立は確信していた。
やや空気が暖かなものから、熱気を帯びてくるような四月下旬。
県大会の本戦が始まる。
白富東は事前の評判どおり、一回戦と二回戦は順当に勝ち進んだ。
これでベスト16が決定し、夏のシードを手に入れたことになる。
だがシードは、もう一つ上のものを取っておけば、さらに楽になる。
ベスト16の試合も勝ち進み、準々決勝。
いよいよここからは、油断の出来ないチームが相手となる。
千葉県立上総総合高校。
県内公立のチームの監督からは、妖怪爺と言われる鶴橋が率いるチームと、ベスト4進出をかけて争うことになる。
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