第4話 背番号がほしい

 生来の乱視による遠近感の齟齬。

 その呪縛から解放された潮は、しっかりとボールを見てキャッチしていく。

 時々大きく外れてしまう失投も、しっかりとキャッチングして後ろに逸らさない。

 そして春休みの練習や、国立から得た情報を元に、リードを組み立てていく。


 これまではいくら考えても、即座に戦術に落とし込むのには限界があった。

 フィールドにいるプレイヤーというのは、これだけ試合に集中出来るものなのか。

 これまではずっと俯瞰して試合を見てきたつもりだが、想像以上に面白い。

 あとは没頭せずに、このまま一種の客観性を保つこと。

 幸いにも久しぶりの試合ということで、優也の調子もいいようなのだ。


 優也の調子は、だいたいその日の一球目で分かる。

 そして調子のいい時と、悪い時の差が激しい。

 もちろん優れたピッチャーは、常に調子のいい時を自分でキープしなければいけない。

 だが調子の悪い時でも、それなりに相手を抑え込むことも必要だ。


 捕手はマイナス思考、と言われる。

 ピッチャーをやるような選手は性格も派手好きでイケイケ思考だから、キャッチャーは常に最悪を想定して考えないといけない、というものだ。

 ただ潮は、これは違うと思う。

 最悪は想定していなければいけないが、それを表面に出してはいけない。

 ピッチャーの調子が悪い時と良い時、どちらかでリードを変えていく必要がある。


 今日の優也はいい。

(スライダーが上手く抑制されていて、ストレートもキレてる)

 優也の調子がはっきりと良し悪しが分かるのは、フォームの違いによる。

 これだけのボールを投げていながら、まだフォームが固まり切っていない。

 調子がいい時の再現を、上手くできていないと、すなわち調子が悪くなる。

 再現性がまだ低いのが、この年頃の球児である。


 空振り三振に、内野ゴロ二つ。

 潮の見る限り、まだフォームに崩れはない。

 だがシニア時代はイニングは七回までだった。

 九回までには、おそらく潮の考えるリードが必要になってくる。

 たかが部内の紅白戦と思うかもしれないが、これは一年生に適格者がいなければ、二年か三年から二人を選ぶということ。

 ベンチ入りはしているがスタメンではない選手は、おおいにアピールするチャンスだし、ベンチ入りしていない選手もベンチ入りするチャンスなのだ。


 潮は視野を広く持つ。

 春の大会で重要なのは、夏のシード権を得ること。

 そして冬の間に鍛えたことを、実戦で試すということ。

 特にスポ薦組は、普通受験よりも早く進路が決まったため、鈍った体を鍛えなおしている者も多いはずだ。

(まあ今回は選ばれなくてもいいか)

 潮はまず自分に必要なのは、試合経験どころか普通の野球経験だと思っている。

 正常な目を手に入れたものの、単純にこれにまだ慣れていない。


白富東高校は、夏の大会には必ず、各学年からピッチャーとキャッチャーを一人ずつ入れている。

 潮の勝負は夏である。

 今はまだ経験を、知識に合わせていく時期だ。


 一年生から選ばれるとしたら、優也と正志の二人であろう。

 正志はおそらく問題ない。バッターとして適応出来るだろう。

 あとは優也だ。いいピッチャーは一年でもメンバーに入れたいものだろうが、潮の知っている限りでも、優也には安定感がない。

 ただ潮は、その原因が分かっている。

 そして潮の目に気づいた国立なら、優也の問題にも気づくだろう。

 いくつかは潮も分かっているが、全てとは限らない。




 三回までが終わった。

 一年生チームは大健闘していて、ここまで優也はパーフェクトピッチングである。

 スライダーがよく曲がるのと、あとはストレートで詰まった打球が内野ゴロや内野フライになることが多い。


 優也は単純に喜んでいるようだが、潮としては一巡目は、完全に見てきた感じが強い。

 そもそもコーチはあちらのチームはともかく、こちらの新入生チームはまだ能力を把握していないだろう。

 あとは二打席目の優也が、あっさりと内野ゴロでアウトになったこと。

 変化球を上手く使って、優也の打撃力を封じてみせた。


 キャッチャーの腕の見せ所はここからだ。

 ただ潮はリードのロジックは持っているが、実際のピッチャーをノせる方法を知らない。

 実戦での経験が少ないからだ。

 なのでそこは、国立の知恵を借りる。


 上級生チームは、いわば白富東の二軍だ。

 甲子園に出るようなチームには負けるが、県大会であればそこそこ勝ち進むことが出来る。

 問題なのは身体能力や技術はともかく、連携と精神面。

 そして何よりバッターとしての弱点。


 高校野球は金が大きく動くため、動かせる金も大きくなる。

 強豪の私立などはスコアラーを使って、対戦チームを丸裸にしていく。

 白富東の上級生チームも、優也をやがては攻略するだろう。

 基本的に優也のピッチングスタイルは、平均から大きく外れたところにはない。




 四回の先頭は、四番の正志から。

 一打席目は痛烈な打球を放ったが、この打席もカーブを狙い打ちし、センター前のヒット。

 本当は外野の頭を越したいところだったのだが、一打席目の結果で外野が深く守っていたので、確実にその前に落としていった。

 五番の潮も、粘ってフォアボールで出塁する。

 ノーアウト一二塁で、追加点のチャンスだ。


 だが永田も秋の大会からマウンドを経験している。

 三番手ピッチャーとは言え、最高学年の意地がある。

 ランナーは進ませたものの、ホームは踏ませず。

 1-0のまま上級生チームの攻撃へと替わる。


 この回から、おそらく小技を使ってくるだろうな、と国立は思っていた。

 もちろん潮もそうである。

 優也の再現性の低いピッチングは、技術的なものもあるだろうが、精神的なものもあると思う。

 なので事前に話したかったのだが、攻撃の間はベンチにいられなかったので、マウンドで少し話す。

「上級生の意地もあるだろうけど、白富東の野球は、こういう時は小細工をしかけて、ピッチャーの集中力を削ごうとするんだよね」

 ごく当たり前のことで、優也も頷く。

「ピッチャー前へのバント、あるいはバントと見せかけてチャージさせたり、極端にフォームを小さく取ったり、待球策と取ってくる可能性が高い」

「面倒だな」

 優也は待球策には、確かに弱いところがある。というか嫌いだ。

「ここで集中力を切らさないように、しっかりとストライクを取っていこう」

「おう」


 キャッチャーボックスへ向かう潮の背中を見て、優也は自然と笑みが浮かぶ。

 目の秘密を聞かされた時は驚いたものだが、あいつはいいキャッチャーだ。

 技術的なものもそうだが、試合が良く見えている。

 優也が気分よく投げられているのは、かなり潮のリードが大きい。




 その言葉通りに、一番はバントを仕掛けてきた。

 だがダッシュした優也を見て、バットを引く。

 やってきたら確実に刺す。そのつもりでいたので、やれるもんならやってみろという気分だ。

 

 二球目は最初からバントの構え。

 今度こそ本当にバントをしてくるのかもしれないし、また見逃すかもしれない。

 だがこんなことをされては、ダッシュするしかない。

 しかし結局、二球目もしてこないのである。


(まずいな)

 潮は一球目はともかく、二球目は本当にまずかったと思う。

 投げた後のことに気がいっていて、明らかにボールにキレがなかった。

 そして三球目、ツーストライクであるというのに、バントの構えである。


 バスターでも仕掛けてくるのか、それとも優也を崩すことを考えているのか。

 ただツーストライクなので、ボール球は投げられる。

 ボールに外す変化球か速球で、どうにか空振りか打ち損じを狙いたい。

(アウトコースに外れていくスライダー)

 その言葉通りに優也は投げたのだが、バットを引いて見送られる。

(単純な配球だと、普通に見極めてくるんだよなあ)

 白富東の先輩たちを見ていると、勝つためにどうすればいいのかということを、ちゃんと考えてプレイしているのが分かる。

 これでレギュラーではないのだ。

(じゃあインハイに少し外れたストレートを。バント狙いなら当ててくるはず)

(さっさとやれっての)

 だが確実に当てることは出来たであろうこのボールも、バットを引いて見送ってくる。


 なるほど、本格的な待球策だ。

 もうこれは普通にバントをさせて、守備で刺す方がいいだろう。

 そう思って投げさせたのは、胸元から逃げていくスライダー。

 これに対しては、バントではなくバットを引いて、バスターをしかけてくる。


 セカンド正面のゴロではあったが、打球はかなり強い当たりだった。

 それでもちゃんとアウトになってくれるところが、流れがこちらにあるということか。

 しかし続く二番も同じようにバントの姿勢。

 ボール先行ながら、どうにかこれも打ち取る。

 だが三番までもが、バントの構えをする。


 ここまで徹底するか、とは思う。

 部内の紅白戦であるのに、戦略を持ってピッチャーの攻略にきている。

 そして三番バッターに投げたストレートは、フォームが崩れている。

(まずい!)

 体の開きが早い。

 ボールの出所がはっきりとしたこんなピッチングでは、打たれても当然。

 センター前に運ばれて、パーフェクトは途切れた。




 それまで完璧すぎたのが悪かったのか、一本ヒットを打たれた優也は、そこから制球が悪化していく。

 潮はカーブなども要求し、一球一球のボールの力ではなく、コンビネーションで打ち取るように配球していく。

 だが優也の気持ちは、前に出すぎている。

 点こそ取られなかったものの、かなりピッチングに悪いところが出ている。


 せこいことをする、と思う優也は、どっかりとベンチに座る。

 その隣に座って、潮はピッチャーの修正を図る。

「山根君、強いボールを投げようとしすぎていて、体の開くのが早くなってるんだよ」

 メンタル的なことも問題だが、それよりは技術的なことの方が問題だろう。

「甲子園を経験してる人たちなんだ。その時はベンチ入りしてなくても、秋にはベンチ入りしていたメンバー。だからかなり、いやらしい手も使ってくる」

「まあそうだろうけど、こないだまで中坊だったやつに、ああいうことまでやってくるのかよ」

「ベンチ入りがかかってるんだから、それは必死だと思うよ」

 短い付き合いではあるが、潮はかなり、優也の性格を把握していると思っている。

 実際にそれは、かなり正しい。


 ピッチングに乱れが見えてきた優也を、ベンチの中で修正しようという潮。

 国立はそちらを見ないながらも、会話はしっかりと聞いている。

 今年のスポ薦には、キャッチャーポジションの選手はいなかった。

 体育科の人間の中に、一人ぐらいはいるのではと思っていたが、普通科の中からこんな拾い物が出てきた。


 去年も、つまり今の二年も、キャッチャーの中で傑出している者はいなかった。

 だからこそ一年でちゃんと、戦略まで理解しているキャッチャーが入ってきたのは大きい。

 シニアの頃までは目に気づかず、ずっとセンスがないのだと思われていた。

 だからその分、しっかりと頭を使って練習をしてきた。

 それが今、しっかりとしたキャッチャーとして活かされている。


 春の大会の枠は二人。

 その中に一年のキャッチャーを、入れるのも悪くはない。

 だがやはり、ピッチャーを実戦で育てていく必要があるだろう。

 それともう一人は、代打で使ってもいいし、ポジション争いをしてもらってもいい。

 本人はシニア時代は外野だったようだが、最初はファーストをしていたこともあるという。

 リトル時代はどうしても肩が弱いし、ボールがワンバンするので、サードに強肩の者を入れたり、ファーストに暴投を捕りに行く身体能力の高い者を入れたりする。

 そしてシニアでは外野に入っていたのだから、かなり使えるポジションは多い。


 今年の夏も、戦える戦力はそろっている。

 あとはこの一年生たちを、どうやって戦えるところまで鍛えるかだ。

 四番とピッチャーは事前に考えていた。

 だが三人目の控えキャッチャーを、夏には入れ替えることになるのかもしれない。




 紅白戦は終盤、優也に代わって他のピッチャーを出したところで、上級生チームが逆転した。

 だがそれまで優也は、六回を投げて被安打数は三。

 フォームの修正を、潮の話を聞いて、自分で出来る能力を持っていた。

 もっともまだまだ、すぐにでも調整していかなければいけない部分はあるが。


 いい試合になったな、と国立は思う。

 シニア時代は七回までしかなかったので、優也はかなりスタミナを使ったはずだ。

 だがピッチング中盤以降のフォームの乱れは、スタミナ切れとは違ったものだろう。

 メンタル面の強化も必要かもしれないが、それよりも先に技術的に指導できるところがたくさんある。

 去年の夏の時点で130kmは出していたそうなので、よくもまあこれで、セレクションで取られなかったものだと思う。


 文武両道などと言って、最近の強豪は選手の人格面まで見てくるそうな。

 だが昔は野球推薦などは、アウトローを調教するような過激さがあったはずだ。

 もちろん国立は、色々な事情を知っている。

 だがそれでも、選手に機会を与えてやるのが、本当の教育だろうと思うのだ。


 文武両道、それは出来るならその方がいいだろう。

 だが武にはちゃんと適性があるのなら、しっかりとそちらを伸ばしてやるべきだ。

 白富東は進学校ながら、その合理的な考えは、むしろ旧来の強豪私立に似ているものになっていた。

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