第2話 キャプテン

 一年生の夏から甲子園のマウンドで投げていた耕作がキャプテンに選ばれるのは、なんだかんだ言って順当なところであった。

「いやなんで俺!?」

 当人はそう言ったが、監督も前キャプテンも、その人選には間違いはないと思った。


 二年の夏も、甲子園のマウンドに立ち、二回戦では七イニングを投げて二失点。

 エースであるユーキに最後は頼ったものの、その体力の消耗を最低限のものとして、あの記憶に残る壮絶な投手戦をさせることになったのだ。

 そして耕作がキャプテンになると、まず部員の中で赤点を取る者が激減した。

 普通科出身で唯一のベンチメンバー。

 頭脳と肉体と精神、そのバランスが取れている。おそらく一番、野球の旧弊からは遠い選手。

 そして戦略という面では、確かに国立の説明を理解するのに向いている。


 より球速の速いピッチャーは、同学年にも後輩にもいる。

 だが打たれても点にならないという意味では、耕作がエースと言えるのかもしれない。

 秋季大会は県大会の決勝でトーチバに敗れたが、関東大会はベスト8進出。

 神宮大会での結果次第では、センバツ出場の可能性もあったのだ。

 残念ながら出場かなわず、千葉県からセンバツの代表校が出ないのは、かなり久しぶりのこととなった。


 だが甲子園に出られなかったことで、そこはむしろ新しい体制を築く余裕は出来ている。

 新一年生の中には、許可を得て春休みから参加してくる者もいた。

 特にスポ薦枠で取った選手たちの中に一人、素質では確実にずば抜けた少年がいた。

「山根優也君か……」

 白富東のスポーツ推薦は、実はよほどの問題がない限り、その経歴と身体能力で合格が決まる。

 内申だとか面接だとか小論文だとか、いまどきの文武両道を求める学校と違い、既に文武両道を達成している


 白富東は、別に文武両道など求めていない。

 どちらかに偏った人間は、それならそれで長所を伸ばしてやればいいのだ。

 過去には東大合格確実と言われた生徒が、アニメーターになったりもした。

 そしてそういった人間のみならず、大学に行っては学生のうちに、起業したりしている人間が多いのだ。


 自ら企業しているわけではないが、実家の農家を法人にしようとしている耕作。

 彼のような人材がいることも、白富東の特徴であろう。

 あとはマスコミ関係者もいたりする。

 体育科が出来る前から、こんな傾向はあったのである。

 秦野もそうであったが国立も、野球以外の学業成績や人格など、生徒に対しては求めていない。

 それを教育するのも教師の仕事だと思っているからだ。

 実際のところ体育科を作ってからは、全体の有名大学への進学率は、むしろ高くなっていたりする。




 春休みから練習に来ていた優也は、別に想像していたような問題児ではなかった。

 ただピッチャーらしいピッチャーとしては、確かに無意識の傲慢さがある。

 練習をしないわけではないのだが、自分のしたいことを優先している。

 しかしそんなものは充分に許容範囲だ。


 春休みから参加している生徒の中で、一般の普通科を受けて合格した者もいる。

 その中で国立が注目していたのが、八代潮である。

 普通科受験をしていて合格しているのだが、実際に練習に参加してみれば、かなり身体能力が高い。

 おそらくスポ薦で入学した、優也以外の五人にも匹敵するだろう。

 だが、致命的に野球のセンスがない。

 いや、ボールを扱うセンスがないと言うべきか。


 肩はかなり強い。そしてキャッチングからスローイングまでの動作も素早い。

 ただ肝心のキャッチングと、バッティングがかなりひどいのだ。

 キャッチングはまだ体で止めるという根性があるが、バッティングはとにかくバットに当たらない。

 だがそれを見ているうちに、国立は一つの推測にたどり着く。

(今まで誰も気づいてなかったのか?)

 春休み中はまだ、正式な部員ではない。

 なのでまだ本格的な指導は出来ない。

 しかし国立は、潮に対してアドバイスとも言えないようなことを伝えた。

 

 その折に話も聞いた。

 子供の頃から、ずっと野球はやっていたこと。

 色々と考えることはあるのに、体の方がそれについていかない。

 体力や筋力は、陸上部などで鍛えていた。

 だが野球や、球技一般のセンスが全くなかったのだ。


 ならば他のスポーツをやればいいのでは、とも思った。

 だが他のスポーツをやるぐらいなら、下手糞でも野球をやって、勉強の方で頑張ればいい。

 プロなどはもちろん目指していない。

 だが白富東の野球部には、研究班がある。そこでなら戦力になれるかもしれない。

 結局は野球が好きなのである。


 もう一つの可能性も、国立は考えた。

 だが素振りをさせてみせると、そちらの可能性はなくなる。

(間違いない、か)

 これまでの努力は、間違っていなかった。

 だがその土台に乗せるもの自体が、そもそもおかしかったのだ。


 野球知能の高さに、全体的な作戦立案能力。

 それに数日間の練習で既に、全体に目が向くようになっている。


 おそらくはこれまで、ずっと選手としては活躍出来なかったため、頭を使ってきたのだろう。

 本当なら全ての選手が、頭を使うようになってはほしい。

 しかし高校野球レベルなら、監督の言うままにプレイする選手もいる。

 本来の白富東は、そういったチームではなかったのだが。

 ただ耕作がキャプテンに就任してからは、色々と刺激を受けて、自分で考える選手が増えたように思う。




 入学式を終えて、クラス分けを見る。

 優也と同じシニアから、白富東に来たものは数人いた。

 だがさほど仲の良かったものではないし、クラスも違う。

 顔見知りのいないクラスで、積極的に関わっていく優也ではない。

 だが一つ前の席に座った少年が、振り向いて名乗った。


「三橋シニアの山根君だよね。僕、鷺北シニアのキャッチャーだった八代。補欠だったから憶えてないと思うけど」

 憶えてない。

 だが今は時間を潰すのに、ちょうどいい話し相手かもしれない。

「春の練習に来てたっけか?」

「最初だけね。でもちょっと病院に行かないといけなくなって、結局それからは来れなかったんだけど」

「なんか病気でもしてたのか?」

「別に深刻な話じゃないんだけど、ちょっとね」

 ここでさらに踏み込んでいいのかどうか、優也には分からない。

 だがそもそも、潮に対してあまり興味がない。

 だから話題を変える。

「お前も体育科なんだよな。勉強できるのか?」

「いや、僕は普通科だけど」

「え」


 優也は勘違いしていた。体育課はスポ薦と共に、一つのクラスを作るのだと。

 そして授業なども特別なカリキュラムなのだと。

「選択授業では少し考慮されるらしいけどね」

「マジかよ……」

 テストなども同じ問題だとすると、優也の学力ではかなり悲惨なことになりそうだ。

「大丈夫。なんなら僕が教えるよ」

 普通科にしっかり合格している、潮の言葉は力強い。

「甲子園に行くためには、山根君の力が絶対に必要だからね」

 甲子園。

 その声はそれほど大きくもなかったが、教室内によく響いた気がした。


 白富東にとって、甲子園は特別な場所だ。

 もう夏は六年連続での出場を果たしており、千葉県では一強とまで言われている。

 ただし秋の大会は、この二年はやや精彩を欠く。

 それでも県内のかなり上位や、関東大会までは進むのだが。


「甲子園か。お前、本当に行けると思ってるのか?」

「今年の夏は行けると思うよ。ただし、山根君が夏までに、高校野球に適応できればだけど」

 行けると言った。

 そしてそれは優也にかかっているとも。

 キャッチャーだとか言っていたが、ピッチャーを乗せてくるタイプなのか。

 だがシニアでは補欠だと言っていた。


 甲子園が甘いところでないというのは、優也も分かっているつもりだ。

 去年の夏、セレクションを受けに行った私立の高校は、どこも施設が充実し、コーチングスタッフがそろっていた。

 甲子園でかれこれ30勝以上をした名将、秦野監督の後を継いだのは、やはり他校の公立で、就任一年目から甲子園出場を成し遂げた国立。

 秋の大会こそ新チームの結成が遅れ、久しぶりの県内敗退に終わった。

 だがその苦い経験を無駄にはせず、夏には見事に連続出場記録を伸ばした。


 三回戦で負けた白富東であるが、あれは大阪光陰の蓮池が化け物だったからだ。

 それでも壮絶な投げ合いをしたため、日程が詰まっていた次の試合で、大阪光陰も明倫館相手に敗退した。

 その明倫館は決勝まで進み、蝦夷農産に敗退した。

 チーム力で言うなら、全国屈指のものだったろう。

 しかしその力の多くの部分は、エースの評価によるものだと思うのだ。


「山根君は春の練習に参加するまで、どこかで練習してたの?」

「まあな。推薦で受かってからは暇になったから、シニアでバッピして、球速上げてきたけど」

「……今、ストレートどんだけ出てるの?」

「137km」

「なら三年の夏には150まで伸びそうだね」

 150kmというのは、かなり夢の数字である。

 甲子園の出場するチームのエースでも、150kmに達しないものは過半数を超える。

 ただ最近は単純な球速よりも、球質を重視する向きがあるが。


 しかし、三年の夏か。

 入学して早々に、もうそんな先のことまで考えているのか。

「150なんて捕れるキャッチャーいるのかよ」

「大丈夫。僕が捕るよ」

「補欠だったのに?」

「今度は大丈夫。自信があるんだ」

 そう言った潮の、確かに自信に満ちた顔に、優也は不思議な感じがした。




 入学初日から、参加したい者は参加できるのが、白富東高校の野球部である。

 優也と潮は連れだって、野球部への道を歩く。

 既に春休み中に慣れた道のりであるが、学校の敷地から一度出ないといけないのは、少し面倒なところである。

 それに周囲から丸見えなので、偵察対策もしにくい。

 それでも室内練習場もあるあたり、普通の公立校と比べれば、圧倒的な優位がある。


 白富東は今年も、春の大会に一年生枠を残してある。

 千葉県は春の大会が始まるのは遅く、センバツに出ていたとしても地区予選は、四月中旬からなので充分間に合う。

 ただし白富東は、同じ地区に、勇名館がいたりする。

 クジ運次第では、夏のシードを取れない可能性もあるのだ。


 もっとも以前に勇名館は、この地区大会で白富東に負けながら、ノーシードから勝ち進んで、甲子園初出場を果たした。

 思えばその次の秋から、長い白富東の県内連覇が始まったのである。

 この地区予選で、試したい一年生のために、枠が二つ。

 もちろん相応しい者がいなければ、それは二年なり三年なりで埋められる。


 一年生の中には、かなり期待されている選手が二人いる。

 一人は優也であるが、もう一人の体育科に入学したはずの生徒は、この日にはグラウンドに顔を出していなかった。

 もちろん正式な入部期間は、もっと後なのであるが。


(あいつ、いねえのか?)

 三月の入学前の練習には、ちゃんと出ていたのだ。

 それなのにこの入学後の練習に、顔を出していない。

 そんなことがあるのだろうか。


 白富東の新しい戦力たち。

 その真価が発揮されるのは、まだ先のようである。

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