エースはまだ自分の限界を知らない[第四部E 高校編]

草野猫彦

一章 三つの理由

第1話 選ばれなかった少年と、選んだ少年

 ガチで野球をやる少年が、高校を選ぶとき、どのようなルートをたどるか。

 有力選手に対しては、もうそのまま特待生の話が入ってくる。

 現在でも強豪私立は、スカウトを各地に派遣しているのだ。

 シニアに所属しているか、それとも軟式をやっているかで違うが、向こうからスカウトが来るのだ。

 スカウトも真剣なので、少しでも有望な選手の話を聞けば、普通に全国を飛び回るものだ。

 それよりは劣るか、あるいは色々と問題があったりする少年でも、ある程度の声はかかる。

 ただそれは、セレクションを受けてみないか、というものだ。


 セレクション。いわば野球による試験。

 現在では夏休みの体験入部などと言われているが、実際のところはセレクションと変わらない。

 シニアにおいてはさほど勝ち進めなかったが、そのピッチングを見たスカウトが、うちの学校を見に来ないか、と言ってくれた。

 それも一つではなく三つも。

 埼玉が一つ、東京が一つ、神奈川が一つ。

 当然ながら全て、入学したら寮になる。

 それも覚悟の上で、参加しに行った。

 そして全て落とされた。


 なんでだ、という気持ちはある。

 確かに格下と思える相手が、目に止まることはない。

 だが同じぐらいだと感じる者が、選ばれている。

 あくまでもセレクションではないので、そこで合格と言われるわけではない。

 だが合格の選手は、そこから呼ばれて色々と話をするらしい。


 らしいというのは、自分には一度もなかったから。

(なんでだ?)

 絶対に自分の方が上だ、とまでは思わない。

 だが下だとも思わない。

 なのになぜ、自分は選ばれない?




「最近はセレクションでも、野球以外のことも見られるからな」

 それは、聞きたくて聞いたわけではない会話。

 シニアのクラブハウス裏でサボっていた時、偶然聞こえたものだった。

「文武両道とか言って、学力まである程度求められるし、あと優也の場合は性格とか親とかも問題になるだろ」

 シニアにて優也を見てきた監督が、地元の強豪校に進むチームメイトに話していたものだ。

「才能はともかく、優也にはここ一番で集中しきれない欠点があるし、あとは親がうるさいだろ? そういうリスクも含めて、学校は選手を取るんだ」

 野球の試験なのに、勉強や家庭のことまで必要なのか。


 シニアの実績からすれば、地元の私立からも話が来てもおかしくなかった。

 あるいは監督から、どこかの学校に話が通ることもあるという。

 実際に今、監督と話しているこいつは、確実に優也よりも野球の実力はない。

 それでも野球をやるために、強いチームを選べるのはこいつなのか。

「監督は……優也をどこかの学校に紹介したりはしないんですか?」

「うん、しない。もしそれで何か問題が起こったら、次から紹介出来なくなるし」

 勝手に決めつけるな……とは言えない。最低限の自覚はある。

 だがそれは自分だけの責任か?

「それに本当にほしいと思った選手なら、多少の問題があろうと向こうから取りに来るんだ」

 それは……そうだと言われれば、否定のしようがない。


 単純に言うと、実力が足りなかった。

 勉強なんて出来ないし、やるつもりもない。

 ただ野球だけで生きていくのは、こんなにも難しいのか。

 自分が出来ることは、野球しかないのに。




 シニアの最後の大会も終わり、夏休みの序盤には、もうやりたいことがなくなっていた。

 宿題などのやるべきことは、いくらでも残っていたのに。

 進路は決めなければいけない。

 野球でどうにかするなら、県内の強いチームに進むしかない。

 トーチバか勇名館か。

 勉強して入るなら、東雲あたりが限界か。トーチバは確かそこそこ偏差値が高かったはずだ。

 いや、それよりも。


 つけたテレビで放送されているのは、まさに夏の甲子園大会。

 千葉県代表白富東と、大阪府代表の大阪光陰との試合。

『いや、しかしすごい投手戦になってきましたね』

『そうですね。センバツ優勝ピッチャーの蓮池君は、一年の時から大阪光陰のレギュラーとして、優勝の立役者となっていました。それが今日はここまでパーフェクトピッチング』

『ただ白富東の聖君も素晴らしい。エラー一つのノーヒットノーランで、両者譲らぬ投手戦。勝った方が明日の準々決勝進出となって、既にベスト8を決めている明倫館との対戦となります』

『聖君も去年の夏、蝦夷農産との打撃戦、最後にぴしゃりと決めたピッチャーですからね。今年は絶対的なエースとして、チームを率います』

『去年と、今年の春は成立しなかった光白戦。春夏連覇を狙う大阪光陰と、夏連覇を狙う白富東。宿命の対決です』

 またこいつらか、と優也は思わないでもない。

『しかしこの投手戦を見ていると思い出しますね』

『そうですね、光白戦と言えば、やはり投手戦です』

『佐藤兄弟と真田、どの勝負もすごい投手戦でした』

『この試合も投手戦ですが、やはり違いますか?』

『ピッチャーの数字は同じように思えますが、お互いの打線の力が全く違いますからね。それでも素晴らしいものですが』


 ああ、と優也は思うい出す。

 野球をやっている者なら、絶対に忘れることなど出来ないあの試合。

 佐藤直史のパーフェクトピッチング。

 それと対戦した現在プロで活躍する真田は高校時代、三年連続で夏の甲子園で、白富東に負けていた。

 優也は地元の白富東ではなく、最後には真田を応援していたものだ。

 援護がなくて負けるというのは、優也もよく経験していたものだから。


 白富東は、公立高校だ。

 だが体育科を設立し、本格的に県下の強豪となってきている。

 しかし最初の強くなるきっかけは、全くスカウトなどでは集めず、受験のみで集まった選手のみで甲子園に出たことだ。

 偏差値68という進学校。

 まだ未覚醒だった化け物が、たまたま頭も良かったために、白富東に集まった。

 その過程は映画になるほど伝説的だ。

 佐藤直史は、中学時代は部活軟式で、公式戦に勝利した経験がなかったという。それは、自分予よりひどい。


 体育科の偏差値は58で、これでも自分の頭で入れるところではない。

 だがそもそも、自分のような人間が、ここに入るのは違和感がある。

「頭良さそうなやついるよな……」

 特に二年生の二番手投手は、普通科の生徒だという。

 入学しても勉強についていけなくなるのは、目に見えていた。

 だがここ五年ほどを見てみれば、白富東からプロに進んだ人間が毎年出ている。

 このエースもおそらく、プロに行くのだろう。

 大阪光陰の蓮池もだが、ピッチャーとしてのレベルが違いすぎる。

 150km台半ばのストレートをぽんぽんと投げていて、完全に打線を封じている。

 どちらのチームも一二回戦では、10本以上のヒットを打って勝ってきたチームであるのに。


 違う世界の人間だ。

 こちらはセレクションにも、まともに合格出来ない。

 やはり地元の私立に入るしかないだろう。

(東雲は坊主だし、トーチバは偏差値高いし、すると勇名館……も無理かな)

 学力的に言えば、東雲しかないのだろうが。

『白富東はスポーツ推薦を設立しましたが、それでも上手くはいかないようですね』

『基本的に県内の生徒しか集められないそうですしね。ですがジャガースの水上選手も、スポーツ推薦からプロ入りしてますからね』

 スポーツ推薦?

『体育科とはまた違うんですよね?』

『小論文と面接があるようですが、実質的にはセレクションみたいなものでしょうね』

 待て。

 あの学校にも、セレクションがあるのか?


 その日、延長12回の末に、大阪光陰は白富東に勝利した。

 1-0のスコアの勝利。さらに八回まで蓮池はパーフェクトと、甲子園の歴史に残る投手戦となった。

 全力を尽くしたエース蓮池は、翌日はさすがに精彩を欠き、大阪光陰は明倫館に敗北する。

 せめて日程的に一日の休みがあれば、結果は変わっていたかもしれない。

 しかしその明倫館も栄冠を手にすることはなく、優勝したのは初優勝となる蝦夷農産であった。

 だがその結果よりも、優也は白富東の入試について、調べることとなる。

 



 一般的な中学三年生というのは、夏休みが終わればいよいよ受験勉強も本格的に始まる。

 もっとも普段から勉強をしているか、地頭のいい人間は、それほどあえてすることもない。

「うっしー、そういや三橋シニアの山根、埼玉の春日部光栄のセレ受けてたってさ」

「三橋の……」

 あえてすることもなく、普通にそのまま進学出来そうな潮、通称でうっしーと呼ばれる少年も、その一人である。


 潮が夏まで所属していた鷺北シニアは、プロ野球選手も輩出している、千葉では名門として知られたチームだ。

 だがこの春、三橋シニアとの対戦では、毎回奪三振で完封されていた。

 三橋シニアの山根優也。

 潮の記憶に鮮烈に残っている存在である。


 潮は典型的な、打てないキャッチャーである。

 かといってキャッチングなども上手いわけではない。

 肩は強いが、スローイング前の時点で、ボールをこぼすことがある。

 それでも野球は好きなので、野球部の中に研究班というものが存在する、白富東に入学する予定だ。


 あんなすごいピッチャーの球を取れたら、とても気持ちいいだろうな、と潮は思う。

 だが現実は、鷺北シニアのピッチャーの球を、ブルペンで捕るのも難しい。

 やはりチームに貢献できるのは、頭脳を使う部分だけだろう。


 あのピッチャーは、どこへ行くのだろうか。

 バッティングセンターで130kmのボールを体験したことはあるが、確実にあれよりは速かったと思う。

 おそらくは県内の強豪私立に行くのだろうか。

「お前と違って俺は成績良くないから、スポ薦で白富東狙うんだ」

 数年前から始まった、白富東の体育科とスポーツ推薦。

 だがあの圧倒的だった白富東は、むしろそんな体制を取っていこう、弱くなっている気がする。

 もちろん県内では有数の強豪校だが、総合的にはという話だ。


 その日の話題は、それだけだった。

 時間は一月に進む。

 そこで潮は、山根優也が白富東のスポーツ推薦を受けたことを知った。

 同じく受けに行った元チームメイトの話によると、やはり格別の数字を残していたらしい。


 あのピッチャーが、同じチームに。

 ただ彼は調子の波が激しく、出来の悪い時はあっさりと、点を取られたりもしていた。

 その落差があるからこそ、逆に魅力的にも映るのだが。


 優也の欠点はいくつもある。

 だがそれは見る者が見れば、指摘して修正できるはずのものだ。

 三橋シニアはそれほど有力なチームでもない。

 正しい指導をするのに、相応しいコーチもいなかったのか。


 天啓があった。

 あの才能のあるピッチャーを、どうすればいいのか。

 少なくとも自分には、分かっていることがある。

(白富東で、一緒のチームになったら)

 正捕手になるのは、正直難しいだろう。

 だがそれでも野球が好きならば、関わっていくしかない。


 元々白富東を目指すつもりではあったのだ。

 両親としては偏差値の高い学校であるし、野球などの競技は苦手だが、体は割と頑丈な方である。

 野球部も適度に参加して、大学入試に備えてほしい。

 そんな程度の期待は持たれていた。


 白富東は公立で甲子園の常連であるからには、多くの指導カリキュラムがあるのだろう。

 だがそれを別としても、潮はあのピッチャーと、同じチームで戦いたかった。

 多くのスーパースターが、テレビの中では見られる、野球黄金の時代。

 だがその中で、実際に戦ったすごいピッチャーというのは、あの一人。




 選ばれなかった優也は、白富東のスポ薦を受けた。

 そしてダメかなと思っていたが、合格した。

 どこでも選べた潮は、白富東を選んだ。

 その中で、優也と今度は味方として野球をするのだ。


 秋の大会は関東大会にこそ出場したものの、センバツは逃してしまった白富東。

 だが去年も秋の敗戦を糧にして、夏には甲子園出場を果たしたのだ。

 一年生の新戦力がどれだけ集まるのか。

 それ次第ではまた甲子園で戦えると、思う人間は大きい。


 自分の力で、甲子園に行こうとする者。

 甲子園に行ける力を持つのを、助けようとする者。

 野球に関わる姿勢は、全く違う。

 ただそれでも熱量は、同じぐらいではなかろうか。


 スーパースターのいた白富東は、その伝説を終えた。

 だが今は、現実として甲子園を目指している。

 天才でなくても、問題があっても、世界からは野球少年はいなくならない。

 そしてその物語は、また今年も、紡がれていくのである。

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