5 思わぬ告白
「おぉ、懐かしいトーホー!」
「うん、私も」
相槌を打ったら、へぇと返された。
「どのくらいぶり?」
どのくらいぶりだろう?前に来たのは忍ちゃんとだけど、何観たっけ?考えていたら
「ドラえもん以来?」
からかわれ、手にしていたバッグで海野君を叩く。
映画は意外に面白かった。というか泣いてしまった。一生懸命頑張る人の物語っていうのに昔から弱いのだ。隣に座る海野君にバレないように懸命に嗚咽を堪える。可愛いハンカチじゃなくて大き目のハンドタオルにしといて良かった。目と鼻をこっそりグシグシと拭う。
映画の後はカフェへ引引っ張って行かれた。薄暗くて狭くてちょっと怖い雰囲気の小さな小さな珈琲店。海野君はメニューも見ずにコーヒー二つ、と注文して杏を奥に通すと自分はその手前の椅子に腰掛けた。
おいおい、勝手に決めるなよ。そう思うけれど、初めてのこんな怖げのお店で事を構える勇気は杏にはない。暫し黙って座りながら待つ。音楽もなく、ただ静かに待つだけ。隣に座る海野君も珍しく何も喋らない。杏も黙って座りながら段々薄明かりに慣れてきた目でカウンターの奥に置いてあるものなどをぼんやりと眺めた。棚には沢山のコーヒーカップが並んでいた。座り心地の良い椅子に腰掛け、コポコポという軽やかで楽しげな音を耳に、目の前の棚にズラリと並んだ様々な色と形のコーヒーカップを眺めていると不思議と落ち着いてきて、何だか満ち足りた心地がしてくる。なんだろう。癒しの空間ってこういうのを言うのかな。
思えば、ここの所ずっと気が張り詰めてた。研究室を出てから親と口論することも多かったし、新しい仕事にもまだ慣れたとは言えない状況だし。でも、こうして静かな空間に身を置いてると、そんな些細なことなんてどうでも良く思えてくる。
そう、さっき観たガンダムの映画の中の人たちは理不尽な世界で戦いながら懸命に生きていた。今のこの世界でも、同じように戦いながら生きている人たちがいる。それに比べたら杏の悩みなんかヘソで茶を沸かすようなもんだ。
暫くして
「どうぞ」
目の前に出されたのは、薄いピンク色でラッパみたいな繊細な形をしたカップに入れられた真っ黒い液体だった。続いて海野君の前にもカップが出される。そちらは紺碧色のずっしりとしたフォルムの四角いカップだった。
「いただきます」
手を合わせて恐る恐るその繊細なラッパ型のコーヒーカップを手に取る。普段は紅茶派の杏だけれど、カップを持ち上げた瞬間にふわりと鼻腔をくすぐった芳醇な香りに頰が緩む。少しの間、辺りに漂う芳香を楽しんだ後に花弁のように薄いカップの縁に口を付けた。
「あ、美味しい」
コーヒーを飲みつけない杏だから、どう表現していいのかわからないけれど、優しくて深い味わい。
「うん、美味しい」
それ以外の言葉が出てこない。
「苦さは大丈夫ですか?」
マスターが穏やかな笑顔で聞いてくれる。普段の杏ならミルクと砂糖をたっぷり入れて誤魔化そうとするだろう苦さだったけど、このコーヒーにはそれをしたくなかった。
「はい。いつもは苦いのダメなんですけど、今日はよくわかんないけど美味しいから平気です」
隣の海野君が噴き出した。
「よくわかんないけどって何だよ。テキトーなヤツだな」
慌ててマスターに頭を下げる。
「ごめんなさい。コーヒーはあんまり飲み慣れてなくて。でも、ホント美味しくてカップも可愛くて、ほんわか、ぬくとい〔あったかい)気持ちになりました。いただきました」
手を合わせてペコンと頭を下げる。海野君が立ち上がってお札を置いたので慌ててお財布を出そうとしたら睨まれた。行くぞと手を引っ張られる。
お店を出た後、隣に並んで声をかける。
「あのさ。映画はともかく、さっきのコーヒーはちゃんと払うよ」
そう言ったら、
「スーツをクリーニングに出してくれたお礼ってことで」
そう言われ、そういうことかと杏は納得して黙った。
「ありがとう。じゃあ、私はここで。映画、良かったよ。ガンダムって初めて見たけど意外に面白くてハラハラワクワクしちゃった。今日は本当にありがとね。じゃ、また」
頭を下げて去ろうとしたら、腕を取られた。
「どうしていつもそうやってとっとと帰ろうとすんだよ?彼氏いないんだろ?」
「え。だって、親がうちでごはん作って待ってるし、明日も仕事だし」
それに誤解しちゃいそうだし、とは言えずにグダグダとしていたら
「俺と付き合ってよ」
いきなり言われた。
「え、どこに?もう映画は行ったじゃん」
「お前、そういう意味じゃないの分かってて言ってんだろ」
杏は黙った。
——だって。
海野君は続ける。
「望月忍とはもうとっくのとんま(大分前)に別れてる。それでもダメか?」
——なんだ、そっちこそ分かってんじゃん。
忍ちゃんはずっと杏の親友。高校の時に打ち明けられた。海野真吾と付き合い始めたって。別段驚きもしなかった。想像出来てたから。忍ちゃんは明るくて元気で、何より美人だ。中学の時から男子に人気があった。女子ながらサッカー部に入っていて、男子サッカー部のキャプテンをしていた海野君とはお似合いだった。
「何で別れたのさ?」
尋ねたら海野君は杏を鋭く見返した。
「お前のせいだよ」
「え?」
「そういうわけで、バンダイのホビーセンター行こーぜ。こっからチャリで10分ちょいで行けるからさ。等身大ガンダムがたまたま居たりしたらバカすげーじゃん?だから行こーぜ。夕飯前にはちゃんと家まで送るからさ。ほら、行くぞ」
ホラホラと追い立てられて頭が付いていけずにパニックに落ちかける。えっと、何だっけ?
「ちょっと待ってよ。何がホビーセンターよ!何で二人が別れたのがあたしのせいなのよ!」
「だって、俺たちがあんころ餅のこと好きだからさ」
「はい?」
「あ、聞こえなかった?俺、お前のこと」
大きな声を出されかけ、杏は慌てて海野君の口を押さえた。
「あんた、声バカでっかいんだから冗談でもやめてよ。それに時系列間違えてない?あたしがあんたと中学以来で会ったのは、ついこの前の話。あんたが忍ちゃんと付き合ってたのは高校の時の話でしょ?大体俺たちって誰よ?」
——まさかストーカー仲間?杏なんかにあり得ないけど、世の中には変わった人もいると聞く。
オゾゾと背を震わせた杏の前で、海野君はカラリと軽く笑った。
「それが時系列間違えてねーんだって。俺さー、あんころ餅のこと、前々から気になってたんだ。で、駿府城の前でバッタリ会えたからさ。これも何かの縁だと思って声かけたんだ」
「何かの縁って、あんたそれ前も言ってたじゃん。ナンパ下手だねぇ」
「ああ、俺ナンパってしたことないもんで。大抵言われるばっかだったし」
この男、どこまで自信過剰なのかと呆れ返る。杏はこれ見よがしに大きなため息をついてやってから口を開いた。
「前々から気になってたって、じゃあいつから?」
一応聞いてやる。と、
「小学生の頃」
なんと。思いもかけぬ言葉に杏はひっくり返りそうになった。
「あんたにはいじめられた記憶しかないんだけど?」
「そりゃ、小学生男子だぜ。好きな子じゃなきゃいじめねぇよ」
そういうもんなの?でもそれにしても、小学生の時のことを今持ち出してこられても、正直なところ、違和感しか感じない。
あ、もしかして。
杏は自分の手を前に出して胸を隠した。もしや、これのせいか。杏は悲しい思いで空を見上げた。
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