4 森のクマさん
「あんころ餅、お前ってほんとにバカ真面目だよな。何でチャリンコにまで名前シール貼ってんだよ」
「いーじゃん、別に。あたしがどこに名前つけとこうとあたしの勝手でしょ。何でそんなことあんたに言われなきゃいけないのさ」
「そこにカギ落ちてたぜ。名前付きのチャリキー」
チャラ〜ンと、タレ線の落ちる効果音が聞こえる。慌ててズボンのポケットを探るけど、目当ての自転車の鍵はない。
「わ、悪かったわね。あ、ありがと」
一応お礼を言ってカギを受け取り、鍵穴に挿す。
「あのさ、チャリンコとチャリキー、両方に名前付けといたら盗まれるんじゃね?つか、お前、あちこちに名前付け過ぎ。まさかスマホにまで付けてんじゃねーよな?」
そう言って、杏の手の中のスマホを覗き込もうとする。
「付けるワケないでしょ!自転車は通学してた時からのだから外してないだけ。防犯にもなるかなって」
「それ逆に危ねーよ。ストーカーに狙われたらどうすんだよ」
「ハン、あたしに付くような物好きなストーカーがいるもんならお目にかかりたいわね」
「へぇ、そう?目の前にいるじゃん」
「へ?」
海野君が瞳に剣呑な光を宿らせて顔を近付けてくる。
「望月杏、23歳、誕生日は6月15日。電話番号は05※・×>^。住所は静岡市葵区、ホニャラララ、1丁目2-3-4-5。彼氏いない歴23年。血液型はO型。趣味は」
——ヒッ!
杏はリュックを放り出した。ダッシュでその場を離れる。
「おまーりさぁん、この人捕まえてくださぁい!ストーカーですぅ!」
叫びながら飛ぶ(走る)。鷹匠の交番まであと少し。
だけど追い付かれる。腕を掴まれた。
「ち、違う!違いますっ!頼む、望月。落ち着いてくれ!悪かった!意地悪し過ぎた。この通り謝るから許してくれ」
その場に土下座される。杏は泣きながら自転車へと戻った。さっき投げ出したリュックが前カゴに戻される。
「ごめん。つい中学の時のノリで」
バチーン!
気付いたら平手打ちしていた。手の平がジンジンとしてハッと気付く。
「あ、ご、ごめん」
謝るだけ謝って杏は自転車に跨るとその場から逃走した。
でも後ろから誰かが走ってくる足音が聞こえる。何気なく振り返ったら海野君だった。スーツ姿のまま陸上選手みたいに肘を曲げてシュタシュタッと追いかけてくる。
——ヒィッ!
杏は仰け反った。
猛スピードで慣れた道を突き進む。しぞーかは自転車率が高い。東西に長くて交通の便が微妙だからだろうか。学生は勿論のこと、サラリーマンもパートのおばさんもほぼほぼがチャリ通。気候が穏やかだから、多少の雨なら濡れるのを厭わない。で、皆運転が上手いし車は法定規則遵守の安全運転が多いから、多少自転車で荒い運転をしても互いに避けられる。でもそれは置いといて。
——何で追っかけてくるのさ。そんなに痛かったのかな。でも、そもそもそっちが悪いんじゃん。
ふと、杏の頭の中を歌が流れ出す。
♩ある〜日、森の中〜、クマさんに〜、出逢った、花咲く森の道〜、クマさんに出逢〜った♩
あ、もしかしてまた何か落し物したのかも?止まって尋ねてみようかと振り返るけれど、
「待て〜!」
猛烈な勢いでダッシュしてくる海野君。黒のスーツをはためかせ、蜜柑色のネクタイを後ろになびかせて、仮面ライダーみたいな怖い顔で追いかけてくる。
——ヤダ〜!!!
チャリチャリチャリチャリ!
いつもの3倍くらいのスピードでペダルを漕ぎまくる。でもこちらは中学の時から使ってるインチの小さな自転車。相手は中学高校とサッカー部で馴らした脚。ヤバイヤバイヤバイ。もう追い付かれちゃうよぉ。
——でも何でそんな真剣に追ってくるのさ。ま、まさか本当にストーカー?
近所のチビチビ公園を通り過ぎ、田んぼと野菜の無人販売所と家が見えて来る。あと少しだ。杏は渾身の力で自転車のペダルを踏んだ。家に向かって声をあげる。
「お、おとーさぁん、おかーさぁん、たす」
ズシッ!
自転車が急に重くなり、言葉が途中で途切れる。
自転車の後ろの荷台に飛び乗った海野君が杏の口を手で塞いでいた。ブレーキをかけた自転車はズズズとタイヤを引きずりながら一直線に田んぼに向かう。
——あ、ヤバイ。この道は一年に一台くらいの割合で自転車が田んぼに落ちるんだ。今年はあたしか。あー、ツイてないねぇ。このチャリも長年頑張ってくれたけど、もうサヨナラかな。
「自転車のぉ、歪んだ前カゴ、青春のあとぉ」
なんて『友蔵、心の俳句』でも詠みたい気分になる。
その時、ハンドルが大きく右に切られた。自転車は止まったけれど、杏の体は慣性の法則で左前につんのめる。
目に迫る掘り返された田んぼの茶色い土。ナム〜と心の中で手を合わせる。
でも気付いたら杏は自転車に跨ったまま無事に止まっていた。後ろの荷台から左右に長く脚が伸びて自転車を支えていて、杏の身体は同じく後ろの荷台から伸びた左腕によって抱き留められていた。
「あっぶねー。無茶な運転すんなよな。明日の朝刊に載るとこだぞ」
「別にこのくらいなら載らないわよ」
冷静に答えながらも体が震えているのを自覚する。
「自転車の運転は気をつけろよ。一人の体じゃねーんだからさ」
さすさすとお腹を撫でられる。
「うん」
素直に頷いてからハッとする。
「あたしは妊婦じゃないよっ!」
ケタケタと笑う海野君を睨みつけ、杏は自分を支えてくれていた左腕をちみくって(つねって)やった。
「いってー!」
叫ぶその鼻先に指を突きつける。
「何さ。あんたが追いかけて来るから悪いんじゃん!何で追いかけてくんのよ」
「だってお前が逃げるからさ、こりゃ追いかけねーとって思って」
「追いかけられたから逃げたんじゃないさ。あたし、何か忘れもんでもした?」
海野君はいや、と首を横に振った。その額から汗が滴り落ちる。
「だって俺ん家、すぐそこだし」
そりゃ知ってるけど。
「あんな猛スピードで追っかけてくるんだもん。本当にストーカーかと思ったじゃん。ホントいい加減にしてよ」
まだ心臓がバクバクしている。胸を押さえる杏に、
「じゃあ映画付き合えよ。明日休みだろ?ほら、自転車も無事だったことだしデート出来んじゃん」
さらりと言う海野君。
「は?デート?」
「そ、チャリデート。じゃあ明日の朝10時に迎えに行くから」
「な、何であたしがあんたとデートしないといけないのよ」
「そりゃあ、彼氏いない歴23年だからさ、誰か親切なヤツが世俗の楽しみ方ってヤツを教えてやらねーとじゃん?」
「よけーなお世話だよっ!」
「じゃあ明日の朝10時にな」
そう言って行きかけた海野くんが振り返る。
「あ、もしすっぽかそうとしたら、俺、マジでストーカーになるかもしんないから覚えとけよ」
——ゾッ!
負けず嫌いだった小中学の時の彼を思い出し、杏は肩を震わせた。確かにこいつならやりかねない。どうしよう?真剣に悩む。それから思う。逃げたから追ったとさっき言っていた。なら逃げずに一日だけ付き合ってやればいい。それで満足するだろう。久々の郷里で、誰にも相手にされずに暇なのだ。ちょうどいいオモチャを見つけて、からかってるだけ。でなけりゃ杏なんか相手にする筈がない。しょんない(仕方ない)と杏は覚悟を決めた。
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