第5話 冬

 季節柄雪や氷が目立つこの季節だが、私の暮らしていた地域は滅多に雪の降らない温暖な地域であった。雪が降らなくても霜が降りたり水道管が凍ったり水瓶に氷が張ったりする場合はあった。お伽話やテレビの中の地域は雪が積もっているのに私の地元では雪が滅多に降らない。たまに降ってミリ単位で積もりでもしたら授業なんて中止、雪だるまも雪玉もまともに作れない9割泥の雪玉が存在した。けれど内地の、標高の高い山に行ったり山間の地域まで車を走らせれば普通の雪山である。こういった幼少期を過ごしてきた私なので世界有数の雪国国家出身でありながら雪国国家としての雪の暮らしの知識が身に付いていないことがある。


 国土の大半を山が占める日本は世界有数の雪国だと言われているが、雪の降らない地域での話題が多い東西南北に広い日本列島が雪国だと言われても雪が積もりにくい地域からいえば悩むところである。しかし、日本海側や東北地方に北海道、標高の高い山は毎年のように雪が降り積り、年中通して雪が残っているほど寒い場所もある。異常な積雪に頭を悩まし、交通網が完全にダウンしてしまうくらい猛寒の猛雪の地域も近年はあった。けれど冬の雪が暖かくなってきた日差しで徐々に溶け、それが水として豊かな恵みの始まりとなる自然の循環の摂理、生き物にとって過酷な銀世界でも春を迎えるために大切なものが雪の下に眠っている。そんな冬は暮れから始まる。


 雪が過酷なものであるとともに過酷さだけを見つけたわけではない。ウィンタースポーツである。スキーにスケート、冬におけるスポーツの定番。冬のオリンピックになって競い合う対象になっているものもある。


 オリンピックといえば、2021年の夏にオリンピックが開催となった。時期が時期なので苦いものになってしまったことはそれでも覚えておかなければならないことがある。


 はい、スキーをするにはゲレンデに行くのが一番である。スノボーや小さい子向けのソリもそうだが、冬に夜行バスに乗って朝から晩まで滑って呑んで楽しむなんてこともできる。少し前は暖冬でシーズン中にも関わらず、雪が降らないから全く積もらない。地面が剥き出しの状態でこれでは書き入れ時が成り立たないこともあった。時期に頼る経営はバブル崩壊を期に破綻したところがとんでもなく多い。これはバブルの負遺産として全体に言えるが、まあ廃墟が多い。


 スケートリンクに足を運んで滑る。自然の氷の上を滑るなんてお伽話の展開を現実にするのは命知らず、ある程度安全なワカサギ釣りや流氷の上だって割れたりして落ちれば死ぬ。あと山の中を生きて帰ってこれる気がしない。でもフィンランドではサウナの水風呂感覚で氷湖に飛び込むようだから、するのなら身体のつくりを変えなければショック死はある。氷の下の水中は置いておいて、氷の上でバランスを取りながらフィギュアスケートやスピードスケートなどに挑戦するのは咄嗟に受け身が取りにくい分大変だと思う。滑るだけでやっとという人やただ滑るだけならできるという人、最初は様々だが、平均台を歩くようにバランス感覚があり、転けてもいいというくらいの気持ちがないとへっぴり腰になって転ける。ローラースケートや一輪車と違う地面と接する面が細いが平面だからバランスは取りやすいとは思う。氷をきって滑る分シューズが鋭利だから使う道具を理解していなければ他人を傷つけてしまう可能性がある。気をつけなければならない。スケートリンクは冬期限定だから夏期はプールとして存在するレジャー施設もある。プールのように学校の課題になっているわけでないので滑れなくともさほど拘る必要は実際ない。


 ではクリスマスとしよう。海外の本場キリスト教徒の国だと家族や大切な人と過ごす大事な日なんだが、日本はカップルで過ごす聖夜の最中年末商戦に忙しい時期、この後に控えている大晦日かお正月で慌ただしいごちゃ混ぜ闇鍋状態の一部ではある。クリスマスツリーを飾って街はイルミネーションに輝き、ケーキとチキンを買って食べて、サンタさんを待つ。一連の流れを冬休み直前にするから落ち着きはない。サンタのコスプレもしくはサンタ帽を被った店員さんが至る所にいる。ケーキが売れるまで店先に立つミニスカサンタの女の子というシュチュエーションは夢があるが、大体ジャージズボンを履くことになる。短期アルバイトは大変である。


 年末を忙しなく過ごすことになる。社会人や上京している者は故郷に帰ったり、年の瀬に片付けに奔走しながらお節とお雑煮、年越し蕎麦か年越しうどんの準備をする。昔、年始のスーパーは閉まっているのが普通だったから三日分の食事の準備に忙しく、三ヶ日は主婦もお休みなんて実際できないが、食事を考える必要のない分楽ではあるのだろう。一族が会するのであれば酔っ払いの世話もあって大変でしょうが。冬休みの子供を見て、酔っ払いの世話をして、年越し蕎麦を食べながらテレビを見て除夜の鐘を付きに行く。108の煩悩は落とし、来る年を迎える。


 新年が良い年でありますように


 除夜の鐘をつく頃まで起きていられること、小さい時は難しかったが、大人になったら起きてられる。お寺を後にして寝るも良し、そのまま車で初日の出を見に絶景スポットに走るも良しなテンション、そのまま初夢はまだ。


 新年あけましておめでとうございます


 新年の挨拶を済ませ、お節とお雑煮で食卓を囲む。食べられる物が少ない好き嫌いの多い小さい頃、ひたすらお雑煮を食べていた。そして正月特番を見て初詣。近所の神社に行ったり有名な神社に行ったり様々。長い階段に長い行列、手水舎を済ませ長時間かけて漸く本殿でお詣り。毎年何をお願いしようか迷いながらお願い事をする。お守りや破魔の矢を買って去年のお守りたちはお返しする。お守りもたくさん種類がある。金運か恋愛運か学力成就、交通安全、そして総合運、迷う。神社やお寺も書き入れ時なので悩み過ぎていると人の波にのまれて最終的に買えないなんて笑えない話なので何事も事前にしておかなければならない。


 正月は何をするか、今はゲームがあるから暇に困らないが、昔は凧揚げやら駒廻し、カルタを童謡のようにやった経験はある。が、電線があって海や河川敷に行かなければまともに上げられなかった。しかも走れるような河川敷を知らなかったから海に行き、砂浜で飛ばそうとして砂に足を取られ飛ばないで帰ってきた、苦い思い出。駒回しもなれないから上手くはいかないものだった。


 そんな正月を過ごしつつ、初夢の存在も忘れ、一富士二鷹三茄子は夢の向こう。友達からの年賀状を見つつ、冬休みの宿題の今年の抱負はなんなのか。あんまり理解もせずにお休みが終わろうとしていった。


 成人式、新成人が紋付き袴や振袖、もしくはスーツを着て集まって派手に騒いで捕まってなんてニュース、毎年やっている。若気の至りでどうにかなるのかどうか、国が定めたハレの日をその歳の子がどう考えていたかはその時の大人が作ったものだ。政権腐敗というならばそれを選択した国民が作ったものだ。ならば成人式も成人するまでの子供達を当時の庇護対象である大人が作ったものなのだ。それを年端も行かない若人だけに押し付け静観するのはあまりにも身勝手だと思う。だがまずは節目を迎えた若者の門出を祝おう。そして人生はまだまだ続くこと理解しよう。


 年末年始が忙しかった分2月はゆっくりとだが、あっという間に来る。魔を追い払うための節分があるが、豆を撒くこともイワシとヒイラギを玄関先に飾ることもなく、恵方巻きにお株を奪われている印象がある節分を形上こなし、バレンタインやホワイトデー、雛祭りと着実に春に近づいていく。


 また新しい春が来る。梅の花が咲けばもう、温かな日差しがある。雪溶けに命を見よう。


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