第2話 春

 春は桜の季節だ。


 そう断言できるほど日本人にとって桜の存在は大きいものだ。桜前線異常なしとなれば花見が待ち遠しくなる。

 桜とともに春を迎えたいなんて贅沢な話だが、なぜ贅沢だと思うのかというと、春は桜以外に春を告げる表す事柄はたくさんある、それなのに桜にこだわる。これについていうとどの季節もシンボルとしてある。だから春は桜をシンボルとしたことがは贅沢だなと思う。

 辺り一体を覆い隠すように桜の花が咲きほこり、私の、彼の、我が子の、あなたの新しい門出を桜に託す。祝福を。この先の人生に幸あらんことを。そう願うように一瞬の花に託す。

 実際卒業式や入学式などの式典の時期と桜の満開の時期がずれている場合が殆どで、満開の4月初旬はもう春の終わりも近い時期なのだ。それでも自然の摂理のままにあるものを見て、あれば良かったなと思いながらも次の春を待つのも楽しみの一つである。

 はい、桜桜と言ってきたが桜といえばソメイヨシノ。そう言えるぐらい日本国内の街中、公園など様々な場所で見ることができる。種が付かず接木で本数を増やしていくクローン個体として有名な桜だが、人間や動物でクローンだと聞けば自分がもう一人、二人、たくさん…ドッペルゲンガーとも違うスペアとも違う。オリジナルとは誰なのか、なぜこの研究をしたのかなど自我が崩壊するとか可哀想にあたる存在意義だとかあんまり良いイメージはない。しかし植物のクローン個体と聞くと、便利や豊かさがある。それが動物や人間に当たらないかと言えばそうでもない。だが、知能指数が低いから気にならないのか人とは違う次元で生きているから気にならないという、人と共にあっても友になれないものは道具とする。人間と違う時間を生き、感情に意思の疎通が困難なものはいくら近くにいても便利な道具であり生きる糧とする。

 と、話がずれているので桜以外の話をするとする。

 春告げと呼ばれるウグイス、「ホーホケキョ」なんて声が春先からよく聞こえてくる。あの声が聞こえてくるともうそんなに暖かくなってきたのかと小鳥のさえずりに耳を傾けるようにはしている。それでもまだ寒い日があるので少しずつゆっくり暖かくなってくる日々にロウバイが咲いてきたら春だなとも感じる。昔の花見は梅が主流だったが、近年は桜にとって変わられた、といっても平安時代の話で遣唐使廃止以降は桜が主流になっていったそうで近年というと語弊はある。ソメイヨシノ単体でいうとさほど語弊もないが。

 梅は慎ましやかな小さな花が咲くが、梅の幹や枝の力強さに負けないくらい静かに佇む存在感がある。桜のような全体で一つの派手さではなく一つ一つが個性を表した華やかさがあるので花見を桜とだけこだわらず梅も春先に楽しみたいものである。

 どんどん暖かくなってくると、お馴染みの渡り鳥のツバメがやってくる。南下していたツバメがまた今年も子作りのために戻ってくる。家の軒下や駅構内、店先など人の行き交うところに巣を作り外敵から身を守って過ごしている。しかし、その人間が平気な点が糞などの衛生問題に深く関わり、巣の破壊排除する活動があった。これに関して飲食店の入り口付近や高速道路のサービスエリアで掃除はしてもしても100%大丈だとは言えないのは理解はできる。しかしそれでも子供の頃から馴染みがあり毎年帰ってきてくれるツバメと福を呼ぶ縁起の良い鳥として身近にある鳥だからこそ段ボールで作ったような簡易の糞取りではなく、丈夫な糞受け板や人工巣で今まで通り人もツバメも過ごそうと頑張っていた話もある。

 ここ20年くらいの話で、運動会が秋から春に移動した地域がある。2004年に2学期制が導入されてからは私の通っていた学校では運動会は春に変わった。秋は行事が多く一つ一つの時間が分散したり、近年の猛暑日でまともに運動できる環境ではなかったりと要因はあるが、普段の体育や春の運動会で熱中症対策ができているかといえばできていない。根性論で乗り切れるわけもないので保険教員や理解ある大人を増やさなければ子供に重大な障害を背負わせて生きていかせてしまう。このことは普段にも関わるので、重要な問題である。

 はい、では春さいごは修学旅行。修学旅行といえば学生さいごのメインイベントである。新幹線やバス、フェリーに飛行機と移動手段は様々で国内または海外に一学年全員で旅行する。課外実習にも言えるが校内で生徒の安全と教育をサポートするより校外で引率の先生方が学年全体をサポートするのではより危険度が違う。修学旅行や宿泊学習ができるのはある程度の学年となり、分を弁える年齢に成長している過程である。だから小学1年や2年とはわけが違うが、まだまだ成長過程の段階であり身体は大きくなっても心がついてきていない子も大人びた子もいる。校外だからといって引率の先生が2倍3倍になるとも限らないので学習の一環の名目だが、楽しみでいっぱいの子やなれない環境で不安の子もいるので多種多様に大変だと大人になってから思う。大人になれば思い出としてあったあれこれそれに楽しかったやら怒られたやらを語ることができるが、子供の時は制服で仲良しの友達と班になってワイワイ、トランプしたり歌を歌ったり課題をクリアしたりカメラマンさんに写真を撮ってもらったりしてはしゃいでいたなと思う。それで帰った後の写真選びにも青春の1ページが隠れていたりすることがある。

 また…なんて思わなくはないそんな懐かしい思い出たちを胸の中で輝かせておくとしよう。


 はい、それでは春のページはこれにて終了とする。桃の節句に端午の節句、菜の花など、たくさんあるが、厳しい日差しのもと、新緑の葉を揺らして夏の青さを迎えるとしよう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る