総武線快速 逗子行き

@malu8756

たった一話。

 家族のもとを離れ、ひとり暮らしを始めて2年がたつ。母方の実家が千葉にあるから、母親はよく関東へ遊びに来てくれた。今回も、母親が「鎌倉を旅する」と言って、わざわざ愛媛からやってきていた。今日はその最終日で、夕方の便で愛媛に帰るという。


 大きな鉛色のスーツケースをよっせと電車に乗せるとともに、青色の総武線快速は走りだした。あまりにも晴れ過ぎた真っ青な空が動き出す。見慣れた駅の広告は、あっという間に見えなくなった。


「次はツダヌマ、ツダヌマです。お出口は左側です。」車内アナウンスが流れる。いつもは電車の景色なんて気にしないけれど、今日ばかりは母親との別れを早める残酷なマシーンのように見えた。母親と故郷に帰りたい、そう願っても総武線は無情に速度を上げてゆく。


 その間、母親とは他愛もない話をした。地元のスーパーでとうもろこしが大安売りしていた話。いとこのリュウヘイがやっと高校を卒業した話。実家の玄関にいつも蝉が死んでいる話。向かいの席に有名なブランドの靴を履いた男が、彼女らしき人と一緒に舟をこいでいる。次の駅をアナウンスする電光掲示板をちらちら見ながら、母親の話を聞く私とは大違いだ。自分の大切な人との別れが来るか来ないかで、人間はこんなにも変わってしまうんだな。


「次は、キンシチョウ、キンシチョウです。お出口は右側です。」

 あと数分で別れがやってくる。母親がそのアナウンスを聞いて、急に泣き真似を始める。「ミナ、元気にしているんだよ。また帰っておいでね。」母親が私の頭をなでる。「あんた、頭熱いわね。」「え、熱いの?w うん、帰るよ。」

 電車が速度を落とし始めた。見慣れたキンシチョウ駅の風景が見える。


 電車が止まり、ドアが「ピンポン」という音とともに開く。直前にあれやこれやと詰め込んで太くなったトートバックを引き寄せ、立ち上がった。母親もドアの前まで来てくれた。母親に手を振っていると、また「ピンポン」という音がしてドアが閉まった。電車のドアが開いてから閉じるまでは意外に短い。別れを惜しんでいる時間なんてなかった。さっきまで隣の座席で会話を楽しんでいた親子は、電車の薄いけど頑丈なドアに隔たれた。私はとりあえず動かなければと、目の前にあった階段をスタスタと下りた。


 階段を最後まで下りて、総武線各駅停車への連絡通路だと気づく。田舎民にとって関東の駅はこういうトラップが多い。看板をちゃんと見ていないと、予想もしないところにたどり着く。先ほど下った階段をまた上って、ホームに戻った。母親が乗る総武線快速は走りだすところだった。私の大好きな母親は、動く電車の中では乗客のうちの一人と化していた。電車の最後で、ホームの安全確認をする車掌さんが見えた。電車は車掌さんを最後に走り去っていった。目元が急に熱くなる。夏の暑さで汗をかいた顔とそれを覆う白いマスクの間に涙が入り込む。マスクが濡れて、急に付け心地が悪くなった。


 半蔵門線に乗り換えるプロムナードを歩きながら、どうして私は親元を離れたのだろうと考えた。高校時代、周りの同級生たちは、第一志望に受かって東京や大阪へ夢を持って飛び出していった。私が受かったのは、第三志望の大学だけだった。それでも関東へ飛び出したのは、高校時代の私のちっぽけな都会信仰からだった。一年目は家族と離れた自由を噛みしめながら、都会の生活を楽しんだ。でも、二年目からは都会の悪いところが見えてきて、遊ぶ場所も、何もなかったはずの故郷が懐かしくなった。一人暮らしのスキルは身につけても、家族となんてことない時間を過ごす、静かな幸せは失ったように思った。


 トートバックの奥底に沈んだスマホを引っ張り出して、LINEを開いた。

「お母さん、また愛媛に、帰るからね。」母親にそうメッセージを送り、半蔵門線の改札を通った。


 fin.

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