インターナショナル・オレンジ

森山 満穂

マンションの一室/同調する波形

 あずま景太けいた。あいつがそんな名前だから、東京に行きたいと言うのは自然の摂理のように思われた。


「なあ、ディズニーランドって千葉にあるんだって」


 俺の部屋であるのにあたかも自分の部屋のようにくつろぎながら、景太はソファに身を預けてスマホをいじっている。テレビを見る時に寝そべれるソファが置きたくて、ちょっと奮発した九畳のワンルーム。今の景太を見ていると、この部屋にしてやっぱり正解だったと思う。男二人がのんきに過ごすには、八畳では狭すぎる。


「いや、東京っていってんだから東京だろ」


 俺は座卓を挟んだ正面、テレビの前の床に座って、カメラのレンズを丁寧に拭きながら答えた。


「ほら、千葉県って書いてある」


 そう言いながら、いじっていたスマホをこちらに向けてくる。そこには東京ディズニーランドの地図と『千葉県浦安市舞浜』と書かれた所在地が表示されていた。


「そんなワケ……ええ!! ほんとだ! まじで!? 詐欺じゃん!」


 俺は思わず景太の手からスマホを奪い取って画面に食らいついた。俺の様子を余所にあいつは「東京って言えば集客力ありそうだからじゃね?」なんて暢気なことを言っている。


「ええ、でもさぁ……なんかねぇ……裏切られた感するじゃん」

「裏切られた感、ハハッ」


 からっとした笑い声が近くに聞こえる。子供の頃から変わらないその笑い方に妙に安心する自分がいた。いつも通りに返したら、きっといつも通りの反応が返ってくるだろう。拗ねた振りをして唇を尖らせながら言う。


「なんだよ~。ってことは、今ディズニーランド行けるんじゃね?」

「どっちみち行けるだろ」


 景太は俺の手からスマホを取り上げると、また操作し始める。


「そっかぁ。でもさぁ、どうせならちゃんとした東京に行きたいよなぁ」


 田舎臭くも都会的でもない中途半端なこの町で、俺たちは小さな頃から幼馴染をやってきた。小さなコミュニティに収まって、スマホの中だけで広い世界を見て、憧れて。だから東京がどういうところなのかも本当はいまいちよく分かっていない。ただ漠然と東京に行けば何でも手に入るし、何でも叶うと思い込んでいる節があった。


「ちゃんとした東京、ね。ハハッ。ちゃんとした東京の名所は……」


 俺の発言を小馬鹿にして笑いながら、あいつは忙しなく指を動かす。


「東京タワーとか?」


 東京タワー。言葉を頭の中で転がして、あの道標のような赤い塔を思い浮かべる。


「東京タワー! いいね!」

「なに、その意外みたいな反応」

「だって思い付かなかったんだもんっ」


 拭き終わったカメラをバッグの中に仕舞う。あいつの笑い声を聞きながら、ふと窓の外に目を向ける。空の青は薄く、立ち込める入道雲をゆるくいなすような優しい色をしていた。一番上に昇りつめた太陽も、同じようにその光をばらまいて、いっそう色を穏やかにする。その眩しさは今にも世界のすべてが溶けてしまいそうな、現実味のないもののようだ。そう思った途端、手のひらに強い感触がしてはっとする。どうやら無意識にバックの紐を握り締めていたらしい。俺はそのままバックを肩にかけて、勢いよく立ち上がった。


「じゃあ行くぞ。東京タワーな」

「……ハハッ」

「なに?」

「ん、なんでもない。行くか」

「おお」




 

   *




 薄暗い病室の中で、若い男が眠っていた。窓の外の空が一面を厚い雲に覆われているせいで、彼の茶色い髪の色は血のように赤黒く見える。額や腕など身体に巻かれた包帯の下にも、それと似た色の痣が広がっていた。ベッドに横たわる彼の身体には酸素マスクや心電図の電極、様々な器具が取り付けられている。彼以外誰もいない病室には、深い呼吸音と生きていることを知らせる機械の音だけが鳴り続けていた。


 ピッ、ピッ、ピッ─ピッ。暗いモニターに映る一本線が、甲高い音に合わせて規則的に大きな波を作る。よく聞けばそれは、二つの音が重なり合っているようだった。もう一方の音は、壁を隔てた向こうの病室から聞こえてくる。その病室にも彼と似た年頃の男が眠っていた。こちらは短く切り揃えられた黒髪をいっそう強く闇に染めている。そして同じ、心電図の波を作っていた。


 ピッ、ピッ、ピッ─ピッ。彼らの波形は一秒の誤差もなく、同じ間隔、同じ軌道で線を描いていた。自分だけしかいない静かな病室で、二人は同じ命の音を響かせていた。


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