第三章 10話

「お言葉に背いてごめんなさい。でも……イディア様が迷子になったら困るなって。それでおれ……アルディスと一緒に来たんだ。聖殿は焼けてしまったけど、湖の町に帰ってきてほしいです」

 リューヤは一生懸命にそう言った。イディアがどんな過去を持っているのか、ショーレンたちの話を聞いて知っている。だからこそ、リューヤは大好きなイディア様に自分たちのところへ帰って来て欲しかった。

 イディアは自嘲的な微笑を浮かべ、少年の瞳を覗き込んだ。

「ありがとう、リュー。だが、そんな風に思われるのは辛いな。私はレミュールへの憎悪にかられ、アルファーダの加護を忘れた。そのために小夜や左京を塔に奪われてしまったのだから……」

 リューヤは、ぶんぶんと首を振った。

「そんなことはないです。イディア様はいつだってアルファーダのことを一番に考えてくださってるもの。だからアルファーダは、ここに存在するのでしょう?」

 自分の気持ちを伝えようと、ひっしとリューヤはイディアの目を見つめ返す。

 イディアは複雑な思いを深い息とともに吐き出して、苦笑するよう目を細めた。

「どうして復讐に徹することが出来ないのだろう。憎んでも余りあるカイルシアの末裔たちなのに……」

 哀しげな眼光を翡翠の瞳に宿し、ティアレイルたちを見やる。

 一時は本気でレミュールを滅ぼしてやろうと思った。彼らが考えていたとおりに、この塔を破壊して月を落としてやろうと ―― 。

 しかし、いざやろうとすると何故かためらわれてしまう。

「イディア様は優しすぎるから……生命が失われることの哀しさを、誰よりも知っているから、だからレミュールの人たちでも死なせることが出来ないんです」

 リューヤは誇らしげに、そしてキッパリと断言する。

 イディアは目を伏せ、口許だけで笑った。

「復讐といっても……本当にしたい相手はもう生きてはいない。在るのは、あの忌まわしい水晶だけだからな ―― 」

 そして、何かに気付いたように、アスカを見やった。

「さっきおまえは流月の塔を発動させる気はないと言ったな。では、どうやって三月のバランスを保つつもりなのだ?」

「その前に、ひとつ聞きたい。あなたは今までずっと、流月の塔の魔力を弱めようと……月を落とそうとしていたのか?」

 真剣な眼差しをイディアに向けて、アスカは訊いた。

 イディアはゆっくりと瞳を閉じた。

「……おまえたちも見ただろう? 小夜や左京を呑み込んだ魔力ちからを。アルファーダの植物も動物も……すべての生命は、この『流月の塔』と呼ばれるカイルシアの魔力の源となるために吸収されてしまう」

 自転停止のあの時、アルファーダのすべての命はあの閃光によって奪われた。けれども ―― それだけではすまなかった。

 今後ずっとこの塔と蒼月との魔力の連動でレミュールを守るために、その魔力を維持する多くの生命力が必要だった。それは、再生しようとする自然界の生命力だけではとうていあがなえない。

 だから ―― アルファーダで失われた生命は自然に還ることが出来なかった。

 人々の生命の源でもある魂は……肉体を奪われたままこの地に縛られ、残されたのだ。ゆっくりと、時間をかけて流月の塔が吸収していけるように ―― 。

「私はアルファーダに豊かな自然を取り戻したかった。ここに残されてしまった者たちのこころが安んじて暮らせるようにしたかった。だから『町』を造り始めたのだ。町は強力な結界になる。塔の魔力から守ることもできる。……恐らくそのために流月の塔が吸収できる生命力が減り、三月のバランスを保つことが出来なくなったのだろう。その行動が……『流月の塔を弱めようとしている』ことになるのなら、私はそれを否定はしないし、改めるつもりもない」

 止められぬ深い悲しみと、カイルシアへの怒りに包まれた翡翠の瞳が静かに語る。そこに、嘘はない。

 やはり ―― カイルシアはイディアの『町』造りを止めさせるために、ティアレイルたちをここに導いたのだ。

「…………」

 ティアレイルは無言のまま、唇を噛んだ。イディアの言葉に、反論など出来るはずもない。彼がやっていることは、決して間違ってなどいないのだから。

「アスカ、だったかな。次はおまえが質問に答える番だ」

 イディアはアスカの心底を見定めるように、じっとその紺碧の瞳を覗き込んだ。流月の発動をするつもりはないと断言した、その、真意を探るように。

 アスカはいつもの余裕のある笑みをその口許に浮かべて、しっかりと頷いた。

 それは自分の考えに対する自信というよりは、他者にそれを信じさせるための笑みだったといってもいい。

「ショーレン、覚えてるか? 緋月と蒼月から出ていた『ちから』のことを」

 イファルディーナの中から出て、近くで話を聞いていたショーレンたちを見やり、アスカは訊いた。

「ああ、覚えてるぜ。R・L・Sを消滅させた、あの正体不明の『波』だろう?」

 いきなり話を振られて、ショーレンは訝しげにそう答える。

「あれは、すべてを排除する働きがあるらしい。おまえのシャトルも、だから爆発した」

 そのアスカの言葉に頷きながら、ふと、ショーレンは思い出したようにティアレイルを見やった。

「そういえば、あの時シャトルにティアレイルが来たような気がしたな」

「……行ったわけじゃない。転移させようと術を使っただけだ。場所を選べなくて、こっちに飛ばしてしまったけど」

 ティアレイルはそのときのことを思い出して、苦い笑みを浮かべる。

「そうなんだよ、ショーレン。ティアがおまえを転移させようとした。けど、あの『波』のせいで思うようにならなかった。ティアの魔力も、排除されたんだ」

 アスカはそう付け加え、周囲を見回した。

 科学派のシャトルを。そして魔術派の象徴と呼ばれるティアレイルの魔術をも排除したその力。それは無視出来ぬものがある。

 ふと、ルフィアは何かに気が付いたように、色違いの瞳をアスカに向けた。

「 ―― もしかして、蒼月と緋月を、自ら発しているその『波』で排除させようっていうの?」

 アスカはご名答とばかりにパンっと手を叩き、さすがルフィアだと楽しげに笑った。科学派の造った緋月。魔術者たちの魔力の結晶である蒼月。どちらもあの『ちから』で排除できるだろうことは、今までの状況からも推測できた。

「均衡を保てず落ちてくるなら、排除してしまうしかないだろう?」

 こともなげにアスカはそう言ってみせる。

 余りに突拍子もない言葉に、皆は一瞬唖然とした。

「月を壊してどうするのよ。朝も来なくなっちゃうし、それに何より蒼月をなくしたら、自転と同じ環境が及ばなくなってしまうのよ。元も子もないわ」

 セファレットは、思わず呆れたように言った。アスカという人物は奔放な性格のわりには、意外と細かいところまで考えている人間だと思っていたのに買いかぶっていたようだ。そう言いたげに、非難するような視線がアスカに向けられる。

 アスカは心外だというように肩を竦めた。

「俺だって馬鹿じゃない。それくらいは考えているさ」

 そう言うと、アスカは何かを伺うようにティアレイルを見やった。

「……変わったか?」

 その視線を受けて、ティアレイルは微かにうなずいた。

 どこか唖然とした、けれどもしっかりと自分を見返してくるその翡翠の瞳に、アスカは嬉しそうに笑んだ。『月を排除する』という要素を取り入れた新しい『未来図』が、ティアレイルの脳裏にほんの僅かではあったけれど、レミュール崩壊の予知が揺らいだ方向を示して描かれたことに気が付いたのだ。

「まだ、最初の予知の根本は何も変わっていない……」

 ティアレイルは不確かな『未来図』に、そう判断を下す。

「……でも、やる価値はあると思う。アルファーダを犠牲にするよりは、ずっと良い」

 今までは揺るぎなかったその予知が、わずかでも揺らいだことが重要なのだとティアレイルは思う。それを糸口にして、回避する対策をとっていくことが出来るかもしれないのだから。

 ティアレイルの答えに、アスカは力強い笑みを浮かべ頷いた。

「俺が考えたのは、二つの月を排除し、流月の塔の黒水晶の魔力をも止めてしまえば、この惑星は再び活動を開始するかもしれない……ということだ」

 アスカは一語一語を自分自身も確認するようにはっきりと言う。

 自転停止の真実をティアレイルに聞いた時、ふと、思ったのだ。カイルシアが自分の魔力で自転を止めたのならば、その魔力がなくなれば、再び惑星は活動を開始するのではないか……と。

 たとえ、その十数年後に止まるはずのものだったとしても、今と昔では惑星の環境も変わってきている。それに、生命活動停止の原因とされた超魔術の開発は、今はすべて封印され使われていないのだ。有り得ないことではない。

「ふうん。その考えにも一理あるな。問題も多そうだけどな」

 ショーレンは考え込むように呟いた。

 重苦しい口調のわりには、その瞳はまるで新しい遊びを思い付いた子供のように笑っている。

「まあ、まずは月をどうやって排除出来る状態にするか。そして、カイルシアの魔力を止めることが可能なのか、だな」

 そう言うと、ショーレンはにやりと笑った。けっきょくはアスカの考えに乗り気なのである。

「そう。それが一番の問題だな」

 アスカは頷いた。自分の考えはすべてカイルシアの魔力を押さえられるということが前提となっている。それが出来なければこの考え事態がレミュールを、否、この惑星すべてを滅ぼすことになる。

「おかしなことだな。私がこの塔の破壊をやめてみれば、今度はレミュールの人間がそれを壊そうというのか……」

 イディアの翡翠の瞳には、複雑な光が宿っていた。

 今まで自分が知っていたレミュールの人間と彼らでは、印象がだいぶ違った。アルファーダの犠牲を知らず安穏と暮らしている『カイルシアの末裔』たちとは違う。まっすぐに、己を律している者が持つ潔さがイディアは心地好いと思った。

「これ以上、アルファーダを犠牲にしていくわけにはいかないもの。それに、私たちは今までカイルシア時代に造られた虚偽うその中で生活してきたようなものだから、これからは真実の中で生きてみたいじゃない」

 ルフィアはあざやかな笑みを浮かべ、イディアにしっかりと顔を向ける。

「…………」

 イディアは無言のまま、深い溜息をついた。

 以前ティアレイルも感じたように、ルフィアの琥珀と藍灰色の両眼は、まるで朝と夜の ―― アルファーダとレミュールのを象徴しているように思える。

 そんな彼女の目を見つめながら、イディアの口許に寂しげな、けれどもふわりと優しい笑みが浮かんだ。

「……分かった。おまえたちの言葉を信じてみよう。もしそれが可能なら、このアルファーダも本当の意味でよみがえることが出来る」

 自分の傍らで心配そうに成り行きを見守っていたリューヤの髪を軽く撫でながら、イディアは穏やかに言った。

 己自身を焼き尽くすかもしれなかった憎悪の炎は、緩やかに穏やかに。心の底へと再び鎮まっていた。

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