第一章 12話
ふうっと溜息をつきながら、ロナは組んでいた足をほどいて姿勢を正すようにティアレイルに向き直った。
「大導士にとても大事な話がある。君が昨日予知したことに関係ある話だ」
婉曲的に他の人間の退座を促すように、ロナは言った。
ティアレイルは不審そうに瞳を細めた。自分が予知したことをまだ総帥に話していない。それを総帥は知っているような口ぶりだった。さっき総帥室に呼ばれた時には、そんな素振りはなかったというのに。
「ええ……確かに予知はしました。それに関する話というと?」
翡翠の瞳を凛と光らせ、ティアレイルは総帥の心底を見極めるようにそう尋ねる。
ロナは軽く頷くと、再び退座を促すようにチラリとアスカたちに視線を投げた。その視線に、アスカの晴れ渡った夜空の瞳が鋭さを帯びる。
部下の体の不調も気にせず、またショーレンのことも眼中にないというようなロナのその態度が、気にいらなかった。
「その話というのは、今でなければいけないものですか?」
意志の強さを思わせる、はっきりとした低音でアスカはそう言った。
「そうですよ。今は話よりも大切なことがあるんじゃないですか?」
アスカに賛同するように、セファレットも強い意志を瞳に灯し総帥を見やる。ティアレイルの怪我を見ている分、その思いはアスカよりも切実だったかもしれない。
ロナは、軽く苦笑を浮かべた。
「これから大導士に話すことはショーレン君のいるD・Eにも関わりがあることだ。それに、あまりゆっくりしていられない話でね」
「…………」
柔らかな、そして諭すような口調だった。
アスカはしかし、瞳を軽く細めただけで動こうとはしなかった。別に自分達に秘密にすることはないだろうと、態度が語っている。
「ルフィア、あなたも席を外してくれる?」
「ショーレンは私の友人です。彼の救出に関係のある話なら、私にも聞かせてください」
率直なルナの要請に、ルフィアは彼女らしい凛とした眼差しで総統を見つめた。
事故の原因は、あの正体不明の『波』だと頭では分かっているのだが、それでもなお、自分の開発した
その責任を取るという意味でも、友人としても、自分がD・Eにショーレンを迎えに行きたい。その想いが強かった。
その気持ちを悟り、ルナは困ったように兄に視線を向ける。
上司である自分たちの要請にも一向に動こうとしない彼らを見て、ロナは何とも言えない不思議な笑みを浮かべた。白色の瞳が苦笑のように、しかしどこか楽しそうな色を宿していた。
「……まあ、いいか? みんな頑固そうだからな」
ゆったりと、部屋にいる部下たちを眺めやる。生来、あまり細かいことを気にしない性格でもあった。
「ロナならそう言うと思った。まったく、いい加減なんだから」
呆れたようにルナは息をつく。しかし別に反対しているわけではなかった。
ただ『両アカデミーの責任者のみに伝える』という約束を頭から追い出すために、少し悪態をついてみせたのである。
それがわかっているからこそ、ロナは妹の言葉に軽く笑みを浮かべただけだった。
「さてと、じゃあ私たちの話の前に、ティアレイルくんの予知の内容を話してもらえるかな?」
てきぱきと新しくいれた紅茶をそれぞれの前に置きながら、ルナは言う。
ゆったりと立ち上ぼる湯気をしばらく眺めてから、ティアレイルは心を落ち着かせるように瞳を閉じた。
「人々……いや、このレミュールにあるすべての生命が、炎の中に消えていきます」
閉じられた瞳の奥に昨夜予知した光景が再び蘇る。
命あるものがすべて、劫火に焼かれる。悲痛な……そして凄惨な叫びをあげながら、そのまま息絶えていくのだ。けれど。自分は何もできない。誰も救えない――。
これはただの予知。それでもティアレイルには今起きていることと同じように鮮明な映像として見え、そして感じてしまう。
あまりに惨いその光景に、ティアレイルの瞼が微かな震えを刻んだ。
「天上は朱に燃え、生命を焼き尽くす焔の海ようにこのレミュールを覆っている。私が予知したのはそういう光景です。それが起きる時期はおそらく半年以内……」
何かを堪えるように軽く拳を握りながら、ティアレイルはゆっくりと語った。
その予知は、ロナが先程みたものとほぼ同じだった。
「……その原因は、分かっているのかい?」
ロナは確認するようにそう尋ねる。伝承に関係があるのではないかという自分自身の見解はあったが、他人の意見も聞きたかった。
ティアレイルはふっと瞼を開けると、穏やかに沈んだ翡翠の瞳をロナに向けた。
「月です。蒼月と緋月の二つの月が、このレミュールに落ちてきます。昨夜、私はこれを予知するより先に、月の軌道がずれていることを確認しました」
ティアレイルの静かな、そして穏やかな口調に、ロナは金糸の髪をかき上げながら天を仰いだ。
「そうか。やはりな」
この予知は古月之伝承に関わりがある。そう思うと、気が重くなった。
「…………」
先程ティアレイルの研究室で世界崩壊の話を聞いていたセファレットも、改めてその光景を聞き身震いをする。
アスカやルフィアは信じられないというようにその目を見張るだけだった。
月が落ちてくるなどと、それはあまりに現実から離れた出来事ことであるような気がする。否、そう思いたかった。
「君達は、D・Eの正式名称を知っているかい?」
重い静寂を破るように、ロナは右手の指をテーブルで踊らせながらそう言った。
そのあまりにばかばかしい質問に、彼らは互いに顔を見合わた。
「Da
ティアレイルは当たり前のようにそう応えた。何を今更という気持ちが、ありありとその表情に現れていた。
その名称を知らないアカデミーの人間などいるはずがない。
「……そうだね。でも、それは表向きの名称なんだ。本当は『Dead Earth』。死した地球の略称だ」
「 ―― 地球って、私たちの祖先が住んでいたという惑星のことですか?」
セファレットは驚いたように、そう尋ねる。
ロナは軽く呼吸をつくと、哀しげな微笑を浮かべて首を振った。
「それも嘘だ。この惑星レミュールの、昔の名前が『地球』だった。このことを話せば長くなるのだが……」
そう言って立ち上がると、ロナは窓辺に寄り掛かり天空に浮かぶ月を見やる。
「昔……レミュールがまだ地球と呼ばれていた頃は、天に月はひとつしかなかった。それが『古月』といわれているあの月なのだが、今のように常に定位置にあったわけではなく、およそ一ケ月かけて地球の回りを公転していたらしいな」
古月之伝承の内容を思い出しながら、ロナは一語一語を確かめるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
そしてほんの一瞬の逡巡の後、ロナはしっかりとティアレイルの瞳を見つめた。
「実は、我々両アカデミーの責任者だけに伝えられる伝承がある。その伝承の中に『三月乱れれば天が落ちる』というくだりがある」
ティアレイルは、ハッと顔をこわばらせた。『
「古月・蒼月・緋月の均衡が崩れ、そのために月が落ちるということ……か」
三つの月のバランスが崩れたことで、あのすべてを排除する『波』が発生している。
その『ちから』が存在する限り、落ちてくる月を止めるどころかショーレンの身すら意のままにならないのが現状だった。
そう考えてティアレイルは暗然とした。このままでは、その伝承の言うとおりになってしまう。
「ティアレイル大導士、私が言った『三月』に古月は入っていない。もう一つ、この世界には月が存在するんだよ」
ロナ独特のさらりとした、しかしどこか奥深い口調に引き込まれるようにティアレイルは顔を上げる。
ロナは、再びゆっくりと話を始めた。
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