読める
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2月6日
ドレイの要求は日に日に悪化している。幼児のワガママにも似たかつての要求が如何に可愛いものだったか。我が家は最早、奴の許しを得なければ食事を用意することすら出来ない。用意できないだけなら良いほうだ。指定された料理を作ってそれを食べずに捨てるよう命令されることもある。ドレイは我々に無意味な行動を強いて苦しめることを楽しんでいる。花奈が耐えかえねて泣き出したとき、奴が今までで一番よく笑ったのがその証拠だ。
3月2日
母が死んだ。奴に父の形見を燃やすよう命じられ、自分も火の中に飛び込んだ。あれがドレイの要求ではなく、母の見せた最期の抵抗だったと信じたい。我々は奴の命令を受け、母を弔うことは許されなかった。どうしてこんなものをアテにしていたのか、俺は先祖への怒りを抑えきれない。
5月5日
今朝、ドレイが小花に命令を下した。小花は隠れて他所の祓い屋に相談していたが、それを奴に知られたらしい。我が家と無関係の人間を二人、この家に招き入れて奴に捧げなければ、代わりに小花の両目と両足を潰すと言う。何も知らずに我が家へ来た祓い屋は、ドレイを祓いきれず殺された。あと一人、誰かを犠牲にしなければいけない。
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日記の書き手──金森寿一によると、あの背が高い人影は『ドレイ』という名前の怪異らしく、そいつは金森家の先祖が頼っていた超常的な「何か」ということだった。金森の言っていた話を踏まえると、この家の力が弱まったことで、そのドレイとやらに家が支配されたということだろう。
そしてそいつは、金森家の住人に対して「無意味な命令」を出して楽しんでいた。日記に書かれているだけでも「ドレイが良いと言うまで同じ絵を何枚も描かせ、自分で全て焼かせる」とか、「細かく材料や手順を指示して料理をさせ、完成したものは誰にも食べさせず捨てさせる」とか、「掃除したばかりの場所に土を撒くよう命じ、直後に家が汚いと文句をつけて掃除させる」とか、怪異というよりは性格の悪い人間みたいな要求ばかりだ。
だが、その要求は徐々に悪化していき、最終的には無関係な人間を生贄として家に招くことすら要求し始めた。私が金森に呼ばれたのも、恐らくこれが理由だろう。日記の日付も、ちょうど私が金森に声をかけられた日の前日だ。
そんなことを考えながら、まだ先があるのではないかと思い、ページをめくったそのとき。私の目に飛び込んできたのは、先程まで読んでいた日記と同じ整った字ではなく、力任せに殴り書きされたような荒々しい文章だった。
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ドレイは怒りを食べる。先祖はあいつに頼ったんじゃない。頼り、崇め、奉らなきゃいけなかった。あいつがことあるごとに私たちを罵るのは、それが奴に栄養を与えるからだ。
パパは怒ってた。私を助けようとあいつに歯向かった。だから殺された。私のせいだ。余計なことをしたからバチが当たったんだ。
違う。そんなこと思ってない。全部あいつが悪い。あいつさえ居なければこんなことにはなっていない。でも、そう思っていたらあいつに餌を与えるだけだ。どうしようもない、家族を殺した相手に怒らずいられるわけがない。
祓い屋も駄目だった。あいつは相手を怒らせるためにしゃべり続ける。罵られたら、誰だって怒る。それをあいつは分かってる。理解してる。人間を怒らせる方法が分かってる。
どうして
あいつは神様なんかじゃない
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文章はそこで途切れていた。
「怒ってはいけない……?」
思い当たる節はあった。私があの人影──ドレイに物を投げつけたとき、私は妙なことに巻き込まれた怒りに任せて行動を起こしていた。だから自分に痛みが返ってきた、そういうことなのだろうか。
それに、あの声。「そいつは殺せない」と声が聞こえたとき、私は金森とドレイ、どちらに対しても怒りを覚えていた。もしあの声が「怒っていたら殺せない」という性質を理解していたとしたら。普段とは違う言葉の意味も理解が出来る。
しかし、それ以上に気になる一文があった。
「あいつは神様なんかじゃない、か」
聞いたことがある。祟り神というやつだ。崇め、奉らなければ災いを呼び、丁重に扱えば利益を与えるという神。確かにドレイという怪異の性質は、読み取れる範囲から考えるに、祟り神のそれに近い。しかし、この文章の書き手──十中八九、金森だろう──がそれを否定する理由はなんだ?
「神様ではない……人間を怒らせる方法を理解しているから? 人間の感情を理解しているから、神様ではない。じゃあ、あいつは、なんなんだ?」
そんな疑問を私が抱くのと同時に、扉の外から絶叫に近い叫び声が聞こえた。
「嫌ぁ! ごめんなさい! ごめんなさい! ちゃんとします! ごめんなさい!」
金森の声だった。まるで今まさに殺されそうになっているかのような、悲痛な叫び声。きっと彼女は今、ドレイと一緒に居る。
「わ、私が、私が殺せば、私は助かりますか? ちゃんとすれば、許してもらえますか?」
「どうしようもない、お前はもう、どうしようもない。ちゃんと殺せば、目は残す。足はもうどうしようもない。自分で潰せ、腱を切れ、さもなくば目も潰す。嘘つきの娘、お前はどうしようもない、だからもう、どうしようもない」
「そんな……嫌、嫌だ、なんで、なんで……っ!」
距離が近いのだろう。耳を澄ますと2人の声がここまで届く。悪趣味な会話だった。
「怪異というよりは性格の悪い人間みたいな要求ばかりだ」
ついさっき自分が抱いた、ドレイへの印象が脳裏をよぎる。
「あいつは神様なんかじゃない」
日記帳に書き殴られていた、金森のものと思わしき言葉が連想される。
「どうしようもない、どうしようもない」
ドレイのしゃがれた声が聞こえる。男か女かも分からない、年老いた人間のような声。
「あいつさえ居なければ」
日記帳で見た、金森の言葉。
私は書斎の扉を蹴り開けると、2人の声がする方向へと走り出した。ほとんど衝動的な、居ても立っても居られずに走り出した、そういう類の行動だった。
襖を開ける。ここじゃない。襖を開ける。ここでもない。襖を開ける。
「っ……! 黒咲、さん」
ナイフを持ったまま泣きじゃくる金森と、彼女を見下ろすドレイの姿が目に映る。
「今、そいつ殺せるよ」
私の「声」が、破顔する私の背を押した。
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