見える

「いらっしゃい、小花なら奥の和室です」

 母親らしき4、50代と思わしき女性に案内され、屋敷の奥へと進む。噂に聞いていた通り金森の家は大きく、こんなにあって何に使うんだと思うほど部屋数が多い。どこからか、線香のような匂いも漂ってくる。和風の屋敷なので、どこかに仏間でもあるのだろう。ここまで大きい屋敷だと、旅館の宴会場みたいな無駄に広い大部屋もあったりするんだろうな、などと考えているうちに、私は金森が待つ和室の前に辿り着いていた。

「あ、いらっしゃい。待ってたよ」

「あのねぇ、待ってたなら出迎えくらいしなさいよ」

 そう言いつつ私もちゃぶ台の前に腰を下ろす。なんというか、それこそ旅館の客室みたいな雰囲気だ。恐らく普段の生活で使っている部屋ではないのだろう。余計な物が置かれていないため、集中して勉強するには丁度いい環境に思えた。

「……じゃあ小花、しっかりやるのよ」

「はーい、分かりました。早速だけど黒咲さん、お願いね」

「はいはい。で、まずどこから?」

「えっと、今やってるのはここなんだけど」

「……これ前回のテスト範囲じゃない?」

「えっ」

 2人だけの勉強会は、思っていたよりも順調に進んだ。元々交流がなかったとはいえお互い悪感情のある関係ではないし、金森の地頭が良いので勉強の進行もスムーズだった。私の方も──これはこのとき初めて実感したことだが──他人に教えるとなると、自分が分かっていなかった部分に嫌でも気づく。そこを改めて覚えなおすと、より深く理解が出来た。なるほど、これは金森のお願いを聞いて正解だったかもしれない。これでお金まで貰えるのだ、願ったり叶ったりである。

 とはいえ、数学・化学・生物……金森が苦手だという理系科目のテスト範囲全てを網羅するとなると、順調とは言え時間がかかる。金森の母親が昼食にと唐揚げ定食を持ってきてくれたので、私たちは正午を少し過ぎた頃、お昼休憩としてしばしシャープペンをちゃぶ台の上に放り出すことにした。

「今、そいつ殺せるよ」

 空気を読まない声を無視して、箸を手に取る。まず最初に唐揚げを掴み、口に運ぶ。美味しい。冷凍食品じゃない、今さっき揚げたばかりという感じの肉だ。

 正直、他人の家ということもあって手料理が自分の口に合うか不安だったが、これは本当に美味しい。元々私は食が細い方なのだが、今日は箸がよく進む。特にこの唐揚げは、今までに食べた中で一番美味しいかもしれない。

 しかし、ふと金森の方を見てみると、彼女は茶碗を手に持ってこそいるが、全くと言って良いほど食事に手を付けていなかった。これでは私が無遠慮に食べ漁っているみたいになってしまう。私も思わず手を止めた。ちょうど、そのときだった。

「うちさ」

 金森が不意に口を開いた。

「昔はお祓いとかそういうことを専門にやる家系だったらしいんだよね」

 なぜ今そんな話を。そう聞き返そうとする私の方を見ず、金森は手に持った茶碗に視線を向けたまま話を続けた。

「でも、もうダメなの」

「ダメ……?」

「金森家の屋敷は本家も分家も例外なく、怪異に縁のある土地を封じ込めるように建ってるの。でも何年か前、本家の人間が呪いに負けたせいで、分家の人間も怪異を祓うような力を失ってしまった。土地を封じ込める為に建った家が力を失ったとき、その家はどうなると思う?」

 唐突に飛び出した、訳の分からない話。しかし、私も私で妙な声に悩まされている身だ。怪異だとかそれを祓う家系だとか、そういったものを「実在しない」と断定することは出来なかった。

「どう、なるんだ?」

 丁度いい返事が思いつかず、そのまま問い返す。すると金森は茶碗を持ったままぼろぼろと涙を流し始め、私の方を見て一言、「ごめんなさい」と告げた。

 次の瞬間、部屋の中から光が消えた。照明の光だけではない、窓から差し込んでいたはずの日光を含めあらゆる光が消え、私たちは暗闇に包まれた。

「おい、金森、どういうことだ」

「ごめんなさい、私が間違ってた、巻き込むべきじゃなかった、私がちゃんとしてなかったから……」

「それはどういう──」

 要領を得ない金森の言動に苛立ち、言葉の意味を聞き返そうとしたそのとき、私は部屋の中に私たち以外の気配を感じ取り、反射的に動きを止めた。「何か」が居る。

「どうしようもない、どうしようもない」

 しゃがれた老人のような声。男か女かも分からない声が、揺れたり分かれたり、部屋の至るところから響いてくる。

「どうしようもない、だからお前たちはどうしようもない。言われたことを守れない。どうしようもない。線香を焚いたな、肉を食ったな。お前は言われたことを守れるのか? どうしようもない金森の娘は、言われたことを守れるのか?」

「ごめんなさい、黒咲さん、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、でも、私は……!」

 光のない暗闇の中、見えるはずのない金森の姿が、何故か私の目にはっきりと映った。どこから取り出したのか、手にナイフを握りしめ、泣きながら私の方を見ている。そしてその手は、大きく振り上げられて──

「もうダメだから、こうしないと、私もう、ダメだから……!」

「なんなんだよ、一体!」

 振り下ろされるナイフを避け、ちゃぶ台を力任せにひっくり返して金森にぶつけると、私は勢いよく廊下へ飛び出した。暗闇は、和室の外にも続いていた。光源などどこにもないように見えるのに、薄っすらと物の輪郭だけが分かる。それだけで、今起きていることが「普通じゃないこと」なのは理解出来た。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ちゃんとします、ごめんなさい……」

「どうしようもない、どうしようもない、言われたことを守れない、どうしようもない、どうしようもないからお前の父ははらわたが腐った、あれはもう、どうしようもない」

 とにかくここから逃げないといけない。金森も、金森じゃない「何か」もおかしなことばかりを言い続けている。この場に居てはいけない。どうにかして、ここから出なければ。

 私は一瞬だけ和室の中を振り返り、それから玄関があった方向へ自分の記憶を頼りに走り出した。その一瞬の間に、ちゃぶ台で押し潰された金森の傍ら、やけに身長の高い人影が目に映る。

「駄目、そいつは殺せない」

 私の「声」が、初めていつもと違う言葉を発した。

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