激昂

「なるほど、命乞いを聞く気はない、か。しかし、どういうことだ。貴様、あれほど怯えていたのは演技だったのか?」

「…………」

 返事はない。私は勇者の剣を辛うじて防ぐと、彼から距離を取る為に部屋の隅へと飛び退いた。しかし、これは悪手だったと言える。勇者は私との距離を一気に詰めると、背後が壁になりこれ以上逃げられない私に対して剣を振るった。防げない攻撃とまではいかないが、しかし、再び防戦を強いられるという事態は避けたい。このまま追い詰められれば、攻勢に転じる機会を得られるかは怪しかった。

「あまり使いたくない技だが、仕方ない」

 私は勇者の剣を防いだ後、彼が新たに攻撃を繰り出すよりも先に自らの肉体を霧状に変化させ、勇者の背後へ回るよう移動してから元の姿に体を再構築した。魔族の中でも、夜族と呼ばれる希少種族だけが使える能力である。肉体の状態変化は魔力消費が激しく、長期戦を見越すのであれば多用は出来ない。もう守りに回るのは最後にすべきだ、自分にそう言い聞かせて、私は勇者の無防備な背中に剣を向けた。

 無論、そう簡単にいくはずはない。勇者は振り返りながら剣を真一文字に振り、私の攻撃を的確に防いでみせた。と同時に、剣を握っていない勇者の左手が私の脇腹へとめり込む。ただの拳ではない、魔力で強化された文字通りの鉄拳だ。咄嗟にこちらも腹部に魔力を回して防御を図ったが、攻撃を受けた直後の衝撃は確実に私の肉体へダメージを残していた。

 しかし、彼の手が直接私に触れたことで、違和感は半ば確信に変わっていく。

「貴様……まさか、既に死んでいるのか」

「…………」

 私の前に立ち、私を殺そうと剣を振るう男。敵意も殺意もあって然るべきの彼からは、欠片もそんな感情を読み取れなかった。否、それだけではない。あれほどまでに彼の心を支配していた死への恐怖もなくなっている。それもそのはず、彼は既に死を迎えていたのだ。死霊魔術は我ら魔族の技術だが、研究材料になるアンデットどもは何度も人間に捕らえられている。人間の側に使い手が現れていてもおかしくはない。

 しかしそうなると、何故この男が死んだのかが分からない。私を仕留める為ならば生きたままでも問題ないだろう。それに、あれだけ死を恐れていた男が自ら死を選ぶような作戦を立てるか? 答えは否だ。それはあのときの表情を見ていれば分かる。この男に、自分の命を捨てる覚悟などなかった。だとしたら、これは──

「……そういうことか、人間ども」

 無言で襲いかかる勇者の攻撃を躱しながら、私は自分の推測に──恐らくは真実であろう事の顛末に、激しい憤りを覚えた。

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