第2話

 少しずつ火星を離れていく。宇宙船の窓からそれを眺め、僕は胸が躍った。

「私達はここで生まれたのよ。父さんと過ごしたのもここよ」

「うん。ちゃんとここへ帰るよ。父さんに見てきたものを知らせなきゃ」

 僕がそう言うと、姉さんは微笑んだ。なかなか見られない姉さんの笑顔だ。

「それじゃ、一気に加速させるよ」

 僕が頷くと、姉さんはワープ機能を使った。今の技術なら、地球近くまでひとっ飛びだ。

「すごい、綺麗ね」

 姉さんは地球に近付くと窓から眺めて感嘆の声を上げていた。僕も窓の外を覗く。

「うわぁ! ここが地球……」

 青くて美しい地球に目が離せなかった。白い雲が所々表面を覆っている。

「アスカ、撮らないと」

 姉さんに言われて僕が急いで撮影を始めたとき、操縦モニターに異常を知らせる警報が流れた。

「どうしたのかしら」

「何の異常なの?」

「わからないわ」

 慌てふためいていたら、『近くの星に緊急着陸します』とアナウンスされた。

「そんな、ダメよ!」

「えっ!? じゃあ、地球に?」

 僕は嬉しい気持ちと不安でどうしていいかわからなかった。姉さんはその間もどうにかしようとあちこちを触っていた。

「こうなったら手動よ」

「ちょっと待って! そんなこと出来るの? 操縦なんて」

「やるしかないわ。このまま地球に行ってどうなるかわからないもの!」

 姉さんは自動から手動運転へ切り替わるボタンを押した。だが、反応はないまま宇宙船はどんどん地球へ近付いていく。

「どうして……」

「姉さん、地球に落ちるよ!」

 姉さんは様々なボタンを操作して手を尽くしていたけど、苦渋の表情を浮かべて言った。

「しょうがないわ。衝撃がくるからそなえて!」

 僕らは操縦席に座った。ぎゅっと目をつぶり、無事でいられるかドキドキしながら祈る。しばらくすると重力を身体全体で感じ、何も考えられなくなった。


 真っ先に真っ暗なモニター画面が目に入った。右を向けば、姉さんが操縦席で気を失っている。声を掛けてみたけど、すぐには目を覚まさないようだ。ひとまず、生きていて良かった……。

 窓の外を覗いてみると、僕は目を奪われた。すぐに操縦室を出て、宇宙船の出入り口の扉を開けるとそこには美しい景色が広がっていた。青い空の下、花々が咲き誇り、少し離れたところには緑豊かな木々が並び、川のせせらぎが聞こえた。遠くには山々が連なっている。

「これが地球なのね」

 振り返ると姉さんが立っていた。感慨深げに息を吐く。

「すごいね、姉さん。火星とは全然違うよ。寒くないし、暖かい!」

「そうね。わかってはいたけど、それでもこんなに違うものなのね」

 僕は宇宙船から降りて、地球の大地を踏んだ。そよぐ風が心地良く、太陽の光が眩しい。火星よりも過ごしやすそうだ。

「ちょっと、アスカ!」

「姉さんも来なよ! 花がたくさん咲いているよ!」

 様々な色の見たこともない花が咲き、見たこともない生き物が飛んでいる。僕は生き物を指して訊いた。

「あれ、何だろう?」

「あれは蝶という生き物よ」

 姉さんは警戒するように周囲を見わたしてから答えた。

「何で知っているの?」

「写真で見たことあるわ。人間がまだ地球にいた頃の写真が残っているのよ」

「何それ! 知らないよ!?」

「あなたに話したら余計、地球に興味を持つだろうと思って言わなかったのよ」

 姉さんの言葉にショックを受けていたら、近くにあった木まで姉さんは歩いた。

「これも見たことあるわ。桜という木よ」

 その木は、ほんのりピンク色の小さな花をたくさんつけていた。

「火星じゃ見ない木だね。綺麗だな」

 父さんがこれを見ていたら、何て言っただろう。

「空、曇ってきたわよ」

 僕は空を見上げた。さっきまで天気よかったのに……。

「ん? 何だ?」

 わずかに地面の揺れを感じた。しだいに揺れが大きくなる。

「地震よ!」

 突然の地震に動けないでいると、空が光った。

「わっ! な、なに……?」

「雷よ。危ないわ。宇宙船に戻るわよ!」

 急いで戻ろうと振り返った途端、宇宙船に雷が落ちた。それと同時に宇宙船が爆発した。その爆風で僕は吹き飛ばされ、桜の木にぶつかった。

「アスカ!」

 爆風が落ち着いてくると、姉さんが僕のそばに駆け寄ってきてくれた。

「大丈夫?」

「うん。なんとか。でも」

 宇宙船は落雷が落ちたことで無残な姿になり、僕は暗澹たる思いだった。

「これじゃ、帰れないわね」

「どうしよう……」

「ひとまず、落雷に合わないように身を低くしなさい」

 この状況に胸が塞がるが、姉さんの言う通りにした。

「あれ……何かしら?」

 姉さんは宇宙船の残骸の先を見ているようだった。少しだけ顔を上げてみると、姉さんの視線の先に巨大な穴があることがわかった。

「あれって……?」

「わからない」

 僕らはなるべく身を低くして穴のところまで移動した。実際に近くで見てみると、穴は広く、底は五十メートル位の深さだろうか。それを覗き込んで僕は息を呑んだ。そこには人間の頭だと思われる白骨があった。

「どうしてこんなところに……」

 僕はどうにか落ち着こうと一息吐いてから呟いた。

「まだ人間がこの地上にいたときの犠牲者か、それとも……」

 こんな状況なのに、姉さんは冷静で腹が据わっている。初めはじっと穴を見ていたけど、何かに気付いたように突如後ろを振り返った。僕も背後を見ると、そこに白い衣をまとった醜い顔の老人がいた。気配を全く感じなく、病的なまでに青白い肌をしていた。ところが、その目はしっかりこちらを見据えていて、この世の者とは思えなかった。僕は警戒した。

「誰だ」

 姉さんが訊いた。老人は観察するように僕と姉さんを交互に見てから言った。

「儂はこの大地の預言者。かつて、この地を追われた者達からこの大地を守っている」

「それって人類のこと?」

 僕は恐る恐る尋ねたが、預言者はそれに答えず、僕らに忠告した。

「お前達はすぐに戻らず、この地を踏んだ。その罪は重い。この地でもうすぐ死ぬことになるだろう」

 僕らを射貫くような鋭い視線だった。僕はそれに心臓を掴まれたようで恐怖した。

「まさか、この穴にある骸は……」

「以前、お前達と同じようにここへ足を踏み入れた者がいた。儂はすぐここから出ていくように警告したが聞かず、そやつはあろうことか、ご神木と崇められておった大樹を切り倒した。その罪により、この地は嵐で洪水が起きた後、気温が激しく上昇して日照りが続いて火山が噴火した。この星の怒りを買い、そやつは死んだのだ」

「この穴は一体……?」

「それは隕石が落ちた跡。そやつが来る前からあったものじゃ」

「私達はもともとここへ来るつもりはなかったわ。突然宇宙船の操作がきかなくなってここへ降りるしかなくなったの。留まるつもりもなくて、すぐに帰る気でいた。でも、落雷で帰りたくても帰れなくなってしまったのよ」

「それはお前達が怒りを買った証拠。訪れてはならないところへ来てしまったが故じゃ」

 僕は泣きそうになった。声が震えた。

「どうして、人類はここを追い出されなきゃいけなかったの? どうしてここにいちゃいけないの? ここは僕らの生まれ故郷になるはずだったのに」

「人類はこの星で好きなように生きてきた。その結果、自然が破壊され、汚されてこの星は苦しんだのだ。お前達はわかっているのか? 星も一つの命だということを」

 僕は何も言えなかった。そんな風に考えたことはなかった。

「人類はこの星にとって不要なものになったのじゃ。正常な状態に戻るために駆逐したのじゃよ」

「つまり、人類はこの星の病原菌というわけね」

 僕はかぶりを振る。頬が濡れた。

「何故泣く? 死ぬのが怖いか」

「違う。この星が人類をそんな風に思っていたことが悲しいんだ。たしかに人類の祖先はあまり良い行いをしてこなかったのかもしれない。でもそうじゃない人もいたはずだ。僕の父さんは一度でいいから地球へ行きたいと言っていた。きっと他にも大勢の人がこの星を恋しがっていたはずなんだ」

 預言者は訝しんでいるようだった。

「わからんな。自分事のように言っているが」

「当然だ。僕ら人類に関わることなんだから」

 預言者は黙った。

「アスカ、それは」

「何を言っている?」

 預言者は姉さんの言葉に被せるように言った。

「お前は人間ではないだろう」

「……えっ?」

 僕は預言者の言葉を理解できなかった。この人は何を言っているんだ?

「お前もそばにいる女も人間ではない。人間はもういないはずだ」

 僕が言葉を失っていたら、姉さんが言った。

「えぇ。私達は人造人間。もっと言えば、人工知能よ」

 僕は姉さんを見た。姉さんも僕の方を向いた。

「アスカ、私達の父さんが最後の人間なのよ」

「待って……どういうこと? 僕も姉さんも人間じゃない……?」

「最後の人間となった父さんは寂しさから私やあなたを造ったのよ。特にあなたは、交流を強く求めてのことだから知能の性能よりも人間性を重視してね」

「お前達は人類が残したもの。だからお前達もここへ来てはならないのだ。これが続くようなら、別の星にいる仲間も全て滅ぶだろう」

 預言者は僕らにそう告げると足元から徐々に塵となって消えた。

「僕が人工知能だなんて、嘘だ」

「いいえ。本当よ」

「……姉さんはいつから知っていたの?」

「最初から。父さんが私を造り、私という意識が覚醒してからよ」

「僕は何も聞いてない」

「アスカには余計な情報を入れたくなかったんでしょう。父さんは心の触れ合いを欲していたから、あなたを他の誰よりも人に近い存在にしたのよ」

「でも、僕は自分を人間だと思ってた! なのに……」

「父さんはあなたを人に限りなく近付けるために、喜怒哀楽を表現できるようにしたわ。今、あなたの頬が濡れているのがその証拠よ」

 僕は、ハッとして姉さんを見た。たしかに僕は今、泣いている。でも、僕は姉さんが泣いているところも怒っているところも見たことがない。それは姉さんが淡白なだけなんだと思っていた。

「それは特別なことなのよ、アスカ」

 姉さんの目の奥は感情が揺れているように見えた。

「晴れてきたわね」

 いつの間にか、雲間から日の光が差し込んできている。その光の下に視線を向けると、黄金色に輝く鬣の馬に乗った少年がいた。僕はその美しさに、しばし目を奪われていた。中性的な顔立ちの少年は僕らのそばへ寄って来た。

「君達が育った地へ帰りなさい」

 その言葉を聞いた途端、僕は目の前が真っ白になった。


 真っ先に視界に入ったのは僕の部屋の天井だった。とっさに起き上がって自分のいる場所を確認し、それから姉さんを探した。姉さんは自身の部屋のベッドに横たわっていた。

「姉さん! 姉さん!」

 僕が呼び掛けると姉さんは目覚め、勢いよく身体を起こした。

「アスカ! 目が覚めたのね。良かった」

「姉さん、どうなっているの? ここ、僕らの家だよね? 地球にいたはずだよね?」

「えぇ。あの少年と会うまではいたはずよ。私も気が付いたら火星に戻っていて驚いた」

「何で……?」

「もしかしたら、地球が許してくれたのかもね」

「どうしてそう思うの?」

「あの少年に救われたのがその証でしょ。イオさんによると、私達は発射台のそばに倒れていたらしくて、イオさん達が見つけて介抱してくれたわ。私の意識が戻った後は、あなたをここまで運んでくれたのよ」

 僕は今の状況の理解が追いつかなかった。

「とにかく、無事に火星へ戻れたのよ」

 僕は混乱しながらも安堵の気持ちが湧いた。

「そうだ、父さんに見てきたものを報告しなきゃ」

 僕と姉さんは父さんの墓のある、近くの小高い丘へ向かった。途中で買った花を手向ける。

「そういえば父さんが亡くなったとき、あなたを元に戻すの大変だったわ」

「え?」

「フリーズするんだもの」

 そうか。だから葬儀の直前までの記憶がないんだ。

「ごめん」

 僕は父さんの墓に向き直って線香をあげる。

「父さん、僕ら、地球へ行ったよ。想像以上の景色だったんだ。それから、地球も火星も広大な宇宙の中の一つの命なんだってわかったよ」

 姉さんは何も言わない。僕は続けた。

「父さん、僕、人間じゃなかったんだね……」

 父さんと過ごしたときの最期の姿が脳裏に浮かんだ。

「父さんがいなくて寂しいけど……僕を造ってくれてありがとう」

 僕は泣きそうになるのをこらえた。こんなに泣き虫なのは僕以外にいないだろう。

 姉さんが僕のそばに寄り添って肩に手を置いたのがわかった。姉さんの優しさがその掌から伝わってくるようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いのち 望月 栞 @harry731

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ