いのち

望月 栞

第1話

 ある学者の長年の夢であった火星移住計画の実行がいよいよ明日へと迫った。国を挙げての一大イベントでもある計画に、その学者は自然と心浮き立った。

「火星を人類の星、第二の地球にするんだ」

 学者は探査機が撮った火星の画像を自宅のスクリーンに映し、家政婦に見せて言った。

「おめでとうございます、旦那様。私もお供できないのは残念ですが、火星に行かれても旦那様の研究を応援しております」

「ありがとう。いずれは人工知能を持つ君のような人造人間も火星に移住できるよう取り計らうつもりだ。地球ほどは難しいかもしれないが、これからは火星を人間の住みよい環境にしていくため、君達の力も必要だからな」

 学者が顔をほころばせながら話している途中、外が何やら騒がしいのに気付いた。窓から外の様子を伺うと近所の人々がそれぞれ家から出て、北の方角を指しながら何かを叫んでいるようだった。見てきましょうと家政婦が家を出ていったが、すぐに血相を変えて戻ってきた。

「旦那様、大変です! 四人の騎士が北の空からこちらへ向かっております」

「四人の騎士って……まさか。それは伝説上の存在だぞ」

 学者はすぐさま外へ駆け出し、北の空を仰いだ。雲間から白、赤、黒、青い馬の四頭にそれぞれまたがった騎士がゆっくりと大地へ降りてくる。

「そんな、彼らが現れたということは、人類は……」

 学者は後ずさった。けれども周囲の人々の中には息を呑んでその場から動けずにいたり、興味から近くで見ようとする者がいた。騎士のそばにいるのは危険だと知る学者は家政婦と共に自家用車に乗り、なるべく遠くへ逃げようと走らせた。叫び声が聞こえ、途中で止めて振り返れば騎士に近付いた人々が苦しそうに倒れ、喘いでいるのが見えた。その人々の様子を青い馬に乗った骸骨の騎士が見下ろしている。

「あぁ、死だ……。疫病が蔓延する!」

「あれは、人類を滅亡へ導く者達ですよね」

 学者は車を再び走らせながら答えた。

「そうだ。伝説では、白い馬の騎士は支配、赤い馬の騎士は戦争、黒い馬の騎士は飢饉、青い馬の騎士は死や疫病を意味すると言われている。古い言い伝えだから、知らない者達も多いだろう」

「ですが、どうして今、現れたのでしょう?」

「よくわからんが、地球を人間から清めるために出現すると言われている。これから戦争や飢饉が起き、支配され、疫病が広がって人類は死んでいく!」

「何か手立てはないのでしょうか?」

「そこまでは……。くそっ! もうすぐ私の夢が、人類の新たな一歩が踏み出されるというのに……。そうか!」

「旦那様?」

「これから起こることを止めるのは無理かもしれんが、わずかな人類の助かる道はあるぞ」

 その後、学者の言った通りに国同士で争いが頻発し、人々は支配され、飢饉に悩み、飢えや疫病によって死に至った。学者は生き残るためにわずかな人類と人造人間達で宇宙船に食料を積んだ。

「よし、地球から脱出する」

 準備を整え、宇宙船に乗り込もうとすると蹄の音が聞こえた。振り返ると黄色い馬にまたがる白い衣をまとった騎士がそこにいた。

「旦那様、このままでは私達も……」

「いや、待て。黄色い馬なんて聞いたことないぞ」

 騎士は学者を見据えた。

「人間よ、この地を離れるならば二度とここへ戻ってはならない。この地はしだいに清められ、神の聖地とされる。もしまた、この地を踏もうとすれば再び歴史は繰り返されるだろう」

 騎士は学者に背を向けて駆け出し、徐々に消えていった。学者は騎士の言葉を胸に刻み、宇宙船に乗り込んで火星へ向かった。なるべく早く着くようワープ機能を使用し、一ヶ月で火星に辿りついた。

 その時から人類は人造人間と火星で共存し、長い時間を掛けて生活環境を整え、文明を築いた。そして、二度と地球に戻ることはなかった。


「これが火星に移り住んだ先祖の話だ」

 僕は火星の移住に、そんな出来事があったなんて生まれて初めて聞いた。ファンタジー映画の話みたいだ。僕がそう言うと、父さんは笑った。

「確かにそうだね。でも、実際にあったことなんだ。だから私達はこうして地球ではなく火星に住んでいる。だが、人類の本来の生まれ故郷は地球なんだ」

「どういうところなんだろう。行ってみたいなぁ」

「そうだね。父さんもお祖父ちゃんから聞いたとき、行ってみたいと思ったよ。でも、行ってはいけない」

「神の聖地だから?」

 父さんは頷いた。

「また火星でも同じことが起こってしまうんじゃないかと、みんな恐れているんだ。当時を知る者はもういないが、これは歴史として語り継がれている。以前、一人だけ周りの制止を聞かずに行ってしまった人がいたようだけど」

「その人はそれからどうしたの?」

「帰ってこなかったらしい。それ以外のことは全くわからないが、裁きが下ったんだろうと囁かれている」

「なんか、怖いね。地球の写真を見ると青くてきれいで、神の聖地って言われるのも何となく納得できちゃうけど」

「地球には四季がある。火星よりもきっと自然が豊かなんだろう」

「四季の感覚がわかんないんだよな」

「火星は冬と言われる季節に等しいようだ。寒い季節だよ」

「じゃあ、あったかい季節もあるの?」

「それどころか、暑い季節もちゃんとあるって聞いているよ」

「え~、信じらんないなぁ」

 コンコンと扉を叩く音がした。それから姉さんが入ってきた。

「アスカ、もう時間よ。お父さんを休ませてあげなさい」

「あ、うん……」

「ごめんな、アスカ。また明日な。エレニア、アスカを頼む」

 姉さんは頷いた。

「父さん、早く良くなってね」

 父さんは僕の頭をなでてくれた。それから僕と姉さんは父さんの部屋を出る。

「お父さんはまだ体調が良くないんだから無理させてはダメよ」

「うん。でも、もっと父さんと話したい」

 姉さんはため息を吐いた。

「姉さんは聞いた? 地球の話」

「えぇ」

「地球の地上はどうなっているのかな?」

「興味はあるけど、考えたってわからない。私達は火星で生まれたんだから。今の生活環境は地球での暮らしとあまり変わらないだろうとまで言われているのだから地球にこだわる必要もない」

「そうだけどさ」

「お父さんも一度は地球へって思っていたようだけどね。気軽に旅行感覚で行けるようにならないかなって」

「旅行かぁ! いいな。父さんを連れて行きたいな」

「そんなこと簡単に言わない方がいい。伝説を恐れている者は多いんだから。それより、もう遅い時間よ。寝なさい」

 僕は仕方なく自分の部屋へ戻った。


 翌日、僕は姉さんに起こされた。

「アスカ! お父さんが!」

 僕は飛び起きて父さんの部屋へ急いだ。父さんは苦しそうに喘いでいる。

「父さん!」

 僕がそばへ駆け寄って声を掛けると、父さんはなんとか笑おうとしているようだった。

「アスカ……お前が、いてくれて、良かった」

 か細い声で言うと、父さんは目を閉じた。確認したら息も止まっていた。僕は頭の中が真っ白になるなか、姉さんの声が響く。

「しっかりしなさい、アスカ」

 気付けば、父さんの葬儀をしていた。あとから聞いたけど、姉さんが葬儀の準備をしている間、僕は部屋でふさぎ込んでいたようだった。葬儀の最中、姉さんの隣で何も考えられず、されるがままだった。それなのに、写真の中の父さんはニコニコと笑っている。

 父さんは土葬された。墓には父さんの名前である『カリスト』の文字が彫られている。その文字を見つめながら、行ってみたいと言った父さんの顔が思い浮かんだ。

 僕は一週間後に父さんの知人の学者を訪ねた。その学者は葬儀に参列してくれた方で、火星に移住した学者の子孫に造られた人造人間のイオさんだ。子孫から宇宙工学の知識を受け継いでいるらしい。

 通された客間のソファに座って葬儀に参列してくれた礼を告げてから、用件を簡潔に述べた。

「僕、地球へ行きたいです!」

 唐突だったせいか、イオさんは不意をつかれたような表情で僕をじっと見た。

「……急にすみません」

「いや、堂々と口にしたから、ちょっとびっくりしたんだ。その願望を抱いている者は多いが、なかなか話せないことだからね。でも突然どうしたんだ?」

「地球の伝説について、父さんから聞いたときに言っていたんです。地球に行ってみたいって。僕も同じ気持ちだし、父さんが叶えられなかった願いを僕が叶えたいんです」

「う~ん、なるほど。つまり、宇宙船を使いたいのかな?」

 僕は頷いた。イオさんは二の足を踏んでいるようだ。

「行ってどうなるかわからないのに?」

「だからこそです。一人だけ行った人がいるそうですが、その人がもしかしたら無事に到着してもうそこで暮らしているかもしれません。プラスにもマイナスにも考えられるなら、プラスの可能性を信じたいんです」

「君の気持ちはわかるが、止められるよ。お姉さんには何も言われなかったのかい?」

「簡単に言うなと言われました」

「うん、確かにその通りだね。伝説に関してはみんな半信半疑だけど、昔から伝えられていることで実際に同じことが起こったから怖いから、みんな避けるんだ」

「イオさんは信じているの?」

「何とも言えないな。でも、もし君に何かあったらカリストに顔向けできない」

 そう言われると、僕は何も言えなくなった。

「……まぁ、行く方法はないこともない」

「えっ」

 僕は耳を疑った。イオさんはそばにあった小さな机の引き出しから一枚の紙を取り出して僕に差し出した。それには大きく「募集中」と書かれているのが目に入った。

「近々、地球へ探査に行く計画が持ち上がっている。それは地球へ下りることなく、地球の周辺を回って様子を伺うものだけど」

「僕、行きたい!」

 つい大きい声を上げてしまった。イオさんは笑って言った。

「募集をかける予定なんだが……僕から君を推しておこう」

「本当ですか!? イオさん、ありがとう!」

 イオさんは詳しい説明をしてくれた後、こう言った。

「お姉さんには伝えておきな」

 僕は姉さんを思い浮かべて憂鬱になった。姉さんになんて言われるだろう……。


 姉さんはベランダに干していた洗濯物を取り込んでいるところだった。

「おかえり。これ、畳んで」

 僕は畳みながら姉さんに切り出す。

「姉さん、僕、地球に行こうと思う」

「まだそんなこと言ってるの?」

「地球探査の計画が持ち上がっているんだ」

 姉さんは信じられないといったような驚いた顔で僕を見た。僕は慌てて付け足した。

「地上に降りるんじゃなくて、地球を周回して様子を見るみたい」

「……そういうことね」

「地球を間近に見るチャンスだよ」

「だとしても、無事に帰って来られるとは限らないわよ」

「うん。宇宙に出るから何かトラブルが起こるかもしれないけど……でも」

 姉さんはかぶりを振った。やっぱりこうなるかと思ったが、それでも僕の意思は変わらなかった。

 正式に地球探査の調査員の募集が始まってから五日後、イオさんから連絡をもらった。調査員の一人として決まったようだ。

 僕は宇宙船発射の当日、部屋に姉さんへの置き手紙を残して家を出た。宇宙船発射台にはイオさんや探査計画の関係者が集っていた。

「来てくれたね、アスカ」

「もちろんです」

「あともう一人来るよ」

 イオさんはニヤッと笑った。

「あ、来たぞ」

 関係者の一人が声を上げた。視線の先を追うと僕は固まった。姉さんがこっちに向かって歩いてくる。

「ようやく来たね、エレニア。アスカがびっくりしているよ」

 その発言に僕はイオさんを凝視した。

「どういうこと……?」

 状況についていけなくてそう訊くのがやっとだった。

「エレニアも行くんだよ、地球に。君には今日まで内緒にしようと話していたんだ」

「地球探査のことを聞いたとき、イオさんから知ったんだと思って私もお願いしたのよ。あんたは止めても聞かないだろうからって」

 開いた口がふさがらないとは、まさにこのことだ。

「一人で行かせられるわけないでしょう」

「……ごめん、姉さん。ありがとう」

 姉さんはため息をついて苦笑した。

「早く行ってこよう」

 僕は頷いた。

「それじゃ、案内するよ」

 僕と姉さんはイオさんらのあとについて宇宙船に乗り、船内の詳しい説明を受けた。地球へは自動操縦で向かい、地球を周回する間、地球を動画や静止画で撮影し、記録に残す。それが僕らの任務だ。

「それじゃあ、また会おう」

 イオさんは他の関係者達と宇宙船から降りた。僕と姉さんだけになり、操縦席に座る。イオさんから無線が入り、発射の許可が下りるといよいよかと緊張が高まった。

「さぁ、行くよ」

 姉さんは僕の返事を待たずに宇宙船を発射させた。

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