第6話:アップデートの時間

 彼の容態は、良くなってなどいなかった。先週と変わった様子もなく、相変わらず骨と皮だけで出来たような体をしていた。

 先週から体調の変化が激しいという話を聞いて、強烈な罪悪感が私を襲った。そうだ、あのゲームはヒットポイントが減っただけでも多少の影響がある。私が何度も戦闘を繰り返していたから、その影響が現実の彼を襲っていたのだ。

 だが、それならどうして病状に影響が出ていない? 悪影響だけが反映される、なんてことはないはずだ。僅かな希望に陰りが生まれ、私は焦った。こんな超常の手段に手を出してもまだ、彼を救うことには繋がらないのか?

「……また来るよ、和輝さん」

「うん、待ってるよ、真理ちゃん」

 まだレベル上げが足りないのか。それとも、こんなことは無意味なのか?

 私には、和輝さんを助けることなど出来ないのか?

 何も分からなくなった頭を落ち着かせられないまま、病院を出る。晴れた空の清々しさがかえって腹立たしかった。どうして世界はこんなに正常なのだろう。悲劇はどこにでも溢れているのに、どうしてまともな顔をしていられるのだろう。そう、疑わずにいられなかった。

「酷い顔ですね、無神論者のお嬢さん」

「……アンタは」

 声のした方へ視線を向けると、そこにはいつか出会った金髪の女が立っていた。ミストレス・シュピール、どうしてこんなところに。

「お久しぶりですね。どうです、私の作ったゲームは。楽しんでもらえましたか?」

「どうして、あの人の病気は良くならない? ステータスを上げれば、現実の肉体にも影響が出る、そのはずだ。どうして、あの人は健康になれないんだ?」

「おっと、質門に質門で返されてしまいましたか……しかし、そこは『勤勉なる玩具職人』ことミストレス・シュピール。質門にはお答えしましょう」

 わざとらしく大きな身振り手振りを見せながら、ミストレスはそう言ってにやにやとした笑みを浮かべる。やはり、目が怖い。確かに笑っているのに、どこを見ているのか分からない、不思議な目が私の方へ向けられていた。

「あの人、というのが誰かは分かりませんが、ゲーム内でステータス上昇が確認出来るのに病気の克服に繋がっていないということは、それが肉体ではなく精神に起因するということ。ようするに、魂の側が既に病の克服を諦めてしまっているということです。こればっかりは、肉体に影響を与えるだけではどうにもなりません」

「病の克服を、諦めている……? じゃあ、和輝さんはもう、病気の治療を諦めて……」

「恐らく、その方は長年病気と戦ってきたのでは? それでも一向に良くならないとなれば、どこかで心が折れていてもおかしくはない。いまさら外部から励ましを送ったところで、そう簡単に意思の力を取り戻せるとは思えませんね」

「そんな、それじゃあ……あのゲームがあっても、和輝さんの病気を治すことは……」

 足元が崩れるような感覚だった。信じたくない、そう思う反面、そうなのではないかと薄々感じていた自分が居るのも確かだ。あの人は、絵が描けなくなってから一度も、病気が治ったら、という仮定の話をしなくなっていた。あれはつまり、もう病気と戦う気力を捨ててしまったからなのではないか?

「じゃあ、私はどうすれば……」

「……あのゲームを他人の為に使う人が居るとは、思っていませんでした。ましてや、貴女は私の目から見ても利他的な人間には見えなかった。意外も意外、これには流石の私も驚きです。いやはや、これは喜劇であらねばならぬ。私、こう見えてハッピーエンド至上主義の甘ちゃんなのでね」

 そう言うとミストレスは、私の手を掴んで歩き出した。

「な、何を!?」

「何って、助けに行くんですよ、貴女が助けたいと願うその人を。ここに入院しているのでしょう?」

「そうだけど……助けるって、一体どうやって」

「その人の心は既に病魔との戦いを拒絶している。だから肉体をいくら強くしても、病魔を克服することが出来ない。だったら、代わりに倒してしまえば良いんですよ、貴女がね」

「へ?」

「そうだ、今あのゲーム機持ってますか?」

「い、一応持ってるけど」

「貴女のレベルは?」

「えっと、58」

「上出来です。それだけあれば十分でしょう」

 そう言うミストレスの顔は、さっきまでのにやにや笑いとは打って変わって、無邪気な子どもに似た満面の笑みを浮かべていた。

「さあ、アップデートの時間ですよ!」

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