かぐや姫の月見旅行

望月 栞

かぐや姫の月見旅行

 月の都の中心にそびえる宮殿。その宮殿の中の一室に、美しい天の羽衣を羽織ったかぐや姫がいた。彼女の身の回りの世話をする側近の神奈が、かぐや姫に告げる。

「今宵は涼しいそよ風が吹いております。お外へ出てみてはいかがでしょうか」

 神奈はかぐや姫から天の羽衣を脱がせ、送り出す。そのままかぐや姫は部屋のバルコニーへ出て外を眺めた。

 見下ろした街には、多くの月の民が住んでいる。そして見上げれば、青い地球が見えた。

「今日もとても綺麗ね」

 誰に言うでもなく、感嘆の声を漏らす。毎夜、こうして地球を眺めるのが彼女の日課だった。何故か地球を見ると美しさに見惚れるのと同時に、懐かしく感じていた。

「どうしてこんなに地球が恋しいのでしょう。一度も訪れたことはないのに……」

 かぐや姫は以前から地球に興味を抱き、行ってみたいと思うようになっていた。

「お伺いしてみましょうか……」

 かぐや姫は神奈を連れて部屋を出て、王の間へと足を運んだ。扉の前に来ると、彼女は言った。

「王様、かぐやでございます」

 すると、扉がゆっくり開いてかぐや姫は中へ入っていく。そこには玉座に座り、豪華絢爛な衣をまとった王とそばに付き従う彼の側近がいた。

「かぐやか。如何様にここへ?」

「ぜひ、お許しを頂きたくこちらへ参りました。一度だけで構いません。地球へ行ってみたいのです。行かせていただけないでしょうか」

 かぐや姫の言葉に、王は眉間に皺を寄せた。

「何故、地球へ行きたい?」

「あの青く美しい地球がどのようなところなのか、実際に行ってこの目で見てみたいのです」

 王はじっとかぐや姫を見詰めた。かぐや姫も視線を逸らすことなく、王を見た。

「……よかろう。ただし、神奈を一緒に連れて行きなさい」

 かぐや姫は許可を得られ、胸が躍った。

「はい! ありがとうございます」


 早速、雲に乗ってかぐや姫と神奈は地球へ向かった。夜遅い町の誰もいない神社に降り立つ。そして振り返り、空を見上げて思わず息を飲んだ。

「月があんなに美しい……」

 雲の晴れた夜空にひときわ光り輝く月が地上を照らしている。

「地球から見ると、月はこんな風に見えるのですね」

 かぐや姫の隣で神奈も月に見入っていた。かぐや姫は周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。

「ここなら静かに鑑賞できそうね。空気も他の場所よりとても良いし、いずれまた来たいわ」

 かぐや姫の言葉に神奈は驚いた。

「また……? 今回だけのはずでは?」

「えぇ。すぐには許してはもらえないでしょう。それでもまた、この地から月を眺めたい。それに、ほら、こちらへ」

 かぐや姫は神奈を手招きし、神社の社の前を通り過ぎて奥まで行くと、その場所から見下ろして言った。

「綺麗でしょう?」

「本当ですね……!」

 その場所からは夜景が一望できた。家の明かりが点々と連なり、夜空に浮かぶ星に負けてはいなかった。


 しばらくして月へ帰ると、かぐや姫は部屋へ戻った。

「神奈、来てくれてありがとう。私はこれから少し休むわ」

「はい。ごゆっくりなさいませ」

 そう言って神奈は部屋を出ると、王の間へ向かった。

「王様、かぐや姫様の付き人の神奈でございます」

 扉の前で告げると、ゆっくり開いた。王の前まで足を運び、一礼する。

「かぐやはどうであったか?」

「問題ございません。地球からこの地、月を眺められまして、とても喜んでおりました。降り立った場所も人気のない静かな場所でしたので、ゆっくり観望できました」

「そうか」

 神奈は目を伏せ、恭しく頭を下げる。

「……差し出がましいことではありますが、王様にお願いがございます」

「言ってみよ」

「かぐや姫様はまたあの地から、月を見たいと仰っておりました。恐れながら、どうかその願いを叶えてはいただけないでしょうか」

 王は少しの間、沈黙した。射貫くように神奈を見詰める。

「私の懸念していることを分かったうえで言っているのか」

「はい。今回、かぐや姫様と共に地球へ参りましたが、王様がご心配されるような兆候は見られませんでした。美しい景色を忘れんがために、しばらくは天の羽衣を着ることはなくなりましょうが、それでも大丈夫だと思われます」

 王の視線を感じながら、神奈ははっきりと言った。

「かぐや姫様に憩いの時間を少しでもお与え下さい。お願い致します」

 神奈は深々と頭を下げた。自然と額に冷や汗が浮かぶ。

「……わかった。そなたのかぐやを想う心に免じて、月に1度、地球へ行くことを許そう」

 神奈は自然と顔がほころんだ。

「ありがとうございます」

「かぐやの様子に少しでも違和感を覚えたら、すぐに知らせよ。……万が一のことがあれば、再び天の羽衣を着させる」

「はい。承知いたしました」

「……もうあれから1000年経つのだな」

 王の呟きに、神奈は昔を思い出した。かつて、かぐや姫が地球の老夫婦のもとで暮らし、彼らと別れて月へ帰ってきたことを――


 かぐや姫が眠りから覚めた頃、部屋へ神奈がやってきた。

「それは真か……!?」

「はい。月に1度ではありますが、地球へ行くことを許可して下さいました」

 神奈の言葉にかぐや姫は笑顔になった。

「嬉しい、まさかお許し下さるなんて……。王様に感謝を伝えに行きましょう」

 かぐや姫は気持ちが高揚し、王の間へ向かう足取りも軽やかだった。

 そして一月後、待ち遠しかった地球へ向かう日にかぐや姫は雲に乗る。

「言って参るわ」

「お気を付けくださいませ。私はお供いたしませんが、何かありましたらすぐにお戻り下さい。お戻りの時間が遅いようでしたら、こちらからお迎えに上がります」

「えぇ。ありがとう」

 雲は浮上し、月を離れて地球を目指す。地球ではちょうど日没直後の時間に、以前、訪れた神社へ降り立つ。薄く紫がかった空の東側には月が昇り始めていた。

「先月とは違ってこれもまた趣がある。天頂よりも少し大きく見えるのね」

 かぐや姫がお月見を楽しんでいると、後ろから足音が聞こえた。とっさに振り返ると、そこにはカメラを首にかけて歩いてくる一人の青年がいた。

「あっ……どうも」

 男は美しい着物姿のかぐや姫に驚きつつも、ぺこりと会釈をした。かぐや姫もそれにつられて会釈を返したが、地球人に姿を見られたことに内心ドキドキしていた。

 しかし男はかぐや姫を意に介さず、持っていたリュックから星座早見表を取り出して空と見比べた後、カメラを構えていた。杞憂だったかと安心したかぐや姫の耳に男の呟きが聞こえた。

「三脚があったほうがいいかな……」

 思わず男を見ると、彼はカメラを月に向けていた。カシャッという音の後に男がカメラを下ろすと、かぐや姫の視線を感じたのか目が合ってしまう。かぐや姫は恥ずかしくなって目をそらすと、男が声を掛けてきた。

「……地元の方ですか?」

「えっ? ……はい。そうです」

 おずおずと嘘を吐くと、男は笑った。

「僕、この間この近くに引っ越してきたばかりなんです。天体観測とかその撮影するのが趣味なんですけど、ここに神社があるのを知ったのでここからなら綺麗に見られるんじゃないかと思ったんです」

「えぇ。ここはとても良い場所よ。月が美しいわ」

「そうですね。すぐそばには金星もありますし」

「きんせい?」

 何のことを言っているのかわからずに問うと、男はかぐや姫のそばへ来て空を指差した。

「あの、月のそばにある星ですよ」

「宵の明星のこと?」

「あぁ、そうです。それですよ。せっかく月と金星を一緒に見られるから、写真も撮っておきたくて」

「しゃしん……?」

 かぐや姫は男の首に下がっているカメラに目を向けた。

「これ?」

「はい、これで撮ります。これは星も綺麗に撮影できるもので、天体写真を撮るにはもってこいのカメラなんです」

 カメラや写真など聞きなれない単語に、まじまじとかぐや姫は男を見詰める。

「あんまり写真は撮らないですか?」

「えぇ、撮ったことがないわ」

 かぐや姫の言葉に男は驚いた。

「そうなんですか……。ここへは月を見に?」

「えぇ。とても綺麗なものだから。月に1度はここへ来ようと思っているの」

「そうですか。それなら、来月に写真を見せますよ」

「えっ?」

「さっき撮った月と金星の写真。うまく撮れたと思いますから」

「あなたも来月、来るの?」

「僕は週末に1度……土曜日に来ようかと思っています。夜遅くなれば、他の色々な星も観測できるだろうし」

「そうなの……」

「あっ、もし良ければですけど……」

 かぐや姫は男に微笑む。

「それじゃ、お願いするわ」

 かぐや姫の言葉に、男は安心したように頬が緩んだ。

「あなたの名前はなんていうの?」

 男はハッとして言った。

「すみません。まだ名乗っていなかったですね。僕は岡野智といいます」

「私はかぐや」

「……それはあだ名じゃなくて、本名ですか?」

「えぇ、もちろん」

 かぐや姫は、智が何故そんな質問をしたのかわからなかったが、智は得心した顔で呟いた。

「なるほど。だから月見か……」

「?」

 かぐや姫が疑問に感じていたのを顔に出ていたためか、智は答えた。

「いや、着物姿にかぐやという名前で、月を眺めていたのは何というか……様になっています」

「どういうこと?」

「似合っているってことです」

 似合うと言われてかぐや姫は照れくさかった。

「それじゃあ、あなたがかぐやなら、僕も智と呼んで下さい」

 そう言った智の顔は月の光を受けて、かぐやの目にとても美しく見えた。


 一月後、かぐや姫は再び雲に乗って地球へ向かった。神社に近付くにつれて速度を落とし、誰もいないか確認してからそっと地に降り立った。

「よかった。まだ来ていなくて」

 そう呟いて空を見上げると、上弦の月が輝いている。それを見ていると、ゆっくりとした足音が聞こえた。振り向くと、智が機材を抱えて歩いてきていた。

「こんばんは。1ヵ月ぶりですね」

「えぇ。……それは何?」

「これは天体望遠鏡です。これを使えばよく見えますよ」

 そう言いながら智は望遠鏡を組み立て、レンズを空に向けてピントを合わせた。

「よし、綺麗に見える。覗いてみませんか?」

 かぐや姫は智に促され、智がやったようにレンズを覗いた。そこには大小様々に光る星が見えた。

「すごい……! こんなに見えるなんて」

「今見ているのが北斗七星ですよ」

「ほくと……?」

「直接見てごらん。あそこに星が7つ見えるでしょう?」

 智の指差した先に、周囲の星よりもひときわ輝いている星々があった。

「あれが北斗七星です。他にも北極星が見えますよ。……どうしました?」

 北斗七星を見たまま何も言わないかぐや姫に、智は首を傾げた。

「……私、知っている。昔、見たことがある」

「そうですか。有名ですし、わかりやすいですから空を見上げれば見る機会があったと思いますよ」

「私が今まで見ていた空は……」

 あなたと違うと言いかけて、口をつぐんだ。地球からと月から見える夜空は異なる。今まで地球に来たことはないはずなのに、なぜ見覚えがあるのかかぐや姫はわからなかった。

「誰かと見ていた気がする……」

 誰だっただろうと考えるが、思い出せない。

「一人でもいいですが、誰かと見るのもいいですよね。趣味で天体観測をしていますが、綺麗な月や星を見られるこの時間をこうして他の人と共有できるのは嬉しいです」

 自分も過去に共有していたことがあっただろうかと、かぐや姫は記憶を遡った。しかし、思い出せたのは地球のどこかで北斗七星や月を見上げている瞬間だけだった。その傍らに、誰かかがいた。

「えぇ、そうね。もう、その記憶を忘れてしまったけど……こんなに美しいんだもの。一人だけではもったいないわね」

 せめて、今の時間は大事にしようと思うと、智が何か思いついた様子で言った。

「そうだ! 来週、パール富士を見に行こうかと考えているんですけど、かぐやさんもどうですか?」

「パールふじ?」

「富士山の頂に満月がちょうど重なるときに見られる現象をパール富士って言うんです。そろそろ見られるんじゃないかって情報を掴んだんで行こうと思うんですけど、どうです?」

 かぐや姫は智の言った富士山という言葉に聞き覚えがあった。

「かぐやさん?」

 またも黙ったかぐや姫に智は声を掛ける。

「……え? えぇ。ぜひ、見てみたいわ」

「それじゃあ、来週行きましょう」

「来週?」

「はい。……何か予定ありますか?」

 かぐや姫は、どうしようか悩んだ。本来なら断るべきだが、一緒の時間を共有したいと思った。

「いえ……大丈夫」

「そうですか。良かった。それじゃあ、連絡先を訊いてもいいですか?」

「どうして?」

「連絡先を知っておいた方が何かあった時、いいかと思ったんですが……」

 そう言いながら、智は携帯電話を取り出す。

「電話番号でもメールアドレスでもどちらでもいいですよ」

「私……どちらもないわ」

 良い断り方が思いつかず、正直に言ってしまった。

「どちらもない? ……携帯を持ってないってことですか?」

 かぐや姫は智の言う『携帯』が何のことかわからなかったが、恐らく今、智が手にしているものだろうと推測する。

「えぇ……そうなの」

「そうなんですか。珍しいですね……。それじゃあ、とりあえず来週ここで待ち合わせしましょう」

 そう言った智の笑顔に、かぐや姫はほっとした。


 1週間後、かぐや姫は神奈に訊いた。

「ふじさんって……山かしら?」

「そうでございますが……」

 予想外の質問に神奈は戸惑いつつも答えた。

「たしか、山頂付近は雪で覆われております。地球に降り立つ前に見えるかと思いますよ。来月行く時にご覧になられては?」

「えぇ、そうするわ。ありがとう。これから少し休むわ」

「かしこまりました」

 神奈が部屋を出ていくのを確認し、かぐや姫は自室のバルコニーへ出る。

「……ごめんなさい」

 そのまま雲に乗ってこっそりと地球へ向かった。

 誰もいない神社に降り立ち、かぐや姫は智を待ちながら空を見上げた。夜空には、満月が昇っている。何も言わずに来たことに、後ろめたさを感じていた。そのまま月を見詰め続け、背後まで歩いてきた人物の足音に気付かなかった。

「かぐやさん?」

 かぐや姫は声に驚いて振り返った。

「あぁ、智……ごめんなさい。気付かなかったわ」

「いえ、いいんです。こちらこそ驚かせてしまったようで、すみません。下に車を止めてありますから、乗って行きましょう」

「くるま……?」

 智の後について行き、神社の階段を下りていくと目の前の道路にシルバーの車が止まっている。智が助手席を開けながら言う。

「どうぞ、乗って下さい」

 そう言われたものの、かぐや姫は車にどう乗っていいかわからなかった。恐らくここかと考えながら、ゆっくり手を伸ばして助手席に手をつき、膝を上げようとした。

「それだと乗りにくいですよ。着物ですし、まず乗り込む前に腰掛けたほうがいいですよ」

 かぐや姫は智の指示通りに座った。助手席に腰を掛け、クルッと腰を右へ回転させて乗る。

「膝を伸ばして座るのね……」

「え?」

 かぐや姫の呟きに智が訊き返した。

「いえ、何でもないの」

 智が運転席に座り、発車させた。

「シートベルト忘れていますよ」

 かぐや姫が何のことかわからずに智を見ると、彼は自分のシートベルトを掴んだ。かぐや姫はそれを何度も確認しながら自分のシートベルトを伸ばしてセットする。何のためのものか首を捻っていると、智が言った。

「車、乗らないですか?」

「……えぇ、あんまり」

「そうですか。和服だと乗りづらいですよね。今日も着物ですけど、よく着るんですね」

 そう言われて、かぐや姫は改めて智の服装を見た。彼はTシャツにジャケットを羽織り、黒のパンツを穿いていた。あまり気にしていなかったが、月の都では見ないその服装が動きやすそうに思えた。

「好きで、よく着るのよ」

 そう言いながら、いつまで嘘をつかなければならないのだろうと感じた。

「似合っていますよ、着物」

 かぐや姫は褒められて少し照れくさくなった。本当のことを言ってみようかと考えたが、結局怖くて言えないまま、車は目的地に到着した。

 車を降りて機材を持つ智について行くと、湖のほとりまでやってきた。その先には富士山が見える。山頂部分に満月が煌々と輝いていた。

「わぁ、素敵……」

「あれがパール富士っていうんです」

 智は急いでカメラをセットし、パール富士の写真を撮った。

「こんなものが見られるなんて、地球は素晴らしいわね……」

 思わずそう呟くと、智は頷いて言った。

「そうですね。こうやって感動するものを見た時に来てよかった、やってよかったと思います。日々の頑張る力になりますね」

 智は持っていたバッグから一枚の写真を取り出す。

「これ、初めて会った時に撮った写真です」

 写真には、夕空に浮かぶ月と金星が写っていた。

「ありがとう」

「パール富士の写真も今度、わたしますよ」

「えぇ、楽しみにしているわ」

 二人はしばらく、その場でパール富士を観賞していた。


 一方、月の都ではかぐや姫がいないことに王が気付き、探して連れ帰るよう神奈に命じていた。

「恐らく、また地球へ行ったのだろう。今すぐ連れてきなさい」

 神奈は命じられたまま、王の間を出てかぐや姫の部屋のバルコニーから雲に乗る。今になって思えば、かぐや姫が富士山のことを訊いた時に不審に思うべきだったのに、特に気にしなかった。

「先に気付いて、止めていれば……」

 後悔しつつ、神奈は地球に向かう。

 そうとは知らずに、かぐや姫は智に神社の前まで送ってもらっていた。

「本当にここまででいいんですか?」

「えぇ、大丈夫。今日はありがとう。とても綺麗だった」

「喜んでもらえてよかったです。また来週、会えますか?」

 かぐや姫は返事が出来なかった。会いたいという気持ちはあったが、王の命じた規則に再び反することに抵抗もあった。

「……すみません。困らせてしまったようですね」

「違うの。困っているわけではないわ。ただ、来たくてもなかなか来られなくて……」

 かぐや姫の言葉に少し安心したように智は微笑んだ。

「そうでしたか。月に1度と、以前言っていましたもんね。それなら、また来月会いましょう」

「えぇ、そうね……」

 そう言いつつも、かぐや姫は寂しさを感じていた。すると、智はかぐや姫の肩に手をポンッと乗せた。

「もし、今日みたいにひと月経つ前に会えるようならいつでも来て下さい。週末、僕はここにいますから」

「わかったわ」

 かぐや姫が自然と笑顔になると、智は手を振って車に乗り込む。もらった写真を手に、智の車が走り去るのを見送った。

「かぐや姫様、何をしておられるのですか?」

 ビクッとして振り返ると、神社の階段の上に神奈がいた。

「神奈、どうして……」

「あの男は誰ですか?」

 かぐや姫が答えられないでいると、神奈はそっと告げた。

「……王様がお待ちです」


 月の都へ帰ると、かぐや姫は王の間へ向かった。玉座の前へ来ると、頭を下げる。

「ただ今、戻りました。……王様の命に背き、申し訳ございません」

「地球の人間に会っていたそうだな」

「はい」

「自分のことや、わが都について話したか?」

「いいえ」

「そうか。今後はもう、地球へ行ってはならない」

 かぐや姫はとっさに頭を上げて王を見た。

「もう2度と行ってはならないのですか……?」

 王は頷いた。そう言われるのではと予感はしていたが、智に会えなくなると思うと、悲しくなった。かぐや姫は手で顔を覆った。

「もうよい。下がりなさい」

 かぐや姫は何も言えず、そのまま足早に王の間を去った。

「その悲しみもすぐに消えるだろう」


 かぐや姫が自室へ戻り、バルコニーから涙をこらえつつ地球を望んでいると神奈が近くへ寄ってきた。

「かぐや姫様、そんなに地球が恋しいのですか? それとも、あの人間の男ですか?」

 かぐや姫が目を伏せると、神奈は見かねて言った。

「その悲しみもすぐに癒えましょう」

 そう言って、かぐや姫に天の羽衣を掛けようとした。かぐや姫はそれに気付き、とっさにはねのけた。

「姫様……!?」

「私はあの者のことを忘れたくはない。一緒に見た月も……」

 真っ直ぐに神奈を見たかぐや姫に、神奈は羽衣を掛けようとした手を下ろした。


 次の日の夜、智は夢の中で一人、ふわふわとした白い雲の上に乗っていた。見上げると美しい星屑や月が望め、雲より見下ろすと街の明かりが煌いている。

「そなた、名を何と申す」

 いつの間にか見知らぬ者が隣で自分と同じように街を見下ろしていた。

「えっと……岡野智です」

 律儀に答えると、白い布をまとったその人が口にした名前に智は驚いた。

「智……そなたはかぐや姫様に会われたな?」

「かぐや……姫? 確かにかぐやさんには会いましたけど。あなたは誰ですか?」

 これは夢かと気付いてそう答えると、その人は智に向き直った。

「本来ならば、このようなことを地球の人間に話すべきではないが……姫様のため、これから言うことをよく聞くがよい。1度しか言わぬ。それからどうするかはそなた自身で決めよ」


 智と別れてひと月が過ぎた頃、かぐや姫は未だに悲しみを抱えたままもらった写真を眺めていた。

 その時、扉が開き、神奈が入室してくる。

「姫様、お時間でございます」

「……えぇ、そうね。そろそろ休むわ」

「いえ、地球へ行くお時間です」

「え……?」

 聞き違いをしたかと思っているかぐや姫に、神奈はバルコニーへの窓を開けた。そこには、地球へ行く時に使用していた雲が浮かんでいる。

「神奈……!」

 かぐや姫が歓喜の声を上げる。

「どうなるかわかりませんが、私があともう1度だけかぐや姫様を地球へ送り出します」

「でも、あなたは……」

「私のことは気にせず、行って下さい。私は姫様の付き人ですから、姫様のために動きます」

 かぐや姫は神奈を抱きしめて言った。

「ありがとう、神奈」

 かぐや姫は神奈を放して、雲に乗り、地球へ向かう。

「姫様、お気をつけて……」


 神社へ降り立つと、そこにはすでに智がいた。

「智!」

 かぐや姫は智に駆け寄った。

「かぐやさん……来てくれたんですね」

「……私、もうここには来られない。今日が最後よ」

「……それはあなたがかぐや姫だからですか?」

 智の言葉に、かぐや姫は二の句が継げなかった。

「やっぱりそうでしたか。この間、おかしな夢を見たんです。雲の上で、かぐやさんの付き人だという人があなたのことを話す夢でした。あなたが月の都のかぐや姫で、地球へお月見に来ていて、地球人と交流してはならないと」

 かぐや姫は神奈が智に会っていたことに驚き、戸惑った。自分の正体を知られて俯く。

「夢だとわかっていたんですが、僕があなたにわたした写真をその付き人さんが持っていたんです。それに話している内容は普通に考えたら現実離れしていたけど、その人の目は真剣だったし、ただの夢じゃないと思ったんです」

 かぐや姫はぐっと拳を握り締めて、智を見た。

「そうです。私は月の都に住む、かぐや姫と申します。本当のこと、今まで黙っていてごめんなさい」

「あなたが謝ることないです。むしろ、僕の方こそ……。僕と会ったために、もうここへは来られないんでしょう?」

「それだけではないの。私がここへ来られるのは月に1度だけ。私はそれを破ってしまったから」

「それは……僕が誘ってしまって……」

「いえ、私が自分の意志でここへ来たの。だから、智は悪くないわ」

 智は空を見上げた。月が輝いている。

「僕はかぐやさんとこうして一緒に月を見られなくなるのは寂しいです」

 智はかぐや姫を見詰めて言った。

「本当にもう、少しの時間だけでも一緒にいられないですか?」

「智……」

 かぐや姫は自然と涙があふれてきた。何故だか、誰かと別れるこのつらい気持ちを、すでに知っている。忘れてしまった遠い昔に経験したような気がしてならなかった。


「王様、また姫様に地球での記憶を忘れさせるのですか?」

 月の泉の水面に写ったかぐや姫の様子を見て、神奈が訊いた。王は眉間に皺をよせて、じっと水面を見ている。

「王様、どうか姫様にとって貴重なこの時間をわずかばかりでもお与え続け下さい」

 王は神奈を一瞥する。

「お前は何故そのようなことを願う?」

「姫様は地球へ向かわれる時、とても楽しそうにしておられるのです。私はそれを見るのが好きなのです」

 王は再び泉へ視線を移すと目を伏せて告げた。

「……そなたに免じて、月に1度の満月の夜に地球へ行くことを許そう」


 かぐや姫と智は最後の時間を噛みしめるように、寄り添って月を見ていた。すると、月から何かが向かってくるのが見えた。次第に姿がはっきりする。

「神奈!?」

 神奈は雲から降り、かぐや姫に振り向いた。

「姫様、嬉しいお知らせでございます。王様が月に1度、満月の日にのみ、地球へ行くことをお許し下さいました」

「それは誠に……!?」

 かぐや姫は思わず神奈の両肩を掴んで訊く。

「はい。またここで月を見ることが出来ます。……その者と一緒に」

 神奈に言われ、かぐや姫は智に振り返る。智は月の澄んだ光に照らされながら、微笑んでいた。

「また、会えるんですね」

 かぐや姫は涙をこらえながら、笑って頷いた。


                              ー了ー

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