人形のレゾンデートル deux

 朝霧が明けるよりも早く、アルマンは転がり込んできた。

 リボンを結び直していたクリスは意外そうな顔で瞬く。


「おはよう、アルマン」


 挨拶をする余裕もないアルマンは、妹がと皮切りに勢いよく話し出す。


「妹が倒れたんだ。すごい熱で、震えてて、薬を買う金がいる。いくらでもいい、あの人形を買ってくれ!」


 クリスの眉間にしわができる。


「僕はね、慈愛に満ちた聖母でも、気まぐれな神でもないんだ。金を無闇に渡すこともしない。持ち主の了承を得ずに買い取るつもりは毛頭ないよ」


 店主の言葉に、でもとアルマンは食い下がる。

 気分が悪そうにクリスは眉間のしわを深くして、扉の方へ掌を向けた。


「そこまで言うなら、人形の命を見つけておいで。そうしたら、考えなくもない」


 アルマンは何も言い返すことができなかった。

 クリスの瞳は本気だ。

 世界は甘くないとアルマンは知っていた。どんなに記憶を掘り下げても楽な日なんてない。気付いたら、雨漏りも吹き抜けもがたつきもひどい部屋に妹と二人だけで置いていかれていた。酒ばかり飲む母は何処かでのたれ死んだのかもしれないが、確かめる術も知らないような子供だった。瞬く間に家を追い出され、路上暮らし。機能していない孤児院に転がり込めたのは今でも運がよかったと思う。食いぶちは自分で稼げと怒鳴る院長をあてにすることはない。騙すことを知り、捕ることを覚えたが、妹はアルマンのそばを絶対、離れなかった。鬱陶しくても、そばから離れない温かさを失うのは恐い。

 拳を握ったアルマンは店主を見据える。


「約束だからな」

「ああ、約束しよう」


 売り言葉に買い言葉のような契りだ。嘘もはったりも見慣れているアルマンは、腹をくくろうと決めた。この店主の鼻をあかせたら、薬は手に入る。根拠はないが、覚悟を見せる必要があると思った。

 店を出て、クレーニュ通りを睨み付ける。国一番の銀行に続く道は身なりのきちんとした人や、二頭立ての馬車が通りすぎていく。

 行き交う薄っぺらい笑顔は背中に虫を入れたように気持ちが悪かった。アルマンは小さく鼻で笑って、その感情を受け流す。道行く人の宝石、杖、大きな鞄を見定めた。人形の命にするにはどれも魅力が足りないような気がする。遠くを眺める瞳に、くすんだ世界から逸脱した色を見つけた。人形と同じ色だ。

 気付けば、アルマンの足は走り出していた。


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