[第5回]『命になれる?』*未完

人形のレゾンデートル un

 アルマンは妹の手から人形を取り上げた。兄ちゃん、と非難の声が投げられるが、構いやしない。


「モニク、こんなもの持っててもどうしようもできないだろ」

「だって! 離れたくないもん!」


 朝顔が絡み付く街灯の下で兄妹は人形を取り合った。

 陰りを見せ始めたクレーニュ通りは仕事終わりの人が足早に過ぎていく。薄汚れた子供を相手にして、時間を潰されまいと見向きもしない。

 乱暴に扱われては困るとアルマンは人形を頭よりも高く上げた。

 モニクは兄の服を掴み、人形に手をのばすがわずかに届かない。


「やだやだやだ! 兄ちゃん、いじわるしないで!」


 妹の泣き言も聞き慣れているアルマンは無理に押し退けて街道に飛び出した。行き交う馬車をすり抜け、怒号が飛ぶが知ったことではない。後ろを振り替えれば、馬車がひしめき合う道の向こう側にモニクはいた。泣きべそ顔で服を掴んでいる。


「こぉんなもの持ってても、オレ達にはなぁんの価値もないんだ! モニクはそこで待ってな!」


 叫び終えると同時にアルマンはほつれた上着をひるがえし、目的の場所に駆け込んだ。

 扉を開けた先は朱色に染まっていた。陽に反射して、左右に置かれたガラス棚が輝いている。

 あまりの眩しさにアルマンが目を細めると奥から声をかけられた。


「こんにちは、少年」


 高い声のする方へ顔を上げると、影になった小柄な体型が目に入ってきた。眩しさに怯んでいた目を何度か瞬きすれば、自分より少し年嵩の少年のようだ。アルマンは、つめていた息を吐き出すように名乗る。


「アルマンだ」


 その後に、こんにちは、が慌ててついて出た。

 書斎机から立ち上がった少年は行儀のいい笑顔で手を胸にそえる。


「僕はクリス。この店シェ レ シュエットの店主だよ」

「お前みたいなのが、店主? 子供じゃないか」

「そっくりそのまま返すよ、アルマンくん」

「その呼び方やめてくれよ。呼び捨てでいいよ、呼び捨てで」


 うんざり顔のアルマンにクリスは小さな声で笑った。


「じゃあ、アルマン。用件を聞いてもいいかな?」


 クリスがソファに座ると同時に音もなく机に茶器が置かれた。

 クリスばかりを見ていたアルマンは目を丸くする。

 茶器にのびる手を伝い、顔を見れば灰髪アッシュブロンドの青年が立っていた。生気も存在感薄い体を黒いスーツに包んでいる。


「こんにちは」


 アルマンのぎこちない呟きに青年は黙礼で答えた。


「失礼。存在感を消すのが得意すぎてね、皆驚くんだ。仕事のできる壁の染みとでも思ってくれていいから」


 灰髪の奥で力のなかった新緑の瞳が輝いた。アルマンはそれと似たようなものを見たことがある。獲物を取られそうになった時の野犬の瞳だ。


「リュカ、不服かな?」


 からかうような色を孕んだ声に細く息を吐いた青年は部屋の端で文字通り壁の染みに徹した。意趣返しに何も口を出せないアルマンを見てとったクリスはきれいな弧を口元に描く。


「紅茶だよ。熱いから気をつけて」


 クリスが手のひらで示した先にはカップが置かれている。

 店主の笑顔に促されて、アルマンは人形をソファに置いて、自身もその隣に座った。かび臭くもなく、埃もたたないものに座るなんて初めてかもしれない。カップの下に受け皿がある意味がわからず、わずかに眉間に寄せてから取っ手を持つ。恐る恐るひと口飲んで、口を引き結んで飲み込んだ。


「泥臭くなくて、飲みやすいけど、ただの苦い水なんだな」


 少年の口からこぼれた言葉にクリスは目を瞬いた。

 カップをしげしげと眺めるアルマンに小鳥のさえずりのような笑い声が届く。


「そうだね、そうかもしれない」


 そう言って笑うクリスにアルマンは不思議と嫌悪感を抱かなかった。いつも馬鹿にされたり、騙されることにさらされているので、そういう感情には敏感だというのに。同じ子供だから、気にならないのだろうか。


「今日のご依頼内容は?」


 見透かすような黒い瞳に、アルマンはむっとした。

 揶揄する様子を包み隠しもせず、店主は首を傾けて促す。


「人形を売りに来たんだ」


 いささか乱暴に置かれた人形は机の上に銀髪を広げた。髪と同じ色の睫毛がふちどる瞳は黄昏の色だ。

 人形を座らせることに慣れていないアルマンが手間取っていると、前から腕がのびてきた。


「ビスクドールはもっと丁重に扱うようにしてくれるかな」

「しようがないだろう。こんな服、着てんだからさ」


 アルマンが口を尖らして言えば、クリスは目をすがめる。


「世界に一つだけのものだよ。壊れたら取り返しがつかない」


 大袈裟なと鼻で笑おうとしたアルマンは底の見えない瞳に見返されて閉口した。

 店主は固まる少年から視線を外して、人形の顔と対面した。


「愛らしい頬に、小振りで可愛らしい口と鼻、この国で作られた物に間違いないね」


 一呼吸いれたクリスの瞳は虚空を見つめる人形を探るように細められる。白い指が銀髪を耳元にかけた。

 二人というには可笑しいが、店主と人形だけの世界にアルマンは口をはさむことができない。


「頭と胴体、どちらも同じ工房で作るなんて手の込んだことを……いや、こだわりか。手編みのレースも職人の性格を思い起こさせる刺繍も、舞踏会に出しても恥ずかしくない生地もどれも特別選んだものか、それとも、本物を模したものか。しわの一つ一つまで計算して、影まで描いたように美しい。生地や糸に息を吹き込む職人もいるとは恐れ入った。宮廷の職人も真っ青になるね」


 何より美しいのは、とクリスは区切り人形の目じりにそっと触れる。


「この瞳だ。土台に合わせて極限まで滑らかになるように作られている。多少の淀みも瞳の影に活かすなんて職人のセンスには敬服するね。銀髪と紅紫マゼンダ色なんて、謎めいた組み合わせに嫉妬すら覚えるよ」


 人形を見つめていた瞳だけが、アルマンによこされ、深淵の瞳に少年が映る。


「どこで、この至宝を手に入れたのかな? 君の話だと、さも自分のもののように言っているけど、買うことはおろか、管理も難しいよね」


 まさか、盗品じゃないよねとクリスは熱のない瞳でアルマンを追い込む。


「と、盗ってないぞ! も、もらったんだ!」


 アルマンは訴えるが、クリスの目は何処までも冷徹だ。


「仮にもらったとして。自分で扱えるものだと思ったわけ? 何か頼まれごとでもされたでもなく?」


 ひるんだのはアルマンだ。

 これみよがしにため息をついたクリスはそっと人形を置いた。


「売りたいなら、渡した本人を連れてきてくれないかな? 僕が直接交渉してあげるよ」


 アルマンの口は結ばれたままだ。

 クリスが新しい紅茶を持ってこさせようとした時、店の扉が勢いよく開いた。

 兄ちゃんと金切り声を上げた少女は目に涙をいっぱいにためてアルマンに駆け寄った。


「お前、あの通りを抜けてきたのかよ」

「こ、こわかったぁぁぁあ」


 泣きじゃくる妹の背中をアルマンがやさしく撫でる。

 それを見たクリスは目だけで従者に指示を出した。従者は音もなく奥に向かう。

 しばらくして出てきたものは、甘い香りのする乳白色の液体だ。

 匂いに誘われて兄妹も視線を机に移す。


「ミルクティーだよ。召し上がれ」


 クリスは口に運びながら、簡単に説明すると自身の喉に流し込んだ。

 兄は訝しげに、妹は目を輝かせながら、カップを手に取る。あまぁいと声を上げた妹の涙は見る影もない。


「あたし、モニク。みるくてぃー、おかわりある?」


 見た目通りのたどたどしい舌づかいでモニクはカップを差し出す。

 クリスはもちろん、と笑んで従者に視線を送った。アルマンとモニクのカップを回収した従者にモニクは宝石をみるような目を向ける。視線を合わせもせずに従者は退出した。


「あ、お人形! おねえさんがあずかってくれるの?」

「モニク! お姉さんじゃないだろ」

「髪がきれいなのに?」


 クリスのうなじで一つにくくられた髪は、深みのある赤だ。慌てるアルマンが拍子抜けするほどに、店主は胸元まである髪を指で遊んで見せた。

 ほめてくれてありがとう、お嬢さん、とモニクに笑いかける。

 まんざらでもない顔でモニクは運ばれてきたミルクティーをこくこくと飲み始めた。

 目を伏せ、一呼吸置いた店主はアルマンに視線を向ける。


「僕が預かるよう、頼まれたの?」


 そう訊いた瞳は何の感情も写していなかった。






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