[第4回]『きみを撃ち抜く言葉は何?』
舞台裏 ―Tu es tout pour moi.―
コンコンココ。
誰と特定できるノック音が響いた。
クリスもリュカも顔をしかめて、店の入り口である扉を不快そうに睨み付ける。
開店中のため鍵はしていなかった。居留守を決め込んでも、返事がないことを微塵も気にしないエセ紳士には意味がないだろう。
無情にも扉が開き、美麗な笑顔と赤い薔薇が目に飛び込んで来た。
「こんにちは、かわいいクリス」
「こんにちは、カリヴァン卿」
息をするように挨拶をする相手に対して、クリスはわずらわしそうに返した。
笑顔は一転して、闇色の髪から覗く形の整った眉を下げ、トパーズをはめ込んだような双眸を細める。
「何度もお願いしていると思うけど、リシャールと呼んでくれると嬉しいだが」
「ご用件は、カリヴァン卿」
録音音声よりも無機質な声がリシャールの要望を突っぱねた。
仕方ないと鼻から息を吐いても、物思いをしているように見えるから、本当にできた顔だ。造形が取れ過ぎて気味が悪いと言ったら、誉めてくれてありがとうと言う鋼の心の持ち主は、今日も勝手にクリスの前に進み出る。
「少し前に斬新なタペストリーをくれただろう? あれから夢見がいいような気がするよ。そのお礼に食事でも思ってね」
「遠慮するよ、僕と貴方とでは、好みが違うだろうから」
「新しい発見があって面白いと思うよ」
はっきりとした断り文句にも諦め知らずのリシャールは、持ってきた薔薇の花束をクリスの机に置いた。
否応なしにクリスの手は止まり、機嫌は底を突き抜ける。黒曜石のような底の見えない瞳が不吉に光り、石像のように熱の抜け落ちた顔を均整の取れた顔に向けた。短く息を吸い、一気に捲し立てる。
「僕は菜食主義でね。必要最低限の肉しかいらないし、濃い味付けはもっと嫌いだ。そして、もっと嫌いなことは仕事を邪魔されることだよ。今、まさに貴方がやったようにね!」
「怒った顔もかわいいね、クリス。そんなことを言ったら、都中のレストランがかわいそうじゃないか。きみも仕事ばかりでは充実しないだろう? たまには気分を変えて僕と出掛けるのも仕事だと思えばいいじゃないか」
ひびも入らない鋼の心に、クリスの心が折れた。リシャールの相手をまともにしたら、疲れるのはクリスだけなのだ。クリスは片手の指の腹で顔を支え、唸るように言葉を絞り出す。
「じゃあ、もっとマシな誘い文句でも言ってみなよ」
心得たとリシャールが言葉を並べる。
「きみといると、心地がいいよ」
「僕はお気持ち悪くて仕方ない」
「きみは僕の太陽だ」
「太陽は皆のものだよ」
「僕の心臓はきみのおかげで動いているんだ」
「僕のために止まろうとは思わないの?」
その全てをクリスは文句をつけた。
参った、と両手を上げたリシャールは怒られた子供のような顔でねだる。
「きみを撃ち抜く言葉は何?」
ない、と答えかけた口をクリスは閉じた。これではずっと話の相手をすることになる。無理難題を突きつけて、帰らすのが一番だ。
「僕が本当にほしいものを持ってきてくれたら、何を言っても撃ち抜ける気がするよ」
「本当にほしいもの? 僕のことかな」
「それは、ない。僕の心はたいていのものでは満たされない」
「初めて見る
「それは別の話だ」
「きみのそういう所、大好きだよ」
そう言ったリシャールはステップを踏むように踵を返し、扉に向かう。
「またね、かわいいクリス。きみを撃ち抜く宝物を探してくるよ」
「一生、探していてくれて構わないよ」
クリスの一生分を込めた別れの言葉に笑顔を深め、リシャールは店を出ていった。
クリスはリュカに茶を入れ直すよう指示を出してから、花束に仕込まれたカードを指で摘まんだ。
カードには走り書きで言葉がそえられている。
「
薔薇の数は数えなくとも、三十六本あるとわかる。
三十六本は『たくさん』あるいは『全て』を意味する数字だからだ。
カードを花束に戻したクリスはキザな男、と呟いた。
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