手箱のヴェリテ quarte


「金で買えないもの、ね」


 侮れない商売相手を見送ったクリスは値踏みするように扉をめつけた。

 灰髪の青年、リュカはいつになく気分を害している主人の背に問う。


「クリス様は何だと思います?」

「時と場合による、という逃げの答えもあるけど……一般的に言えば愛かな?」

「クリス様自身に訊いたのですが」


 リュカの言葉にくすくすとさえずりのような笑いの混じった声が返される。


「わかっていて訊いてない?」

「だいたいの想像はつきますが、ちゃんと訊いたことはないので、その答えは無効です」

「そんなに聞きたい?」

「もったいぶることですか」


 いいや、とクリスは首を振る。

 従者は振り返らない主人の背中を待ち続けた。


「時間に決まってるじゃないか」


 答えがこぼれ、振り返った自嘲に満ちた笑顔が続ける。


「どう? 答えはあってる?」

「ええ、寸分の狂いもなく」


 リュカは胸に手をあて、恭しく礼を取る。

 従者の行動に主人の心は満足しなかった様子で、肩をすくめ、自分の書斎机に引きこもった。

 間を空かずに食器を片付ける音が耳をくすぐる。


「あの人のお金で買えないもの、とは何でしょうね」


 降って沸いたような疑問はおざなりに答えられる。


「友愛、と言えたら美しいだろうね」

「クリス様は何だと思います?」

「また同じ質問?」


 クリスは手元にあった懐中時計を磨きながら、その気なしに応えた。

 平時の口達者なクリスには競り勝てないリュカはこれ見よがしに気持ちのいい笑顔を向ける。


「日頃の鬱憤を増やさないよう勤めようかと思いまして」

「そこは、短慮な自分はわからないので教えてください、じゃないの」


 機嫌が悪くても、切り返しの鋭さは変わらない。

 返り討ちに受けたリュカは控えめではあるが、先程よりも荒い所作で片付けられる。不機嫌な従者に気まぐれな慈悲がもたらされた。


「ねぇ、リュカ。今回は特別だよ」


 ゆるやかに磨く手は止めず、朗読するように言葉が落とされていく。


「どうして、フェリ嬢は手箱を手に入れることができたと思う?」


「どうして、わざわざシェ レ シュエットここに売りに来たと思う?」


 これでも、毛嫌いされてる自覚はあるんだよね、と付け加えられる。

 リュカは固まり、徐々に新緑の瞳を見開いていく。気付かぬまま伏せていた顔を上げ、静かに時盤を眺める主人を見た。

 明確な答えを聞いたわけではないが、あまりにも不自然なことに気が付く。そして、それができる人はあの令嬢しか思い浮かべられなかった。


「偶然という真実ヴェリテにするには、残酷でしょ」


 確かではないけど、とクリスは続ける。


「彼女の買えないものは名誉コネだと思うよ」


 いや、罪悪感かな、と無情な音が後を追った。

 何も言えず眉根を寄せる従者に主人は意地の悪い顔を向ける。


「この世界は差別というのが根強いからね」



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