剥製のマンショ deux

 イヴァンは紹介されたクレーニュ通り五番地に立っていた。疲れはてた姿に道行く人が眉を上げ、避けていく。

 重い空気には理由がある。今朝がた足を踏み入れようとした博物館で荷運びで鍛えた体と無愛想な顔に目をつけられた。警備員に呼び止められ、事情を話したにも関わらず、いびつな文言と訛りのせいで警察を呼ばれる始末だ。

 やけに顔の整った警察官のおかげで事なきを得たが、何もしていないのに疑われるのは昔から変わらない。転々と海を渡る父のせいで言葉が十分に覚えきれず、かいつまんで覚えてしまった文法も言語もめちゃくちゃだった。酒の入らない海の男は寡黙な者が多く、言葉遣いが物騒なことこの上ない。屈強な男達のおかげで、恐れ知らずなことだけが救いだと諦めていた。

 妻の言ったように、ついてきてもらえばよかった。だが、身重の彼女をつれ回すのも気が引けたのは事実だ。

 重厚な造りの店ばかりが並ぶクレーニュ通り。左右交互に数えて五番目の扉の上には梟の銅像ブロンズがかかげられていた。警察官が紹介した場所で間違いないだろう。イヴァンは右手に持つ鞄を見下ろした。膝を抱えれば子供が入れそうな大きさも彼の体で持てば小包みのようだ。睨むように目をすがめ、心なしか重たい手で扉を開ける。

 薄暗いにも関わらず、日の光を浴びて輝きを放つ貴金属。壁にはおびただしい量の絵画がはめ込まれ、威厳に満ちている様は見下しているようだ。

 場違いを肌で感じたイヴァンは踵を返そうとする体を努めて踏みとどめた。素早く目を配れば、小さな体躯を見つける。


「邪魔をする」

「こんにちは、お兄さん」


 声をかけたイヴァンに笑顔が返された。

 深い赤髪から覗く底の見えない黒曜石の瞳が細められ、子供特有の高い声が紡がれる。


「どういったご用件でしょうか?」


 完璧な笑顔は怯えも疑心の欠片も垣間見せず、愉しそうに彩られている。

 イヴァンは子供の異様な雰囲気に顔をしかめたが、もともと表情が薄いだけに凄みが増しただけだ。一番古い記憶の頃から子供が苦手だった。よそ者と石を投げつけられ、体が大きくなれば遠巻きに後ろ指を指される。最近になっては、何もしていないはずなのに子供が泣き出し、逃げ惑い、大人達に白い目を向けられた。

 いかつい顔を前にしても、目の前の子供は態度を崩さない。

 言い様のない奇妙さがイヴァンの底に居続け、睨む目を離さずに用件を口にする。


「売りたいものがあってきた」

「売却依頼ですね。かしこまりました」


 他の店員を呼びに行くかと思いきや、子供はどうぞとソファに手を差しのばす。

 イヴァンは仏頂面のまま足元に鞄を置き、高級そうなソファに腰をおろした。自分の言葉がちゃんと通じている。その妙な状況に内心戸惑っていたが膝に拳を置き、相手の出方を見た。


「申し遅れました。この店の主人、クリスと申します」


 向かいに腰を据えたクリスは胸に手を添えて名乗り、明朗に響く言葉と共にティーカップが差し出された。

 目を見開いたイヴァンが顔を上げると灰髪アッシュブロンドの青年が立っている。あまりに薄い気配と熱のない動きに人形かと見間違える程だ。


「今回はどういったものでしょうか?」


 クリスの言葉がイヴァンの意識を連れ戻した。

 状況に混乱しながらもイヴァンは皮貼りの鞄を持ち上げ、横にした状態で置く。

 中身は見る人によっては気味悪がる代物だ。妻もひきつった笑みを浮かべていた。開けていいものか悩み、クリスを盗み見る。

 そこには、たゆまぬ笑顔の店主がいた。


「剥製なんだが、警察官にこの骨董店なら引き取ってくれると聞いたんだ」


 イヴァンが忠告を言い終わる前に机が揺れた。

 箱に視線を落としていたイヴァンは何事かと周りを探る。

 そして、身震いするクリスを見つけた。目を見開き、口を両手で隠した姿は瞬く間に消え、すぐに身を乗り出してくる。


「どんな剥製でしょうか? 立派な角を持つ鹿ですか? 東洋の獣ですか? ああ、でもその箱に入るぐらいですから兎かいたちでしょうか?」


 クリスの勢いにイヴァンは体をのけ反らせた。

 それに構わず、クリスは弁を振い続ける。


「剥製ってロマンを感じませんか。造られた物ももちろん素晴らしいと思うのですが、生き物の生きた証は格別です。年月をかけて延びた毛に爪に、生を失ってもなお虚空を見つめる瞳。些細な傷もその命をした煌めきに他なりません。朽ちることのない遺物、人間が作りし至宝。ああ、なんて素晴らしいっ」


 立ち上がらんばかりのクリスをわざとらしい咳払いがいさめた。

 呆気に取られているイヴァンにそんな行動をとる余裕はない。残るは生気の薄い青年だ。

 はたりと止まったクリスは灰髪の青年に目だけ向け、繕うように笑顔をかぶった。


「つい興奮してしまいました。驚かせてしまったようならお詫び申し上げます」


 胸に手を当て深く頭を下げる子供の所作は大人顔負けだ。鼻息荒く語っていた者と同一には見えない。

 笑顔で先を促されたイヴァンは迷いながらも鞄に手をつける。


「今回はこれだけだが、売りたい剥製なら他にもある。希望のものもあるかもしれない」


 イヴァンがそう言ったのは全部買い取ってもらえると淡い期待を抱いたからだ。今回は、数あるガラクタの中でちょうど鞄にはまり、なおかつ一番難解なものを直感で選んだ。

 腰を半分浮かしたクリスを灰髪の青年が押し止めた。口元に拳をやり、準備万端の状態だ。笑顔のまま固まったクリスは何事もなかったように戻る。

 静かな攻防に気付かないイヴァンは包んでいた麻布をはぐり、中の物を机に置いた。ごとり、と音が鳴り、黄ばんだ白と黒の鳥が黙座する。木にとまる鳥と比べて、寸胴が長く羽も小さい。


オオウミガラスグランド パングワン……いや、羽や目の模様が違いますね。僕の記憶と合いません」


 顎に手をあて考え込む店主がそう言うのも仕方なかった。白と黒の鳥と聞けば、たいていのものがその鳥を思い浮かべる。

 かつてのイヴァンもオオウミガラスグランド パングワンかと訊いたが、父は可笑しそうに首を横に振っていた。

 白と黒の寸胴のオオウミガラスグランド パングワンは嘴も顔も黒く、境がわからないことを誤魔化すように、目の回りは白く縁取られている。細い羽は鎌のように曲がり明らかに飛べそうにない。食用や剥製として乱獲され半世紀ほど前に絶滅したと言われている鳥だ。

 目の前の剥製もよく似ているが、目の回りには白い縁取りがなく、赤い皮膚が見えた。羽は真っ直ぐにのびている。


「親父が知ってるだけで、誰も知らないんだ。買い取ってもらえないだろうか」

「何物かわからなくても、買い取れることは買い取れますが、正当なお支払ができなくなります。触ってもよろしいでしょうか」


 頷いたイヴァンはクリスの前に剥製を置き直した。

 恐れ入ります、と店主は微笑み、手袋をした手で細部を確かめていく。顔、見分けのつかない首元を下り、腹を覆う短く白い体毛をかする程度に撫でる。白い腹にはまばらな黒い斑点があり、それを黒い弧が大きく囲む。わずかに見える足先はアヒルのように分厚い。黒い背から小振りな羽の先まで丁寧に眺めた。

 鳥の体を傾け、なかなか立派なものですね、と眉間に力を込めた店主が続ける。


「やはり、記憶にないですね。剥製と言うからにはちゃんと生きていたはずなのですが」


 困ったように眉を下げたクリスは部屋の端に控える青年に顔を向ける。満足のいく答えをもらえず、細く息を吐いた。

 イヴァンの淡い期待が霧散していく。


「お父様は何かおっしゃられていませんでしたか?」


 イヴァンは脳裏に不可解な父の言葉を思い起こす。


「飛べない鳥」


 クリスは続きがあることを汲み取って、微笑みで促す。


「飛べない鳥に勇気は要るか、と言っていた」

「飛べない鳥、となると……ウミガラスジユモ、は違いますね。オオウミガラスグランド パングワンか、オオハシウミガラスベリ プチ パングワン。しかし、二つとも特徴が一致しない……僕が知らない動物でしょうか」


 十分以上の知識だ。白と黒の鳥は似た名前が多く、イヴァンに言わせれば同じ名前だ。聞きかじった全てを並べても、父は首を立てに振ることはなかった。

 唇に指をあて考え込んでいたクリスは居ずまいを正し、依頼主に真っ直ぐに目を向ける。


「差し支えがなければ、お父様のご職業を教えていただけませんか」

「船乗りだ」

「失礼を承知で申し上げます。一介の船乗りがこのような珍しい剥製を持てるとは考えにくいのですが」

「稼ぎを全て酒につげこむのくせに、不思議とよく物をもらってくる親父だった。それもその一つだ」


 目の前の子供は考え込む顔をしつつ、なるほどと意味が薄い言葉を呟いた。丁寧な接客の割に言葉に感情が乗りやすいらしい。

 顔を上げたクリスは笑顔を全面に出し、丁寧な言葉を紡ぎ始める。


「他にも売却予定のものがあるとおっしゃられていましたね。それは当店が買い取るという形でもよろしいでしょうか?」

「一部屋分のもの全てでも構わないのなら、頼みたい」

「むしろこちらからお願いしたいぐらいです。都合のいい日に馬車を向かわせます。それまでに、こちらの依頼品について調べるという形でもよろしいでしょうか?」


 頷いたイヴァンは、長居は無用だとばかりに手早く剥製を納めた。冷めた紅茶を一気にあおり、割らないようにそっと置く。


「では、一週間後に。ノワイエ通り十二番地、ジロドーの部屋まで頼む」


 今更ながら、名乗っていないことに気が付いたイヴァンは口を歪めた。苦いものを飲み下すように引き結んだ口を開く。


「イヴァン・ジロドーだ。よろしく頼む」

「一週間後、ジロドー様のお宅に伺わせていただきます」


 一つ頷いただけで気にしてないことを示したクリスは優雅に手を前に差し出した。

 イヴァンは慣れないことに一瞬戸惑うが、服で手を拭い差し出された手を握る。


「世話になる」

「ええ、喜んでお引き受けします」


 イヴァンが出口に向かうと、その後ろにクリスと青年がついてきた。

 手厚い待遇に背中がかゆくなったイヴァンは踵を返し扉を開ける。


「よい一日を」


 見送りの言葉はひどく耳に残った。



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