蒼玉のイミタシオン trois

 大通りから外れた、クレーニュ通り五番地。ヒューゴはそこに建つ骨董店シェ レ シュエットを見上げた。

 曇りのせいか、暗い色をした外観は薄暗い森を彷彿とさせる。その壁を飾る、くすんだ梟が存在感を増していた。

 ヒューゴは意を決して扉を開けた。

 カーテンが開けられた店内は想像に反して宝石店のようだ。棚に並べられた物が、 雑多な種類であることを除けば整然と並べられている。

 奥の机で作業をしていた子供が顔を上げ、ガラス棚の商品を点検していた青年は一礼した。


「こんにちは」

「こんにちは、お兄さん」


 ヒューゴが挨拶すれば同じように返される。

 返ってきたのは子供の声だ。青年よりも子供の方が立場が上らしい。


「手紙をいただいた、ヒューゴ・マルティネスです」


 ヒューゴの名乗りに合点がついたようで、子供は満足そうに笑った。


「僕はクリス。どうぞ、座って」


 ヒューゴは上質のソファに一瞬戸惑うが、クリスに促され大人しく座ることにした。

 周りを盗み見れば、いつの間にか青年は消えている。

 クリスはトレイを机に置き、ヒューゴの目の前に座った。

 トレイにはイエローゴールドの指輪。

 それを見たヒューゴは顔を強ばらせた。

 何も言い出さない男を一瞥したクリスは軽く組んだ手を足の上に置く。


「名前も知らないお姉さんから、預かったものだよ」


 クリスは言い聞かせるように口にして、返事を待った。

 ゆっくりと目を上げたヒューゴはクリスを見る。その瞳は不安と嫌疑がない交ぜになっていた。


「……預かった? 売られた、ではなく」


 戸惑いを隠せない問いに、そうだよ、とクリスは簡単に返す。

 ヒューゴは決まり悪そうに視線を泳がせた。口を何度も開けたり閉じたりしている。

 クリスはその様子に呆れ、指輪の中央で光る蒼い石を見た。それも一瞬のことで感情の読めない黒い瞳を男に向ける。


「どうしてそんなにも蒼いの?」


 ヒューゴが息を飲む。

 クリスは口元を歪め、首を傾げた。嘲笑に彩られた口から言葉が流れ出る。


「答えなくてもいいよ。答えはもう分かっているんだ。興味もないしね。その素晴らしい指輪には似つかわしくない模造品がついているのが残念で、残念で、つい意地の悪い聞き方をしてしまったんだ」


 雰囲気に飲まれたヒューゴは青ざめたまま動けない。

 どうでもいいものなど目に入らないクリスは気付かずに続ける。


「歪みのないアームに、花を模した石座。爪も石を引き立てるよう、繊細に作られているね。石の色に合わせて矢車草を模しているのかな。差し込む光も計算されて素晴らしい。見れば見るほど、職人の仕事ぶりに感心させられるよ」


 だからこそ、信じられないよ。そうため息にも似た一言を置いたクリスは男を冷めた瞳で睨み付けた。


「これがよくサファイアと言えたね。疑似ガラスカラーストーンと言うなら、文句はないよ。あれにはあれの素晴らしさがある。石座か石に何かして上手く誤魔化したつもりだろうけど、僕の目はごまかせないよ。こんな色で、しかも気泡入り、その上サファイアの美しい色帯もない。宝石にも木目のような歳月と物語があるのに。君も職人の端くれだ。それを知らないとは言わないよね? 自然の生み出した奇跡に成り変わろうなんて傲慢にも程がある」


 クリスの体から生み出される純粋な憎悪が男にぶつけられた。

 ヒューゴが喉を鳴らし、何か言おうとしたのをクリスは次の言葉で黙らせた。


「お姉さんはサファイアだと言っていたよ」

「それは」


 それは、とヒューゴはあえぐように繰り返す。背中を丸めているさまは懺悔する姿に酷似していた。

 無情な時間が過ぎていく。

 宝石を冒涜した職人にも、事情を話さない男にもクリスは苛立っていた。

 クリスが指輪に手を伸ばす前に、二人の間にティーカップが置かれる。自分の仕事を全うする青年はクリスを瞳で捕らえた後、隅に下がった。

 不承不承ながらもクリスは香りで気分を落ち着かせ、紅茶を一口飲んだ。クリスに合わせて作られた紅茶は程よく冷めている。

 ヒューゴは膝の上で拳を握ったまま俯き、肩はわずかに震えていた。

 ティーカップを置く音にも過敏に反応するヒューゴに憐れなものを見る目が向けられる。

 クリスは抑えた声で訊ねた。


「どうしてお姉さんにサファイアじゃないって言わなかったの? お兄さんはわかっていたでしょ、それが、ただの作り物イミタシオンだって」


 クリスは残りの紅茶を口に運び、長い間待つ。

 ずっと唇を閉じていたヒューゴは慎重に息を吸った。何処か遠くを見つめ、話し始める。


「ほんの出来心で蒼いガラスを使ったんだ。本当の恋人達みたいに蒼玉サファイアを渡して見たかった。そんな夢物語、ありえないってわかっていたのに。俺が言い訳する前に、彼女が――カロルが、その石をサファイアだ、って言ったんだ」


 ヒューゴの顔が、くしゃりとゆがみ、本心が吐露される。


「カロルへの愛が違うなんて言えなかった」


 身分が違うのに夢を見てしまったんだ、とヒューゴは小さく呟き、自分の両手に顔をうずめた。

 ここは教会ではないんだけど、とクリスは嫌みを口にして続ける。


「サファイアは愛の絆を守る意味もあるけど、他にも意味があるよ。慈愛、高潔、徳望」


 誠実、と最後を締めくくった。

 ヒューゴは肩を揺らすが、その後は身じろき一つせず顔も上げない。

 クリスは遠慮なくため息をついて、青年に向けて片手をあげた。

 青年は心得たとばかりに目礼して、書斎机から袋と手紙を取り出す。それらはクリスではなく、ヒューゴの前に置かれた。

 ヒューゴは視界に入ってきたものにすぐには反応できない。崩れ落ちそうな顔を上げ、掌にのる程度の袋と、愛しい人が綴った自分の名前を見つけた。頭がついていかず、問うような顔がクリスに向けられる。

 黒い瞳は刑を執行する役人のように冷たく、小さな口から言葉が落ちていく。


「ここにお姉さんの置き土産がある。別に僕がもらってもいいけど、後味が悪いものをもらうほど僕も困っていないんだ。そして、僕は政界や財界で幅をきかせたジュエリー狂いを知っている。僕も何度か助けてもらった御仁でね、変人だけど仕事ができることは折り紙付きだ。僕の名前でオンショントモール侯爵に手紙も送っておいた」


 ヒューゴは困惑した顔で何も言い出せずにいる。

 つまらなそうな顔をしたクリスは、まだわからないの、とヒューゴを馬鹿にした。


「その袋の中身は王室のジュエリーとも肩を並べられるような一級品だ。それと君の作品をいくつか侯爵に見せてみるといい。気に入ってもらえたら、望みの一つぐらい叶えてくれると思うよ」

「そんなこと、できるはずない」

「できるかできないかなんて、僕には知ったこっちゃないよ。やるかやらないかは、お兄さんしだい。この件はもう僕の手から離れた。出口はあっち」


 狼狽えるヒューゴに畳み掛けるように言ったクリスは扉に掌を向けた。声を荒げながらも所作は美しい。

 訳もわからず慌てて袋と手紙を抱えたヒューゴは席を立った。忘れ物だよ、と掌にのった指輪を差し出される。

 ヒューゴの目は見開かれ、深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


 かすれた感謝の言葉は店主の機嫌をなおすことはない。

 足を組み、クリスは無邪気な笑みを浮かべた。天使とも悪魔とも言いがたい笑みだ。


「僕は聖人じゃないよ。お兄さんの名前、覚えておくね、ヒューゴ・マルティネス。今度、無理なお願いをするから頭に入れておいて」


 ヒューゴは震える体を叱咤して、指輪を取り扉に向かった。これ以上に機嫌を損ねてはならない。愚直なヒューゴでもそれぐらいはわかった。


「よい一日を」


 背中に言葉をかけられてもヒューゴは振り替えることができない。軽く礼をしてその場から逃げ出した。



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