第20話 知れ(2)

 柘植のように状況を冷静に判断した参加者は少ない。特に広間から真っ先に姿を消し、かつ「ににぅらぐ」のログを見る間もなかった者の中には、今までの機能がダウンしたことでパニックを起こす者もいた。


 長堂もその内の一人であった。部屋に戻るや否や風呂に入り、スマホをリビングに置いたままにしていた彼女が事を知ったのは洗面所の電気が突然消えたときだった。

 (え? 冗談でしょ?)

 足早にリビングに戻った彼女は落ち着くふりをしながら硬い椅子に腰かけ、スマホのスイッチがないかと探し始めた。今まで気づかなかっただけでリセットボタンがあったのかもしれないと、ありもしない期待を持ってグルグルとスマホを回転させる。スマホが動かなければ何もできない。


 (松葉さんの言うようにしていたのに、どうして? 私だけ?)

 関連のないことのはずなのに、長堂はスマホが使えないことと松葉から任せられた仕事の出来具合を勝手に関連させて、その理不尽な評価に混乱していく。


 「何で? 何でだよ!」

 長堂はスマホの黒い画面を何度もタップする。その度にそこにぼんやりと映る彼女の瞳孔は見開き、喉が不自然に上下するが、画面が明るくなることはない。

 (ここから出られないじゃない……)


 長堂の顔が一気に真っ青になった。分かってしまった。ここから出られなければ自分の一番大事な人が死ぬ、そして自分も死ぬと。


 「優!」

 彼女の口から弟の名前が漏れ出た。しかしその声はひどくかすれていて、強いて表現すれば「ぅう」と聞こえる程度だった。呼吸が早く、浅くなる。


 「くそっ!」

 長堂は思わずスマホを床に叩きつけた。音こそ立ったものの何も傷が付くことも、スマホに電源が入ることもない。その行動の虚しさに彼女は顔を悲愴にしかめると――足にグッと力を入れて駆け出した。

 (どこ? ねえ! 出口は!)


 見つからない。普通のアパートなら玄関がありそうな辺りはただの壁であった。長堂は素早く左右を見回し、台所を抜けてリビングに走っていく。途中で椅子を蹴飛ばすも気にしない。

 そこにはかつて置かれていたデフォルトの家具は取り払われており、替わりにやけに高級な椅子と小さな机、それからサッカーボールと筋トレに使う各種器具が置かれていた。しかし、窓などない。通気口らしいものも、ない。


 「どうして! 何で出られないの!」

 彼女は部屋の薄明かりの中に光る金属光沢でさえも眩しく、上下左右があやふやになっていた。彼女は壁伝いにフラフラと寝室に向かっていった。

 「ない……」

 当然そこにも彼女の求めるものはあるはずもない。


 「どうして私なの?」

 長堂の心臓は今や激しく打ち、全力疾走したように荒く呼吸をしている。試合中のように自分をコントロールできていない。

 彼女は自分だけが他の参加者から隔離されていると勘違いしていた。さらに、部屋から出ることができない理由が分からない。そのことが長堂の正気をガリガリと削っていた。


 「優! 優!」

 長堂は首をせわしなく動かして出口を探していく。そんなものはあるわけがないことを頭の隅で理解している。しかし認めてしまえばあとはもう……。


 「鍵ぃ、スイッチぃ!」

 長堂はベッドの掛布団をめくり、クローゼットを開け、カーペットを力強く引き剥がし、部屋を荒らしていく。冷蔵庫をひっくり返し、椅子を蹴り飛ばす。

 「何か、何かないのぉ!」


 「出ないと……、ここから出ないと……」

 長堂は重い色をした金属製のパワーラックからバーベルを無理矢理持ち上げ――。

「ウオォァッ!」

 その片端を握り直すと振りかぶり、壁に叩きつけた。傷一つつかず、鈍い反動が腕を伝って体幹に伝わる。そんなことはお構いなしに彼女は狂いつくす。


 「開けっ! 開けっ! 開けえぇぇっ!」

 他の面も床も無差別に殴っていく。家具が倒れ、跳ね返って彼女の脛に当たるがたじろぐこともない。そうやって叫びながら四方八方に力をふるっていく。


 ただ1つを除いて傷が付くこともない。それは他でもない長堂自身の体である。筋肉痛では済まない反動は痣などかわいいほうで、服は赤黒く染まっており肋骨は何本か折れている。関節も動かすたびに激痛が入るほどにすり減っており、歯も食いしばりすぎて数本大きくひびが入っている。

 それでも、長堂は最愛の弟のために全身の力を振り絞ってあらゆる場所を叩き、時には同じ場所を何度も叩き、そうやって最後に汗で手が滑り、足の甲にバーを落とし骨を砕くと、うつ伏せに倒れた。


 (優……ごめんね……)

 彼女の目に映るのはわずかの木片と、あとは磨き尽くされたフローリングと洒落た模様の壁紙だけである。全て無意味であった。


 (お姉ちゃん……頑張ったけど、ダメだった……)

 長堂の瞼が自然に閉じる。指先も動かない。

 (来世でもまた一緒になれたらいいな……。できれば今度は姉弟じゃなくて……そうすれば……)


 (結婚だって……誰だって好きな人とずっと……。姉弟でも……)

 薄れゆく意識の中で長堂は考えた。子孫繁栄だけが結婚の意味ではないのだから、生物学的な同性の結婚も認められているのだから、養子縁組だってあるのだから、どうして自分たちはできないのだろうかと。


 結婚には色々な色々があるだろう。それらは複雑に絡み合っていて簡単にほどけるものではない。


 (いつか……)

 長堂はそこで意識を失った。冷たい床は硬く、生者の熱をためらいなく奪っていった。

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