第19話 知るな(1)
住本は他のメンバーと共に水鳥の部屋を訪れていた。そこではブレインストーミングが行われており、この先どうやったら生き残ることができるのか面々が頭を回転させていた。水鳥に気に入られるため、ということもあるだろう。
住本は水鳥と大川が話しているのをぼんやりと聞きながら、頭の中では別のことを考えていた。
(みんな、キレイになっているよね。私もだけどさ)
彼女は髪や肌の艶がよくなっていることに気が付いていた。
(究君も、毎日見ているのにいつもかっこいい、かっこよくなっている)
住本は何かをホワイトボードに書き込む水鳥の後姿に目をやった。
(ここにいないおばさんたちも、お婆ちゃんも、男の人も整っている)
元が元なら限界があるが、それでも見た目のケアがされている。何も特別なことをしないはずなのに。
(誰かに見せたい……っていうか、究君に見てもらっているから、いいや)
つい自慢したくなるくらいに住本の体は絶好調である。手元を見れば皺のほとんどないしっとりとした肌に健康的で滑らかな爪がある。他の部位も一流の施術を受けたと思えるくらいに潜在的な魅力を引き出している。
(で、またつい後ろに座っちゃったけど、由香里ちゃん)
住本が真正面を向くと、岩倉が小さく頭を動かした。照明に反射した彼女の黒髪がキラキラと光の帯を描いて、全く元の位置に収まった。
(この子の髪、本当にキレイだよね。それにすごくいい匂いがする。私が同じシャンプー使っても違うというか、由香里ちゃんにしか似合わない匂いだよね。やっぱりお嬢様は違う。うん)
住本は岩倉とその両隣の髪を見比べた。どれもさらさらと輝いているが、岩倉の髪は群を抜いている。少しの間住本は見とれていたが、水鳥の「じゃあ、次は――」という声で我に返った。
(そろそろ私も何か言わないと)
岩倉は生き残るための考えに頭を巡らせながら、片隅でまさに今の置かれている状況を整理していた。
(住本さん、また私の後ろに座っている)
しかし岩倉は嫌な顔一つせず、ごく自然な顔つきで、頑張って頭を使っているように見える仕草をしている。その姿は愁いながらも背伸びをしているようで、実にサマになっている。彼女が住本に対して直接的な行動を何も起こさないのは、特に何の害を及ぼすわけでもないことに加えて、彼女がそうした人たちに慣れてしまっていたためである。
(それに、白川さんもまた隣に来ていて、近い)
それでも岩倉は嫌がるわけでもなく、ただ、ああ近いなと客観的な事実のように感じている。むしろ自然に見える。彼女はわずかに身を揺らすとホワイトボードの内容を再確認して、ここで生き延びるための最善策を考え続けた。
岩倉の隣に座る白川は椅子の幅に余裕があるにも関わらず、岩倉側に身を寄せている。
(由香里ちゃん、かわいい。同い年なのに、全然怖がってなくて、しっかりしていて、ちゃんと話せて、あ、声もきれいで、かっこよくて、あ、ちょっと当たった。あったかい、かわいい。いい匂い、かわいい)
彼女は憧憬と恋慕が混ざり合った甘酸っぱい熱を岩倉に向けている。自分でも知らないうちに芽生えていたそれは彼女本来の感情なのか、このゲームが招いたものなのか、他人にとってはどちらでも良いことである。
この部屋にいる人物が誰かに強い感情を向けていることは決して珍しくない。ただし、犬塚真妃が向けているそれの方がここではメジャーだろう。
(究君、かっこいい。もう、動画で見るのと全然違う。立体的で、全部の表情がかっこいい。爽やかな香りも――)
水鳥が優しく微笑み、犬塚を見た。
「真妃ちゃんの番だけど、いいアイディアはあるかな?」
その声は彼女の脳に響き、エンドルフィンを産生させる。
(それに、名前まで覚えてもらって、褒めてもらって、助けてもらって、幸せ)
*
元木は部屋に徳田を招いて間食にクッキーを摘まみながら、おしゃべりに興じていた。有名なクラシックがその場で演奏されていると思うくらいに立体的に流れており、バラの香りがその旋律に溶け込んでいる。華美な装飾の施されたテーブルかけの上に置かれた高級な皿に並べられたクッキーは、どれも欠けなどない完璧な形をしている。
「男って傲慢よね。ちょっと力が強いからって今までずっと威張って、男女平等社会になってもそのままだと思っているでしょ?」
最も、そこで繰り広げられる会話は凡そ高尚とは言い難いが。徳田がクッキー片手に鼻の穴を大きくしながら話し始めた。
「ほんと。バカなのに、男だからってだけで偉いと思っているんでしょ」
元木は相槌を打つとクッキーを手に取った。そして、徳田がクッキーを持ったまま口にしていないことに気づき、「徳田さん、せっかくだから召し上がってね」と言った。
「そうね、いただくわ」
徳田はやっと勧めてきたと内心思いながらサクッとクッキーをかじった。甘くさらさらと口の中で溶けていく。バターの香りがふわりと溢れる。元木はそれを見届けるや否や大口を開けて自身もクッキーを食べ出した。
上品ぶって紅茶を飲んだ後は話題が変わることもなく、徳田は次のクッキーを片手に準備してから意地の悪い笑みを浮かべた。
「やっぱり一夫多妻制よね。女子は好きな人と結婚したいし、優秀な子供が欲しいのは生き物として当然なのよね」
「そうよね。その方が社会がよくなると思わない? 家畜だってそうでしょ? 優秀なオスだけが子孫を残せるのよ。あとは用無し……じゃなくて、家畜だったらお肉ね」
元木が口をガマガエルのようにニーッと広げると、徳田はグフグフと笑った。どうやら彼女たちの間では通じる冗談であったらしい。
「いくら不細工でも殺しちゃったら可哀想よ。生かしてあげる代わりに、ずっと働かせていればいいのよ。もちろん養育費は税金ってことで取るのよ」
「そうよね。もう奴隷でもいいんじゃない?」
元木が口に物差しを突っ込まれたように横にゆがめ、2人は笑った。彼女たちは分かろうとしない。これは動物でも同じことである。オスの小鳥はそのさえずりでメスに必死にアピールをし、メスはその中で最も魅力的なオスを選ぶように、オスもさえずる相手を選んでいるし、時にはメスの魅力に合わせて手を抜いたさえずりをしているということを。
「でも法律がねー。だからみんな不倫するんでょ? 素敵な男性はたくさん子供を作れるし、女子もその人と子供を作れるし、戸籍上の夫はATMよ」
そう言って徳田はクッキーを口に放り込んだ。咀嚼して、紅茶を飲む。元木はその一連の行動が終わるのを前のめりになって待ち、即座に口を開いた。
「あら、もしかして徳田さん?」
「アタシは色々あってできなかったのよ。ほんと残念だわ。元木さんは?」
ふう、とため息をついた徳田の返しに元木も同じようにふう、とため息をついた。
「私もよ。もっと法律を勉強すればよかったわ」
ここで徳田は声を落として、ニマリと口を歪めた。
「でもね、同じ会社に玉原さんっていたんだけど、その人、上手くやって今はO都でのんびりやっているのよ。本当に羨ましいわ」
「えっ! すごいじゃない!」
「簡単よ。赤ちゃんなんて小さいうちはみんな同じじゃない。日本の法律だと、1年経ったらDNA検査でパパのことがばれても、戸籍上の夫の所に養育費が行くのよ」
徳田は人ごとであるはずなのにやけに自慢げに語り始めた。
「でもバレなかったの?」
元木はそう尋ねながら素早くクッキーに手を伸ばしたが、空振りして皿に指を引っかけた。タン、と小さく音がする。
「私が信用できないの? って言えばいいそうよ。特に親のいるときに言うといいんですって」
「わぁーやるわねぇ」
元木の指は今度こそ皿の上に届くとクッキーを捕らえた。そのままロボットアームのように無駄のない動きで口元までものを運び、役割を終えてテーブルの上に戻った。
「ばれそうになったら、相手の不倫をでっち上げて離婚するのよ。そうすれば慰謝料も手に入って、ゆとりのある生活が待っているわ」
フンフンと解説をする徳田と感心する元木は皿の上が空になるまで延々と話し続けた。妬みなのか僻みなのかはともかく、その手の感情を剥き出しにすることはストレス解消とお互いの仲を深めるのにちょうど良い。敵の敵は味方である。
ただし、彼女たちが真実を言っているとは限らない。例えば自分が不倫をしていると公にすれば、自分がどう思っていようが、社会的制裁が全くないわけではない。ここでのそれはつまり、死である。
残りの40日近くを騙し通せばよいだけだ。十月十日と1年、いやそれ以前から身近な人間を裏切り続けるよりもよほど楽に違いない。
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